第6話「誰がために人は生きるのか」
「なるほど、君は僕の知るヴァイスとミリアの間の子孫というわけか」
ヴァイスの繰り出した拳を片手で受け止めながら、ゼーアは言う。
「君で一体、何代目なんだい?」
ゼーアの問いかけに対する答えの代わりに、ヴァイスは蹴りを繰り出す。何かが爆発したかと思われるほどの音がする威力で繰り出された蹴りを、ゼーアはいとも容易く受け流し、後ろに下がって距離をとる。
「あの人は言ってくれました」
ミリアはゼーアから、ヴァイスを庇う様に間に入りながら言う。
「『おまえの生きたいように生きろ』と。あの人は、ただ世界を救うための操り人形として産まれた私に生きる意味を教えてくれた」
ミリアは目に力を込め、真っ直ぐにゼーアを睨みながら、何かを掴みとろうとしてでもいるように、右手を前に突き出す。
「だから、私は彼の存在を継ぐ子供を作った。その子の命が尽きる前に、またその命を繋ぐ子供を。そうやって、彼の存在を保ち続けてきた」
ミリアは言う。
「私にとって、あの人と一緒に生きる以上の幸せなどありはしないのだから」
臆することなく、堂々と彼女はそう言い放った。
そんなミリアの言葉を聞いたゼーアは言う。
「ふむ。つまり、初代のヴァイスとミリアの間に産まれた子は親のヴァイスの持っていた『呪魔』とその名前を受け継いだ。そして、二代目のヴァイスが寿命を迎える前に――」
ゼーアは自分を睨むミリアの視線を受け止めがら言う。
「今度は二代目のヴァイスとの間に、子供を作ったというわけか!」
ミリアは眉間に皺を寄せて、険しい表情を見せる。
「いわゆる近親相姦。そうやって、親子同士で子を為すことで、『ヴァイス』という存在を半永久的に受け継いできたというわけだね」
ゼーアは手で目元を覆い、天を仰ぐ。
「……狂っている。そのような罪業、天に居られるロセウス様は決してお許しにならないだろう」
ゼーアはそこで口をつぐみ、ゆっくりと視線を下ろす。目の前に居る二人をじっと見つめる。まるで時が凍りついてしまったような時間。沈黙の帳が三人の間に落ちる。
そんな静寂を打ち破ったのは、一つの笑い声。
「ふふふ……」
その声はゼーアの口から漏れだしたものだった。
「はははははっ!」
狂喜に満ちた哄笑。目は飛び出さんばかりに見開かれ、口は何かを呑み込まんとでもしているように大きく開かれている。
「面白いっ! 実に面白い!」
ゼーアは叫ぶ。
「その執念、妄念こそ称賛に値する!」
そして、ミリアを射殺さんとばかりの勢いで、彼女を指差して叫ぶ。
「あの神の操り人形でしかなかった君がよくぞここまで……!」
なぜか、どこか感慨深げにゼーアはミリアを見ていた。
「ミリアも、ヴァイスも、私の教え子だ。その二人がこうやって再び私の前に立ってくれた。なら、『先生』として私にできることはただ一つだ」
ゼーアは腰に下げていた銃を抜き放ちながら言った。
「これが私から、君たちに送る、最後の授業だ」
その銃口は真っ直ぐ、二人に向かって向けられていた。
そんな風に銃を突き付けられても臆することなく、ヴァイスはゼーアに向かって叫ぶ。
「てめえに教わることなんてねえ!」
ヴァイスは言う。
「俺はおまえを知らない。俺は『ヴァイス』という名を受け継いできただけの存在で、おまえのように記憶を引き継いでいるわけではないからな」
拳を強く握り、ゼーアに突き付けながら続けて言う。
「だが、俺の中に居る先祖の魂が叫んでいる。こいつを『殺せ』と」
煮えたぎる怒りの熱がヴァイスの心を焦がし、魂に刻まれた憎悪が彼の身体を動かす。
そして、真っ直ぐ、銃口の先に居るゼーアを睨んで言い放つ。
「俺はここでおまえを『殺す』!」
まず、ヴァイスは身を屈め、弾丸のような勢いでゼーアに向かって飛んだ。身を低くすることで、銃の射線から外れようとしたのだ。
しかし、『呪魔』の感染者として並外れた動体視力を持つゼーアはそれを見切る。銃口を瞬時に下に向け、下から迫るヴァイスに対応しようとする。
そのときだった。
「っ!」
ゼーアは思わず、大きく後ろに身をそらしていた。
その理由は単純だ。
彼の眼前に、突如として掌が突き付けられたからだ。
(これは……っ!)
ゼーアはその掌を避けながら、瞬間的に状況判断を行う。
いつの間にか拘束を解いていたミリアが自らの腕を増殖させて伸ばし、こちらの顔面を掴もうとしたのだ。彼女の腕はまるで獲物を捕らえようとする蛇のような勢いでこちらに掴みかかろうとしていた。
避けられない一撃ではない。だが、不意打ちであるが故に彼女の掌に過剰に反応してしまい、体勢が大きく崩れている。このままでは、ヴァイスの重い一撃をまともにくらってしまう。それは、さすがにまずい。
ゼーアは反らした身を元の体勢に戻すことを諦めた。あえて、背中から後ろに倒れ込む。無様にも地面に転がることを選んだのだ。当然、身体を強く地面に打ち付けることになるが、ヴァイスの一撃をくらうことに比べれば屁でもない痛みだ。
それはヴァイスにとって意外な行動だった。ヴァイスがゼーアに繰り出した渾身の拳は倒れ込んだゼーアの上の空を切ることになる。
そうやって、ヴァイスの一撃を躱したゼーアは、地面を真横に転がり、瞬時に身を起こし、体勢を立て直そうとする。
そのとき、ミリアの伸ばした右手が地面から立ち上がったゼーアの右手首を掴んだ。
(この程度……!)
ミリアは人体を組み替えられる。それゆえに細胞を増殖させることでこのように蛇のように腕を伸ばすという怪物染みた技を実現している。縄を抜けたのもその応用だろう。だが、その身体能力はあくまで人間のそれでしかない。たとえ、多少、人外の動きが出来たとしても、膂力は『呪魔』の感染者である自分には遠く及ばない。手首を掴まれたところですぐに振りほどける。
それが油断だと気付いたのは、刹那。
ゼーアは本当は遮二無二、この手を振りほどかねばならなかった。
自分が育て、自分が悪夢へと追いやってしまった少女の手を振りほどかねばならなかったのだ。
――瞬間、響き渡る爆発音。
「な、に?」
ゼーアを掴んでいたミリアの手が爆発したのだ。
ゼーアは飛びずさんで二人から距離をとる。右手に鋭い痛みが走った。
ミリアの右手が爆発した。なんらかの魔術か? いや、違う。彼女には、そのような魔術が使える適性はなかった。ならば――
「……まさか、腕の中に爆弾を……」
ゼーアは自分の右手を確認する。そこにあったはずの手首は綺麗に吹き飛ばされていた。何もなくなった右手の先から赤い血がほとばしっている。さすがにこれでは戦闘力の低下は免れないだろう。
一方のミリアも右手の先は吹き飛び、赤い人体の中身を晒している。肩で荒い息をしながら、ゼーアを睨んでいる。
「……これが私の『切り札』です」
ミリアは右手を体内から破壊するという痛みに震えながらも、俯くことなく堂々と宣言する。
「私は人体の中に魔石爆弾や武器を埋め込んでいます。まだまだ爆弾は残っています。貴方に抱き着いて自爆することだってできる」
ミリアは大きく目を見開いて叫ぶ。
「私は不老不死だから、いくらだって自爆する! それで貴方からこの子を守れるというのなら!」
その目にあったのは戦う意志などという生易しいものではなかった。そこにあったのは、どんな手を使ってでも自分の子を守り抜くという揺るぎない覚悟であった。
それはまさに母の覚悟であった。
「………………」
心のどこかで脅威となるのはヴァイスのみであると思い込んでいた。自分が育てた操り人形の少女のことを無意識の内に侮っていたのかもしれない。まさか、彼女がここまでの覚悟を決められるまでに成長しているとは。
――人間になっているとは。
ゼーアは小さくため息をついて呟く。
「……本当に『先生』冥利に尽きる」
口の端に淡い微笑。それはどこか懐かしい、彼の優しい笑みだった。
「いいでしょう、ミリア。ここからは授業ではありません」
ゼーアは銃を捨て、残った左腕で腰に挿していた剣を引き抜く。そして、剣を油断なく、構え、叫ぶ。
「対等な人間同士の果たし合いです!」
そこからの戦いは死闘を極めた。互いにもはや驕りというものはなく、目の前の相手を殺すことに一欠片の躊躇というものは残っていない。そのようなものがあれば、たちどころに決着がついてしまう。それだけの真剣な命の奪い合いだった。
もちろん、この場所には三人の人間しかいない。だから、この戦いを見守っているものなど居ない。もし、居るとすれば、それは天に居るという神だけであろう。だが、もしその神がこの戦いを見ていたとしたら、きっとこう言うだろう。
なんと醜い戦いなのか、と。
爪で肉を抉り、牙で喉笛を噛み千切る。流麗という言葉からは程遠く、騎士道などというものはありはしない。まさに獣の戦い。血舞い、肉弾ける惨状から、きっと多くの人間は目を背けたがるだろう。
だが、そんな悲惨な光景から目を逸らさなかった者は気が付いたかもしれない。
この醜い戦いの奥に潜む暖かさに。
死闘を通して、繋がった三人の何かに。
「……本当に悪かったとは思っていたんだよ」
ゼーアは掠れた声で語る。
「君の意識を残したまま、死ねない身体なんてものにしてしまい、永遠の生という苦しみを与えてしまったことは……」
ゼーアは話し続ける。
「だから、私は君を殺すために、殺して、殺して、また殺して……」
ゼーアはすく目の前に居るミリアを真っ直ぐに見据えて言う。
「君を眠らせてあげたかった……だけど――それは私の役目ではなかったようだ……」
ゼーアを抱きすくめるような形でミリアは立っている。その腹には大きな穴が開いている。その穴を貫いているのは、一本の腕。
ヴァイスの腕だ。
彼の腕はミリアごとゼーアの心臓を貫いていた。
どう考えても致命傷だ。ゼーアはここで死ぬ。それはもう抗えない現実だ。
だが――
「最後に一つだけ質問をさせておくれ。それが私から君への卒業試験だ」
最期の命の灯を燃やし、ゼーアはヴァイスを睨む。
「ヴァイス、君のところに行こう」
ゼーアの身体から黒い霧が迸り、ヴァイスを呑み込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やあ、ヴァイス。久しぶりだね」
その男は懐かしい暖かな笑みで俺を見ていた。
「ゼーア……」
周囲には何もない。壁や天井どころか地面すらありはしない。どちらが上で、どちらが下か。どちらが前で、どちらが後ろか。それすら解らない真っ白な空間の中に俺たちは佇んでいた。
「なんで、俺は意識を保っているんだ? 俺はとっくの昔に死んだはずなんだが」
俺は確かに自分の息子に首を刎ねられ、死亡した。その記憶ははっきりと残っている。にもかかわらず、俺はこの謎の空間で意識がある。これはいったいどういうことなのか。
「私が今のヴァイスに殺され、私の『呪魔』が彼に呑み込まれた瞬間の一瞬の隙をついて、私が今のヴァイスの中に眠る貴方の魂に介入し、意識を覚醒させたのです。まあ、長くは持ちません。死の間際だから使えた裏技だと思ってください」
ここはおそらくは『呪魔』の世界。『呪魔』は自身の宿主を殺した者に憑りつこうとする。つまり、今、当代のヴァイスがゼーアを殺したから、ゼーアの中の『呪魔』が、当代のヴァイスに憑りつこうとしているのだ。
「あんた、お得意の横紙破りの反則技で、俺の子孫の身体まで乗っ取ろうって魂胆か?」
これはこいつに対する当て擦りだ。だが、ゼーアは顔色一つ変えずに微笑んでいる。
「今の君があの娘にふさわしくないと思ったら、それも考えたけどね」
ゼーアはそこで黙り、俺をまっすぐに見た。まるで、遠い海の上を飛ぶ鳥を見るような瞳。そうだ、この男は、昔からよくこんな目をしていた。俺がこいつを『先生』と呼んでいた頃に――
「一つだけ、聞かせておくれ」
ゼーアは夕焼けの海辺に寄る細波のような穏やかな口調で言った。
「君はなぜ、あの娘……ミリアのためにここまでのことをできたんだい?」
奴は言う。
「長くはない一生を捧げ、その子孫まで巻き込んで、実に五百年もの間、君は戦い続けてきた。君はどうして、そんな途方もないことができたんだい?」
奴の瞳は真剣だった。こいつは俺にとって、絶対に許せない仇敵。たとえ、世界が滅んでなくなってしまったとしても、俺はこの男を許すことはないだろう。だが、この男の、かつては『先生』と仰いだ男の、最期の問いを無視することはできなかった。
「どうして、ミリアのためにここまでのことができたか……か」
俺はその問いを咀嚼する。
確かに、俺は一生を彼女を解放するために捧げた。あげく、自分の息子やその子供まで巻き込んだ。最低で最悪な男だ。どうして、そこまで身勝手なことができたのか。だが、その答えは簡単だ。
「俺がそうしたかったからだ」
俺は言う。
「ミリアのためでもなければ、他の誰かのためでもない。ただ、俺がそうしたかったから、あいつを静かに眠らせてやりたかったからそうしたんだ」
話を始めると自分の中にミリアと過ごした時間の思い出が浮かんでくる。
「出会った頃、あいつはいつも人のことばかり考えていて、自分のことは二の次だった。けど、少しずつ、自分の願いを言ったり、ちょっとしたわがままを言い出したり……そうやって、少しずつ自分のために生きることができるようになっていった。結局、他人を優先する癖は治らなかったけどな……」
俺は言う。
「俺はそんなミリアを愛していた。だから、俺はあいつのためならどんなことだってしてやりたい。そう思った。だから、最期まであいつの隣に寄り添えたんだ」
「………………」
俺の吐露は終わった。しかし、ゼーアは何も言おうとしない。まるで、奴の中の時間が止まってしまったかのように、身じろぎ一つしなかった。
どれだけの時間が過ぎただろうか。自分たち以外に何も存在しないこの世界では時間などあってないようなものだ。その時間はもしかしたら、一瞬だったのかもしれないし、永久に近い時間だったのかもしれない。けれど、最期にゼーアはゆっくりと口を開く。
「ああ……間違いだらけの人生でしたが……」
ゼーアは淡く微笑んで言った。
「たとえ、一時であろうと、君の『先生』であれたことを誇りに思います……」
——ありがとう
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます