過去3「そして、君に出会う」
いったいどれくらいの時間が経っただろうか。
ゼーアに対する憤怒と呼ぶにも生ぬるいほどの熱情は未だ心の中で煮えたぎっている。
だが、いつまでもその熱情に呑まれているわけにはいかない。
師の、ロアの教えを思い出す。
「熱情は捨てるな、研ぎ澄ませ」
マグマのように煮えたぎる激情を、俺はひとまず胸の奥に収める。だが、忘れるわけでも、無視するわけでもない。俺という一個の存在を動かす動力に。頭からは熱を払い、これから何をするのか、どうしなくてはならないのかを考えなくてはならない。
俺はどうにか呼吸を整えてから、改めて都の様子を確認する。
王都は、あまりにもひどい有様になり果てていた。
あちこちで死体が山をなし、燃やされ、炭化した建物が散見された。
これらはすべて他ならぬ自分がやったことだ。
ゼーアは自分が計画したことだと言った。
もちろん、ゼーアのことは何があっても許しはしないが、それゆえに彼の言葉にすがり、自分の罪を見ないふりをするわけにはいかなかった。
この光景は俺の罪だ。絶対に目を逸らしてはいけない。
山と築き上げられた死体。それらを埋葬してやることも必要だが、まず最初にやらなくてはならないことは決まっている。
生存者を探すことだ。
かつて、ロアが瓦礫の山から生き延びた俺を見出したように、まずは俺も一人でも多くの救える命を救うべきだ。それが最優先。
俺は王都を見て回ることにした。
幼い子どもを庇うように死んでいる母親と思しき女性。娘はその下で絶命していた。
剣を胸に抱えたまま死んでいる騎士。きっと最期の最期まで戦い抜こうとしたのだろう。
そんな悲惨な遺体たち一人一人に俺は謝る。
すまない、すまない。
そんな言葉で許されることでないことは解っている。
それでも謝らずにはいられなかった。そうしていなければ、またいつ自分が獣に堕ちるのかわからなかった。
だが、幸いと言うべきか。俺の精神状態は比較的落ち着いていた。これも推測だが、これだけの虐殺を行ったがゆえに、俺の中の獣の殺しへの渇望は、今は眠っているということだろう。
考えるだけで反吐が出るが、今すぐに狂気に堕ちるよりはましだ。
今は一人でも多くの命を救わなえれば。
だが、そんな思いに反して、生存者は一人も発見できない。
ふと、空を見上げる。空には月がある。いつの間にか夜になっている。記憶にある限りでは、俺が殺戮を行っていたときはまだ日が高かった。ということは、その頃からすでに半日近く経過している可能性がある。別に包囲されていたわけではないのだ。被害を逃れようとした人々は、都の外に逃げたのであろうことは想像に難くない。ならば、都で生存者が見つからないのも道理というものだ。
遺体の数も王都の人口を考えれば、少なすぎる。おそらくは多くの人間は都から避難できたのであろう。
そんなことを考えながら、都を回っていたとき、とある場所が目に付く。そこは都の外れのとある石造りの倉庫だった。なぜ、そこが目に付いたかと言えば、その建物の損傷が他の場所よりも圧倒的にひどかったからだ。その建物の下にはぽっかりと大穴が空いていた。
だが、すぐに思い違いに気が付く。これは今、戦闘によって開けられた穴ではない。その証拠に入り口付近の断面があまりに綺麗すぎる。これは、あらかじめ作られていたもの、地下通路だ。よく見ると階段らしきものが残っている。
そこで不意に訪れる予感のような何か。
ここか?
この場所が、俺が居た秘密施設なのか?
五年前の出来事を思い返す。俺はあの騎士、聖騎士だったらしいが、彼に捕縛され、王都に連行された。その際、ずっと目隠しをされていたから、秘密施設が王都のどこにあったのか、正確な位置をずっと知らなかったのだ。だが、初めて施設に連れていかれたあの日、かなり長い階段を下ったような記憶がおぼろげにある。
俺は地下に足を踏み入れることにした。
はたして、その推測は当たっていた。
俺はずっと自分が居た独房を発見する。間違いない、この場所が俺が五年間を過ごした秘密施設だ。
施設は燦燦たる有様だった。さもありなん、俺がここに封印されていたのだとすれば、ここが俺の暴走のはじまりの場所ということになる。一番、荒れているのは道理だ。
建物の壁や俺には理解できない魔術道具の類はほとんどが滅茶苦茶に破壊されていた。だが、その荒れように反して、死体はほとんど見つからない。俺の暴走を察知して素早く避難したのだろうか。
もちろん、一人でも多くの人間が助かっているということに越したことはない。だが、同時にこの施設の運営に携わっていた人間に許せない気持ちがあることも確かだった。
ゼーアの言葉を信じるのであれば、今回の俺の暴走はゼーアの独断によって計画されたことのようだ。それはおそらく真実だ。本人も言っていたように、さすがにこれだけの被害を発生させることを国が看過するはずもない。仮に実験目的だとしてもあまりにも狂っている。
だが、同時に、俺が『呪魔』を強めるために、毎日、人殺しをさせられていたということが事実ならば、この施設そのものが共犯であった可能性が非常に高い。ゼーアにいったいどれだけの権限があったかは解らないが、囚人や敵国の捕虜を実験に使うために連行するというのは、個人でできることではない。おそらくは国家ぐるみの計画。ならば、ここの研究員は知っていて、俺の実験に加担していたということになる。
ゼーアと同じ白いローブ、奴は白衣と呼んでいたものを着た男が血を流して絶命している。きっと、この男を殺してしまったのも自分なのだろう。罪悪感がぬるりと湧き上がる。だが、同時にこいつらは罪人だ、死んで当然だ、そんな身勝手な思いを抱いてしまう自分も確かに居るのだ。
まずは生存者を見つけなくてはならない。
それは一人でも失われる命を減らすためという意味ももちろんあったが、生き残りの研究員を見つけられれば、ゼーアを追う手がかりとなる可能性が高いからという理由も大きかった。
俺は施設の奥へ奥へと潜っていく。
俺は施設の全貌をまったく知らない。自分の記憶がある限りは、日がな一日あの独房で過ごしていたからだ。だから、この施設が一体どういう研究をしていたのかも把握はしていなかった。
籠に入れられた怪物の死骸。魔力が込められているのであろう鉱石が散乱している。まったく何に使うか想像もできない機械もごろごろ転がっている。俺が世間に触れていた五年前は、まだ簡単な雑用をこなすゴーレムが世に出回り始めた頃で、魔術を組み込んだ機械というものが研究されているというのは、風の噂で聞いただけだ。おそらくはこの施設はそういった研究の最前線であったのであろう。
瓦礫の中で鎖につながれたまま死んでいる少年を見つける。
この子は俺と同じような実験体であったのかもしれない。
「……ごめん」
俺は小さな声で謝ってから、さらに施設の奥を目指す。
それから何度か同じような実験体にされていたと思しき人間を見つけたが、誰もかれもが絶命していた。全員、拘束されていたり、牢に入れられていたから、逃げることもできなかったのだろう。
すまない、すまない。
都で罪なき人々の死体に謝ったときと同じように、いや、あるいは、それ以上の気持ちで謝り続けた。ここにいる彼らは自分の仲間だ。そんな彼らの命をも俺が奪った。俺は本当にどうしようもない。
ついに、施設の最奥と思しき場所にたどり着いた。ここから先に道はない。
最後の部屋にあったのは奇怪なものだった。
「なんだ……これは……?」
それは形容しがたいものだった。
一言で言うなら、「肉の塊」。おおよそ、人間の数倍の大きさの肉塊が固い鎖に結ばれて、そこにあった。それだけならば、何か希少な怪物の肉を保存してあるだけだと思ったかもしれない。だが、それがただの肉の塊などではないと示しているものがある。
それはその肉塊から生える人間の腕だった。
よく見れば、足もある。それが肉塊から幾本も生えていたのだ。仮にその手足を棘と見立てれば、遠くから見れば巨大な雲丹のようにでも見えたかもしれない。
それだけでもおぞましい代物だが、極めつけの恐ろしさ。
それはこの肉塊が未だに脈動を続けているということだ。
ぱんぱんに膨らみ増殖した醜い人体。それが、まだ脈動を続けているのだ。
俺は思わず後じさりする。
「なんなんだよ……」
だがここまで来て、見ないふりをすることはできなかった。俺は一度呼吸を整えてから、改めてその肉塊を観察する。
その巨体の裏に回り、仔細を確認したときに気が付く。
「うっ……!」
腕も足もあるなら、当然、頭もあると考えるべきだった。
肉塊の中に埋もれるようにして、一つの首を発見する。そこだけ見ればまるで生首が、肉の上に置かれているかのようであまりにも不気味で悪趣味な光景だった。
顔立ちははっきりしない。肝心の顔自体にもむき出しの肉がまとわりついているからだ。いや、まとわりついているというよりは、顔そのものも肉塊へと変貌しつつあるということだろうか。
俺は恐る恐るその首へと近付く。
そのとき、気が付く。
「……あ……あ」
「まさか……」
俺は動揺を鎮め、耳を澄ませる。
「……あ……あ」
「生きているのか……?」
そのかすかな声は首に付いているのであろう声帯から聞こえているのだ。
未だに脈を打つ肉塊に繋がる生首が声を発している。つまり、この肉塊は――
「人間だっていうのか……これが……?」
それはあまりに醜悪な化け物だった。
きっと、子供の頃の自分なら一目散に逃げだしていたことだろう。これは、それくらいに人間の根源的な恐怖を揺さぶる存在であった。
だが、思う。
おそらくは、これは、この施設の実験体の成れの果てなのだろう。
ここまでで見たいくつかの鎖につながられた遺体を思い出す。
竜の鱗のようなものが埋め込まれた少年や、フェアリーの羽のようなものを生やした少女。身体の半分が機械にされた男もいた。おそらくは、この肉塊も彼らと同じような哀れな実験の被害者なのであろう。
ならば、救ってやりたい。
一人でも多くの生存者を見つけたい、そう思ってここまで来た。
俺がこの肉塊と化した人間を元の人間に戻してあげられるのであれば、戻してあげたい。だが、俺にそんな力はない。そして、こんな状態から元に戻る術があるのかも解らない。
……『殺して』やろう。
そう考える。
少し離れたところに転がっていた剣を手に取る。
頭は冷徹。
決して狂気に呑まれてはいない。
これは慈悲だ。
「う……う……」
小さく呻く首に向かって、剣を当てる。
「……大丈夫だ、俺が今、楽にしてやる」
それが俺にできる唯一の救い。
「俺がおまえを『殺して』眠らせてやる」
せめて苦しまぬように。
自分ができる技術を駆使して、素早くその首を刎ねる。
せめて安らかに。
そう祈りながら剣を収める。
首はそっと地面に落ちた。
これで良かったのだ。
そう思う自分も確かに居る。
だが、何とかして助かる道を模索してやるべきだったのでは。
そう思う自分も居るのだ。
そんな後悔がゆっくりとした波となって、やってくる。だが、その悔いも苦しみも背負う。自分の背中の十字架は傷だらけだ。そこにまた、一本大きな傷が刻まれただけだ。
せめて首だけでもどこかに埋葬してやろうと手を伸ばしたときだった。
首が動く。
見間違えかと思った。
だが、違う。
確かに動いている。
まとわりついていた肉塊から切り離されたことで、その首の顔を視認できるようになる。これは少女……?
そう考えていた矢先、その少女の首はもぞもぞと動き出し、次の瞬間、頭部から何か細い糸状ものが大量に飛び出してくる。
「ひっ!」
俺は思わず、飛びのく。
「は? まさか……」
飛び出してきた糸状のものの色は金。それはうねうねとうねりながら、ある程度の長さで止まる。
「髪の毛……?」
そう、それは髪の毛だった。麦穂のような落ち着いた色の金髪。それが生首から生えてきたのだ。
そこから先は早かった。
首から先に肩ができ、腕ができ、胸ができ、腹ができた。下半身も一瞬の内に形成されていく。
細い糸状の肉のようなものがより合わさり、一つの身体部位を形成していく。たとえるならば、編み物のようなものだろうか。生首から伸びた肉の糸が集まって身体が再生していく。
気が付けば、生首は一個の身体を取り戻していた。
それは少女の肢体だ。それは滑らかで美しく、到底、今肉の糸から構成されたとは思えないような自然な身体であった。
俺は思わず息を呑む。
そして、身体を得た少女は言った。
「ありがとうございました、首を刎ねてくださって」
そう言って、優しく、柔らかく、まるで女神のような笑顔で微笑んだ。
それが、俺とミリアの出会いだった。
いったい何が起こったのか、どういう原理なのか、そういうことも大切だろう。だが、まず、何よりも気にすべきことは――
「と、とりあえず、服を着ろ……」
俺は彼女から目を逸らしながら言った。
肉塊から再生した彼女は生まれたままの姿だった。俺はばっちりとその姿を目に焼き付けてしまう。
少女らしいたおやかな肢体。女性の裸身を凝視するのが、不作法であるという程度の常識は俺の中にあった。
物心がついてからはロアに育てられ、直近の五年間、監禁されていた俺は、同年代の女子と接する機会は皆無だった。ゆえに、女性の裸を見るなどというのは、本当に初めてだった。
(あんな風になっているのか……)
もちろん、俺も年頃の男だ。知識としては女性の身体というものを知っている。だが、知識として知っているのと、実際に見て知るということはあまりにも違う。俺は鼓動が早くなり、身体の芯が熱くなるのを感じる。
「服……ですか?」
少女の声が俺の耳朶を叩く。
幼いが、甘くとろけるような声だった。それだけでも、俺はどきりとしてしまう。
「そうだ、早く着ろ……」
俺は彼女に背を向けたまま言う。
「珍しいことをおっしゃる司教様ですね」
「は? 珍しいこと?」
俺は背中越しに尋ねる。
「はい、今まで私の試練を担当していらっしゃった方は、服を着ろなどとはおっしゃりませんでした」
どういうことだよ、と言いかけるが黙る。
試練、と彼女は言った。その言葉の意味は解らないが予想はつく。彼女もこの施設の実験体の内の一人なのだろう。彼女はその試練とやらの間、服すらも与えられていなかったということだろう。
不意に、胸がずきりと痛む。
この少女は服すら着られないほどの環境の中で生きてきたのか。
そんなことを思うと無性に悲しく、同時にこんな非人道的な実験を行っていた魔術師どものことが余計に許せなくなった。胸の奥に収めた怒りの炎から火の粉が舞う。
俺は来ていたシャツを脱ぐ。
「……とりあえず、着てろ。俺のお古で悪いが……ないよりはマシだろ」
そう言って、彼女にシャツを差し出した。
「え……でも……」
彼女は困惑した声を上げる。
「おまえが服を着てくれなければ話もできん。だから、着ろ」
俺は少し強い口調で言う。そうしなければ、この少女はこの服を受け取ろうとはしないだろうと思ったからだ。
「わ、わかりました……ありがとうございます」
そして、もぞもぞという衣擦れの音の後に少女は言った。
「着ました」
その声でようやく俺は振り返る。
案の定、俺の与えたシャツはぶかぶかだった。少女の背は長身の俺の胸程度までしかない。そうなるのも当然だろう。だが、ぶかぶかのシャツの方が、下半身まで隠してくれるという意味では好都合かもしれない。
最低限見られる格好になった少女を改めて観察する。
金色の髪は腰に届こうかという程度には長く、風にそよめく麦穂のようにわずかに波打っていた。髪は細く、たおやかで、手櫛を入れれば、毛先まですとんと落ちるであろう滑らかさであった。
顔を見る。年の頃は十三、四歳といったところか。平和な町に住めていれば、まだ学校に通えているくらいの年の頃だ。
深い海の底のような青い瞳。吸い込まれそうな大きな瞳だ。その瞳を長い睫毛が縁取っている。小さな鼻はなだらかに盛り上がり、顔の輪郭は緩やかな曲線を描く。頬は林檎のようなほのかな赤みを帯びていた。
身体つきは比較的幼い。ぶかぶかのシャツを着た今となっては身体の凹凸はよく解らない。だが、先程、一瞬目にした裸身が頭をよぎる。身体もまったく平坦というわけではなく、要所要所で女性らしい丸みを帯びていた。今もシャツの下からのぞく肢体は透き通るような白さで光を反射している。
総じていえば、子供と大人の狭間で、揺れ動く小さな乙女といった印象を与える少女だった。
どくりと、心臓が脈を打つ。
胸の内が熱くなるような何か。
このときの俺はまだ、この自分の感情に名前を付けることができずにいた。
「ふぅ……」
俺は呼吸を整えてから言う。
「質問させてもらっていいか」
「はい、なんなりと」
そう言って彼女は折り目正しく頭を下げた。
「おまえは一体何者なんだ?」
それが一番の疑問だった。
刎ねられた肉塊の首が一人の少女になる。この世界には俺の知らない不可思議なことがまだまだたくさんあることは承知している。だが、それでも、これはあまりに常識の埒外の出来事であった。
俺の言葉に少女はきょとんとした顔を見せる。
「それはつまり、ロセウス教における問答の類いと解釈させていただけばよいのでしょうか?」
「ロセウス教? いや、そんな小難しいことを聞いているんじゃない」
俺は学がない。もちろん、この世界を造ったとかいうロセウスなる神が居て、その神を崇める一宗教が存在するということくらいは常識として知っている。だが、俺はこの時代の一般人の例に漏れず、神学などというものにはからっきし精通していなかったし、神を信じてもいなかった。だから、彼女から「ロセウス教」なる言葉が唐突に飛び出したことには戸惑いを覚えるのも当然のことだった。
「違うのですか? てっきり、貴方様は新たな司教の方かと……」
「色々と誤解があるようだ」
これは一つずつ手順を踏んで対話していく他なさそうだ。
「まず、なぜおまえはあのような肉塊になっていた? そして、なぜ首を刎ねられて生きている?」
俺は具体的に質問する。
少女の方も互いの考えに齟齬があることに気が付いたのだろうか。俺の質問に丁寧に答えだす。
「私は『神の器』です。失礼ながら、ロセウス教の教義についてはご存知でしょうか」
「いや、悪いがほとんど知らない」
繰り返すが、このときの俺は、ロセウス教について、当時の一般常識程度の知識を持っているかどうかさえ、怪しかった。
「では、かいつまんで説明させていただきます」
彼女は俺の言葉に落胆した様子もなく、話を続ける。
「まず、ロセウス様とは、我々の生きるこの御世を創造された創造神です」
「ああ、さすがにそれくらいの知識はある」
その話を信じるかどうかは別だが。
「ロセウス教とは、その創造神たるロセウス様を崇める信徒の集まりです。僭越ながら私はその神官を務めさせていただいております」
「神官?」
宗教に疎い俺でも神官というのが、簡単になれる立場でないことは想像がついた。それをこのような年端もいかない少女が名乗るのは少し違和感があった。
俺のそんな考えを読み取ったのか、少女は言う。
「はい。私のような未熟者が名乗るのはおこがましいのですが、位階はいただいております」
俺はその辺りの事情のことは解らない。口を挟まないことにする。
「私は光栄なことに『神の器』という立場に任じていただいておりまして、その副次的な効果として、先程のように首を刎ねられても、このように元に戻ることが可能となっているのです」
「……すまない、もう少し丁寧に説明してもらえないか」
俺は言う。
「『神の器』とはいったいなんだ?」
俺の言葉にうなずいて、少女は言う。
「文字通りでございます。私は神の、ロセウス様の器」
少女は澄んだ瞳で言った。
「神に身体を明け渡すために作られた人間です」
少女は崩壊した施設の様相に気が付くと、顔を青ざめ走り出した。俺と同じように一人でも多くの生存者を見つけようとしたのだろう。だが、それは叶わないと悟ったようだ。遺体を見つけては、外に連れていき、丁寧に埋めていく。俺もそれを手伝う。そうして、二人で施設内にあった遺体を埋葬した。彼女は涙を流しながら神に祈りをささげていた。死んでしまった人間たちの安寧を心から祈っていることは、今初めてあったばかりの俺にも解った。
遺体の中には俺たちと同じ実験体にされたと思しき人間のものもあったが、実験を行っていた研究員と思われる魔術師の遺体もあった。彼女はそんな相手でも平等に心からの祈りを捧げていた。
俺は問う。
「こいつらはおまえを苦しめていた側の人間じゃないのか?」
彼女は流していた涙をそっとぬぐってから言った。
「すべての人は、神の大切な御子ですから」
『神の器』。
それは文字通り、神をこの世に顕現させるための器。
彼女は別の次元に存在しているという神、ロセウスをこの世界に顕現させるための入れ物。
そのために作られた人間。
彼女はそう説明した。
はっきり言ってよく解らない。
神の奇跡にも、魔術にも精通していない俺にとっては彼女の言っている言葉の意味はおそらく半分も解っていない。
もっと、知らなくてはならない。なぜかは解らない。それは直感だ。だが、俺はこの少女のことをもっと深く知らなくては。
そう思った。
「名前を教えてくれないか」
二人で埋葬を終えた後に俺は言った。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。失礼いたしました」
少女は登り始めた朝日の光を浴びて淡く輝く。
「ミリアです。ミリア=ローゼンハート。それが私の名です」
「ミリア……」
俺は彼女の名前を呟く。それはまるで何十年も前から知っていた名前であるかのように、俺の中にしっくりと馴染んだ。
「俺はヴァイス」
「ヴァイス様……ですか」
「ヴァイスでいいぞ」
様などと呼ばれるような身分ではない。かえってむずがゆい。
「では、ヴァイスさんとお呼びさせていただきます」
そう言って、彼女は野に咲く花のように微笑む。
俺はなぜだか、その笑顔から目が離せなくなる。なぜだろうか。
「それにしても……」
彼女は不意にその笑顔を曇らせる。
「どうして、こんなことになってしまったのでしょうか……」
彼女の視線の先には崩壊した王都があった。
「………………」
あれは俺がやった。
そう言おうと思った。だが、なぜか言葉は出てこない。
俺は拳を握りしめる。砕けそうなるくらいに。
なぜ言わない。
俺は自問自答する。
正直打ち明ければ、ミリアは俺を軽蔑し、恐れるだろう。今すぐにこの場から去り、逃げていくだろう。
それじゃだめなのか?
いや、むしろそうすべきだろう。
次に俺が狂気に呑まれたとき、俺は彼女に剣をむけてしまう。そうならないように俺は彼女から離れなくてはならない。そう理屈では解っている。よく解っている。
だけれど、俺はなぜかこのとき口をつぐんだ。
後で考えれば理由は明白だ。
俺はミリアに批難されることを恐れた。
彼女に蔑まれることを恐れた。
彼女が俺から離れていくことを恐れたのだ。
だけれど、餓鬼だった俺は、自分自身のそんな至極当然の感情すら理解できず、ただ口をつぐんだ。
二人の間に沈黙が満ちた。
その沈黙を破ったのはミリアの方だった。
「せめて司教様だけでもご無事であれば良いのですが……」
俺は彼女の言葉を聞いて呟く。
「司教……?」
俺は彼女の顔をそっとのぞき込む。
「はい、司教様は私をこの施設まで導いてくださった方です」
それは予感としか言いようのないものだった。根拠があったわけではない。ただの直感。俺は問わねばならない、そう感じた。
俺はごくりと息を呑み、彼女に問いかける。
「……その司教とやらの名前はなんだ?」
どくりどくりと心臓が存在を主張する。まるで世界の時間を管理する時計が壊れてしまったかのように時がゆっくりと流れる。
ミリアは穏やかに落ち着いた声で言った。
「ゼーア様、ゼーア=ストレフスキ様です」
――時が再び動き出した。
「――聞かせろ」
「きゃっ」
俺はミリアに詰め寄る。
「その男の話を――いや」
俺は言う。
「すべてだ。すべて話せ。そのゼーアという男と、そして、おまえが『神の器』とやらになった経緯も、すべてだ」
それは直感だった。
すべては繋がっている。
すべては運命だったと言い換えてもいいかもしれない。
俺と彼女は、皮肉にもゼーア=ストレフスキという男を間に挟んで、運命でつながっている。
「話してくれ、頼む」
俺はすべてを知らなくてはならない。
ミリアは戸惑った表情を見せる。
だが、俺の瞳を見ると、真剣な表情でゆっくりと頷く。
「わかり、ました」
彼女はきっと何かを感じ取ったのであろう。意義を唱えることもなく、俺の要求を呑む。
「では、きっと最初からお話した方がいいのでしょうね。私という存在の始まりから」
俺は黙ってゆっくりと頷く。
「では、お話させていただきます」
そして、彼女は語り始める、彼女が歩んできた道のりを。
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