日常の崩壊

 天空から迸った稲妻が、取り囲むように降り注ぐ。地上に円を描く様は、まるで雷のワルツだ。

 そして、ルナの攻撃はこれだけに留まらない。落ちた雷は地上の仕掛けに次々と突き刺さり起動。そこに刻まれた『カウンター』の術式によって、雷は威力を倍増させた上で天へと跳ね返る。


「が、ぎ……ぎゃぁあああぁぁああああああッ!!?」


 雷の包囲網にもはや逃げ場はなく、上下からの電光に1人と1頭は焼かれていく。

 それが収まった時、ヴェインの意識は完全に途切れ、


 ド、ズゥゥゥ……ン!


 ワイバーンと共に落下し、地響きを起こす。

 しばらくの間、静寂が辺りを包む。その巨体が動く気配は、全くない。


「や、やったの?」

「多分な」


 ジークの言葉は簡素だったが、ルナはそれでようやく安心し、その場にへたり込んだ。


「何だ、今更腰が抜けたのか?」

「し、しょうがないじゃない! ずっとあれに追いかけられてたんだから。わ、笑わないでよ」

「悪い悪い。でも、もうちょっとシャキッとしろよ。ワイバーンを倒した張本人がそれじゃ、カッコ付かないぞ?」

「何言ってるのよ。止めを刺したのは私だけど、ほとんど貴方のおかげじゃない」

「俺は何もしてない。蠅みたいにうろちょろ飛び回ってただけの、ただのお邪魔虫だ」


 一度も有効打は与えていないし、ジークの功績なんてヘイトを集めただけで、本人が言った通りお邪魔虫同然。

 だが、ルナはそう思わなかった。


「そんな事ないわ。貴方が時間を稼いでくれなかったら、あれは成功しなかったもの。だから貴方のおかげよ」

「……まぁ、社交辞令として受け取っておく」


 気恥ずかしそうに顔を背けたジークに、『素直じゃないわね』とルナは苦笑する。


「さて。それじゃあ名残惜しいけど、もう行くわ。追手が来て、また暴れられても困るから」

「そうだな。俺も巻き添えはもうコリゴリだ」


 最初の言動から察するに、ヴェインが誰かの命令で動いていたのはほぼ間違いない。それが倒された今、直ぐにでも追撃が来る可能性は高いだろう。


(それに、事情も知らないまま加勢したし、下手したらこっちまでターゲットにされそうだ)


 実はルナがハッカーの類で、企業の情報を盗んだ可能性だって捨て切れない。もしそうなら、逃亡幇助で共犯扱いだ。

 その場のテンションに身を任せるんじゃなかったと、今更ながらジークは後悔を覚えるが、


(……まぁ、いっか。どっちにしろ、女子をいたぶる奴は気に食わないし)


 もっとも、アバターだから女子じゃないかもしれないが。これでおっさんだったら死にたくなる。


「じゃあね。助けてくれてありがとう」

「気をつけろよ。何ならほとぼりが冷めるまで、ログインはしない方が――」


 中身が女子である事を切に願いつつ、ジークは踵を返し、


 ――ドッ!


 その後ろで、一本の矢がルナの肩を貫いた。


「っつぅ……!?」

「ルナッ!?」


 倒れ込むルナの下に慌てて駆け寄り、傷口を見る。貫いたように見えたが、幸いかすっただけのようだ。

 直ぐに治療しようと、ジークはポーションを取り出し、


「くほ、が……!」

「ッ!?」


 息も絶え絶えといった怨嗟の声。誰かなんて分かり切っている。

 舌打ちを零しつつ振り返れば、辛うじて生き残ったヴェインが、番えた矢でこちらを狙っていた。


「よくも……よくもやってくれたわねぇ。許さない……アンタ達2人纏めて、串刺しにして痛めつけてやる! 殺してくれって頼んでも、絶対に殺してやらない!」


 ブレードを構えるが、タッチの差でヴェインの方が早い。

 宣言通り、2人を纏めて串刺しにしようと弓を引き、


「さぁ、避けてみせなさいよ! 《ミリオン・レイ――」


 その首が、落ちた。


「ン……?」


 本人ですら何が起きたか分からないまま、首は地に落ち、やがてポリゴン状の粒子となって身体ごと消える。

 後に残ったのは静寂のみ。だが、今の惨劇を見た後では、嵐の前の静けさとしか思えない。


「……直ぐにここから離れよう。ルナ、立てるか?」

「え、えぇ。けど、少しだけ肩を貸してもらえる?」


 お安い御用だ、とジークは手を伸ばし、


「――もう、詰めが甘いなー?」


 楽しそうに、愉しそうに笑う、少女の声を聞いた。

 2人の後ろから。


「「ッ!?」」


 この騒ぎのせいで、ほとんどのプレイヤーはログアウトしたはず。残っていたのはヴェインを入れて3人だ。

 なら、この声の主は誰だ。2人は恐る恐る振り返り、


「ワーオ、予想通りの反応ー! すっごくラブリーな間抜け面! 二人共、サイッコー!」


 自分より少し年下であろう少女が、笑顔を振りまいているのを見た。

 ツインテールにした銀髪は風に揺れる度に輝き、幼い体躯も相まって、その姿はまるで妖精のよう。それでいて無邪気に笑い、Yシャツのボタンを外して見せつけるように肌を晒す姿は、まるでチェシャ猫のようで……って、


「「何で裸Yシャツ!?」」


 スルーしそうになったが、彼女が着ているのはYシャツ1枚。おまけにボタンを全部外して、実に解放感に溢れている。

 これには流石のルナも、肩の痛みも忘れて盛大にツッコんだ。


「何でって言われてもー、動きやすいからだよ? 服なんて動きにくいから嫌いなの。ってな訳で、コレも脱いでいい? いいよね?」

「ダメに決まってるでしょ!? 女性として最低限の恥じらいは持ちなさいよ! 貴方も、見ちゃダメ!」

「がぁあああッ!? 目が、目がぁああぁぁあああッ!?」


 突然の目潰しに、のたうち回るジーク。痛い、メチャクチャ痛い、ワイバーンの尻尾より痛い!


「アッハハハハハ! サイッコー! ホント、二人ってばあの頃から全然変わってなーい!」

「笑うな! ……って、あの頃から?」


 彼女とは初対面のはずだ。こんな強烈なキャラ、一度見たら忘れないはずだ。

 だが、見覚えはない。ルナも同じらしく、首を傾げている。


「だけど、ジークは変わっちゃったねー。昔なら串刺し公よろしく、死体相手でもオーバーキル決めてたのに。そんなんじゃ、お姫様の騎士は務まらないよー?」

「何を、言ってるんだ……?」 


 本当に意味が分からなくて、段々混乱してきた。

 お姫様? 騎士? こっちはただの学生なんだが。


「特に」


 そんなジークの混乱など全く意に介さず、少女は血のように赤い瞳を細め、嗜虐に満ちた顔で、


「いつまでも死人に拘ってるようじゃ、ね?」

「ッ!? お前……!」

「ってな訳で、絶賛後ろ向きなそこのアナタにボーナスステージ! あたしからのプレゼント、有り難く受け取ってねー♪」


 パチン!


 フィンガースナップが響いた瞬間、ヴン……!と2人が立つ地面が光を放つ。ただの光ではない。それは無数の円が重なった幾何学模様を――魔法陣を描いていた。

 その事実に気づくのと同時、ジークとルナの身体が、足下から分解されていく。


「な、ん……!?」

「強制ログアウト!?」


 フロンティアから出る方法は、リンクスにあるログアウトのアイコンを自分で押すか、運営によって強制的に排除されるかの二択。

 だが、この少女はどちらでもないはずなのに、それをやってのけた。


「It`s Show time! 最ッ高で最ッ低の、悲劇な喜劇の始まり始まりー!」


 少女のその言葉が、嫌に耳に残った。

 どういう意味だと必死に手を伸ばすが、やがて指先まで虚空に溶け、――2人はフロンティアから姿を消した。


 ◆


「ッ……! 帰ってきたか」


 現実に帰ってきた直後、気だるさを感じ、悠翔は顔をしかめる。

 フロンティアでは傷こそ負わないが、ダメージ自体は受ける。多分プラシーボ効果みたいなものだろう。

 こういうリアルさも人気の秘訣らしいが、バトルの後はこうしてベッドに身体を沈ませるしかなくなるのが辛い。


(明日も学校はあるし、今日はこのまま寝るか……。ルナの事は気になるけど)


 1時間も一緒にいた訳じゃないのに、随分ほだされたものだと自分でも呆れてくる。

 まぁ、こうして無事ログアウト出来ているので、多分大丈夫だろう。


「それにしても、何か腹の辺りが重いような……」


 そのまま寝ようと瞼を閉じるが、妙に息苦しい。

 まるで腹に重しが乗っているようだ。気になった悠翔は手を伸ばし、


 もにゅ……。


 何か柔らかいものに触れた。


「ひぅッ!?」

「は……?」


 次いで聞こえてきたのは少女の声。

 有り得ない。悠翔はこのマンションで一人暮らしだ。仮に母親が帰ってきたのだとしても、こんな可愛らしい声を上げるはずがない。

 その時、月明かりが部屋の中を照らした。


「なっ……!?」

「え、ぁ……!」


 2人は揃って、困惑の声を上げる。

 そう、2人だ。横になるまでは誰もいなかったはずなのに、今は確かに悠翔以外に人がいる。

 彼の身体の上に馬乗りになる、――長い桜色の髪を持つ少女が。


「あ、あ~……その、こんばんは」

「え、えぇ。こ、こんばんは」


 外国人に見えたが、普通に日本語が返ってきて安心する。

 そこでふと、彼女の服装に目が行った。

 黒のローブに、その隙間から見える、身体にフィットした民族衣装のような白い服。それはさっきまで見えなかったが、そのローブと、何より彼女の声に聞き覚えがある。


(まさか、この女……!?)


 有り得ない可能性が、悠翔の頭を過る。

 一方で、最初は大人しかった少女は、やがてヒクヒクと頬を引きつらせ始めた。


「ところで、いつまで触ってるつもりかしら?」

「え、触ってるって……?」


 むにゅん。

 答えを聞く前に、答えが分かった。分かってしまった。

 恐る恐る自分が伸ばした手の先を見れば、

 少女の柔らかい胸を鷲掴みにする自分の手が、そこにあった。


「い、いや、わざとじゃないんだ! ち、丁度良いところに手を置く場所があっただけで……。うん、そうだ! これは置きやすい位置に胸があったのが悪い!」


 ピキピキ……!と、次第に少女の額に血管が浮かんでいく。気のせいだと思いたいが、現実は残酷だ。

 彼女は、ゆっくりと固く拳を握り締めた右腕を掲げ、


「つまり、『僕は悪くな――」

「この手を離してから言いなさい!」

「ずびばぜんッ!?」


 ゴンッ!


 そして、場面は冒頭に戻る。

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