021空駆ける巨大魚
海面を飛び出して来る何かにルシルは反応していたが、ミルムの腕を引っ張ると抜けかねない。
仕方なく反対の腕でラリアット気味に腹を押して身体を引っこ抜き、未知との遭遇……もとい衝突は回避された。
しかし猶予があまりなかったための緊急措置は、素っ頓狂な呻き声を引き換えにミルムを岩場側に頭を上下に入れ替えるほど高く打ち上げる。
放物線を描いて落下してくるミルムを、ルシルはお姫様抱っこでキャッチして「すまん、ミルム。引っ張りすぎた」と謝罪を入れた。
ただ当の本人は息を詰まらせそれどころではなかったが。
謝罪の合間もルシルの視線はミルムに向けて空高く発射された何かに向けられている。
そしてその正体は……。
「まさかシャークボルト?」
ルシルが怪訝そうに呟く。
シャークボルトの一番の特性は生息域が普通の魚類と違って空中であることだ。
そして水中に生息するサメと同じく、表皮に硬く鈍いざらつきを持っている。
攻撃手段は体当たりと噛みつきが主で、表皮は敵の攻撃を防ぐばかりか体当たりで獲物を削り取るほど。
実際に皮は盾や鎧に用いられることすらあり、さらに個体によっては
中でもシャークボルトが厄介とされるのは、鳥などと違って巨大な質量で空中を自由かつ立体的に動ける……泳ぐことにある。
体格のために小刻みには動けない反面、その突進力は四足獣に引けは取らないこともあり、危険度が非常に高くしばしば討伐隊が結成されるほどである。
しかしそれも昔の話――
「へぇ、これはまた珍しい奴が出て来たな」
「けふっけほ……まったく、ルシルは乱暴だの。して、そいつはなんなのだ?」
「空飛ぶ危険魚だな。ミルムを味わってるつもりか、ご機嫌で昇って行くなぁ」
「魚は空を飛ぶのか?」
「あいつは特別だ。あの巨体を浮かせるのに全身に魔力を漲らせてるんだが、特に姿勢を制御するヒレに濃縮されてるんだとよ」
「ヒレ? 魔力が多いと何かいいことでも?」
「おう。トロフワ触感で甘さが濃厚、口溶けさわやかだ。身も淡白で美味いし卵は塩漬けにすると珍味で希少価値がある」
「なんだと! ルシルは食したことがあるのか! ずるいぞ!」
「そう言うなよ。ミルムもこれから食えるわけだしな」
つい先ほど襲われたことを考えると随分と緩い会話だ。
咀嚼に味が混じらないことにようやく気付いたシャークボルトが、はしゃぐ
生物の死角である頭上を常に取れ、高度を自由に操れるシャークボルトは確かに強者であろう。
現に多くの狩人を返り討ちにした個体の強力さは語るべくもないが、それゆえの『鈍感さ』は大きな弱点であると結論付けられた。
そう、このシャークボルトは討伐難易度に見合うだけの食材で、どの個体も同様に美味かった。
つまり――
「美味すぎて狩り尽くし……はしてなかったみたいだな」
「うむ! うむ! これは食すしかないな!!」
「いや、これ結構オオゴトなんだけどな?」
猛禽類のように鋭い角度で急降下してくるシャークボルトを眺め、ミルムを腕に抱えたままルシルがぼやく。
そうして激突の刹那、おもむろにルシルが右足を振り上げた。
――ドッゴン!!
微動だにせずに佇むのはルシルだけ。すさまじい衝撃音が周囲を疾る。
ミルムは反射的に耳と目を塞いで縮こまり、激突の威力に耐えかねたらしくルシルが立つ岩場が少し欠けて窪む。
迎撃されたシャークボルトはくの字に一瞬たわみ、すさまじい勢いで突撃を上回る速度で打ち上げられた。
「結構でかいから食いでがありそうだな。って、もしかして血抜きとか下処理とかなんかあるんかな?」
「み、耳が……」
「あぁ、すまん。でも剣を振り回すと血に濡れちまうから仕方ないだろ?」
「う、ううむ……服とやらがなくなれば困るものな。ところでそのしゃーくなんたらは何処へ?」
「上だよ上。しかしえらい高さまで行っちまったな。ちゃんと落ちてくるよな?」
幻の危険魚を前にルシルは少しばかり不安になる。
だが死んだ魚が水面に浮かぶように、シャークボルトも浮力を維持できずに落下する。
空を見上げるミルムの目に映る小さな黒い点が、急速に大きくなってきた。
「お、探しに行かなくてよさそうだな」
「では探索は終わりか?」
――どおん!
二人から少し離れた岩場にシャークボルトが落下して地面に血の華を咲かせた。
死後硬直かぴくぴくと動く姿を見て、ミルムの目を手で覆ったルシルは途方に暮れる。
「血抜きの必要はなくなったらしいけどミンチになってないよな?」
「こ、こらルシル! 前が見えんぞ!」
「あんま見ない方がいいと思うぞ。しかしこの辺の空域にこんなものが潜んでるなら、全滅するのもわかる話だな」
「全滅とな?」
「あ、そうか。ミルムは島の住人だったな」
昨日は
視線を巡らせ腰の高さくらいの手頃な岩を見つけ、片腕でミルムを抱いたまま水平に剣を振るった。
軽く蹴ればあっさり上部がズレ落ち、磨かれた鏡面のようなつややかな平面が顔を出す。
平らな岩場にミルムを座らせたルシルは「景色でも見といてくれ」と口にしてシャークボルトの具合を確認しに行く。
「どこから話したものか……簡単に言うとここに俺以外の人はいないんだよ」
「うむ、確かにそうだな」
「絶対わかってない返事が来たな」
元気のいい返事に思わずルシルも笑ってしまう。
迎撃・墜落と二度もなかなかの轟音を立てたわりに、虫の息ではあるもののシャークボルトはまだ生きていた。
単純な生命力の強さならやはり相当なものなのだろう。
ともあれ。予想していたよりも状態は悪くない。
立場や追放のことはさておき、ルシルはシャークボルト解体の片手間に、この島の特徴や
・
・
・
「ベルン領主に仕える者である。早々に対応してもらおう」
「商会長は外出中でして、戻り時間も聞いておりません。どのような内容でしょうか?」
「信用できないと言うのか? きちんと紹介状もあるぞ」
「拝見いたします。たしかにベルン領主様の箔がありますね」
「ではすぐにでも……」
「いえ、商会長が外出しているため対応ができません。内容次第では別の者が……」
港内にも関わらず護衛を二人付けて突然訪問してきた男は、要件も告げずに商会長を呼び出した。
どれほど重要な事かはわからないが、事情くらい話してもらえなければ呼び戻すのも難しい。
ただ提示された書状は正式なものなので、仕方なく奥に通して商会長を呼びに走った。
時間が経つほどに不機嫌が募るのは仕方ない。
しかし急に人を呼びつけておいて隠すこともしないとは随分な相手である。
部屋に入った商会長が挨拶と待たせたお詫びを口にする前に、男が割り込むように口を開いた。
「メルヴィ海域に船を出したらしいな?」
「はい?」
「しかも島があったなどと吹聴しているそうじゃないか」
「船乗りは武勇伝を語りたがりますからね。そういう者も何処かには居るでしょうな」
「その噂の出どころと事実確認に来たのだ」
「はぁ……とおっしゃられましても。航海情報はすべて組合に提出しておりますよ?」
「だからここへ来たのではないか」
ギョロリと威圧的に男が睨む。
しかし商会が管理しているのは、暴力を生業とする者さえ二の足を踏むほど強面で筋骨隆々な船乗りたちだ。
その程度の睨み・凄みでは心にさざ波すら起こせない。
元々外部からの安否確認は組合で行われるが、航海は貿易・旅客に密接に関わる機密情報に分類される。
組合に提出されているのも、遭難や襲撃に遭った際に迅速に対応するためで、乗組員数や積載量、船の名前などの荒い情報しかなく、無事に帰った時点で情報は破棄される。
正当な理由があれば……たとえば領主権限での開示などであれば一も二もなく開示されるが、お目当ての情報があるはずもない。
とはいえ、発着の状況くらいは教えてくれそうなものだが……状況を見るに態度が悪すぎたのだろう。
つまりこの男には正当な理由がなく、組合から追い返されたと口にしているのだ。
「いかに領主様と言えども、情報開示のルールを守っていただけなければ困ります。
それでも要件次第ではお伝えできることもあるかと思いますが……組合が下した判断に逆らうのは私どもも対応しかねますな」
「ここまで足を運ばせておいてふざけるな!」
「そうおっしゃられましても。御用があるのはそちらではありませんか?」
男は話が進まないことに苛立ちを募らせる。
機密情報のやり取りなのに、そういえば男の名前すら知らないな、と商会長は苦笑いする。
「ともあれ、平行線ではお互いどうにもなりません。メルヴィ海域で何かありましたか?」
「島があるというではないか」
「はぁ。霧に覆われた未開拓の海域ですからね。霧さえ晴れればあるかもしれませんな」
「であれば、その島は領主様のものであろう?」
「……ちょっと領地の事情に疎いのですが、優先権は発見者にありませんでしたか?」
税を課すというならまだしも、丸っと持っていくのはいくらなんでも横暴だ。
法とはそんなに領主に都合のいいように作られていただろうか。
しかし男は正当性を訴える。商会長に伝えても意味はないのだが。
「新たな鉱山を発見したからと言って、領地の中であれば領主様のものであろう?」
それが本当なら領主に伝えずこっそり鉱山を掘り尽くすはずだし、森を切り開くような開拓者など存在しなくなる。
さすがに領主の書状を持ち込むのだから嘘ではないのだろうが、一体何を言っているのか……商会長も顔には出さないが困惑してしまう。
しかしそもそもこれは客と領主の話でしかないと思い直す。
良客を手放すのはもったいないが、ここで領主に楯突いては商売自体ができなくなってしまう。どちらを取るかなど火を見るよりも明らかだ。
それに傷口を小さくすれば、どちらにもいい顔ができるかもしれない。商会長は話の方向を変え始めた。
「……報告自体は必要かもしれませんな。念押しですが船を出すことへの罰則はありませんね?
それとこれは今後の判断材料にする予定のお話です。あくまで商会側は無関係ですのでそのつもりでご理解ください」
「もちろんだとも。我々はまず状況を把握したいだけだ」
「結構です。私どもがメルヴィに船を出したのは間違いありません。既に帰港も果たしております」
「やはりか! では当然島も確認したと……?」
「それはどうでしょうか」
「どういう意味だね」
「少し難しい話になっていましてね。先ほど伝えた通り船は帰ってきましたが、お客様は戻られませんでした」
「なん、だと……客はどこへ消えたのだ」
「人が海上で消えれば大体は海難事故を疑うのですが、同伴した船員たちは発見した島に降りたと言うのですよ」
「素晴らしい! やはり島は……いや、待て。では発見者は居らず、船乗りだけの証言だと?」
「そうなります。しかも次の遊覧船を予約すると言って一筆書いた上に前金で気前良く支払っていただいております。
いかに部下を信じていようとも、これだけの好条件が揃ってしまうと
それを危惧したのか、お客様の書面の中にも『監察官を連れてこい』とまで記入されておりました。随分と先見性があると思いませんか?」
何も証拠がない中で何故か犯罪に対しての予防線だけが随分ある。
商会長は客を殺して金を毟ったのではないか、と暗に示しているのだ。
軽く考えていた男は状況が思った以上に複雑に絡んでいることに「それは……」と言い淀む。
「改めて申し上げますが、私ども商会側の者は海上でのやり取りには誓って無関係だと再認識ください。
また、ご予約いただいた船が数日中に出すのですが、お客様の安否を確認する者を連れていく必要があります」
「……つまり?」
「領主様の書状をお持ちの貴方であれば『監察官』として十二分の資質ではないかと愚考するわけです」
実際にどう処理したものかと苦慮していたのも事実である。
その役目を押し付けられる相手を見つけた商会長は、にこやかに笑いながら、掛かった、と内心で拳を握った。
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