第1話「夢の果て④」


「もう行かれるのですか……」


 凄惨な事件から一夜が明けた。だが、空はいつもと変わらず、ゆっくりと白みだしていた。そんな朝日の光を背負って、少女と剣士は村を出ようとしていた。


「お怪我をされているのに……」


 少女はマイを庇って、肩に剣を受けていた。すぐにどうこうなるような重症ではないかもしれないが、掠り傷というレベルの傷ではなかった。なるべく早くに治療をした方がいいはずだ。

 すると、神官の少女は血に濡れた司祭服の肩の部分をめくる。


「え……?」


 純白の司祭服は確かに血に濡れている。だが、その下に皮膚には傷一つない。


「私は普通の人より少し傷の治りが早いので」

「………………」


 傷の治りが早いなどというレベルの話ではない。これはもはや再生とでも呼ぶべき速度だった。

 この人たちは一体何者なのだろうか。

 スバルがあんなことをしてしまったのは、『呪魔』という呪いが原因なのだと言う。だけれど、それはこの人たちが言った情報だ。本当にこの二人の情報を鵜呑みにしてもよいものなのだろうか。


「………………」


 嫌な自分になっている。

 剣士の方は暴走するスバルを止めてくれたのだし、司祭の少女は振り下ろされた剣から自分を庇ってくれた。間違いなくこの二人は自分の恩人のはずなのだ。

 なのに、なのに。

 心の奥底でこの二人を恨んでしまっている自分が居る。

 あの呪いは、この二人が振りまいたものなのではないのか。この二人がスバルを操って、お父様たちを殺させたのでは。この二人がスバルを――


「——私たちを恨んでもらっても構いません」


 不意に少女はそう言った。


「え……」


 自分の醜い心根が見透かされたような気がして、どきりとしてしまう。


「私たちがもっとちゃんとしていれば、こんなことにはならなかったのですから」

「どういうこと……ですか?」


 少女は悲しそうに顔を伏せ、一瞬、黙り込む。そして、次の瞬間、そっと顔を上げる。


「『呪魔』は死者から生者へと感染します。私たちは別の感染者を追ってここまで来ました。しかし、あと一歩のところで取り逃がしてしまったのです。その感染者の死体を、おそらく、あの少年はどこかで見つけてしまったのでしょう。そして、感染した」

「そんな……」


 では、もしもこの二人がその感染者を逃していなければ。

 ——あるいは


「だから、私たちは恨まれこそすれ、感謝される筋合いなどないのです」


 少女は冷徹な瞳でこちらを見ていた。

 彼女のそんな瞳を見ていると、心がかき乱される。

 気が付くと、マイはその少女に飛びついていた。


「返してよ!」


 自分でも驚くくらいの金切り声が喉を震わせる。


「返して! 返して!」


 何も考えられず、ただ同じ言葉を繰り返す。少女の肩を強くつかみ、揺さぶり、暴れる。涙が止まらない。鼻水だって、汗だって止まらない。全身の水分が干上がるのではないかというくらいに、身体中から何もかもが零れ落ちていく。少女は、そんな自分に抵抗することもなく、されるがままだった。


「返してぇ……」


 少女の服を掴んだまま、膝をつき、俯く。

 静かな朝の世界に自分の嗚咽だけが木霊していた。




「……良かったのか」


 屋敷からの帰り道、森深い山中で、鎧に身を包んだ白髪の剣士は問う。


「あれでは、あんたが悪者だ」


 淡々とした調子ではあったが、どこか気遣いを感じさせる声色。それが彼らしくて、少女は思わず、口の端を緩める。


「……ああでもしないと、彼女はきっと自分を責めたでしょうから」


 自分のせいで誰かが死ぬ。少女はその悲しみを知っている。その死の対象が親しい者であるならば、猶更だ。


「せめて彼女が自分を責めぬように。ただ、自分の大切な人を失った悲しみだけに向き合えるように……。それのほんの少しでもお手伝いになれればと思っただけです……」

「……難しいものだな」


 この女はいつも自分が損になる行動をとりたがる。剣士には理解しかねる考え方だった。

 遠くで歌うような鳥のさえずり。木立の間に、初夏らしいさわやかな風が駆け抜ける。つい昨晩、あんな出来事があったとは思えないくらいにのどかな光景。


 ——そろそろ我慢の限界だ


「なあ……」


 剣士は改まった調子で少女に声をかける。


「ああ、そろそろですね」


 少女はそれだけで彼の言いたいことを察する。血に濡れた自分の服を摘まみ上げながら言う。


「どうせ、この服は血で汚れてしまっていますから、もうこのままでいいですよ」

「——そうか」


 許しをもらった。そう認識した瞬間、男の中にあった最後の箍が外れた。自分の心の中に居る獣が顔を上げた。

 男は腰に下げた剣を抜く。

 そして――


「——————」


 次の瞬間、少女の首は空を舞っていた。

 まるで投げ上げられたボールのように、彼女の首はくるくると空に向かって放物線を描いたかと思うと、最後は重力に導かれて輾転と地面に転がった。男の目の前には首を失った、かつて少女だったものだけが残されていた。その肉体は、滝のような勢いで血液をまき散らしながら、ゆっくりと膝を折り、その場に倒れ伏した。男の鎧は返り血で真っ赤に染まった。


「はあ……はあ……」


 ――殺せた殺せた殺せた


 ここまでずっと我慢していたのだ。

 最後に殺したのはおおよそ三週間前、さすがにもう我慢の限界だった。昨晩の戦闘中も勢い余って呪魔の感染者以外まで殺さないように自分を抑えていたのだ。それは、頭がおかしくなるのではないかというくらいに辛いことだった。ずっと料理を作らされているのに、決してものを食べるなと命令されていたような気分だった。あの感染者を一人殺したくらいでは、この飢えと渇きは収まらない。

 少女の首を刎ねたことで、ようやく一心地つく。ようやくに、飢えは満たされたのだ。

 そうやって、落ち着くと少しばかり罪悪感が芽生えてくる。いくらお預けをくらっていたからといって、さすがに今の斬り方は乱暴すぎたのではないだろうか。もっと、優しく痛みを与えぬように首を落とすことだって、できたはずなのに。

 男がそんな風に後悔していると、


「もう、ヴァイス。貴方は少し乱暴に斬り過ぎですよ」


 「ヴァイス」と呼ばれた男に声をかけたのは、他ならぬ首を斬られたはずの少女。


「おかげで、首が泥まみれです。こういう首だけの状態のときは、受け身が取れないんですから、もう少しゆっくり丁寧に扱ってもらわないと」

「す、すまない……配慮が足りなかった」


 男は素直に頭を下げる。

 そうすると、首だけになった少女は、優し気に微笑んで言った。


「ちゃんと謝ってくれたので、許しますよ」


 そんな風に穏やかな会話を続けている間に、少女の首に変化が訪れていた。

 首の下から何か糸状のものが生えてくる。それは赤黒い色をしている。よく見れば、それが肉だということが解ったかもしれない。言うなれば、肉の糸とでも呼ぶべきものが、まるで地面から生える草のように、にょきにょきと伸びだしていた。そして、その糸の一本一本は寄り集まり、何かを形作っていく。まずは、細い首を形作り、次に小さな肩を作る。胸、腹、腕、股、脚。どんどん見慣れた人間の肉体が、肉の糸によって編まれていく。そして、最後に足の裏が作られ、少女は元の身体を取り戻していた。ここまでの再生はほとんど一瞬の間で行われたということをつけ加えておくべきだろう。


「荷物から服を取ってもらえますか」

「……ああ」


 復活を果たした少女は裸だ。何も衣服をまとっていない首から復活したのだから、当然と言えば、当然なのだが。

 慣れた様子で貫頭衣を被り、下着を身に付けると、少女は言った。


「さあ、残った身体の方はさっさと解体して、肉にしましょう」


 そう言って、自分の荷物から肉切り包丁を取り出す。


「そろそろ、旅の食料も底をつき始めていましたから」

「ああ……解体は手伝う……」

「支度が出来たら、すぐに出発です」


 少女は、あくまで慈愛に満ちた微笑みを見せて言った。


「私たちには休んでいる暇なんてないんですから」




 これは人殺しの騎士と死なない少女の物語。

 二人の旅はまだ終わらない。

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