020宰相と幻獣の誤算

 ルシル=フィーレが王都から出奔したその日。

 いや、そのすぐあと。


「ゆ、勇者を見失っただと……?」


 そこらでうめき声が上がる練兵場の端で報告を聞いたケルヴィンは呆然と立ち竦む。

 たかだか数十分。それも民間人がごった返す王都内でしか把握できないとは……。

 普通は逆じゃないのか、とつい先ほど別れたルシル=フィーレの所業に頭が痛い。


 しかし報告を聞いて納得してしまった。

 王都内でならば一般人と同じ速度で歩き、他者に迷惑を掛けないよう振る舞い、何よりルシルが居るところには人だかりができている。

 そうそう見失うことがない上に少し目を離していたところで再発見は容易い。


 だが、ひとたび王都を出ればそうしたしがらみが一切なくなる。

 解き放たれたルシルは、準備運動のように二・三度軽く跳んだのち、草原を抜けて森へと消えてしまった。

 追跡者が様子を見ているたった十数秒の間の出来事だ。

 これではもう追う手段が……そしてもう彼が戻ってくることはない。


「まずい……彼は事情を了承してくれたが他国はそうはいかない。これでは引き抜きがあっても止めれない……」


 練兵場を足早に後にし、自身の執務室へ引きこもったケルヴィンは途方に暮れる。

 叱責を受けるとばかり思っていた情報員は、怯えているような気配を匂わすが、そんなことには構っていられない。


「渡した地図は指定したものか?」


「は、はいっ! もちろん、森を迂回した街道しかありません!」


「理解して突っ切ったか……やはりこちらの思惑はお見通しというわけか」


「……お見通し、とは?」


「何、簡単な話だ。あれだけの極大戦力を放置などできるわけがない」


「だから監視が必要なのですね」


「そうだ。彼をコントロールするのは不可能でも近況くらいは把握しておかねばならない。

 そして他国もルシル=フィーレの動向には敏感だ。我々と同様に近況を知るために人を寄越しているに違いない」


「たしかに……」


だから・・・ルシル=フィーレはそれらを区別することなく振り切った。

 つまり彼は『オーランドにすらも近況を知らせない・・・・・』と行動で示してしまったのだ!」


「なっ……そ、それではっ!」


「あぁ。我々は改めて彼に……ただの個人に後塵を拝してしまったのだ……」


 あそこまで虚仮にした勇者ルシルからの明確な『報復』は何もない。

 練兵場での一件も、今回の追跡の件にしてもだ。

 しかし現実を突きつけられて膝を付く、宰相であるケルヴィンの思いはいかほどだろうか。


「勇者は誰にも行き先を告げてはいない。そうだな?」


「はいっ! 外遊、もしくは療養の名目で田舎に引っ込むとだけ告げています!」


「であれば彼の行き先はまだ我々しか知らないはずだ。急ぎ後を追ってくれ。くれぐれも大事にはせず、状況報告に努めるように」


「承知いたしました!」


 ドタバタと部屋をあわただしく出ていく情報員の背を眺め、指示に抜けはないかと考えを彷徨わせる。

 それでなくとも問題は山積しているのに、と悪態をつく暇もない。


「勇者との不仲を他国に知られれば我が国は終わりだな」


 ぼそりと呟いた重苦しい独り言はまだ見ぬ未来へ向けて零れたかのようだった。


 ・

 ・

 ・


 ルシルの予想通り、ミルムは拠点でチクチク内職するよりも外を求めた。

 ようやく自分の足で歩き回れる装備を手にしたのだから当然とも言えるか。

 とりあえず目的地はミルムを発見した岩場に定め、彼女を背負って軽快に移動した。


「木が割れない限りは足は大丈夫だ。けど転んだら酷いことになるから本当に気をつけろよ」


「わかっておる! 早く下ろすのじゃ!!」


 目を輝かして鼻息荒くはしゃぐミルムが微笑ましい。

 が、それにしても筋肉痛を忘れてはいないだろうか。

 下ろすためにしゃがむルシルは都合のいい彼女に苦笑いを浮かべて送り出した。


「この靴は開放感があるのぉ!」


「こらこら。はしゃぐなって。この辺は乾いてるからいいけど、海側に行ったら滑るからな」


「そうなのか! ならばわっちはこの辺を探索してやろう!」


「ちょっ、勝手に移動すんな! 滑りにくいだけで凸凹してるんだから危ねぇんだよ!」


「ちっちっち。ルシルはわっちを見くびりすぎじゃ。この程度造作もないことよ! わきゅっ?!」


 くるくる回りながら歩いていたミルムはお約束のタイミングですっころぶ。

 それも片足立ちしてる軸足に振り回した足を引っ掛けるという、余りにもわざとらしく、かつ芸術的な転び方で、硬く尖った凶器と変わらない岩場に目掛けて頭から倒れていく。

 目を瞑る間もなく、何ならミルム本人は何が起きたかすら理解していない。

 けれど――


「だから言わんこっちゃない!」


 頭は腕、腰を膝で支えたルシルは、舞踏会での『キメ』のようなえらく傾いた姿勢で精神的な焦りから来る「ふぅ」という息を吐いた。

 頭蓋を割りかねない岩場の間に腕を差し込んだルシルは、確か少し先……数メートルも向こうで呆れて棒立ちしていたはずだ。

 それが一瞬の間に移動して……と、何事か頭が追い付かないミルムでも、助けられたことだけは理解している。


「すまぬ。確かにはしゃぎすぎたようだ」


「わかってくれれば良いさ」


 素直さに驚きながらミルムを立たせて手をつなぐ。

 余程ショックだったのか、先ほどよりもしおらしくなっている。

 これなら二手に分かれて探索しても……とルシルの頭をよぎるが、いつでも間に合うとも限らない。

 というより一度でも助け損ねると致命傷を負いかねないので手放せない。


「ここでの目的は忘れてないよな?」


「うむ。食料の確保だ。それとわっちの出自の確認だな」


「よろしい。まずは飯を探すか。

 あ、念のため言っておくが、別にミルムが『嘘をついている』なんて思ってるわけじゃないからな。

 本人も忘れるほど寝こけてたのなら、何かしら理由があるだろうな、とかって考えて来てるだけだぞ?」


「どう思われておっても構わぬよ。わっちはわっちだ」


「そりゃよかった。ミルム相手にも気兼ねしなくてよさそうだ」


 ちょっとのことで傷付くというより、傷にする者が貴族社会には多かった。

 揚げ足取りとでも言えばいいだろうか、どうでもいい内容を膨らませて利益にあずかろうという輩が多いのを思い出す。

 世界に名の知れた勇者ルシルを利用しようと集まってくる者も居るし、この流刑に等しい対応も存外傷付いたルシルにはいい薬だったかもしれない。


 ともあれ。多少しおらしくなったとはいえ、ミルムの好奇心は疼いたままだ。

 逸る気持ちを抑えているのが見え見えで、ルシルのゴーサインを今か今かと待ち望んでいる。


「海辺まで行くか。水に浸かってるところなら何かしら居るだろ」


「うむ、うむっ! 昨日は結局遠目にしか見なかったからの!」


「あの砂浜ってしばらく浅瀬だから遊べるかもな」


「そうか! ならばわっちの泳法を見せつけてやらねばならぬな!」


「変えの服と水着がないからまた今度な?」


「脱げばよいではないか!」


「俺しかいないからって真っ裸はさすがになぁ……」


 そんな他愛もないことを話している間に水際まで歩ききった。

 洞窟の入り口からはさほど遠くなく約三十メートルほど。凹凸はあるが高さは変わらないように見える。

 だが――


「浜辺の水の色と違う気がするな?」


「この先からは崖みたいに一気に深くなってるみたいだ。確認は必要だが船を停めるには良い地形かもな」


「船?」


「あー……水に浮かせる地面みたいなもんだ」


「なるほど! 歩いていけるなら便利だな!」


「うぐっ、そりゃ桟橋っていうんだ。地面って言ってもそいつに乗って移動できる感じなんだよ。

 どう言えば伝わるかなぁ……イカダも見せたことがないしなぁ。まぁ、もうしばらくすれば見れると思うが」


「今の海にはそんなものが棲んでるのだな!」


「いや、棲んでねぇよ。完全に人工物だし」


 水際にしゃがみこんで覗くミルムの後頭部を眺めながらルシルは楽しそうに笑う。

 本当に何もない場所ではあるが、殺伐とした戦場とは違う、ほのぼのとした空気がルシルを癒す。

 そんな平和な時間は長くは続かない。


 見通しの悪い海の底から、何かが水面まで一直線に上がってきた。

 視界いっぱいに広がるのは小さな突起物が同心円状に並んだ口らしきもの。

 ミルムの反射神経では捉えられず、ガラスにいきなり誰かの顔が映ったかのような唐突ぶりに思わず仰け反る。


 ――ザッパーーン!!


「ひぐっ!?」


 だけでなく、身体ごと背後に吹き飛んだ。

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