第2話「フェアリーテイルを殺さないで②」
この世界に居る人間以外の生物は大きく三つに分類される。
一つは亜人。読んで字のごとく人間ではないが、人間と同等以上の知性を有し、人間と同じ言語を操る者。エルフや、ドワーフ、リザードマン、ヴァンパイアなどが該当する。これらは人の住む地域とは違うところで小さなコミュニティを作って暮らしていることが多いが、用事があれば人里に来ることもある。数は少ないが人の集落の中で暮らす亜人も居る。
二つ目は動物。人間のような知性もなく、魔力を有しない生物のことだ。家畜として飼われている牛や豚、川に住む魚などがこれに該当する。
そして、最後の区分が魔獣。文字通り魔力を持っている獣を指す言葉だ。グリフォンやペガサスのように必ずしも人間に害をなすとは限らないが、多くは人間を襲い、喰らう危険な生物だ。もちろん、フェアリーもその例に漏れない。
フェアリーは人間の魂を喰らうと言われている。だから、危険な魔獣として扱われ、見つけ次第狩られることが多い。
けれど、
『ルルル、ルルルル』
「わあ、そんなにくっついたら、くすぐったいよ!」
このルルというフェアリーは、スノウになついているようだ。表情は読みにくいが、心なしか目を細めて、嬉しそうにしているように見える。一方のスノウの方も、先程までのぎこちなさが消え、年相応の無邪気な笑顔を見せ始めた。本当にこのフェアリーに心を開いているのだろう。
「………………」
だが、これで先程の村人の様子も説明が付く。
フェアリーは人を喰う。駆除対象の魔物だ。村に住む者がそんな危険な生物と一緒に居ることを歓迎しない者が居ることは想像に難くない。
だが、改めて先程の村人の様子を思い返す。
……もっと最悪の事態になっていなければいいのだが。
ルルというフェアリーは、スノウには本当になついているようだ。
だが、彼女の背中越しにこちらを見るルルは、視線に敵意の色を滲ませていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
お母さんは始めから居なかった。
だから、私にとってはそれが当たり前だったし、特別なことでもなんでもなかったから、それを悲しいと思ったことはない。
けれど、木こりだったお父さんが山の事故で死んでしまったときは、本当に悲しかった。私にとっての家族はお父さん、ただ一人だったから。お父さんは、何もしゃべれない身体になっておうちに帰ってきた。お父さんが居なくなると、狭いと思っていたおうちが、とても広く感じられた。
「まったくしょうがないね……」
初めは村の人たちはこぞって私の様子を見に来てくれた。「可哀そうに」「元気を出しな」「困ったことがあったら言うんだよ」そんな優しい言葉をかけてもくれた。けれど、月日が経ち、お父さんが居なくなったという事実が風化したころ、村のみんなは私に少し冷たくなった。
「食べ物だって、ただじゃないんだから」
お隣の家に住んでいたおばさんは、私に固くなっているパンを渡してそう言った。
今、この国は戦争をしているらしい。私なんかが産まれる前からずっとしている戦争。そのせいで、税は重くなり、生活は日を追って辛くなっていく。だから、私はほんの少しでも食べ物を恵んでもらえるという事実に感謝しなくてはならない。
「あ、ありがとうございます」
私は深々と頭を下げる。それくらいしか自分にできることはないから。
そうすると、隣のおばさんは鼻を鳴らして帰っていく。
おばさんはいい人だ。だって、私にご飯をくれるばかりか、私に暴力を振るったりしないのだから。
「親なしの子だぞ!」
「汚い服着やがって!」
村の子供たちは意地悪だ。私が彼らの近くを通るごとにそんな言葉を投げかけてくる。そういうことを言われると、少し傷つく。大きな岩に小さな石ですっと線を書いたみたいな、そんな感じ。目立つ傷ではないけれど、決して消えない小さな跡。
子供がそういうことを言うと、親たちはたしなめる。
「やめなさい、品のない」
「そういうことを言ってはダメよ」
そう言って、子供を連れて、その場から去る。そうやって居なくなる時にふと振り返って、こちらを見る。そこには、道端でつぶれた虫を見るときのような薄い微笑が張り付いている。
親たちが居ないときの子供は最悪だ。
「汚いな、こいつ!」
「ほら、こっち向けよ」
彼らは適当な棒を拾ってきて、私を打つ。あるいは、刺す。大抵拾ってくるのは、その辺に落ちている小さな枝だから、それでぶたれても大して痛くないから平気だ。我慢できる。だけど、時々、誰かの家から持ってきた箒とか棒を持ってこられると最悪だ。そういうもので殴られるとさすがに痛い。
「い、痛いです……や、やめてください……」
そうやって「お願い」するのだけど、そうやって彼らに「お願い」すると、余計に嬉しそうに私を打つ手に力を込めだす。
「こいつ、いつも飯を恵んでもらってる分際で口答えしたぞ!」
「く、口答えじゃ……」
「もっとやってやれよ!」
だから、私は何も言わず、ただ丸まって嵐が去るのを待つ。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
心の中でそう唱え続けて祈る。
早く、こんな時間が終わってくれますように、と。
ちょっとでも自分ができることをしようと、家の庭に畑を作ろうとしてみる。だけど、子供の力ではなかなか難しい。土を耕すのだって楽じゃないし、畑に撒く水を井戸から持ってくるだけでも一苦労だ。それでも、自分にできることを必死にやる。そうすれば、いつか報われる。
「人のために生きなさい」
それが死んでしまったお父さんの言葉。お父さんは、昔、旅の司教さんに教わったっていうこの言葉をすごく気に入っていて、事あるごとに話してくれた。
「人のために生きるっていうのは素晴らしいことなんだ。世界中のみんなが人のために生きる。そうすれば、自分は自分のことを気にする必要がない。なぜなら、自分は他の人が助けてくれるから。だから、私は安心して人のために生きられるんだ」
そんなことを嬉しそうに語るのだ。
だから、私も畑がうまくいって野菜が取れたら、まず隣のおばさんにあげよう。そう思っていた。いつもありがとうございます。そう言って、頭を下げよう。そう考えていた。
でも――
「あ……」
ある朝、畑に向かうと、そこはぐちゃぐちゃに荒らされていた。
植えていた苗は掘り返され、根っこはズタズタになっていた。これでは、もう埋めなおしても、うまく育ってはくれないだろう。
なぜこんなことになったのだろうか。
きっと獣が来て、畑を荒らしてしまったのだ。
そう考える。
決して、村の誰かが私の畑を壊したわけではない。
そんなわけは、ないのだ……。
ふと目頭が熱くなる。
――なぜ、私はこんな目に合っているのだろう。
――なぜ、私は何もできないのだろう
――なぜ、私は生きているのだろう。
目をこする。泣いちゃダメだ。そんな風に泣いてる暇があったら、一つでも苗を植えなおして、元に戻さないと。
そんなことを考えていたときだった。
『ル……ル……』
何かの鳴き声が聞こえた。
私は思わず、声がした方向に向かって走る。そのかすれた声が助けを求めている。そんな気がしたから。
声が聞こえたのは、家の裏手。
そこに倒れていたのは、小さな人。
いや、人ではない。人には羽など生えていない。まるで空にかかる虹のような美しい色をした羽。その羽は、欠けてぼろぼろになっていた。羽の主の方も赤い血を流している。
「大丈夫!」
私は思わず、駆け寄る。
そっと、その存在を抱き起す。
まるで昆虫のような大きな眼と目が合う。
これはたぶん、フェアリーだ。
聞いたことがある。確か、人を喰う魔獣だから、気をつけなさいってお父さんが言っていた。
本当はすぐに離れるべきだったのだろう。誰か村の大人を呼んでくるべきだったのだろう。
だけど、
「こっち、家の中に」
力なく倒れ伏したフェアリーをなんとか肩に担ぎ、引きずるようにして家の中に連れて行く。
どうして、こんなことをしているのだろう。
フェアリーを助けてはいけないなんてことは解っているのに。
でも、
『人のために生きなさい』
この子は人ではないけれど、この子のために生きることはできる。
何も出来ない私が、生まれて初めて、誰かのために生きられるかもしれない。
そう考えてしまうと、もうこの子を放ってはおけなかった。
私はそのフェアリーの子を自分のベッドに寝かせて、水で傷を拭ってやった。
それが私とルルの出会いだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「で、これは一体どういうことなんだ?」
ヴァイスは周囲をぐるりと見まわしてそう言った。
ヴァイスとミリアの周囲は無数の人影で取り囲まれていた。
ルルと呼ばれたフェアリーとスノウが再会した直後。周囲の木陰から男たちが一斉に飛び出してきたのだ。
周囲を取り囲む人々に統一感はない。農民らしい粗末なチュニックにズボンといった井出達の格好の男が居ると思えば、装飾の施されたウェストコートに身を包んだ身分が高そうな男も居る。だが、その人々の共通点は、皆一様にうつろな目をしているということ。
——先程、スノウを追ってきた男たちと同じように。
(やっぱり、こいつら――)
ヴァイスの中で一つの結論が出ようとしたときだった。
「スノウちゃんが居ません!」
ミリアの悲痛な叫びが響く。
ヴァイスが周囲を見回すと、
「居た!」
二人を取り囲む男たちの向こう。フェアリーに手を引かれ、必死に走っている。周囲の男たちはなぜかスノウたちを追う気配がない。
「やっぱり、そうか!」
先程まで追っていたはずのスノウからこちらに標的を変えたということは――
「ヴァイスさん! 行ってください!」
ミリアは背中合わせになっているヴァイスに向かって叫ぶ。
「ヴァイスさん一人なら、彼女たちに追いつけるはずです!」
確かに、自分一人ならこの包囲を抜けて、二人に追いつくことは不可能ではないだろう。だが、
「——いいのか?」
「大丈夫です。私が丈夫なのは知っていますよね?」
そりゃあ、そうだ。不老不死以上に丈夫な人間なんて居ないだろう。
「それに――」
ミリアはヴァイスに背中をぶつけて呟いた。
「——私は結構強いって、知っているでしょ」
——そこまで言われては仕方がない。
どっちにしてもこの事態を解決するためには、あの二人を追わねばならないのだ。ならば、そもそも迷っている場合ではなかった。
——速攻で蹴りをつける。
だが、別れる前に一つだけ言っておかねばならない。
「こいつらはたぶん――」
ヴァイスはミリアにあることを告げる。
その言葉を聞いたミリアはわずかに顔をしかめた。
「そう……ですか……私の勘違いだったらよかったのですが……」
どうやら、ミリアも気が付いていたようだ。ならば、自分の早合点ということはないのだろう。ならば、やはり二人を追わねば。
「いざとなったら、無理せずに逃げろよ」
そう言い捨てて、ヴァイスは包囲を突破すべく走り出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
『ル……ル……』
初めの内、ルルは私を警戒していた。大きな瞳にはっきりとした敵意が浮かんでいた。
だけど、しばらくすると、私が敵ではないと理解してくれたのか、少しずつ表情を緩めてくれるようになった。
『ルル、ルル』
フェアリーの言葉は解らない。だけど、彼女の表情で彼女が自分に感謝してくれていることは理解できた。
「いいよ、私は当たり前のことをしただけだから」
『人のために生きる』。私はお父さんの教えを産まれて初めて実行できた。だから、むしろ感謝したいのはこちらの方なのだ。
彼女のおかげで、私はもう少しだけ生きていこうと思えたのだから。
「ルルって呼んでいいかな?」
いつまでも名前がないのは不便だったので、私は彼女をルルと呼ぶことにした。『ルル』と鳴くからルル。単純だけど、一番しっくりくる呼び方だ。
私がそう告げると、
『ルルルル! ルルル!』
嬉しそうにそんな声を上げるのだ。
言葉が通じているとは思わない。けれど、どこか別の部分が繋がっている。そんな気持ちが湧き始めていた。
「この辺でフェアリーを見かけなかったか?」
次の日、私の家に尋ねてきた猟師の人はそう尋ねた。
「昨日、矢を射かけて弱らせたんだけど、後一歩のところで逃げられちまったんだが」
私はおじさんが言っているのが、ルルのことだとすぐに解った。今もルルは奥の部屋で寝ている。
もし、私が今素直にルルを差し出せば、きっと怒られないと思う。だけど、ルルのことを隠して、後でばれたりしたら――
「き、来てません……」
私は声の震えを押し殺して、そう言った。
おじさんはなぜか能面のような顔で私を見下ろしている。冷たい沈黙が二人の間に張りつめる。
嘘がばれてしまったのだろうか。もし、そうだとしたら……。
私がおびえ、震えていると、
「そうかい、悪かったね」
おじさんはあっさりと踵を返した。どうやら、嘘はばれなかったようだ。
「もし、フェアリーを見つけるようなことがあったら、すぐに知らせるんだよ。もし、フェアリーを野放しにしておいて、成体になってしまったら、こんな小さな村はすぐに全滅してしまうからね」
そう言い残して、おじさんは小屋を出て行った。
その瞬間、私は腰が抜けて、その場で座り込んでしまう。怖かった。もし、今、嘘がばれていたら、一体どんな目にあわされていたのだろう。今度は村の子供たちからだけではなく、大人からもひどい目に合わされていたかもしれない。
どうして、私はこんな思いまでして、あの子を庇っているのだろう。
私は何とか腰を上げ、よたよたとよろめきながら、奥の部屋のベッドに舞い戻る。
「もう大丈夫。でも、また人が来たら困るから静かにね」
『……ル、ル』
ルルは静かに頷いた。ルルの言葉は解らないけど、こちらの意図はおおよそ伝わっているみたいだ。
そして、この日から私とルルの共同生活が始まった。
私は外で野草を摘んだり、木の実を集め、ルルに与える。
『ル……』
すると、ルルは渋々といった様子だが、それを食べ始める。人を食べるって聞いたけど、木の実なんかも食べるんだ。
さすがに人の肉じゃないといけないと言うんだったらどうにもならなかったけど、木の実でいいならなんとかできる。もちろん、ルルに与える余裕があれば、自分が、それを口にしたかったのだけれど、仕方がない。今更、ルルを放り出すという選択肢はなかった。
そんな日々が数週間続いたころ、
『ルールールル!』
ルルは初めて会った時が嘘のような美しい羽根を取り戻し、自在に空を飛べるようになっていた。
「よかった……」
彼女の羽根は陽光を浴びて、虹色に煌めく。そんな羽根が空を切り、雲を割り、空に虹の橋をかける。
「きれい……」
そんな光景を見るだけで私は今日まで自分がやってきたことが無駄ではなかったと思えるのだった。
自由に飛べるようになったルルは、あっさりと空の向こうへと姿を消した。お別れを言いたかったのに、それを言わせぬまま去ってしまったのだ。お別れを言えなかった。そう思うと胸がチクリと痛んだ。
だが、しばらくすると、窓のところを何者かが叩く音が聞こえてくる。
私が窓を見やる。
すると、そこに立っていたのはルルだった。
「戻ってきたの?!」
ルルは小さい手にいっぱいに果物を抱えていた。林檎に、苺に、柚子。私が産まれて初めて見たような果物も混じっている。どれもこれも瑞々しくて、とても美味しそうだった。
「まさか、これを取りに行ってくれてたの?」
『ルー』
ルルはそれらを差し出しながら、にっこりと笑った。
私は彼女は持ってきた林檎を恐る恐る手に取る。それに皮ごとかじりつく。口の中に身の甘い香りが口いっぱいに広がって、私の口内を甘みの海にしてしまう。こんなにもおいしい食べ物を食べたのは産まれて初めてだった。
「おいしい……」
たった一口でこんなにも幸せな気分になれるだなんて、林檎というのはなんて素晴らしい食べ物なのだろう。
そのときだった。
「あれ?」
私の頬が濡れている。
そっと自分の頬を触る。
そうやって、ようやく気が付く。
私は涙を流していた。
「あれ? あれ?」
なぜ泣いているのだろう。こんなにもおいしいものを食べているのに。泣くなんておかしい。
だけど、どうしても涙は止まらなくて、次から次へと溢れ出してくる。
「なんで? なんで?」
私は必死でそれを止めようとする。だけど、そうやって抑えようとすればするほど、涙は洪水みたいに次から次へと溢れてきて、
『ルルルル?』
ルルは私の胸に飛び込んでくる。
私はそれを優しく受け止める。毛の長い猫を抱いているようなモフモフとした手触り。小さいけれど、暖かな熱が彼女を抱きしめた胸から全身に伝わる。
ああ、こうやって誰かと体温を確かめ合うなんて、いつ以来だろうか。
お父さんが居なくなってから、誰も私を抱きしめてはくれない。
誰も私の側に居てはくれない。
私はずっと一人ぼっちだった。
だけど、
「そっか、そっか……」
私がルルを助けた理由がようやく解った。きっと、この子も同じだと思ったから。誰も側に寄り添ってくれる人の居ない寂しい子。私たちは似た者同士だった。だから、放っておくことなんてできなかったんだ。
「ありがと……ありがと……」
私は涙を流したまま、笑って彼女を抱きしめる。
もうこの子を離したりしない。
私はそう固く心に誓った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「争いたくはありません。やめていただけませんか?」
ミリアは周囲を取り囲む人々に向かって、そう呼びかける。
だが、誰も言葉を交わすどころか、こちらの言葉に反応すら示さない。やはり、言葉は通じないようだ。
(ヴァイスは、包囲を抜けられたようですね)
村人たちの数は多いが、ほとんど意思疎通は取れていない。ヴァイスくらいの速力があれば突破はそう難しくはないだろう。
問題は自分の方だ。
いかに不老不死と言えど、痛覚がないわけではない。むしろ、下手に再生する分、普通の人よりも苦痛が長引いたりもする。避けられない痛みなら甘んじて受けるが、無駄に痛めつけられてやる必要はない。ヴァイスが二人に追いつくまでの時間を少し稼いで、その後に自分も離脱するのが最良だろう。
(『奥の手』は……やめておきますか……)
この状況を打破する程度の切り札は持っているが、あれを使えば、この周囲を取り囲む人々もただでが済まない。たとえ、もう手遅れなのだとしても、彼らをこれ以上傷つけることなく、済ませられるなら、その方がいい。
そんなことを考えていると、
「うああああ……」
低い唸り声を上げながら、一人がミリアに向かって飛び掛かってくる。
ミリアはその相手に向かって右手を突き出す。
「ふっ!」
呼吸を整え、自分の身体の細胞の隅々に意識を浸透させる。
次の瞬間、
「ああああ……」
男の動きが止まる。
男はその場に棒立ちになり、進めなくなる。その理由は、現場を見ているものなら、一目瞭然。
「すいません」
ミリアの突き出した右腕が伸びていた。
その長さは数メートル。そして、その腕はあたかも縄のようにしなり、男の身体をからめとったのだ。男はミリアのロープとかした腕によって拘束されたのである。
「私の身体は普通ではありません」
ミリアは男に向かって言う。
「私は人より少々丈夫にできていまして、その関係で自分の身体を自由に組み替えることができるのです」
そう語りながら、ミリアは左手を天に掲げる。
「たとえば、こういうこともできます」
掲げた左手の皮膚の表面がざわつく。かと思えば、次の瞬間、左手の皮膚の下から何かが突き出してくる。それはあたかも、地面から芽吹く新芽のように、にょきにょきと伸びてくる。生えてきたのは、新たな腕だった。
「このように無数の腕を生やすことも可能なのです」
そう喋っている間にも、新たに生えてきた腕の先から、また新たな腕が生えてくる。それはまるで複雑に絡み合いながら枝分かれする大樹のようだ。ミリアの左腕は、もはや腕の樹林と化していた。普通の人間の数倍の体積と化した腕の塊は、あたかも一本一本が意志を持っているかのようにうねうねと蠢く。
「そして、腕の数だけ私は同じことができます」
そう言った瞬間、無数の腕は伸び、周囲の人影に向かって伸びる。それは、さながら、獲物を狙う蛇。男たちは次々と為す術なく、腕の縄に縛り付けられていく。
「ぐぐぐ……」
男たちは恨めしそうな唸り声を上げながら、何もすることができない。それだけ、彼らを締め付ける腕の力は強いのだ。
(これで時間は稼げましたね)
あとはヴァイスに任せることにする。
(これを使うと、とんでもなく痛いから本当は嫌だったんですけど……)
不老不死の力を利用した過剰再生。そんな無理をして、平気で居られる方がおかしな話だ。腕を伸ばすたびに、腕を生やすたびに、文字通り、身を裂かれるような痛みに彼女は襲われている。
けど、そんな痛みには、もう慣れている。伊達に、不老不死をやっているわけではない。
(これも、あの子のためだから仕方ないですね)
自分が身を裂かれ、脳を焼かれるような苦痛を受けることで、誰かが救われるのだったら、いくらでも自分は苦しもう。ミリアはとっくにそんな覚悟を決めているのだ。
「でも、これ、どうやって腕を切ろう……」
ミリアは再生はできるが、破壊はできない。だから、こうやって腕を生やしてしまうと、引っ込めるという真似はできない。つまり、この無数の腕は誰かに切ってもらわないと元の身体に戻れない。
「ヴァイス……早めに戻ってきてね……」
ミリアは身体を張って男たちを止めたまま、森の真ん中で立ち尽くす他なかった。
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