揺ぎない意志

「……え?」


 ネメシスだけではない。ヴェインも、そして全ての首が、ニヤリと嗤う。

 その異変に気付いて3人は警戒を強めるが、ヒュドラが一斉に今までとは比にならない力で暴れ始めた。


「ッ……!? コイツ等……!」


 首同士が絡まっている事などお構いなしに、渾身の力で暴れ続け、洞窟さえも破壊する。

 そして、遂には全ての口がブレスを放つ体勢を取り、


 ――山が一つ消し飛んだ。


「くそ!」


 崩れ落ちてくる瓦礫を必死に避けが、そちらにばかり気を取られてはいられない。何せ、あの巨体なら、この程度の崩落は痛くも痒くもないのだから。

 そんな慌てっぷりとは裏腹に、洞窟に木霊するネメシスの声は実に楽しそうだ。


「素材が、あのバカとヒュドラだけだと思ったか? 予めここには、俺特製のモンスターを放ってたんだよ。もっとも、見事に食われちまったみてぇだがな」

「ッ!? まさか……!」

「あわよくば、仕留められりゃ良かったんだけどな。まぁ何にせよ、ヒュドラとヴェインに加え、50体の改造モンスターのステータスも合わさった正真正銘の怪物! テメェ等如きに止められるかよ!!」

「あっはぁぁははああぁあああああああッ!!」


 GYYYYYYAHHHHHHHッ!!

 煩わしい壁が取り払われ、拘束から解き放たれたヴェインとヒュドラが、勝ち誇った雄叫びを上げる。

 そして手始めに、直ぐ近くに居たアラウを、首をしならせて吹き飛ばす。


「か、はッ……!」


 咄嗟に腕で防ごうとしたが、背中から瓦礫に衝突した衝撃に、アラウは息を詰まらせる。


「アラウ!」

「どこ、見てんの、よぉ!」


 思わずといった様子でクレイヴがそちらに意識を傾けた直後、その隙を縫ってヒュドラの首が走った。


「くぅっ!?」


 丸呑みしようとしてきた首を跳んで躱し、その頭を上からの刺突で叩き伏せる。

 だが、ほっとしたのも束の間、遠く離れた首が醜悪な笑みを浮かべて、大口を開く。その奥に見える、禍々しい紫の輝き。


「しま――ッ!?」


 空中では受け身は取れず、取っ掛かりがなくては回避も出来ない。

 放たれたブレスは、何の抵抗もなくクレイヴを呑み込み、――後には散りゆくポリゴンの欠片だけが残った。


「クレイヴ!」

「待て、アラウディ!」


 制止の声も虚しく、アラウはクレイヴを殺した首に特攻を仕掛ける。

 文字通り、神風特攻。絶え間なく襲い掛かってくる首を躱し、切り裂き、捻じ伏せるという、狂戦士バーサーカーさながらの動きで突っ込んでいく。

 そして、《干将・莫邪》の刃は標的の首に――届かなかった。


「あっちゃー……。やっちゃったか」


 勢いよく剣を突き出したアラウだが、その下半身はヒュドラの口の中に。


「悪いけど、ジーク。後は任せ――」


 最後の言葉を言い切る暇さえ与えられず、首の群れがアラウの身体を呑み込んだ。

 凄惨な声にジークは目を背けるが、悠長にしてはいられない。

 残されたのはもう、ジークただ一人なのだから。


「呆気、なかった……わね。それじゃ、トドメを……!」

「待ちな、ヴェイン」


 メインディッシュを頂こうとしたヴェインの身体が、その一声で止まる。

 比喩でも何でもなく、本当に完全停止した。


「が、ぁ……! 何で、身体が……!?」

「俺のモンスターを素材に使ったって言ったろ? そいつ等はこの俺の支配下なんだ。それを素材にしたテメェのコントロールも、俺の指先次第でどうにでもなるってこった」


 見事に掌の上で踊っていたヴェインをせせら笑うと、それっきり興味をなくしたのかネメシスは一瞥すらしない。代わりに、改めてジークを見下すように視線を向けた。


「ジーク、つったか? 取引といこうじゃねぇか。大人しくプリンセスを渡せば、テメェだけは見逃してやってもいいぜ。バカはこの通り俺が躾けとくから、お礼参りの心配はいらねぇ」

「プリンセスね……。一体アイツが何だって言うんだ?」

「誰が質問していいって言った、クズが。俺が聞きてぇ答えは、『はい』か『YES』の2つだけだ」


 有無を言わせぬ口調に、ジークは押し黙る。


「元々俺が用があるのはあの女だけ。この試練にも興味あるっちゃあるが、優先すんのはそっちだ。それなりに頭は回るみてぇだし、ここまで言われりゃどうすればいいかなんて、分かるよな?」


 ヴェインとの戦いで、ほぼ瀕死間近。しかも、そっちを倒せたとしても、まだ『国崩し』と呼ばれる強敵が残っている。

 デスペナを避ける為なら、どちらを取るべきかなんて分かり切っている。

 だから、ジークが出した答えは、


「……断る」

「へぇ?」


 予想外の答えに、ネメシスの眉が吊り上がる。


「アイツを捕まえた後どうするかは知らないけど、こんな真似するくらいだ。どうせ碌な事じゃないだろ。俺がそれを手引きしたら、寝覚めが悪くてしょうがない」

「ハハッ! たったそんだけの理由であの女を庇うのかよ。いいね、お前。うっかり惚れちゃいそうだぜ!」


 けど、


「残念、そんな選択肢は――用意してねぇんだよ! やれ、ヴェイン!」


 ゴッ!!

 ネメシスが下した死刑宣告の直後、10ものヒュドラの首が、一斉にジークに殺到する。


(これでいい。デスペナになれば、アイツはもう追ってこれない。これが最善の策だ)


 ハッカー集団と言えど、ログアウトして、電源も切ってしまえば追ってこれない。

 大量の牙が並んだ口が迫るのを、ジークは静かに受け入れ、


「――ジーク!」

「ッ!?」


 自分を呼ぶ声に、咄嗟にそちらに顔を向ける。

 聞き間違えるはずがない。視線の先にいたのは、桜色の髪が特徴の少女。


「ルナ!?」


 迫り来るヒュドラなんて目に入らないとでも言うように、ルナは足を止めない。そして半ばタックルする形で、ジークをその場から引き剥がす。

 先程までジークがいた場所を、ヒュドラの首が通り過ぎる。だが、完全には避け切れず、ヒュドラの皮膚が僅かにルナの身体をかすった。


「っつぅ!?」

「ッ! おい!?」


 ぶつかったダメージはそこまでではないが、触れただけで陥る【猛毒】。一瞬にしてルナの身体中から嫌な汗が吹き出し、強い吐き気が襲ってきた。


(クソ! こんな事なら、もっとポーション用意しておくんだった!)


 ヒュドラを翻弄した時に、解毒ポーションは全て使い切ってしまった。

 だが、後悔するのは後。直ぐにルナを小脇に抱え、ジークは全速力で物陰に飛び込んだ。


「バカ! 何で戻ってきた!」

「放っておけなかったのよ!」


 毒に蝕まれているにもかかわらず、負けじと怒鳴り返すルナに、ジークは口を閉じざるをえなかった。


「私一人だけ逃げて、貴方達がやられるのを黙って見ているなんて出来ないわ!」

「何で、そこまで……! お前がターゲットだっていうなら、逃げ出せば済む話だ! 何で昨日今日会ったばかりの奴の為に、身を挺してそんな事が出来る!? どうして、そこまで出来るんだ!?」


 そうだ。何事もなく物事を終わらせるには、大人しくしているのが一番、何もしないのが一番だ。それが平和への一番の近道に決まっている。

 なのに、何でみすみすライオンの檻に自ら飛び込んでいくような真似を。その理由が、全く分からない。

 だが、


「貴方だってそうでしょ?」

「何……?」


 ルナの言葉に、思考が止まった。


「貴方と過ごしたのは、とても短い時間だったけど、それでも貴方が芯の強い人だっていうのは分かったわ。だって貴方、困ってる人を放っておけないでしょ……?」

「は……? 何言ってるんだよ。あんなの、せがまれたから仕方なくやってるだけだ。俺がそんなお人好しな訳――」

「それよ。何やかんや言っても、最後は『後味が悪い』『寝覚めが悪い』って引き受けてる。それって、自分が後悔したくないからよね?」

「それは……!」

「今だってそう。さっさと引き返せば楽なのに、私なんかを守ってくれた」

「そんなの、別に被害っていう被害もないから、最善だと思っただけで……!」

「でも、ダメージはあるんでしょ?」


 傷は負わなくても、ここで受けたダメージはリアルの肉体にも影響する。30ものレベル差の攻撃が当たれば、それはもう新幹線に轢かれるようなもの。

 それを分かっていながらやろうとするなんて、正気の沙汰とは思えない所業だ。


「強い人だなって思った。例え空っぽでも、せめてこんな風になれたらって思った。だから、これが私が選ぶ最善の道よ」

(何で……!)


 堂々とした姿勢。自分が決めた道を進もうとする意志。

 記憶がないとか、そんなのは関係ない。


(こんな事を思うのは、変だって分かってる。だけど……)


 ルナが持つ愚直なまでの強さ。誰かの為に戦えるその強さは、


(何て、綺麗なんだろう……!)


 具体的には何とも言えないものの、漠然とした美しさを感じた。

 今がどんな状況かも忘れて、その姿に見入ってしまう。同時に、ジークの心は強く揺さぶられた。

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