フロンティア

「よし、今日の分はしゅーりょー。お疲れ様でしたー」


 何とも気の抜けた声が室内に響く。

 とあるマンションの一室。学校を終えて帰宅した悠翔は一人机に向かい、課題を終えたところだった。

 他に人はいない。両親は物心ついた頃に離婚していて、悠翔は母親に引き取られたが、今は仕事の関係で海外にいるので一人暮らしだ。

 そんな誰もいない室内にいる悠翔は、ふと時計を確認する。


「……9時50時」


 さて、どうしよう。どうせ断るつもりなので無視してもいいが、ずっと付きまとわれそうな気がする。いや、断ったら断ったで付きまとってきそうだが。

 おまけに相手にトップカースト。その誘いをガリ勉ボッチが断ったなんて知れたら、今後の学校生活が怖い。


「結局、答えは一つか。あー、いやだいやだ。誰だよ、『真実はいつも1つ』なんて言ったの」


 空間ウィンドウを手早く閉じ、ベッドに横になる。

 そして左腕に装着したリンクスにIDとパスワードを入力し、


「ウェブダイブ、――フロンティア」


 直後に視界は暗転。だが、それも一瞬で、次の瞬間には360度真っ白な空間が広がる。

 その中に浮かび上がる、『Welcome to the 《Frontier》』というロゴ。これがぶつかる勢いで迫ってくるのだから、最初はかなり驚いた。

 だが、今はもう慣れたもので、特に感慨もなくロゴの間を通り抜けた。


「到着っと」


 目の前に広がるのは、あのマンションの壁ではない。

 どこまでも澄み切った青空に、その天に届かんばかりにそびえ立つ大樹。そして溢れんばかりの人、人、人だ。まぁ、アバターは自由に組めるので、人外の姿をしているのも多いが。


『Ha-ha!!』

(今笑いながら走っていったネズミも、ものすっごく見覚えあるし)


 次第に見えなくなったネズミを見送る悠翔のアバターは、上下共に灰色のズボンとインナーに黒のコートと、いささか地味だ。おまけに顔はそのままで眼鏡だけ外し、髪を灰色にしただけなので手抜きもいいところ。見る人が見れば、一発でリアバレ確実だろう。


「さて、今日は何かイベントはあるかな」


 その当人は自分の恰好を全く気にせず、リンクスの液晶画面に触れてメニューを呼び出した。


【日付】5月16日

【アカウント名】ジーク

【Lv.】53

【職業】断罪者スレイヤー

【所属】――


(今更ながら、ジーク勝利って名前負けだな)


 それなりに考えて付けた名前だが、今となっては恥ずかしい。


「イベントはなし。となると、またビデオ屋だな」


 あと2日もすればまた休みだ。用事をさっさと済めせてビデオを借りようと即決し、悠翔――ジークは大樹の方に歩き出した。


「それにしても、相変わらず凄い人だな。まぁ、場所が場所だからか」


 ジークが今いるエリアはカーディナル。フロンティアの基点とも言える場所だ。

 中心にユグドラシルと呼ばれる大樹が立ち、その幹に絡みつくように空中回廊が設けられている。フロンティアというゲームの設定上、全てのエリアが自然と都市の融合をテーマにしているが、中でもカーディナルはそれを体現している。

 空中回廊には道に沿って人ひとりが余裕で入れるくらいの大きさの、水晶玉のように丸く、透明感があるオブジェクトが不規則に並んでいて、その一つ一つに出入口があり、NACのスポンサーが店舗を構えている。ここでCクレジットと呼ばれる仮想通貨を使って買い物が出来る。ジークが足しげく通うレンタルショップも、この中に含まれる。

 これもカーディナルに人が集まる理由ではあるが、一番の理由はユグドラシルの方だ。実はあの中はくり抜かれたような空洞になっていて、別のエリアに転移する為のゲートやクエストを受注する為の受付、少ないながらも経験値の獲得に一役買う訓練室などが並んでいる。つまり、どこかに行くにしても、必ずこのエリアを通らないといけないのだ。これなら人が集まるのは当然だ。


(そういえば。根元って言ってたけど、どこに行けばいいんだ?お互いにこっちでの顔も名前も知らな――)


 今更ながらに疑問を抱いたジークだったが、その思考は唐突に途切れる。

 その視線の先には、男女4人のグループがいた。そこまではいい。

 問題は、その内の一人である男が掲げるボード。より正確には、そこに書かれた文字であり――、


YUTOユート、 WILL YOU僕と MARRY ME結婚してくれる!?』

「ぶほぉッ!?」


 盛大に吹き出した。これがリアルなら、食べたばかりの夕飯を吐き出すレベルで吹き出した。

 何が悲しくて、男に、それもこんな公衆の面前でプロポーズされないといけないんだ。


(いや、落ち着け。別に俺が告られた訳じゃないんだ。アバターネームが俺のリアルネームと被ってる奴がいたってだけの話だ。うん、きっとそうだ!)


 無理矢理納得し、今直ぐ帰ろうと踵を返すジーク。だが、


「あ、大神君発見!」


 ビックゥ!

 聞き覚えのある声に、つい足が止まる。その間に、声の主は真っ直ぐジークの下までやってきた。


「ね、大神君でしょ? 顔も眼鏡外しただけで、リアルのまんまだし」


 そう言って笑いかけてきたのは、淡い紫の髪をポニーテールにした少女。その恰好は白とワインレッドを基調とした着物に、大袖と呼ばれる鎧の一部を装着した所謂着物甲冑というもの。

 フロンティアでもボッチのジークに、こんな知り合いはいない。だが、その顔立ちと声、言葉から、直ぐに誰なのか察しが付いた。


「ひょっとして、天咲か?」

「YES! こっちではアラウディね。親しい人はアラウって呼ぶから、大神君も気軽に呼んで!」

「分かったよ、アラウディ」

「あれ、スルー?」


 残念ながら、女子をアダ名で呼ぶコミュ力なんてジークは持ち合わせていなかった。


「俺はジークだ。もうリアルの名前で呼ばないでくれよ。それと、ボードに書くのも禁止。っていうか何、あのボード。何でよりによって男に持たせた? 男にプロポーズされたみたいで鳥肌が立ったんだけど」

「やりたくてやってる訳じゃねぇっつーの! じゃんけんで負けたから仕方なくやってんの! ったく、こんなのが人生初プロポーズとかマジ最悪……。しかも相手は男って、どんな罰ゲームだ」

「それをされた俺の身にもなってくれ。あと、丁重にお断りさせてもらう」

「ったりめぇだっつーの! OKだったら吐くわ!」

「ハハ、2人共仲がいいな」

「「よくない!」」


 被ったけど、絶対にそれはない!

 そして、派手な忍び装束の男との掛け合いに区切りが付いたのを見計らい、金色の甲冑を纏ったリーダー格の少年が前に出てくる。

 輝く金髪が特徴的で、顔立ちから日本人のはずだが、西洋の貴族のように見えてしまう。こんなアバターでもオーラを振りまく人間を、ジークは一人しか知らない。


「やぁ、よく来てくれたね。俺はクレイヴって言うんだけど、誰か分かるかい?」

「間違えようがない、高峰瑛士だ」


 イケメンオーラがバリバリ出てるもの、迸ってるもの。嫌でも分かる。

 こうなると、後は簡単だ。


「っという事は、そっちのボードを持ってるのが」

「皆のハンゾー君ですよっと。ンで、こっちがリーフレットことあおばちゃんね」

「り、リーフレットです。よ、よろしくね、ジーク君」


 リアルとほぼ変わらないチャラさ全開のハンゾーが紹介すると、ミリタリー生地のワンピースを着た、オレンジの髪の少女がおずおずと前に出てくる。紹介されなくても、一発であおばだと分かる小動物っぷりだ。


「以上この4人が、レリック・ハント攻略を掲げるパーティの一つ、『心友の絆ワン・フォア・オール』のフルメンバーだ。改めて、よろしく」

「あ、あぁ、よろしく」


 爽やかな笑顔と共に差し出される手を、ジークは恐る恐る握り返す。

 自然に握手を求めてくる、これぞイケメンクオリティ、とてもじゃないが真似出来そうにない。


「よっし! 皆揃った事だし、いざ行かん! ヒュドラ退治へ!」


 挨拶もそこそこに、真っ先に走り出したのはアラウだ。どうやら、早く行きたくてうずうずしていたらしい。

 やれやれと苦笑しつつクレイヴ達も後に続く。だが、ジークはここに誘いを断りに来たのだ。このままなし崩しに参加させられるのは御免被る。


「ち、ちょっと待ってくれ。俺はお宝探しの仲間になった訳じゃない。勘違いさせて悪いけど、あの誘いを断らせてもらいたくて来たんだ」

「うっそ!? 何で!?」

「何で言われても……まぁ、ソロの方が性に合ってるとしか」


 嘘は言ってない。ジークは勉強や読書を、自分にあまり関係ない事で中断されるのが嫌いなタイプだ。好きな事を好きなだけ、誰にも邪魔されずに出来るソロが一番いい。

 だが、当然そんな理由だけで見逃してもらえるほど、世の中は甘くない。


「えー、そんな寂しいこと言わずにやろうよー。フロンティアでもそんなんじゃ、トイレでボッチ飯してるのと変わらないよ?」

「それは言い過ぎだろ。精々休み時間に寝たふりするのと同じレベルだ」

「いや、どっちもどっちだから」


 そんな事はない。人前に出るか出ないかで、雲泥の差があるはずだ。……きっと、多分。


「まぁまぁ。無理強いはよくないよ、アラウ」

「むー、でもー」

「ご、ごめんね、ジーク君。アラウって強情なところがあって」

「見てれば分かるよ」


 呆れた様子でクレイヴとアラウのやり取りを見ながら、そう返すジーク。

 本当に、こういうところも誰かを思い出させる。


(仲良くないと損、か……)


 そうだ。ああして誘われたのは、初めてじゃない。もっと前に、掛け替えのない友人からも言われた、決して忘れられない大切な言葉。

 だからこそ、その誘いは受けられない。いや、受けてはいけない。


「なぁ、やっぱり――」

「よし、ジーク君! 私と決闘しよ!」

「……は?」


 改めて断ろうとした矢先に、今度は決闘の誘いをしてきたアラウ。リアルも含めて本日2度目の間抜けな声が思わず漏れた。

 と、ポカンと口を開けて呆けるジークを見かねて、ハンゾーとクレイヴが補足説明する。


「要するに、『ここを通りたければ俺を倒して行け』っつう話だよ」

「アラウは考えるより先に動くタイプだからね。特にここだと何でも出来る分、ブレーキが利かなくて」

「何、そのデュエル脳」


 ここは警察沙汰すらカードで捻じ伏せる世界ではなかったはずだが。


「デューエール! デューエール! はい、リーフも一緒に!」

「え、えーと……でゅ、でゅーえーる。でゅーえーる」


 後ろでは、謎のデュエルコールまで始まる始末。巻き込まれたリーフが少し可哀そうだ。


「……はぁ、分かった分かった。1回だけだぞ」

「よっしゃ! じゃあ今度こそレッツゴー!」


 満足したアラウは、意気揚々と走っていく。

 ジークも肩をすくめつつ、後に続く。と、予想外の展開だったのか、ハンゾーがこそっと耳打ちしてくる。


「おいおーい。いいのか、ジーク? あんなあっさりOKして?」

「少し相手すれば満足するだろ。それに、いくらバトルの経験豊富って言っても、同い年なんだから馬鹿みたいに強いって訳じゃないだろうし」


 ジークのレベルは53と、フロンティアで言えば低い方だが、アラウも学生。いくら攻略組でも、勉強にも力を入れないといけないのでレベルもそう高くないはず。

 それなら勝機はある!


「ジーク、ひょっとして知らないのかい?」

「あの、ジーク君? アラウはレベル72ですよ?」

「……マジで?」


 フロンティアの中で70台まで到達しているプレイヤーは、3桁しかいない。これでも十分多いと思うかもしれないが、世界中の人間の中での3桁と考えれば少ない方だろう。


(ヤバい、一瞬で勝機がF1に乗って遠のいた……!)


 無理。20ものレベル差を相手に勝つなんて、トンだ無理ゲーだ。


「……ガスの元栓閉めたか気になるから、帰っていい?」

「今時どっこもIHだろ!? オッケーしたのお前なんだし、諦めて行けって!」


 逃走なんて当然許されるはずもなく、ずるずると引きずられる結果に終わった。


「それにしても、ジークね。ひょっとしてジークハルトを意識してんの?」

「まさか。俺のリアルネームが、別の読み方すると『ゆうしょう』になるから、それを『大会で優勝する』って意味の方で読んで」

「あ、なーる。『優勝=勝利』、それで勝利Seigね!」


 納得いった様子で頷くハンゾー。

 一方、2人の話を傍で聞いていたリーフは、ある事が気になった。


「ジークハルト、って何ですか?」

「え!? リーフチャン、知らねぇの!? フロンティアのプレイヤーなら知らない人はいないってくらい、めちゃくちゃ有名人だよ!?」

「元々皆さんに勧められて始めたものですから、そういう事には疎くて……」


 あはは、と苦笑するリーフ。そこに、同じく話を聞いていたクレイヴも会話に交ざる。


「フロンティア最強プレイヤーって言われていた人だよ。100体のモンスターを相手に文字通り百人切りを達成から始まり、Sランクモンスター『フェンリル』の討伐、地下デュエル場での大暴れなんて今や伝説さ」

「あんまりバカ強いんで、『刀神エスパーダ』なんて呼ばれるてるよ。けど、5年くらい前からぱったり出てこなくなったんだよなぁ」


 今何やってんだろ、とハンゾーが零す中、ジークは口を開かない。

 ただ静かに、その話を聞いていた。


「あれ? そういうもう一人、有名な奴がいた気がすんだけど」

「そういえばいたね。えっと名前は確か……」


 前者と同じで昔の人だから、中々思い出せない。

 う~ん……とクレイヴ達が唸っていると、


「――リボルバー。『銃聖ビリー・ザ・キッド』の二つ名で呼ばれた、銃戦士だよ」


 ジークがその答えを告げた。


「あぁ、それだそれ! 何だよ、興味ないみたいにして。知ってんじゃん」

「別に。印象に残ってただけだよ」


 そう、印象に残っていただけ。

 頭にこびりついて、離れないほどに。

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