第2話「フェアリーテイルを殺さないで①」
――裏切り者、そう言われた。
なぜなのだろう。
私は人で、あの子は人じゃないから?
人同士は無条件で仲間なのだろうか。
人以外の存在は絶対に敵なのだろうか。
では、なぜあの子は私に優しくしてくれるのだろう。
なぜ、村の人たちは私にいじわるをするのだろうか。
解らない。
この世には解らないことが多すぎる。
みんな仲良くしたい。
――私の願いはただそれだけだというのに。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ヴァイスも一緒に入りませんか?」
茂みの向こうからこちらに呼びかける声が聞こえる。
「温泉。気持ちいいですよ」
「……もう、そんな年齢ではない」
「ええ……気にするようなことではないのに……」
気の抜けたミリアの声に、ヴァイスは小さくため息をつく。とっくに成人している歳の自分にこんなことを言うのだ。この人はこういうところがある。変なところで無神経というか……。
「やっぱり、温泉は気持ちいいですね」
ちゃぷりと水の跳ねる音がした。周囲に立ち込める穏やかな熱気。そのほのかな温もりに当てられて、ヴァイスは思わず、瞼を閉じた。
旅をしていると毎日宿に泊まれるというわけではない。むしろ、そうできない日の方が多い。宿屋はどこにでもあるわけではないからだ。特に紛争地帯の近くなんかでは、宿屋どころか、まともな民家すら残っていないことも多い。よしんば、宿があったとしても、法外な宿泊料を要求されたりする。金のない自分たちに、到底払えるような代物ではない。
すると、必然、野宿が多くなるが、そうなると困るのが衛生面だ。汚染されていない川でも見つかれば、御の字。大抵は顔を洗うことすら、そうやすやすとはいかない。そういう意味で温泉が見つかるなんて言うのは、相当に幸運な事態なのだ。
だから、彼女が多少開放的な気分になるのはやむを得ないのだが……。それでも節度と言うのは守ってほしいものである。
「………………」
それでも、彼女の過ごしてきた人生を思えば、こうやって羽目を外すことができるようになったということは大変に喜ばしいことなのだと思うのだが。
そんなことを考えていたのがよくなかったのだろうか。
ヴァイスが温泉の近くで待機していたのは、良からぬ闖入者を警戒するためであったのだが――
「うわあああ!」
「?!」
悲鳴と共に響く、強く水面を叩く音。
温泉に何かが飛び込んだのだ。
ヴァイスは咄嗟に剣を抜き、温泉に踏み込む。
油断し過ぎだ。ヴァイスは自分自身を叱咤する。
(襲撃者——魔獣か、ただの野盗か? それとも、何か別の――)
あらゆる可能性を考慮しながら、温泉の湯けむりの向こうに立つ人影を観察する。
「いたたた……」
そこに居たのは――
「女の子……ですか?」
幼い少女だった。ぼろぼろの薄汚れた衣服に身を包み、ぼさぼさの髪はろくにとかしつけられた様子はない。身体も骨ばっていて、心なしか顔色もよくない。あまり、よい環境で育っていないことは一目で察せられた。
そんな少女が温泉への闖入者だった。
様子を見るに温泉に入ろうと思ったわけではなく、進行方向に温泉があり、そこに落ちてしまったという感じだ。温泉に突入したときの勢いから察するに、相当な速度で駆けてきたと思われる。こんな少女が必死で走っていたということは――
少女が飛び込んできた場所の後方の茂みがざわつく。
次の瞬間、そこから飛び込んできたのは数人の人影。
皆、それぞれに斧や棒のようなものを持っている。だが、服装や身なりから察するに騎士や傭兵の類ではない。かといって、野盗という感じでもない。ただの村人がとりあえず武器になりそうなものを握って、ここまで走ってきた、そんな感じだ。
皆一様に生気のない目をして、こちらを睨んでいる。
(これは……)
状況は不明だ。だが、ヴァイスはまずはこの男たちを排除するべきと判断する。少女の方に、後で事情を聞くことにしよう。
ヴァイスは心持ちを戦闘態勢へと切り替える。目の前の闘争以外への思考を排除し、視界を絞る。しかし、視野は広く。状況が読めないときは、あらゆる事態に対応できるように心を柔軟に保つように心がける。
「さて、この剣で切り捨てられたい奴から前に出ろ」
そう言って、ヴァイスは剣を前に突き出す。
「温泉を血の池地獄にするのは忍びないがな」
ヴァイスがそう言って、凄むと、
「——————」
数人の村人と思しき男たちは無言のまま、目線で合図をし合い、あっさりと元来た方向に引き上げて行った。
(なんだ……?)
やはり、あの男たちの様子はどこかおかしい。
あれでは、まるで――
「あ、あの!」
そうやって、甲高い声を上げたのは、最初に温泉に飛び込んできた幼い少女。
「た、助けてくれて、ありがとうございました!」
そう言って、彼女は深く頭を下げた。
「………………」
ともあれ、この子に話を聞くほかないのだろうな。
そうやって、ヴァイスがこの後の行動方針を考えていると、
「ヴァイス」
不意に背後からかかる声。
振り返ると、そこには一糸まとわぬ姿のミリアが立っていて、
「服も濡れてしまいましたし、とりあえず、ヴァイスも服を脱いで、温泉につかりましょう」
「……後でな」
そう言って、ヴァイスは温泉から飛び出した。
「な、なにからなにまですいません……!」
少々吃音気味な少女は、そう言って、頭を下げる。子供らしくない深々としたお辞儀だ。
「いえ、余っていた服で申し訳ないけど」
「こ、こんないい服は初めて着ました」
ミリアは自分の持っていた予備の服を適当に仕立てて、少女に着せていた。正直、上等なわけでもないただの貫頭衣だが、先程まで少女が纏っていた服とも言えないぼろ布に比べればずいぶんとましだ。
しかし、あの服を上げてしまっては彼女自身が着る服がなくなってしまうと思うのだが。自分を顧みず、すぐに人に施しをしてしまうのは彼女の美徳であり、悪い癖だ。
「お名前を聞かせてもらってもいいですか?」
温泉から少し離れた森の木陰で、ヴァイスとミリアは少女に向かい合っていた。
「ス、スノウ……」
「スノウちゃん、ですか?」
スノウと名乗った少女は、こくこくと首を振って頷く。
少女は温泉に入ったためか、ぼさぼさだった髪も多少は見られる感じになっている。汚れの落ちた銀の髪は、決して見栄えも悪くない。年を重ねれば、美人になるかもしれない。
ミリアはしゃがみ込んで、スノウの目をまっすぐに見て尋ねる。
「スノウちゃんは、なんでさっきの人たちに追われていたんですか?」
そう尋ねられると、途端にスノウの顔が曇る。
「あの、言いたくなければ無理には」
それを見たミリアが申し訳なさそうな顔をしてそう言うと、
「ち、違います! べ、別に言いたくないわけじゃなくて……」
少女は困ったようにきょろきょろと視線をさまよわせる。
「た、ただ私が何か悪いことをしたんだと思うんですけど……」
「心当たりはないのか?」
煮え切らない少女に、業を煮やしたヴァイスが口を挟む。
スノウは目を丸くして、さらにおたおたと落ち着きなく身を震わせる。
「駄目ですよ、そんな言い方。もっと、優しく尋ねないと」
「い、いえ、大丈夫です!」
スノウはミリアの言葉を遮るようにして叫ぶ。
そして、続けて蚊の鳴くような声で呟いた。
「た、たぶん、私がいけないことをしたんだと思います……い、いつもそうですから……」
そう言って、卑屈な笑みを浮かべて、俯くのだ。
「………………」
ヴァイスとミリアは、無言で視線を交わす。長い付き合いだ。彼女の目を見れば、言いたいことは察せられる。
「スノウちゃん。私たちをスノウちゃんの村まで案内してくれる?」
「え、あ、はい」
少女はおどおどとした様子で、たどたどしい返事をする。
「え、えっと、こっちです」
そう言って、彼女はよたよたと歩き出した。
そんな背中を見ながら、ヴァイスは言う。
「……良いのか? こんなことをしていて」
今回の一件に『呪魔』は絡んでいない。もし、からんでいるなら、自分が気配で解る。『呪魔』の感染者同士はひかれあう。あの少女や村人から『呪魔』の気配は感じなかった。今から向かう村についても、おそらくは同様だろう。もし、村に『呪魔』が居れば、気配の一端くらいは、もう気が付いているはずだから。
自分たちには『呪魔』を追うという使命がある。それはもちろん、『呪魔』による被害者を出さないためでもあるが、それ以上に大切な理由がある。そのためには、こんなところで油を売っている暇はないはずなのだが。
「けれど、放っておけないでしょう」
だが、彼女は平然とこんなことを言うのだ。
どんなときでも目の前にいる他人を救おうとする。この人は筋金入りの大馬鹿だ。
だけど――
「はあ、しゃあねえな……」
自分はこの人のそういうところが嫌いではない。
そんな自分も大馬鹿者なのかもしれない。
二人は少女の後を追って、歩き出した。
「お、お母さんは最初からいません。お、お父さんは二年前に事故で死んじゃいました」
家族について尋ねられたスノウは、そう答えた。
スノウはまるで雨に打たれた子犬のように身を縮めていた。
「そうですか……大変だったんですね……」
ミリアは憂いに満ちた表情で、少女の頭をそっと撫でた。
スノウはきょとんとした顔でミリアを見上げている。
「では、普段はどうやって生活を? どなたか親戚の方でも居るんですか?」
「お、お父さんに親戚はいなかったから……村の人が食べ物を分けてくれます……」
「まあ、良い方たちですね」
「そ、そうですね……」
スノウの表情が曇る。やはり、村であまり良い扱いを受けていないのだろうか。彼女の身なりを見れば解る。いくら貧乏な家庭だったとしても、もう少しまともな服は着られるはずだろうから。戦争が続く昨今。どこでも常に物資は不足している。食い扶持を取るだけの親の居ない子が疎んじられるということは想像に難くない。
だが、だからと言って、先程のように追い回すような事態になるだろうか。幼い子供に対して大の大人が数人がかりで、しかも斧まで持って。それに仮にこの少女がそこまでの禁忌を犯したのだというなら、それをこちらに告げれば良い。納得するしないは別にして、そうするのが普通の考えだろう。だが、それすらしなかったということは――
「な、仲良しなのは、ルルちゃんです」
スノウは、先程と打って変わって、顔を輝かせる。
「る、ルルちゃんは、私が困ってたら助けてくれるんです。く、果物を持ってきてくれたり、魚を取って来てくれたり」
よっぽどルルという友達が好きなのだろうか。雲が割れて差し込んだ陽光のような笑みでそんなことを話すのだ。
ミリアも、にこりと微笑みながら話しかける。
「ルルちゃんというのは、優しい人なんですね」
彼女がそう言うと、
「ううん、違うよ」
スノウはにこにこと笑いながら、それを否定した。
彼女の表情を見るに、ルルという人とは仲が良いように感じたのだが……。
ミリアも少し目を丸くして尋ねる。
「違うんですか?」
「うん、違うよ。だって、ルルちゃんは――」
そのときだった。
進行方向に何者かが現れる。ヴァイスは瞬間的に戦闘態勢を整える。腰の剣に手を当て、いつでも抜刀できるようにする。場合によっては二人を連れて離脱。どちらにも対応できるようにしておく。
三人の前に現われたのは――
「あ、ルルちゃん!」
「え?」
あれが、『ルルちゃん』?
「ルルちゃん、来てくれたんだ!」
スノウは無邪気に笑って、走って行く。
その先に居たのは、
『ルル、ルルル、ルールル』
――人ならざる存在。
「紹介しますね、この子がルルちゃんです」
成人男性の半分程度の身の丈。頭部には綿毛のような髪と触覚。目はどこか昆虫のそれを想像させ、人間の何倍も大きい。服は着ておらず、代わりにふさふさの毛に覆われている。そして、何よりの特徴は胴体と同じか、それ以上に大きい艶やかな羽。
「ルルちゃんはフェアリーなんです」
フェアリー。
それは人の魂を喰うと言う魔獣の一種だ。
ルルという名の妖精は、感情の読めない無機質な瞳でこちらを見ていた。
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