第2話「フェアリーテイルを殺さないで③」
「追いついた!」
ヴァイスは森の木々を蹴り、三角飛びの要領で先を走るスノウとルルの前に飛び出す。包囲を抜けるのには、さすがに少し手間取ったが、ヴァイスは『呪魔』のために普通の人の数倍の身体能力を得ている。そうでなくても、子供の脚と大人の脚だ。追いつけないはずがない。
「その子を放してもらおうか」
ヴァイスは腰の剣を引き抜きながら、フェアリーに向かって、そう呼びかける。言葉は通じないかと思ったが、ヴァイスの言葉を受けたフェアリーは表情に明らかな敵意を滲ませている。まったくこちらの話が通じないというわけでもないようだ。
「ま、待って!」
まさに一触即発の状況で声を上げたのは、スノウだった。
「ご、誤解です、ヴァイスさん。ルルは私を、た、助けてくれたんだから」
彼女は両手をいっぱいに広げ、二人の間に割って入る。
「た、たぶん、また私がいけないことをしたんです! だから、村の人たちが怒って……ルルが私を庇って」
「村の人間は――」
たどたどしい言葉で叫ぶスノウの言葉に、ヴァイスは割り込んで言う。
「——全員、もう死んでる」
「……え?」
ヴァイスの言葉を聞いたスノウは、ぽかんと口を開けて彼を見る。
この人は一体何を言っているのだろう。
スノウは、ヴァイスの言っている言葉の意味が理解できず、困惑するばかりだ。村の人たちは、つい今しがたまで、ずっと自分を追い回していた。彼らが皆、死んだなんていう話は到底信じられるような話ではない。
「どうやら、その様子ではきちんと教わったことがないようだな」
ヴァイスはスノウの様子を見て、彼女がとある知識を持っていないのだということを悟る。油断なく剣を構えたまま、ヴァイスはスノウに向かって言う。
「フェアリーは人を喰うと言うが、別に人肉を喰うわけではない。奴らは人の魂を喰うんだ」
「……魂?」
「そして、魂を喰われた人間は抜け殻となり、フェアリーの操り人形にされてしまう」
「……え?」
フェアリーの操り人形……?
スノウは無知だが愚かではなかった。ヴァイスの言葉によって、彼が言わんとしていることをすぐに察知する。
村の人たちが自我を失ったかのように尋常でない様子だったのは……。
「嘘だよね……?」
スノウは背後を振り返る。そこには、いつもと変わらない無表情のルル。なぜか思わず、息を呑んでしまう。
――そんなはずない、そんなはずない。
最悪の想像を振り切りながら、おずおずと尋ねる。
「ルルがみんなを食べちゃったなんてこと、ないよね……?」
フェアリーと人間の間に言葉は通じない。だから、意志疎通を図るためには、心を通わせるしかない。スノウはルルの瞳を祈るようにのぞき込む。そこに、彼女の何らかの心が見えると思ったから。彼女と出会ってから、おおよそ半年。自分はそうやって過ごしてきた。だから、解る。彼女の気持ちが。
——だが、
「な、なんで……?」
解らなかった。
まるで巨大な宝石のような無機質な瞳には何の心の動きも見えなかった。
ルルの気持ちがまったく解らない。
今、ここに居るのは、人間とフェアリー。まったく違う別個の生物だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「とんでもないことをしてくれたな!」
村の人たちはそう言って、私を打った。
「何があったんだ?」
集まってきた村の人たちは尋ねる。
「こいつ、フェアリーを匿ってやがったんだ」
「なに?」
「しかも、最悪なことに俺が取り逃がした『女王級』だ」
「『女王級』?!」
村の人たちが驚きと恐れに顔を歪ませている。
「ご、ごめんなさい……」
私は思わず反射的に謝る。自分が何をしてしまったのかは理解できなかったが、自分がいけないことをしてしまったのだということは理解できたから。
「謝って済む問題じゃねえんだよ!」
そう言って、猟師の男の人は私をもう一度強く打った。打たれた頬がじんじんと痛んだ。これはきっと腫れるだろう。大人の力は子供の力の何倍も強いのだ。なぜかそんなことを思った。
「この恥知らずが!」
「親の居ないおまえを誰が養ってやっていたと」
「恩を仇で返しやがって!」
村の人たちはそうやって、私を口々に罵った。
そのたびに私は「ごめんなさい」と謝り続けた。何もできない私にできることは、もうそれしか残されていなかったから。
大人たちは苛立ち紛れに私を打つ。時には蹴り飛ばす。痛い、痛い。暴力を振るわれるのは本当に嫌だ。自分の小さい身体なんて、簡単に粉々に砕け散ってしまうだろう。殴っている人たちも、きっとそれを解っているはずなのに。痛み以上の何かが私を傷つけていた。
一しきり殴られた後、私は牢に入れられた。村に一つある懲罰房だ。村人の中で何かいけないことをした人が居れられる場所。村の大人たちは「悪い子は懲罰房に入れるよ」なんて言って子供を脅すときに口に出すから存在は知っていた。
半地下の構造になっていて、光は高いところにある小さな取り込み窓から、わずかに刺すだけ。牢のほとんどは闇に閉ざされている。
こんな場所に入れられるということは、私はやっぱり悪い子なのだろう。そう考える。
私は悪い子だから、こんな目に合うんだ。
私はぎゅっと目を瞑る。そうしていないと、きっと、涙が止まらなくなると思ったから。
だけど、私の最後の抵抗もむなしく、涙の堤防はあっさりと決壊した。
「うわああん……」
私は声を上げて泣く。なぜ悲しいのか、なぜ辛いのか。それすらも解らず、自分の上げた泣き声に、一層胸が締め付けられて、また悲しくなって。
私は闇に閉ざされた牢の中で声を上げて、泣き続けたのだ。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。窓から刺す光のおかげで昼夜の感覚は理解できる。けれど、窓は到底届かない高さにあるから、外を見ることは叶わない。おかげで、時間の感覚は曖昧だ。
食事は、隣のおばさんが持ってきてくれた。
「………………」
しかし、おばさんは嫌みすら言わずに、黙って去っていく。私はその背中に追いすがるようにして叫ぶ。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
謝らずにはいられなかった。そうする以外に、今の自分にできることはなかったから。けれど、おばさんは私の謝罪の言葉に反応することもなく去っていく。無言の背中が何よりもおばさんの気持ちを語っているような気がした。
事件が起こったのは、それからさらに数日が経ったある日。
わずかな光しか差さない座敷牢はいつも薄暗い。そんな闇に私は同化しつつあった。何もできず、何もせず、ただひたすらに時間が過ぎるのを待つばかり。
そこに突然現れたのは、村のおじさんやおばさんたちだった。
「おい、早く、こいつを出せ!」
「こいつを出したら、止められるのかよ?!」
「解らないけど、もうそれしかないでしょう!」
明らかに焦り、戸惑い、混乱した様子で飛び込んできた彼らは、慌てた様子で座敷牢の錠を外す。
幾日ぶりかに、外への道が開かれた。
「スノウ! 出るんだ!」
まるで、すぐ後ろに獣でも迫っているかのような必死の形相でおじさんは言った。
「早く出ろ!」
「は、はい」
私はもつれそうになる足で、転がるように座敷牢の外に出る。
そのときだった。
「おい! 来たぞ!」
座敷牢の入り口のところに立っていた誰かが叫ぶ。
「全員、逃げろ! 今はそれしかない!」
座敷牢の前に居た人たちは、必死の様子で外に駆け出して行った。
「………………」
私は呆然と立ち尽くすことしかできない。嵐が去った後のようだと思う。すべてが薙ぎ払われて消え、残ってしまった残骸。それが今の私だ。数日ぶりに歩いたせいか、足をうまく動かせない。よたよたと壁に手を突きながら、階段を上る。
そこで見た光景が今も網膜の裏に焼き付いて離れない。
無数の村人たちが立っている。まるで、厳かな儀式でも行われているかのように皆、一様に押し黙り、星一つ見えない夜空を見上げている。私をいじめていた子供も居るし、私を打った狩人のおじさんも居る。村人のほとんどが集まっているのに、誰も何もしゃべらないのだ。それは普段の彼らを知る私からすれば、あまりに気味が悪い光景だった。
「………………」
私は何も言えず、呆然と立ち尽くす。物音を立てないように身をすくめる。なぜかは解らない。だけど、そうしないといけない。私は直感で、そう理解した。
しかし、無言の群衆から発せられる重たい圧力に、私は我知らず後ずさりしてしまう。
「きゃっ……」
久方ぶりの歩行でおぼつかなくなっていた私はあっさりとしりもちをついてしまう。
――瞬間
村人が一斉にこちらを振り返った。
「ひっ!」
一糸乱れぬ動きとはこのことだろう。まるで、指揮者が居るみたいに、彼らは全く同じ瞬間に、こちらを振り返った。
彼らの瞳に浮かんでいたのは――
「ご、ごめんなさい……」
虚無。
そこには何もない。
深い谷の底のような虚ろな瞳が私を見ていた。
「ごめんなさい!」
私はそう叫びながら、彼らに背を向け、村を飛び出した。
それからは、森の木々の間を抜け、彼らからひたすらに逃げた。だけど、子供の脚で逃げ切れるはずもなくて。
一晩中、逃げた先で私は温泉に落ち、ヴァイスさんたちに出会った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ふん!」
ガチリと金属同士がぶつかるような鈍い音が響く。ヴァイスが抜き放った剣がフェアリーの鋭利な爪に触れた音だ。フェアリーは少しばかり顔をしかめるが、すぐに気勢を取り戻す。
『ルルルルウウウウウ!』
刃のように鋭い爪を上から下、右から左へと、でたらめに振り回す。まともに当たれば肉は裂け、骨は折られるだろう。人間の半分程度の大きさしかない生物とは思えない怪力っぷりだ。
「ゾンビの量で解ってはいたが、やはり『女王種』か!」
フェアリーはコミュニティを作る魔獣だ。『女王種』と呼ばれる種類を頂点に、複数の個体が寄り集まって徒党を為す。女王種以外の個体は女王を守るために命を張って戦う。その辺りの生態は、昆虫であるアリやハチに似通っている。
それらとの違いは女王種がただ守られるだけの存在ではないということ。女王種は、人喰い後、死体を操る力が最も強いし、内臓魔力も最も多い。ゆえに、ゾンビを操る集団戦も、爪を使って戦う肉弾戦も女王こそが最強と言える。
不幸中の幸いは、他の個体が見当たらないということだろうか。通常、女王種が単独行動することはないはずなのだが。もしかすると、女王種以外の個体は全滅させられたのかもしれない。
一体ならやれない相手じゃないはずだ。
ヴァイスの戦闘力は並外れている。『呪魔』は感染者の肉体の力を極限まで引き上げる。やろうと思えば、一足で雲の上まで舞い上がることもできるし、指一本で岩を穿つこともできる。それに日頃の鍛錬で得た技術を合わせれば、彼を止められる者はまずいない。まさに怪物とも呼ぶべき力を持っている。
だが、その力には代償がある。並外れた力は肉体に存在する魔力を振り絞ることで生まれている。たとえるなら、森に油を撒いて、火を放っているようなものだ。炎の勢いは強くなるが、後には灰しか残らない。力を振るえば振るうほど、肉体はズタボロになっていく。
それに力加減を、魔力の加減を間違えると、ヴァイスは呪魔の闇に意識を乗っ取られる。定期的に殺人欲求を満たすことでそれを抑えてはいるが、激しい戦闘の中では箍が外れやすくなる。側にはスノウも居る。何とか自分を抑えなくてはならない。
故にヴァイスは簡単に力を振るえない。あまりにも強大な力を持っているがゆえに、軽々にその力を振るえないのだ。
「おらぁ!」
呼吸を整え、闇に呑まれぬようにしながら、慎重に剣を振るう。
『ルルル!』
結果、ヴァイスの剣はフェアリーの皮膚を裂き、赤い血を舞わせる。
フェアリーが悲痛な声を上げて、ヴァイスから離れようとする。しかし、ヴァイスは、そうやすやすと、それを許すような男ではない。
一足でフェアリーの前に踏みこむと、魔力を込めた剣を流星のごとき速度でまっすぐに振り下ろ――
「!!」
――せなかった。
慌てて、手に力を込め、振り下ろした剣を止める。
その刃の先には、毅然とした表情のスノウが立っていた。
彼女は叫ぶ。
「やめて!」
目線にぶれはなく、声に震えはない。真っ直ぐと正面に居るヴァイスを見つめている。
「ルルをいじめるのは、もうやめて!」
先程までのどこかおどおどとした様子は欠片もない。そこには、大切な何かを守る者特有の一本のぶれない芯があった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
私はヴァイスさんの剣の前に立つ。
そうしないと、ルルが殺されてしまうと思ったから。
そこに不思議と恐れはなかった。迷いもなかった。ただ、そうする以外の道は私にはなかったのだ。
ヴァイスさんは目を丸くして私を見ている。
私は彼に背を向けて、ルルを振り返る。
ルルは腕から血を流していた。真っ赤な血。私は自分が殴られたときのことを思い出す。彼女の血は、私と何も変わらない。同じ血だ。
「ルル、みんなを殺しちゃったの?」
私は自分よりも小さい彼女をそっと抱きしめながら言う。
「みんな食べちゃったの?」
『ルウ……』
彼女は悲しそうな声で鳴く。
彼女が村のみんなを食べてしまったのは私のせいだ。彼女はきっと、捕まった私を助けるために村のみんなを殺してしまったのだ。その証拠に、私が牢を出たときに、すでに操り人形にされていた人の数と、先程私たちを取り囲んだ人の数はほぼ一致している。私が解放された時点で村人を殺すことをやめたのだ。私が村人の様子を見て、逃げ出してしまったから、村人たちを使って、私を探していた。だから、私が村人たちに追い回されることになったのだ。
「人とフェアリーが喋れたらよかったのにね……」
そうすれば、ルルは村の人に話して、私を解放してもらうという手段が取れたのに。いや、人を喰うという時点で、人は誰もフェアリーを許しはしないだろうか。
「どうして、私たちは別の生き物だったんだろう……」
私たちが同じ種族だったなら、こんな悲しい目には合わずに済んだのだろうか。
「どうして、私たちは一人ぼっちなんだろうね……」
ルルは何も応えてはくれない。
私にはルルの言葉は解らない。
だけど、今、私の胸の中にある温もりは本物だ。
それだけが、今ここにある真実だった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「あれでよかったのか……?」
亡くなった村人たちを埋葬し、弔った後、ヴァイスたちは村を後にした。村の様子を見るにすべての村人が殺されたというわけではなさそうなのが救いだろうか。
「幸せの尺度は人それぞれです……」
ミリアは俯きながら言う。
「スノウさんが、選んだ道を私たちに止める権利はありません」
スノウはフェアリーを連れて、森の中へと消えて行った。最後は何も言わず、ただ黙って深く頭を下げていた。
「あのフェアリーはたくさんの人を殺したのに……」
ヴァイスは、積みあがった死体の山を思い出して、吐き捨てるように呟いた。
「………………」
ミリアは彼を見ながら言う。
「ヴァイス、気が付いていましたか?」
「……何をだ」
「なぜあの女王種が一匹で行動していたのか」
確かにそれは謎だった。通常、女王種が単独で行動することはない。にもかかわらず、一匹だけで孤立していたのは――
「妖精の羽根は万病に効くと言われています」
「………………」
「村の倉庫には、たくさんの羽根がありました。おそらくは、あれがこの村の主要産業なのでしょうね」
妖精は人を喰らい、人は妖精を薬にする。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというわけではない。それは自然の摂理という奴なのだろう。
「それに、たくさんの人の命を奪ったことが罪だと言うなら――」
ミリアは遠い空を見上げる。
「——私以上の罪人は居ないでしょうから」
風は静かにそよいで、木々の間を抜けていく。木の葉はこすれ合い、小さく鳴く。
「少なくとも、私に彼女たちを裁く権利はないです……」
ヴァイスは何も言えず、ただ黙って彼女の小さい背中を見つめるのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「私、この子と行きます」
スノウは傷ついたルルを抱いて言った。
「じゃないと、この子、一人ぼっちになっちゃうから」
「大丈夫だよ、ルル」
――私が守るからね。
「まずは傷の手当てをしようね」
——それが私の生きる理由だからね。
「それから、とりあえず住む場所を……ちょっと、離れたところに行こうか……」
——二人で居れば、ひとりぼっちにはならないからね。
スノウとルル。
彼女たちが「二人」になれたのか、それとも、「一人」と「一匹」だったのか。
それは、もはや森の木々たちしか知らない。
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