選んだ道

「そうか……そうだよな」

「ジーク?」

「結果なんて、どうやったって分かりっこないんだ。それが正しかったかなんて、結局終わってからしか分からない。大事なのは、後悔しない道を選べるかだ」


 結局自分は、逃げていただけ。あの銀髪の少女からすれば、拘っていただけ。

 もっとも、完全に吹っ切れた訳じゃない。ただ、何もせずに後で後悔するのは御免だ。


「……ここで待ってろ。アイツは俺が何とかする」

「え、まさか一人で? そんなの無茶――」

「直ぐに終わらせる」


 ルナの声を遮って、ジークは一つのウィンドウを呼び出す。フロンティアのログイン画面だ。


「ID:Sieg8610、パスワード:――」


 投影したキーボードを目にも留まらぬ速さでタイピングした直後、新たに粒子が集束し、ジークの姿に変化が起きる。


 黒一色だった姿は、上下白黒のライダースーツに。

 薄暗い灰色だった髪は、黒曜石のような漆黒に。

 そしてモノトーンと評されるほどの暗さを打ち消すように、真紅の帯が腰ではためく。


「ジー、ク?」


 ただならぬ気配に、ルナはおずおずと声を掛ける。


「そうとも言えるし、違うとも言えるな」


 適当に言って物陰から出ようとしたジークだったが、『あぁ』と直ぐに何か思い出したように戻ってきた。


「まずは、その【毒】だな」


 すっとジークは気軽な調子でルナに手を向ける。そして、


 ――バキン!


 まるでガラス細工のように、【猛毒】が


「え、今の……」

「じゃあ、行ってくる」


 困惑するルナを置いて、今度こそジークは物陰から出る。

 その途中、もう一度開いたウィンドウからある物を取り出した。


「久しぶりだな、《村正》」


 懐かしむように見るのは、一振りの日本刀。

 鞘に納められた刀は一切の装飾が削ぎ落とされ、ただ切る事のみに特化しているのが嫌でも分かる。

 そして、水に濡れたような美しい刀身を鞘から引き抜きながら、再びネメシスの前に姿を現した。


「あぁ? 2つ目のアバター……。何だよ、テメェも俺と同類だったのか?」

「どこにでもいる普通の学生だよ。ちょっとハッキングが得意なだけの」

「そりゃ普通とは言わねぇ。……んで、わざわざイメチェンしてまで何の用だ。プリンセスを渡す気にでもなったか?」

「いいや、俺の答えは変わらない。でも、一つだけ変わったとするなら」


 チャキ……と切先を向けた先は――ネメシス。


「お前達が俺に倒されるか、それとも逃げ出すか。選択肢はこの2つだ」

「……いいだろう」


 素直に、ネメシスはその答えを聞き入れた。聞き入れた上で、


「下手に出んのはもう止めだ。テメェの死体を晒して、あの女を引き摺り出した方が手っ取り早ぇ! やれ、ヴェイン!」

「待ち、くたびれたわよぉ!!」


 GUUAAAAAAAA!!

 待ての姿勢から解き放たれた瞬間、全てのヒュドラの頭がジーク目掛けて突撃する。

 視界を埋め尽くすほどの物量が、明確な殺意を滾らせて口を開き、


「――《最果ての空ラスト・リバティ》」


 ズ、バン!!


「……は?」


 思わずといった調子で、ヴェインは間抜けな声を漏らす。ネメシスの方も片方の眉を吊り上げ、驚いた様子を見せていた。

 当然だろう。だって、有り得るはずがない。

 殺到したヒュドラの首は、優に10を超えていた。一つ一つがレベル80、いや。それ以上にもなる怪物だ。

 例え同じレベルのプレイヤーでも、勝てるはずがない。そのはずなのに。

 群がっていたヒュドラの頭は、たった一人の少年を食らい尽くそうとした瞬間、地面に落ちた。当然、首とはもう繋がっていない。


「な、ん……!?」


 何が起きたのか全く分からず、目に見えて狼狽えるヴェイン。

 だが、状況を理解させる暇も与えず、ジークは直ぐに前に出る。同時に、その進行方向にいた首が再び切り伏せられた。


「お、お前ぇええぇえええッ!!」


 一拍遅れて、ヴェインは追撃の首を放つ。加えて、遠距離からのブレスの準備も整える。

 あの巨体の隙間を縫おうとしても、ブレスによってその穴を塞ぐ。今度こそ逃げ場はない。


「しぃぃねぇえええええッ!!」


 絶叫と共に始まる一斉掃射。

 大量の首を軽々と避けるジークの下に、猛毒の閃光がまるで豪雨のように降り注ぎ、


「なッ……!?」


 一発も、かすりはしない。

 上から右へ、右から左へ。宙に舞い上がった瓦礫を足場に、縦横無尽に跳ね、決して狙いを定めさせない。

 ならばと、今度は数本の首でジークの周囲を囲み、一種の檻を作り出す。

 完全に逃げ場を封じた上での攻撃だ。直撃は免れない。


「遅い」


 だが、それよりも早く、内側からの斬撃が檻を見事に引き裂く。

 ブレスが放たれる頃には、既にジークの姿は消えている。


「何……? 何なのよ、アンタは!?」


 多勢が一斉に襲い掛かっても、その悉くを日本刀の一閃が叩き伏せる。

 安っぽい演劇のような光景を生み出す人の形をした怪物に、ヴェインは声を張り上げた。


「亡霊だよ」


 それに応えるように、ジークは視線をそちらに向ける。


「『刀神エスパーダ』なんてふざけたアダ名で呼ばれる、ただの亡霊だ」


【アカウント名】ジークハルト

【Lv.】86

【職業】断罪者

【所属】――


「『刀神』、ジークハルトだと……!」


 離れたところから戦況を窺っていたネメシスは、その名前に驚きを隠せない。

 それは、フロンティアの発表から数年経った頃に有名になった名前だ。

 この世界では珍しい刀型の上級ARMSを使い、困難なクエストをいくつもクリアしてきた最強プレイヤー。だが、数年前から姿を消しており、今ではすっかり都市伝説化した存在だ。

 それが今、何故こんなところで出てくる?


(いや、それよりも奴のあの動きだ)


 ジークハルトという存在には確かに驚かされるが、今はプリンセスの確保が重要だ。それを妨害するあの男は、何としても排除しなくてはならない。


(あの動きは間違いなく、アイツのEXCによるもの。だが、一体なんだ? 一体どんなEXCを使ったら、あんな無茶苦茶な動きが出来るってんだ!?)


 咄嗟に思いつくのは、AGI強化や筋力STR強化だが、どれも当てはまりそうにない。


(一体……!?)


 ………………


(やっぱりキツいな……! 5年のブランクは堪える!)


 ネメシスが思案する中、ジークは尚も動きを止めず、ヒュドラの首を狩り続ける。本人は満足いっていないようだが、今の時点でも十分過ぎる戦果だ。


(もっとも、コイツの代償ってのもあるんだろうけど)


 心の中でぼやきつつ、目の前に迫ってきていた十数もの頭を、目にも留まらぬ速さで《村正》を振るい、叩き落としていく。

 ジークが、”ジークハルト”として持つEXCの名は《最果ての空》。その効果は、概念破壊。

 自身のレベル以下の触れたものを対象に、元の状態から変動したステータス、及びアビリティやスキルを破壊するといったもの。つまり、概念という檻を壊すといったところだろうか。

 ルナを解毒したのは、【猛毒】のデバフを破壊したから。

 尋常じゃないスピードを叩き出しているのは、を破壊したからだ。


(まさか出来るとは思わなかったんだよな。このEXCが発現した時は)


 ステータスウィンドウにある、現在時刻を報せる項目。これも常に変動しているのだから、このEXCの対象になるんじゃないか。そんなちょっとした興味が切っ掛けだった。

 結果は御覧の通り。一時的に周囲の時間から切り離された肉体は、本人は緩やかになった世界を普通のスピードで動いているつもりでも、周りからすれば時間停止を行使しているにも等しい高速機動に見える。

 当然、こんな破格の力となれば相応のリスクが伴うが、


(――関係ない!)


 そんなもの、知った事ではない。代償など気にも留めず、躊躇いなくEXCを連続で発動。

 自分を縛る時間という檻も、自分を蝕む【猛毒】という檻も。全て破壊し、ジークは自由にフィールド内を駆け巡る。


「バ、カな……!」


 30、40、50……。見る見るうちに、ヒュドラの首はその数を減らしていく。

 勿論今からでも増やす事は出来るが、ジークの動きは完全にヒュドラの増殖スピードを上回っている。いくら数で押そうと、ジークを止められるヴィジョンがヴェインには想像出来なかった。


「この、アタシが……アンタみたいな、骨董品に……!」

「どんなに古くても、使い方次第だと思うが?」


 それは、今の状況にも言えること。


「例え絶対的な力を持っていても、圧倒的な数で勝っていても、極限まで磨いた一には届かない!」

「この、クソがッ!!」


 群がったヒュドラの首が、ジークを噛み殺さんと一瞬の間も置かずに殺到する。

 それら一つ一つを悉く、超高速で切り伏せ、殴り飛ばす。


「クソが!」


 地面から飛び出した首を、寸でのところで跳んで躱すジークの前で、ヴェインはヒュドラの首を一面に並べる。

 そこから始まるのは乱れ撃ち、いや。爆撃そのもの。連続して放たれるブレスが、点ではなく面を制圧しにかかる。


「はぁああぁぁああああああッ!!」


 猛毒の豪雨に、ジークは敢えて突っ込む。押し寄せる攻撃を《村正》で弾き、いなし、切り裂き、最短最速でヴェインの懐まで駆け抜ける。


「クソがッ!」


 地面の至る所に亀裂が走り、突き破るようにして無数のヒュドラの首が姿を現す。

 もはや数えるのもバカらしくなってくるほどの数だ。それらがジークの逃げ場を奪うようにぐるりと取り囲むと同時、ブレスの光が口内に溜まる。


「クッソ野郎がぁああぁぁああああああ!!」


 怒号と共に放たれる、全方位からの同時砲撃。走る閃光、そして爆発。

 岩盤が抉れ、瓦礫が飛び散る。そこにジークの姿は、――なかった。


「やっ――!」

「上だ!」


 ネメシスの声にハッと顔を上げて見れば、そこに確かにあの男がいた。

 憎たらしい目でこちらを見据える、ジークが。


「こんのぉおおおおおッ!!」


 再配置した首が、再びブレスの豪雨を空中に向かって放つ。

 クレイヴの時と同様、空中では受け身が取れない。今度こそ終わりだ!

 必殺を予感させる攻撃が、遂にジークの下まで迫り、――見えない障壁によって遮られた。


「なッ!?」

「《マナ・シールド》――!」


 ルナの魔法障壁。ヒュドラの一撃を受けた直後に砕けるも、その度に新しい障壁が張られ、ジークには届かない。

 必死になって行く手を阻もうとするヴェインだが、ジークの進行は止まらない。


(こんな事をしたって、結局は自己満足だ。一度全てを壊した俺には、こんな事をする資格なんてないかもしれない)


 スローモーションに感じる世界の中、ジークの脳裏に2つのものが浮かぶ。

 一つは、掛け替えのない友人。もう一つは、二度と戻らない、自分が壊してしまった日々。

 この2つが、ジークの心に突き刺すような痛みを与えてくる。それでも、


(絶対に、後悔だけはしたくない! 今度は、守る為に破壊こわす!)


 眼前に待ち構えていたヒュドラが、ジークを呑み込もうと大口を開ける。

 その中に飛び込むのは、一条の流星。真紅の閃光はヒュドラの喉を容易く食い破り、


「これは――俺が選んだ道だ!!」


 一閃。奥に座していた怪物を、ものの見事に切り裂いた。


「が、ぁ、あ……そ、んなぁぁあああぁぁあああああああッ!!?」


 最後の絶叫を響き渡らせた後、ヴェインの身体は爆炎に包まれる。

 ヒュドラの断末魔に重なったそれは、やがて風に乗って消えていく。そして、あれだけの戦闘がまるで嘘だったかのような静寂が辺りを包む。

 だが、まだ終わってない。驚愕に目を見開くネメシスに、ジークは切先を向ける。


「次はお前か?」

「テメェ……!」


 人を殺せそうなほど殺意に満ちた視線で、ジークを睨みつけるネメシス。

 相手の力は未知数だが、そんなものはどうでもいい。湧き上がる感情に身を任せたネメシスは、新たなモンスターを召喚しようとし、


 ゴーン、ゴーン――!


 突如、空間に木霊するように、鐘の音が響き渡る。


「この鐘は……」

「まさか!?」


 片や困惑、片や苛立ちで声を荒げる中、ジークの目の前の地面に波紋が浮かんだ。

 やがてその中心から、浮かび上がってくるものが一つ。表面にびっしりとレリーフが彫られ、四方に大きな宝石がはめ込まれた黄金の杯だ。

 表示されたカーソルには、こうある。――『信仰の聖杯』、と。


「聖杯、これが第2のレリック……」


 恐る恐る触れても、弾かれたり、拒まれるような事はない。

 聖杯は正式に、ジークのものとなっていた。


「テメェ……!」


 その光景に、奥歯を噛み砕かんばかりの勢いで、ネメシスは殺意を滾らせる。

 殺す。その結論に至ったネメシスは、直ぐに行動に移ろうとする。だが、それは突如開いたウィンドウによって制された。


『そこまでだ。ネメシス、直ぐに戻ってくるんだ』

「プラシド!? テメェ、何言ってやがる!?」


 音声通信なのでウィンドウに相手の顔は映っていないが、ネメシスの怒声を意に介さず命令しているのを見ると、恐らく彼女より上の立場なのだろう。


「まだ俺の手駒が残ってる! 今度こそアイツを!」

『彼に関する情報は何もない。備えもなしにボス戦に挑む無謀さは、君も分かってるはずだ』

「だが!」

『超加速と毒の無効化。たった一つのEXCで、その2つをやってのける工夫を編み出したプレイヤーが雑魚だとでも?』

「ッ……!」

『二度は言わない』


 それを最後に通信は切れる。

 残されたネメシスは何も言わない。ただ忌々し気にジークを睨みつけると、舌打ちを零して姿を消した。


「ジーク!」


 緊張が解けた直後に聞こえてきたのは、ルナの声。

 視界に入った彼女の駆け寄ってくる姿に、ジークは安堵の息を吐いた。


「ルナ、大丈夫だったか?」

「『大丈夫だったか』じゃないわよ! あんな無茶な事して!」

「その言葉、そのままバットで打ち返すよ。あんな身体で飛び出そうとしたくせに」

「あれは、私が原因だったから……」

「俺だってそうだ。私怨も交じってたみたいだし、俺も立派な当事者だよ」


 嘘でないが、大分無理がある気がする。そんな無茶な言い訳をするジークに、ふふっとルナは頬を緩めた。


「全く、屁理屈が上手いわね」

「猪突猛進よりはマシだ」

「ちょっと、それ誰のこと言ってるのかしら?」

「あーあー、聞こえなーい!」


 両手で耳を塞ぐジークに、どこか影のある笑顔で詰め寄るルナ。

 そこに先程までの激闘の緊張感はなく、平和な日常が戻ってきていた。


「それより、聖杯コイツをどうするかだ。レリックには興味ないし、攻略組の誰かに売ろうかな?」

「勿体ないわね。こんなに綺麗なのに」

「観賞用じゃないんだぞ。それに多分、売ったらラピ〇タレベルの名作をいくらでも買」

「直ぐ売りましょう! 今売りましょう!」


 いつの間にやら、すっかり日本のサブカルチャーの虜になっていたようだ。

 取り敢えず、リアルの時みたいな奇行に走らない事を切に願おう。

 そんな事を思う中、その美しさに誘われたルナは、何気なく聖杯に触れた。


「でも、売る前にもう少し見せ――ッ!?」


 カラン……!

 聖杯が地面に落ちると同時、ルナも頭を抱え、その場に崩れ落ちた。


「おい、どうした!?」

「分、からない……! 急に、頭が……!?」


 ぎゅっと目を瞑り、必死に痛みに耐えようとするルナ。

 突然の出来事にジークは慌てふためくが、そんな事はお構いなしに更なる異変が起きる。

 その辺に転がった聖杯が、眩い光を放ったのだ。今まで聞いたレリックの情報に、こんな現象は載っていなかったはずだ。


(一体……!?)


 困惑する中、未だ倒れ込んだルナが口を開く。

 そして、彼女のものとは思えない無機質な声でこう告げた。


「魂に刻みし星の記憶、ここに捧げん。7つの鍵よ、神の居城に至る道を拓け」

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