騒乱の少女
「なッ!?」
「何だ、爆発!?」
「まさか、完全中立エリアだぞ! モンスターも出ないってのに……!」
「いいから逃げるぞ! 厄介ごとはごめんだ!」
ユグドラシルの中で起こった爆発に、プレイヤーの多くが戦々恐々となって逃げ惑う。
誰かが言ったように、カーディナルは完全中立エリア。他と違ってモンスターは出現せず、プレイヤー同士の決闘が出来るのも訓練室だけなので、精々殴り合いの喧嘩くらいしか起こらない。
そんな平和が約束されたエリアでの爆発騒ぎなんて普通ではない。
「アラウディ、直ぐに外に出よう。生き埋めになるぞ!」
「うえぇ、後ちょっとだったのに……」
横槍が入って不満げなアラウと、観戦していたクレイヴ達と共にジークは地上に出る。
そこもまた、パニックに陥っていた。
「どうなってるんだ……?」
爆発は未だ続き、その度に大樹が揺れる。それだけならまだしも、巨大な木片やガラスの破片までもが、雨あられのように降り注いでいる。気を抜けば今にも潰されそうだ。
と、その時。
「あ!」
「アラウ? どうしたんだい?」
「あれ、あれ!」
上を見上げていたアラウが指差す先に、ジークは視線を向ける。
「あれは……」
まず見えたのは瓦礫の数々。大きさは大小様々だが、あの高さからの落下物が当たれば一溜まりもない。
その中に、ヒラリとはためく何かが見えた。最初はカーテンかテーブルクロスだと思った。
だが、違う。ジークの目は、別のものを捉えていた。
布の端に見え隠れしている、人の手足を。
(人!? ……って、ちょっと待て!?)
次第に人影はこちらに近づいてくる。クッションも何もないところに落ちれば、人の身体なんて潰れたトマトみたいにぐちゃぐちゃになる。
そう思った時には既に、ジークは人影の下に。そして手を大きく広げ、
「ぐおッ!?」
「きゃあッ!?」
人間隕石が直撃。耐えられるはずもなく、背中から強く地面に叩き付けられた。
「いっつ~……!」
「ご、ごめんなさい! 大丈夫!?」
「ってて……! あぁ、何とかな」
落ちてきたフードを目深に被ったローブ姿の人物――声からして少女――の気遣う声に、『大丈夫だ』と返しつつジークは起き上がる。
ほっと息を吐いた少女も、ジークの手を借りて立ち上がり、
「――あらぁ? 何よ、外野がゾロゾロと。鬱陶しいわねぇ」
「くッ……!」
上から降ってきた声に、少女は反射的に顔を上げる。
明らかに尋常ではない様子に、ジークはその視線を追った。
「んふ、でもやっぱりギャラリーがいるってのはいいわね。誰もいないステージで
一人寂しく歌うより、ファンで埋まったホールの方が、このヴェイン様のテンションも上がるってもんよ!」
声の出処は、さっきの爆発で大樹に開いた穴の淵。そこに人影はあった。
濃い紫の髪をモヒカンにした、スパンコールが入った同じ色のコートを羽織った男。いや、男なんだろうが、口調が女性的なので多分オカマというやつだ。
誰もが呆然と見上げる中、ヴェインと名乗った当人は嬉々とした表情から一転、困ったように眉根を寄せた。
「んー、だけどこれはちょっとマズいかしら。すっかり大騒ぎになっちゃったし。全く、どうしてくれるんのよアンタ?」
「知らないわよ。貴方が勝手に騒ぎを大きくしたんでしょ」
「ンまぁ、可愛くない子。アンタみたいな生意気な女、アタシ大っ嫌いよ」
こっちの台詞だと言わんばかりに少女は睨みつけるが、涼しい顔でヴェインは受け流す。
まさに一触即発。今にも撃ち合いでも起きそうな危険な空気が流れるが、
「残念だけど、そこまでだよ」
そこに、クレイヴが割って入る。
彼だけではない。『心友の絆』のメンバーを始め、ARMSを持った大勢のプレイヤーがヴェインを睨みつけている。
「ここまでされたら、俺達も黙ってはいられないな。何より、女性が一方的にいたぶられているのを見過ごすほど外道じゃないからね」
「ふふん、白馬の王子様のつもりかしら?」
「ハッ! 随分余裕じゃねぇの。この人数相手に、勝てると思ってんの?」
アラウのレベルが72だとすると、リーダーのクレイヴは間違いなくそれより上。その他大勢のレベルは低いだろうが、三本の矢の如く、集まれば脅威だ。
どう考えても、一人で勝てるはずがない。
「あらあらまぁまぁ、怖いわぁ。こんなの、アタシ一人で挑んだところで、ぶっ潰されるのが目に見えてるじゃない」
そのはずなのに、敵意を一身に浴びているヴェインの顔に焦りはない。寧ろ、肩を抱いてわざとらしく震える姿は、余裕そのものだ。
だが、状況的には彼の方が不利。徐々にプレイヤーに詰め寄られ、ヴェインは逃げ場をなくしていき、
「あぁ、どうしましょ。本当に怖くて怖くて怖くて――仲間を呼ぶしかないじゃない」
ニヤァ……!と口角を吊り上げた。
嫌な予感がする。不気味な笑顔を見て、誰もが直感的にそう思った。
そして次の行動に移るよりも早く、ヴェインが動く。
「さぁ、出番よ! 出てきなさい、アタシの可愛いペットちゃん!」
ガン!!
ヴェインが立つ穴の淵を、何かが掴んだ。
それは手。だが、てらてらと艶めかしく光る鱗に覆われた手は、明らかに人のものではない。
やがてゆっくりと、その手の持ち主が姿を現す。
「あれは……!」
誰だって、一度は本や映像で見た事がある姿だ。
腕だけでなく、全身を鱗で覆ったトカゲや恐竜のような胴体に、コウモリのような翼。丸太のように太く、先端に棘が生えた尾。
ファンタジーの代表格として有名なそれの名は、
〈ワイバーン〉-Lv.80-
「わ、ワイバーン!?」
「嘘だろ、こんな街中で!?」
いきなり現れたモンスター、それもレベル80という怪物の登場に、さっきよりも酷い混乱が巻き起こる。
それを意に介さず、ワイバーンは進撃を開始。辺り構わず口から火球を放ち、次々にオブジェクトを業火で包んでいく。
「止めろ! これ以上暴れるなら、俺が相手に――!」
「あぁもう、鬱陶しいわね! これだからヒーロー気取りって嫌いよ!」
叫ぶクレイヴに苛立ち、メニューを開くヴェイン。
取り出されたのは、アーチェリーで使われているものよりも武骨で巨大な弓。
そして光の矢を番えると、クレイヴを筆頭に立ち向かおうとする面々に向け、
「《ミリオン・レイン》!」
一本の矢は、弓から離れた瞬間に弾け飛び、百を優に超える光の豪雨に姿を変える。
防御も回避も許さない数の暴力。ジークは咄嗟に少女の手を取って射程外に逃げようとするが、クレイヴ達は違う。
「はぁあああッ!!」
「こんなもの!」
「おら! 行くぞ、テメェ等!」
ARMSを展開し、襲い掛かる矢の雨を切り伏せるクレイヴとアラウ。更にその後を、ハンゾー率いる大勢のプレイヤーが突き進み、
「んふ、おバカさん」
直後、地面が光を放つ。いや、そうではない。
光っているのは、ヴェインが射った矢。より正確には、その先端に突き刺さった青い結晶体。
「ッ! まずい、皆――!」
異変に気づいたクレイヴが声を張り上げるが、もう遅い。
結晶が一際眩い光を発した瞬間、その場にいたほとんどの人間が忽然と姿を消した。
「ざぁんねん。激レアの
基本別のエリアに移動するには、ゲートを通らなければならない。なので、どこでも指定した場所に飛べる転移結晶はかなり高価なはずだが、それをあそこまで大盤振る舞いとは。
さてと、とヴェインはジークの背に隠れた少女に改めて視線を向ける。
「で、いい加減一緒に来る気になったかしら? 頼みの王子様達は消えちゃったし。それとも、今度はそのファッションセンス0のダサ男にでも守ってもらうワケ?」
「全身真紫のケバいオカマに言われたくない!」
「どうでもいいわ! 何で仲良くファッション談義に花咲かせてるのよ、2人共!」
失礼な。一体どこをどう見たら、仲良く見えるのだろうか。
あと、服の方はシックでいいはずだ。少なくても、悪趣味なスパンコールよりは100倍マシだと思う。
「……悪いけど、断るわ。私だけならいざ知らず、無関係の人まで巻き込むような人、信用出来ないもの」
「あら残念、フラれちゃたわ」
分かっていたのか、さして悔やむ素振りも見せず、
「それじゃ、ここからはプランBね」
次の行動に移る。
すると、意図を汲み取ったかのようにワイバーンが彼の下に戻ってくる。その眼下では、戦闘に参加しなかったプレイヤー達が右往左往し、大パニックだ。
それを見たヴェインの頬が緩む。そして、まるでボールでも投げるような気軽さで一点を指差し、――ボッ!!とワイバーンの火球が飛んだ。
「なッ!?」
驚く少女の前で、灼熱の炎がプレイヤーを直撃し、その身体を焼き尽くす。名前も知らない、戦う気もない人間を。
「ごっめんなさーい、間違えちゃったー♡でも、しょうがないわよねぇ。アンタってばチョコマカ動き回るんですもの。そりゃあミスの一つや二つあるわよ」
「く……!」
無関係の奴を狙うぞと暗に告げられ、少女の顔が苦渋に歪む。
すると少女は、一瞬の躊躇もなく反転し、一目散に駆け出した。
「ちょ、おい!」
「アイツの狙いは私! なら、私がここから離れれば……!」
「アッハ! 分かってるじゃなぁい!」
ワイバーンの背に飛び乗り、ヴェインはその後を追う。
だが、地力が違い過ぎる。何ら労する事なく、ワイバーンは少女の真上を取った。
「それじゃ、お言葉に甘えて――狩らせてもらいましょうか!」
再びワイバーンの口が開き、口の中に炎が溜まっていく。
鋼鉄すら灰に帰す破壊力を秘めた竜の息吹。それが逃げ惑う少女に向けて、
「させるか!」
ゴ、ガァッ!
「なッ!?」
「GYahhhhhh!?」
跳び上がったジークの蹴りが、ワイバーンの顎を無理矢理閉ざし、今まさに放たれようとした炎は口内を蹂躙する。
だが直後に、痛みにのたうち回った拍子に振り回された尾が、ジークを叩き落とした。
「ぐぅ……! やっぱり、そう簡単には落とせないか」
「ッ! 血が……!」
「かすっただけだ、問題ない」
適当に返しつつ、額から流れる血を拭う。
今ので半分ほどHPを削られた。流石にレベルの差が大きく、死ななかったのは寧ろ奇跡だ。今更ながら冷や汗が流れるが、のんびりしている余裕はない。
「ち、ちょっと落ち着きなさいって! アンタも、いきなり何してくれちゃってんのよ! 折角いいところだったのに!」
ほっと一息ついたのも束の間、ワイバーンの宥めていたヴェインの怒りの矛先が向けられる。
もっとも、怒っているのはジークも同じだ。
「それはこっちの台詞だ。平然と人を殺しにかかって」
「はぁ? 殺すも何も、ここはゲームの世界。そしてアタシ達は所詮アバターでしょうが」
「ゲーム、だと?」
「そうよ。別に死にゃしないんだし、何したっていいでしょ? それに、ここは自由の象徴フロンティア。だったら、ここで手に入れた力をどう使おうが、個人の自由じゃない」
そう、これはゲーム。何度でもやり直しが利くゲームだ。ここでは命なんて、砂粒一つほどの価値すらない。それが大半のプレイヤーの考えだ。
ヴェインもそれは同じであり、だからこそ馬鹿馬鹿しいとその言葉を鼻で笑う。
「さぁ、さっさとそこを」
「――黙れ」
それが、ジークの琴線に触れた。
「確かに、力は所詮力。どう使おうがそれは自由だ。だが、死なないなら何をしてもいいだと?ふざけるな。お前みたいにヘラヘラ笑いながら人を傷つけられる奴が、命を語るな」
見た目はとても静かで、何も変わらない。だが、淡々と紡がれる言葉には、恐ろしいまでの怒気が滲み出ている。
これにはヴェインだけでなく、隣に立つ少女まで身をすくませる。
「な、何よもう……! いいわ、予定変更よ。まずはアンタから天国に送ってあげるわ!」
「悪いが、俺には縁のないところだよ!」
怯えを振り払うように叫ぶヴェインの指示に従い、ワイバーンは飛翔。そして、人の手が届かない遥か高みから、連続して火球を放つ。
着弾する度に大樹は揺れ、ガラスは割れ、回廊は吹き飛んでいく。まるで爆撃と言っても過言ではない破壊の嵐だ。
にもかかわらず、ジークには一発も届いていない。
地面や幹、時には宙を舞う瓦礫を足場にして、軽業師さながらの動きで悉く躱していく。
「下手くそ! どこ狙ってるんだ!?」
「この、すばしっこい……! 大人しく当たってなさいよ!」
「Guooooo!!」
ヴェインの苛立ちに呼応して、攻撃も苛烈さを増す。
残りのHPから考えて、一発でも当たればアウト。ギリギリのところで、それらを避けるジーク。
その目は、ワイバーンの動きをずっと目で追っていた。
(いくらリアルでも、所詮はプログラム通りにしか動けない。攻撃パターンさえ分かれば、いくらでもやりようはある……!)
こちらを倒さなければ目的を達成出来ないヴェインと違って、ジークは少女が逃げるまで時間を稼げればいいので、何も勝つ必要はない。しぶとく生き残ればいいだけだ。
そこでジークは、相手の混乱を誘おうと更に速度を上げ、――ドロッ……!と視界が赤く染まる。
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