012伝説の幻獣

 ミドガルズオルム。

 自身の尾っぽを咥えた蛇の象徴シンボルであるウロボロスとも関わりを持つ、遥か太古に存在したとされる幻獣の一種。

 その姿は海を越えるほどに大きく、誰も全貌を見たことがないと伝えられている。


 今なおその脅威を示す言葉は多く、高波や大雨に代表される悪天候しけ、全てを押し流す津波。

 海を茹で上げる火山や、人の営みを崩す地震といった、海や陸にまつわるほとんどの災害の原因・遠因に数えられる。


 そんな化け物の中の化け物が目を覚ましたとあっては間違いなく世界を揺るがす大事件だ。

 海水に浸かってぱちゃぱちゃしている、どこからどう見ても人族の子の名乗りが正しければ、だが。


 神格持ちを警戒していたルシルもこれには意表を突かれて凝視してしまっている。

 ただ、先程のぼやけた気配はなくなり、代わりにミドガルズオルムと名乗る少女が出て来たのは事実だ。

 お互いにお見合いする形で空白の時間が流れ――


「くちゅんっ!」


 少女は盛大にくしゃみした。

 我に返ったルシルは反射的に「大丈夫か?」と問いかける。

 もちろん警戒を維持しながらだったが。


「う、うむ……少々寝すぎたかもしれん」


「そうか……とりあえず、そこから上がれよ。寒いなら服なら貸してやるからさ」


 少女姿のナニカを見捨てるわけにはいかない。

 水辺まで近付き手を差し出した辺りでルシルは敬語の存在を思い出した。


 人智を越えればあっさり姿くらいは存在ごと変化させられる者も居る。

 封印されるほどのナニカ……俗にいう『上位存在』を相手にやらかしたかもしれないと焦る。

 しかし口から出た言葉は戻らないので、何か咎められなければ無視しようとも心に決める。


「良い心がけだ。しかし濡れたくらいで寒いなど……何故寒いのだ?」


「いや、濡れたら普通は冷えるぞ?」


「……ふむ、そういうものだったか。やはり寝坊はいかんな」


「おっと、ちゃんと立てないのか?」


 水の中で平気だったのは浮力があるためか、それとも腰かけていたからだろうか。

 ルシルが地上に引き上げると、途端に身体を支えられなくなってもたれかかってきた。

 衣服が濡れるのを脇に置いて少女を抱き支え、腰のポーチから清潔な布を被せてしまう。

 視線除けと水気を拭うため、それと寒いと嘆いたための暖気用だ。


「力が入らぬな……空腹のせいかもしれん。何かないか?」


「あるにはあるが……とりあえず外に出るか。ここは確かに少し冷えるからな」


「………」


「どうした?」


「……動けん」


「は?」


「……動けんと言ったのだ!」


「…………」


「な、なんじゃその目はっ?」


伝説の幻獣ミドガルズオルムって大したこと無いんだな……」


「ち、違うぞ! わっちは今腹が減っておるから……」


「とりあえず背負ってやる。先に身体を拭いてくれ」


「くぅぅ! 違うというのに!!」


「はいはい、さっさとする」


 腕の中でワタワタと慌てる自称ミドガルズオルムを、新たにポーチから取り出した布の上に座らせる。

 ぎこちない仕草で身体を拭いている少女の頭に「髪も忘れんなよ」と追加で出した小さな布を乗せて背を向けた。


 しかしいくらサバイバル能力過多のルシルでも、こんな状況は想定していない。

 というか、女物の衣服までさっと取り出せば、状況に適応してても変態まっしぐらである。

 精々出せるのは男女兼用ユニセックスで使えるシャツに布。

 ついでに寒冷地の遠征時に使ったコートくらいか。


 とりあえず今さえ乗り越えれば何とでもなる。

 二週間後には衣服の発注も望めるわけだし。


「よ、よし。拭いたぞ。連れていけ!」


「偉そうだな……って、服を着ろよ」


「どうやってだ?」


「……嘘だろ?」


 もしもほんとに幻獣で、たまたま少女の姿を取っているなら、確かに服など着れるわけがない。

 溜息を吐きながら上からシャツを被せて腕を抜き、コートを渡して「さっきみたいに腕を通して羽織れ」と指示を出せば、ゆっくりながら動き出す。

 もたつく少女の腰にさっと布を巻き、スカートのように身に着けて端を中へ織り込んだ。

 一々落ちても面倒なので、追加でベルトを取り出して布の上から巻いて固定し、少しばかり補強する。


 手早く終えたルシルは「よっし、行くぞ」と、少女を背に乗せて立ち上がった。


「手際が良いな? よくやっているのか?」


「そこだけ聞けば変質者みたいな言われ方だな」


「む、何か言葉を間違えたか」


「いや、気にするな。単に救助の心がけがあるだけだ」


「そうか、わっちも救助されたのだな」


「……ミドガルズオルムを救ったなんて伝説になるな」


「うむ、誇るがよいぞ!」


 耳元で朗らかに囁かれる言葉を聞きながら洞穴を歩く。


 ――もしも本当にミドガルズオルムだったら世界の破滅の危機じゃないのか?


 背に少女を乗せたルシルがそんなことを思っても、とっくに手遅れになっていた。

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