019勇者の秘め事
人であれ、物であれ、獣であれ。他者を魅了し惹きつける。
そうした魔性の何かを持つモノには気を付けなくてはならない。それが力ある者であればなおさらだろう。
床板の端っこを陣取って寝そべっていたミルムと話をしていたはずが、気付けば可愛らしい寝息が聞こえてきた。
ルシルは起こさないように静かに近付き、身を乗り出してズレ落ちていた布を掛け直す。
くるくる変わる表情や行動と、ハプニングによるドタバタ劇でよく顔を見ていなかったが、他者を惹きつける現実離れした容姿をしている。
それに少女の身体にしてはやけに妖艶で、相反するように寝顔は実に年相応であどけない。
これが懐柔策だとしたら大した役者である。
ごくりと唾を飲み下したルシルはおもむろに布の下に隠れる足を手に取り軽く撫でた。
ミルムはくすぐったそうに身体をよじるくらいで簡単には起きそうにない。
半日くらいではあるものの、封印後すぐにあれだけ立ち回れば疲れも相当なものなはず……。
だが油断は禁物だ。万が一気付かれようものなら軽蔑されること必至。
ただでさえ不確かな関係性に亀裂が入れば取り返しがつかない。
ここには仲裁をしてくれる第三者が居ないのだから。
緊張で息が浅くなり身体が呼吸を欲して肺を絞る。
溺れるように呼吸に困っても、起こさないように、されど手を止めることなく肌の上に手を這わせる。
指先、足裏、かかと、足の甲、くるぶし、ふくらはぎと片足ずつ慎重にゆっくりと。
これはミルムのためでもある。
男と二人きり。それも適当に身体に巻き付けただけの布に近しい服しか着ていない。
少しは学ぶことも必要だ。
夜はまだ始まったばかり。彼女が起きるまでに完遂しなくては……。
ルシルは息を殺して没頭していく。
・
・
・
地面を舐めるように太陽が昇り、床板と屋根しかない簡素な拠点に朝日が差し込む。
太陽の角度を計算はしていたが、感覚で乗せた屋根は予想よりも朝日の直射を遮り、ミルムの睡眠を助けていた。
周囲が緩やかに明るくなる中、直射を回避し眠りこけていたミルムに変化が訪れる。
それは――
「よぅ、起きたか」
「ん……んんっ? なんぞいい匂いが……?」
「そりゃもう。目の前に食材があるわけだしな」
「なんとっ!」
海を指差したルシルに目を輝かせ、ミルムは巻き付けていた布を放り出し勢いよく立ち上がろうとする。
しかし足に力が入らない。そればかりか手や顔の表皮を薄く焼いた火傷とは全く違う、身体の内側から訴える痛みに崩れ落ちた。
身体が高く持ち上がる前だったとはいえ、床板に肩からゴンと痛々しい音を立てる。
頭をぶつけなかったので大事ないようだが、手で何とか身体を支えている状態で膝をつき、お尻が空に突き上げられている。
くの字に潰れた腕立て伏せみたいな姿勢で目に涙を浮かべ、芋虫のようにずりずりと這う姿はちょっと見ていられない。
性別を横においてもあの格好はないだろう。
火にかけるあれこれを思うと席を立つのはまずいが、苦笑いを浮かべたルシルは拠点へ足を踏み出し「大丈夫か?」と声を掛けた。
「うぅぅ……大丈夫、ではないっ! なんだこれは!」
「多分筋肉痛だと思うぞ。安静にしてれば二・三日で良くなるさ」
「筋肉痛……?」
「あー……自分の能力以上に動くと体内が小さく負傷していくんだ。限界を超えるとそんな風になるわけだな」
「なんと! 起き上がるだけでこんなことに! 昨日まで問題なかったというのにっ!」
「違う違う。昨日の疲れが残ってるんだよ」
「疲れ? 別段、何もなかった気がするが……」
床板に身体を預ける姿勢で器用にもルシルへ視線を向けた。
見方によっては柔軟しているようなミルムの身体を抱き上げ、床板の端にこちらを向かせて座らせた。
ミルムは何でもなかったかのように縁側に足を投げ出すようにぶらぶらと揺らして痛みの具合を確かめている。
力を入れない曲げ伸ばしでもピクピクと身体を震わせるので、今日の行動は少し窮屈になりそうだった。
「どれだけ寝てたかは知らないが、人だと二・三日寝たきりになるだけで立ち上がることすらつらいんだぜ」
「む? そうなのか? 脆弱すぎやしないか」
「同じ体重の生物の中じゃ最弱かもなぁ。何ならちょっとでかい猫にも負けるし。だから道具を持って対抗するわけだけどな」
回復するにはエネルギーが必要で、それは主に食物から得られるもの。
とにかくこの欠食童子に餌を与えねばいけないと、ルシルはミルムを正面からハグするように持ち上げ砂浜の焚火の近くに連れていく。
夜の間に切り出していた丸太を横たえただけの簡易的な長椅子に座らされる。
ただし硬くごつごつした樹皮が座るために削り取られる配慮までなされ、ルシルはいったいいつまで起きていたのか気になるところである。
「して今朝のメニューはなんじゃ!」
「くくっ、えらそうなやつめ。鉄網とか鉄板とかがないから性懲りもなく石焼だ」
「昨日とは形状が違うように見えるが……」
「あぁ、そこらの石を厚めにスライスしといた」
火に掛かる石板とでも呼べば良いのか。
厚さ二センチ、幅一メートル、奥行き六十センチほどで、自然石らしく枠はごつごつしているが完全に真っ平である。
つまりルシルは強度など木と比較にならない石の、一メートルを超える厚みを一息で両断してるのだ。
ルシルは何でもないように気軽に口にして、石板に乗せられた貝の焼け具合を見る。
殻を下にして熱された二枚貝は、口を開けて自前の水気を吐き出してくつくつと小さな泡を上げていて美味そうだ。
魚は食べやすいように串に刺してあるが、石板の上でじっくり焼きの最中。
火はしっかり通っているようなので最後に直火で炙り、木から切りだした皿に貝と魚を乗せてミルムに突き出した。
「……あの硬いヤツをか?」
ミルムは木皿を受取ながら石鍋を作るときに出た残骸を触ったのを思い出す。
今の彼女では破壊すらままならないものを、とおかしなものを見る目を向ける。
ミルムにはヒトの脆弱性を解く癖に、ルシル自身の話は余りにもかけ離れていて、どうにも『ヒト』の基準が定まらない。
そんなことより目の前の食事である。
目に見えて熱い貝を後回しにし、串に刺さる焼き魚をアグアグと歯で解して口に入れていく。
危なっかしい姿を見たルシルが「骨に気をつけろよ」と声を掛けるが聞いているようには見えない。
味付けは大したことはしていないが鮮度だけは抜群だ。食材の味さえ殺さなければ何をどうしたって美味くなる。
ただ、医者も薬もない中では、生で行く勇気はルシルになかった。
「こういうのはコツがあるんだよ。ただ掴むまでに五十年とか掛かるらしいけど」
「ヒトの寿命はそこまで長かったか? たしか五十年そこそこではなかったか」
「あ、うん。武を志すやつってのはわりと頑丈だからもうちょっと寿命は長いが、コツって言っても極意ってやつだから、ほとんど実戦とかできない年齢だな」
「わっちはヒトを容姿で判断できぬのだが。ルシルはもうすぐ死ぬのか?」
「くははっ、良いな。その不躾な物言い」
「む……また間違えたか」
「いんや、俺は好きだぜ? 自然体で相手してもらえるのはな。
それでミルムの答えだが、俺って武に関しては掛け値なしの天才なんだよ。
十二くらいで石は切ってたし、十五で剣とか盾とか鎧も意味をなさなくなったな」
「うん? 時間を必要としなかったと?」
「そうだな。難しいことなのも知らないくらいさ。でもな、意外にも木とか鱗とかの方が切りにくいんだよ」
ルシルの言葉を聞いてミルムは不思議そうに座っている木を指で押す。
生木は硬いなりにも柔らかさがあり、少し沈むような触感を指に与えてくる。石ならもちろん自分の指が痛むだけ。どちらが硬いかなど口にするまでもない。
また、ルシルが使う剣も、石や木を両断するなら硬いはずで、だというのに挙げられた中で一番柔らかく感じる木が難しいとはどういう意味なのだろうか。
何度もやった問答なのか、ミルムが疑問を口にする前にルシルが話し出す。
「そう難しい話じゃないさ。柔らかいからだ」
「柔らかい方が切りやすいのでは?」
「あー言い方が難しいな。石とか鉄ってのは硬いだろ。つまり力がどこにも逃げない。コツさえ掴めればまっすぐ切れるのは一直線に力が到達するからだ」
「ふむ? ならば木は違うと?」
「というより生物だな。たとえば人や獣は血を、木は水を身体に流してる。つまり中身が動いてるんだ。
その流れに沿って力を入れてやらないと綺麗に伝わらない。伝わらないってことは、それだけ力が必要になるわけだ」
「それでも石の方が力がいるだろう?」
「力の入れ具合はな。んーそうだな。ミルム、お前走りながら昨日の蔓結べるか?」
「なんと! 今日はそんな過酷なことが必要だと!?」
「たとえだよ。木を切るってのは、そんな風に他のコトをしながら綺麗に力入れるって感じで面倒なんだよ。あんまり共感してもらえないけどな」
ルシルが肩を竦めて話すのも、彼が簡単だと話す石切りに五十年もかかるからだ。
それなら力任せに両断できる木や鱗の方がまだマシで、石切りや斬鉄ができる熟練者からしても、散々生物を切ってきた経験があって頷きづらい。
ルシルの言う『綺麗に』という言葉は、世界中のどこを探しても理解してもらえず、勇者ジョークみたいな扱いになっているのだ。
「ま、俺ができるのは切るだけだけどな。石工や木工みたいに細かい装飾や機能美の追及なんてできないしな」
「これほど滑らかな表面でもルシルが劣るのか……ヒトは思ったよりもやるのだな!」
「得意分野の違いだな。ところで筋肉痛ならここで蔓と屋根作って休んでるか?」
「休むとは」
「あははっ、確かに。でも動き回るのはきついだろ?」
「そうだのぉ……毎度ルシルに背負われて移動するのもちと悪いしの」
「馬とか牛とかは黙って人乗せてるから文句は言わないが……あ、そうそう。昨日これ作ったんだよ」
そう話して残りの食事を口に詰め込み、取り出したのは木を切り出して作られた下駄だ。
と言っても作りは非常に難しくなく、単なる厚手の板に足を固定するために、指先と足首用の布を何本か這わしているだけだ。
素人の手によるものなのは一目瞭然だが、試作品なら随分とマシなものだろう。
昨夜ルシルがミルムの足を触っていたのは、きちんとサイズを確認して使えるものを渡すためだ。
ちなみに寝静まってから行動を始めたのは、完成させられる自信がなかったからで、彼にやましい気持ちなど一切ない。
もしも好奇心旺盛な彼女に話をして作りはじめて出来上がらなければ、その落胆ぶりはどれほどか……。
この短時間でも、素直なミルムの心を予想することは容易く、丸太の椅子といい、勇者は密かな努力を重ねていたわけである。
「おぉ! これでわっちは何処へでも行けるわけだな!」
「行けるわけねぇだろ。岩場ならちゃんと役に立つけど、砂浜は埋まるし森だと枝や根が刺さる。ちゃんとした靴が届くまで大人しくしてろよ」
「ぐぬぬ……何処へも行けぬとは不便だ!」
「ほら、足出せって。これでも頑張ったんだぜ?
俺の貸してもいいけどサイズ合わないしな。足裏の代わりに転んで身体の方がズタズタになりそうだ」
「ルシルに憤っているわけではない。わっちの身の脆弱さを嘆いておるのだ」
「そっか。ま、何か不満があったら言ってくれ。あとアイディアもな。俺一人じゃこの辺が限界だわ」
「おぉ、わっちは期待されておるぞ!」
「そりゃミルムは今伸びしろしかないからな」
ミルムの足に下駄もどきを固定して立ち上がる。
食糧確保か拠点作りか……ルシルはミルムのはしゃぎようを見て考える。
きっとあちこち見て回りたいと言うだろうな、と。
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