第4話「ひまわりの墓①」
「ごめんな、サク……」
お父さんは弱弱しく震えた声で、私に言った。
「終わらせてやれなくて、ごめんな……」
熱に浮かされたうわ言のような声で、お父さんは何度も何度も私に向かって謝る。まるで、神様の膝元に縋りつく敬虔な信者のように、擦り切れた声で繰り返すのだ。もはや、それは私に対する謝罪ではなく、運命とか、人生といったような大きな何かに対する恨み節のように聞こえた。
「おまえは、この土地で生きていかなくてはならない……」
私は黙って、お父さんの言葉の続きを待つ。
「この毒に侵された土地で……」
お父さんは、固い粗末なベッドの上で虚ろな瞳をして、汚れた天上を見上げている。肌は荒れ、全身に深い皺が刻み込まれている。髪も真っ白。目の焦点も合っていない。お母さんのときと同じだ。もう、きっと長くはない。そんなことを冷静に判断してしまう自分が、嫌で嫌で。自分自身を殺してやりたいくらいに嫌で――
「——お父さん」
私は意を決して口を開く。
「外に出よう」
私は濁り切ったお父さんの目をのぞき込んで言う。
「今なら、間に合うかも。外の世界になら、ここにはない薬もあるかもしれないし――」
お父さんは笑った。
私の言葉を聞いて笑ったのだ。
それは見ていられないほど、弱弱しく力のない笑みだった。前に進むことを諦め、理不尽を受け入れた者が作り出す錆びついた笑み。
「もういいんだよ……」
お父さんは私を見てはいなかった。
「もう、いいんだよ……」
お父さんが死んだのは、その日の夜だった。
私は妹のリムと一緒にお父さんを埋葬する。
「お父さん、お父さん……」
滝のような涙を流して泣いている妹。私は黙って、彼女を見つめる。
沸々と私の心が沸き上がる。
もう二度と、こんな悲劇は繰り返させない。
私は顔を上げる。
目の前に広がっているのは、一面のひまわり畑。右を向いてもひまわり、左を向いてもひまわり。花は、見渡す限りいっぱいに咲いている。
ひまわりは、日中は太陽を見上げているが、夜になるとしぼんでしまう。そんな様子は、どこか肩を落とす人間のように見える。まるで、父が死んだことを悲しんでいるような――
——白々しい
私は強く歯を食い縛る。
父を殺したのは、おまえらひまわりだろう!
父は、このひまわりに殺されたのだ。なのに、さも悲しそうな顔を見せるな。
私は目に力を込めて、ひまわりたちを睨む。そうでもしていないと、私の涙が止まらなくなってしまうから。
この墓標が増えるのは、今日が最後だ。
もう二度と、ひまわりの墓は作らせない。
私は固く、固く、心に誓った。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「うわあ、すごいですね!」
ミリアは眼下に広がる一面のひまわり畑を見下ろしながら、声を上げた。
今自分たちが居る小高い丘の上から、向こう側の山のふもとまで、隙間なくみっちりとひまわりが植えられている。それは、あたかも花の海。黄色と緑のコントラストは、いっそどこか人工的にすら感じられる。芸術家によって描き上げられた絵画のような美しさが、そこには横たわっていた。
「……あまり近づきすぎない方がいい」
ヴァイスは腕を組みながら、ひまわりの海を見下ろす。
「さっきの行商の男の話が真実なら、あれは普通の花ではないからな」
「……そうですね」
ミリアははしゃいでいた声を引っ込め、改めてひまわり畑を見下ろしながら呟く。
「でも、信じられません……この美しいひまわりが毒を持っているなんて」
陽光を浴びたひまわりたちは、黄金の輝きを放つ。その美しさの中には闇がある。そんなことを感じさせないままに。
――ウオオオォーン!
剣が走る風切り音と獣の悲痛な泣き声。
肉が断ち切られる感触と一瞬遅れて舞い散る鮮血。
ヴァイスが振り下ろした剣で、魔獣ケルベロスの首の一つを断ち切ったのだ。
ケルベロスは三つ首を持つ犬に似た巨獣。その身の丈は、成人男性の高さを優に超える。鋭利な牙と爪を持ち、頭の一つ一つに別個の脳を持つ特殊な生物だ。
頸動脈を確実に断ち切った。首から間欠泉のような勢いで地が噴き出していることがその証拠だ。いかに魔獣と言えど、肉体の構造は基本的に通常の生物と変わらない。動脈を断たれれば致命傷になる。だが、油断はできない。魔獣の生命力は通常の生物と一線を画す。仮に絶命を避けられぬ傷であったとしても、最期の力でこちらの首を食いちぎることもありえぬ話ではない。それが、三つ首の魔獣であれば尚のこと。残りの二つの首はまだ、生きている。よって、確実に呼吸をやめ、心臓の鼓動が止まる瞬間まで、気を抜くことは許されない。それが、魔獣退治の鉄則。
返す刀でさらに剣戟を加える。反撃など決してさせぬように、最期の気力を断ち切るように、一刀、二刀、傷を刻んでいく。残った二つの首の喉元も切り裂く。一つ目よりは随分簡単だ。一つ、首を取った時点で勝敗は決していたのだろう。
獣はゆっくりと折れるように、その巨体を地面に横たえた。
断末魔の声は上がらなかった。喉を裂かれているのだから、当然だろう。先程まで見上げる位置にあった獣の首。今は打ち捨てられたもののように地面に転がっている。命ある時は凛々しさのあった瞳は泥水のように濁り、見る者を恐れさせる鋭利な牙のついた口の隙間から、だらりと赤い舌が顔を出していた。完全に絶命している。
それを確認して、ヴァイスは後ろを振り返る。
「終わったぞ」
その言葉と共に木の陰から二人の人間が現れる。
一人はミリア。もう一人は、鍔の広い帽子をかぶった行商人の男だ。
「本当にあの化け物をのしちまったのか……?」
行商人の男は帽子を取り、それを胸に抱きながら、唖然とした表情でヴァイスを見た。
ヴァイスは剣に着いた血を布で拭いながら答える。
「それはおまえが見た通りだと思うが」
にこりとして愛想を見せることもしなければ、獣を狩った興奮もない。淡々とした様子。魔獣を狩ることなど、何も特別なことではないとでも言いたげな様子であった。
「あ、ああ……そうだな」
行商人の男はそんなヴァイスの様子にさらに気圧されたように口ごもった。
そんなやり取りをしている間、ミリアは魔獣の首の前で膝をついて、両手を組んでいた。人を襲う獣を殺すことはやむを得ないことだ。子どもではないのだ。それくらいの分別はある。だけれど、それはすなわち奪われた命を憐れまないということと同義ではない。安らかに眠れるように、とミリアは祈る。だけれど、それが人間のエゴでしかないということも、彼女は十分に承知していた。
祈りを済ませるとミリアは腰を上げ、行商人の男を見る。
「これで依頼は達成された、ということでよろしいでしょうか?」
ヴァイスとは対照的に愛想のよい笑みを張り付けて、ミリアは男に声をかける。
「そ、そうだな。確かに、依頼は達成された」
男は彼女の笑顔にもまた、何か底の知れない何かを感じてもいた。だが、その理由を言葉にすることは叶わない。それはあくまで直感とも呼ぶべき何かによって、生まれた感情であったからだ。
だから、男はその後の事務的な処理を淡々と手早く行うことにした。
男が二人に課した依頼は「街道を塞ぐケルベロスを討伐すること」。商人たちにとって、街道の安全を妨げられることほど、恐ろしいことはない。男は仲間たちを代表して、腕利きだという流れの傭兵にケルベロスの討伐を依頼していたのだ。
約束の金を支払い、しかるべき手続きを終えたことで男は密かに安堵していた。これで、このどこか気味の悪い二人との関わりも終わりだと。そのためだろうか、口が滑ったのは。
「はぐれの魔獣の処理は済んだから、しばらくは安泰だな」
「はぐれの魔獣?」
男の言葉を拾ったのは、ヴァイスだ。
「どういう意味だ?」
ヴァイスは男を問い詰める。本人にはそのような意図はないのかもしれないが、彼の口調はどこか詰問めいている。ただでさえ、先程の超人的な力を見せつけられた後だ。男はヴァイスの言葉に必要以上に委縮する。
「い、いえ、大した話ではないんですが……」
男は一瞬の逡巡の後、自分が知っていることを洗いざらい話してしまうことにする。正直に話したからと言って、自分に不利益は何もない。逆に変に誤魔化したりして、この男の機嫌を損ねる方が恐ろしい。そう考えたのだ。
「あの、魔獣たちは、本当はあの山向こうのひまわり畑への道を守っているはずなんです……」
「あの方の話では、ここのひまわりは毒を持っているということでしたが……」
男が二人に語った話とは次のようなものだ。
番犬として手なづけられたケルベロスと鉄線で囲まれた高い壁の向こうには、一面のひまわり畑が広がっている。しかし、その美しい光景とは裏腹に、そのひまわりは恐ろしい毒を持っている。だから、不用意に近づけば死んでしまう。だから、そのひまわり畑に誰も近づけさせないために、ケルベロスと壁は存在しているのだ。
その話を聞いた二人はひまわり畑を目指すことにした。ケルベロスたちは獣としての勘か嗅覚か。ヴァイスを見つけても襲い掛かってくることはなかった。壁にしても、ヴァイスの身体能力を持ってすれば、大人二、三人分程度の高さの壁など、一足飛びで越えられる。二人は易々とひまわり畑に潜入することに成功した。
「居た」
ヴァイスはひまわり畑の一角を指を指して言う。彼の人並み外れた視力は、離れた場所の小さな影も見逃さない。
「十四か十五か、それくらいの背格好の少女だ」
「やはり、人が居たのですね」
二人はひまわり畑に人を探しに来ていた。
行商人の男は「ひまわり『畑』」と言っていた。つまり、そのひまわりは野生ではなく、誰かが育てているということ。その点を男に尋ねると、男はこう言った。
『……あそこに住んでいて、ひまわりを育てているのは罪人です。あの毒のひまわりを育てさせるのは、そいつらに対する罰らしいんです』
周囲を壁で囲われているのも、ケルベロスが周りを取り囲んでいるのも、ひまわり畑の中に住む人間を外に出さないために措置。
がさがさと草をかきわける音。立ち並ぶひまわりの隙間から一人の少女が顔を出す。
「えっと……どちら様、ですか?」
罪人と呼ばれた少女は困惑した顔で二人の方を見ていた。
「外から来た人? 本当に?!」
自分たちは外から来たと告げると少女は目を丸くして声を上げた。
「ひまわり回収の役人と連れてこられた罪人以外で、外から来た人を始めて見ました……」
少女の年の頃は十四から十五。肩にかかる程度の長さの髪は亜麻色。どこか枯れかけたひまわりのような色にも見える。年頃の少女らしい大きくて丸い瞳の周囲を、長い睫毛が縁取っている。その顔つきには、少女らしいあどけなさと大人の女性としての艶やかさが混ざり合い、同居している。
しかし、それに反して、彼女の肉付きは悪く、髪も薄汚れている。肌もがさがさに荒れている。栄養状態がよくないのだろうか。それとも、例のひまわりの毒とやらのせいだろうか。彼女の顔色は決して良くなかった。
シフトドレスの上にはコルセットとペティコート。そのどれもがおそらく相当長い間、着続けているのだろうか。様々な個所がほつれ、何か所も継ぎが当てられている。彼女が決して楽な暮らしをしているわけでないのは、すぐに察せられた。
「あ、私はサクと言います」
少女は自身が名乗っていないことに気が付き、二人に名前を告げる。
「俺は……ヴァイス」
「私はミリアと申します」
ヴァイスはぶっきらぼうに、ミリアは丁寧に自身の名を告げる。
「あの……どうして、こんな場所に?」
サクは不安げな探るような目で二人を見る。そこには突然の闖入者に対する疑念がはっきりと見て取れる。
「この場所には、この土地の毒を吸い上げたひまわり以外何もありません。人に誇れるものなんて何一つない。そういう土地です」
目の覚めるような鮮やかなひまわりを背にして、少女は語る。
「そんな場所にお二人はなぜいらしたのですか?」
少女の瞳に薄い影が差す。それはきっと少女の心に巣食う闇。少女にまとわりつく絶望の色だった。
そんな少女の瞳をまっすぐに見つめ、ミリアは言う。
「この土地で行われていることの真実を見極める。そのために私たちは来ました」
「真実を?」
少女は呆けた顔でミリアを見つめ返す。
「教えていただけませんか? この土地のこと、このひまわりのこと。そして、あなた自身のことを」
ミリアの瞳はゆるぎなく、サクの持つ絶望の中心を見据えていた。
「大昔、魔術革命が始まったころ、この村ではとある魔術の研究が行われていたらしいです」
少女はゆっくりと歩を進めながら、二人に向かって、自分が何度も聞かされてきたこの村の「歴史」を語る。
「大地からの魔力生成。それがこの村で行われていた研究だそうです」
サクは二人を振り返りながら問う。
「失礼ながら、お二人は魔術についてどの程度の知識がおありですか?」
「……俺は、からきしだ」
「私は少々覚えがあります。とはいえ、魔術師の資格は得ていない素人ですが」
「でしたら、少なくともミリアさんには話すまでもないことかもしれませんが」
そう前置きして、サクは説明を続ける。
「通常、魔力を得るためには人間や魔獣が作り出すか、魔力の貯まった魔石から抽出するかのどちらかしかありません。だから、魔術師以外が魔術の真似事をしようと思えば、魔石を使うのが一般的です。魔術灯などが、その典型例ですね」
少女は話している間も、慣れた様子で下草をかき分けながら歩を進めている。
「ですが、魔石というのは希少ですし、魔術師一人が生成できる魔力には限度があります。魔獣を捕らえるのだって大変です。ですから、私の先祖は大地から魔力を回収できないか。そう考えたんだそうです」
「大地から……?」
「はい。実際、魔石のように自然界に魔力をため込む性質を持った物質は存在します。それはつまり、自然界にも何らかの形態で魔力が存在していることを示しています。その魔力を抽出する方法を先祖は研究していました」
彼女の説明は淀みない。まるで、その説明を何度も何度も練習していたかのようにすらすらと話を続ける。
「実際、先祖は大地の中に魔力の元となる魔素を発見しました。後は、それを魔力という形に変換できれば、魔術師以外の人間ももっと気軽に魔力を扱えるようになる。そう思っていました」
そこまで来て、少女は声を落として言った。
「悲劇が起こったのは、その後です」
少女は続けて言う。
「先祖がある魔法陣を形成し、魔素を大地から抽出し、魔力に変換しようとしました。しかし、その魔法陣には欠陥がありました。その欠陥とは魔素を魔力に変換した際に、その魔力を汚染してしまうというものでした」
少女は道の向こういっぱいに広がるひまわりを見つめて言った。
「おかげでこの土地は汚染され、到底人の住めないような毒の土地になりました土も、水も、空気すら毒に汚染されたのです。その毒は吸い続ければ、肉体を内部から壊していきます。最初は、肌が荒れたり、髪が痛んだり。症状が進めば、腹を下したり、頭痛がしたり、身体の内部の調子がおかしくなっていきます。最後は内臓がうまく働かなくなって……」
少女はそこで口をつぐんだ。まるで、昔を思い出しているかのような遠い瞳をしていた。
「だから、私たちの一族はこの土地を元に戻す責任があります。だから、この土地に閉じ込められて、罰を受けている」
少女は一面のひまわり畑を指さす。
「あれが私たちに課せられた罰です」
「……ひまわり?」
「はい。あのひまわりは、土地を犯した毒を吸い上げる性質を持っています。ゆえに、毒に侵された土地であっても、あのひまわりを育てれば、土地から毒を吸い上げることができるのです」
「なるほど、そういうことか……」
先祖が犯した失敗のしりぬぐいをこの少女はさせられているのだ。
「……どれだけの時間がかかると思いますか?」
少女は不意にそんなことを問う。
「時間? この土地から毒を拭いとるまでの時間か……?」
ヴァイスは視界を埋め尽くすほどのひまわりを見て言った。
「これだけあれば、何年かあれば毒もなくなるんじゃないか?」
右を見ても、左を見ても、ひまわりは立派に咲いている。この花たちが毒を吸い上げていると言うのであれば、それほど時を置かずとも、土地は浄化されるのではないか。ヴァイスは、どこか楽天的にもそんな風に考えた。
そんなヴァイスの答えを聞いたサクは悲しそうな表情で首を横に振った。
「そんな短い時間じゃありません……」
「……十年か、二十年か」
「——五百年」
少女はヴァイスの答えを遮るようにそう言った。
「この土地を綺麗にするまでに五百年はかかるそうです」
五百年。それはあまりに途方もない歳月だ。人間が産まれ、
死に、子孫へと命のバトンを繋いでもまだ達しえないはるか先の未来。
「それまで、私たちはこの毒を吸ったひまわりを育て続ける」
彼女はそっと振り返り、悲し気に眉を曲げた。
「私たちには未来なんて欠片も残されていないんです」
「あれ、お姉ちゃん? 誰、その人たち」
ベッドの上で身を起こした少女は、ミリアたちを指差して、そう呟いた。
サクは少女の前に立って言う。
「だめよ、リム。お客さんを指差したりなんかしちゃ」
「あ、ごめんなさい」
リムと呼ばれた少女はサクにたしなめられ、申し訳なさそうな顔をして、すぐに頭を下げる。
「いいんですよ、気にしてませんから」
そんな彼女にミリアは優しい笑顔で応じる。その言葉を聞いたリムは安心したようで、目を細めて笑みを見せた。
リムという少女の歳は十歳前後といったところだろうか。顔立ちにも、身体つきにも、まだまだあどけなさが残っている。
彼女がサクの妹であることは事前に聞いていたが、たとえ話を聞いていなかったとしても、彼女がサクの妹であることはすぐにわかる。亜麻色の髪と大きな瞳がそっくりだ。きっとあと何年かすれば、この娘もサクと同じような美しさを持った女性になるだろう。
彼女が着ていた服はワンピース型の寝間着。そんな寝間着姿がどこかはまっている。彼女がほとんど一日中、その寝間着を着て、ベッドの上で過ごしているのであろうことは一目で想像がついた。
サクはリムに二人を紹介した後、言った。
「この子はこの土地の毒に犯されています」
彼女の語り口は冷静だ。だが、彼女が内心の涌き出る怒りや悲しみを抑え込んでいることは彼女の火のついた瞳を見れば、明らかだった。
「この土地では、土も水も汚染されている。もちろん、食べ物は外から配給があります。けれども、それは微々たる量。すべての村民の食い扶持を賄うことはできません。だから、私たちは汚染された土と汚染された水を使った作物を食べるしかありません」
サクはリムを見て言う。
「その結果、我々は体内に毒素を溜め込みます。一日二日、毒を溜めた作物を食べた位では大きな支障はないですが、それが一年、二年。そして、十年となると確実に身体の調子がおかしくなっていきます」
サクは二人を振り替えって言う。
「この世界の平均寿命をご存知ですか?」
「平均寿命?」
「人がどれだけの時間生きられるのか、という指標です」
サクは話を続ける。
「私が手に入れた本によれば、外の世界の人間の寿命は、大体五十年前後だそうです。つまり、単純に考えれば、世界中の半数程度の人間は五十歳までは生きられるということになります」
ヴァイスは世界中の平均寿命とやらを知らなかったが、その数値はヴァイスの感覚とも、そう解離していない。確かに、おおよその普通の人間は五十程度で死んでいるよう思う。
「でも、この中の世界は違います」
「………………」
「この中で暮らす人は、三十歳を過ぎれば、老人で、四十歳を迎えることなく死にます」
サクは声をあらげることもなく、淡々と語り続ける。
「三十歳の人の風貌と言われて、どのような見た目を想像しますか? たぶん、外の人の感覚なら、三十歳と言えば働き盛り。若くはないかもしれなあたけど、まだまだ元気。そんな感じなのではないでしょうか。だけど、この村の三十歳は違います。三十歳にもなれば、肌は皺だらけ、身体中が悲鳴をあげ、一日中、咳ばかりしています。ついには、寝たきりになって、起き上がることもできなくなります。それがこの村での三十歳なんです」
「そんなことが……」
サクは唇を噛み締める。
「……それもこれも、この土地の毒のせい。この土地から離れれば、私たちは普通の人間として生きられるのに」
サクが吐き捨てるように言った言葉に応じて、リムは言う。
「お姉ちゃんったら、またその話?」
ベッドの上のリムは薄く微笑んでいる。
「私たちが外に出るなんて無理なんだよ。私たちはここで産まれて、ここで死ぬ。そう決まってるんだから」
そんなことを微笑んで語るのだ。それはおおよ十歳の少女が見せるような笑みではなかった。長い人生の酸いも甘いも噛みしめ、心のすべてに整理をつけた人間が初めて出せる笑みだ。すべてを諦め、すべてを受け入れた乾いた笑みだった。
妹のそんな笑みを見たサクは顔を歪ませる。妹とは対照的に、その表情には怒りと悲しみが渦を巻いていた。世界の理不尽に噛みつき、運命の過酷に殴りかかる。そんな反骨の気概に満ちた怒りだった。
サクは口を開いて、何かを言いかけて、口をつぐむ。そして、一度、深呼吸をしてから、努めて穏やかな調子を作りながら言った。
「ごめん、リム。お姉ちゃんはお客さんたちとお話があるから」
そう言って、サクは二人を連れ、家を出た。
「妹を外に連れ出してもらえませんか?」
家の外に出たサクはヴァイスとミリアに向かって言った。
「あなたがたは外から来た。それも非正規の手段で」
サクは瞳に揺るぎない意志の炎を灯して、二人を見つめる。
「なぜ、そう考えるのですか?」
ミリアは彼女のその視線を受け止めながら、澄んだせせらぎのような声で問う。
「この場所にやってくるのは、配給などのために定期的にやってくる政府の役人と彼らに連れてこられる罪人だけです。あなたたちはどちらにも見えなかったので……」
「……たしかに、私たちは正規の手段でここにやってきたわけではありません」
ミリアはそっと背後を振り返り、言う。
「私たちはあの壁を飛び越えてきました」
彼女の視線の先には、大人の背丈の数倍の高さはある壁が広がっている。
「飛び越えて……?」
「文字通り、あの柵を飛び越えたのです」
そう言って、ミリアは傍らに立つヴァイスを見る。ミリアに目線を向けられたヴァイスはゆっくりとうなずくと、その場で膝を曲げ、腰を屈める。
次の瞬間、
「うわあ!」
サクは思わず声をあげていた。
ヴァイスがその場から、遥か上空に飛び上がったからだ。
顔を上げて、彼の動きを目で追う。
その高さは、壁など目ではない。大空を舞う鳥たちと同じ世界にまで足を踏み込んでいた。
ある程度の高さに達した後、ヴァイスは中空から自由落下し、元の地面に平然とした様子で降り立った。
唖然とするサクにミリアは鷹揚に笑いかける。
「このようにして、我々はこの村にやってきたのです」
サクはあまりの出来事に気圧され、声もでなくなっている。
だが、呆然としている場合ではないと気がついたのだろうか。彼女は再び真剣な表情で二人を見据える。
「お二人が普通の方々でないなら、なおのこと好都合です」
そして、彼女は深々と頭を下げて言った。
「お願いします。妹を外に連れ出してください」
彼女は地面を見つめたまま、話続ける。
「あの子は生まれつき身体が弱くて、これ以上はこの土地の毒に耐えられません……もって一年か、それ以下……だけど、ここの住人はたとえ死ぬと解っていても、外に出ることはできません……」
そこで彼女はそっと顔を上げ、遠くを指差した。
「見えますか? あのひまわり。あそこだけ、他の畑と違って、ひまわりが密集していないでしょう?」
確かに彼女が指し示す先にあるひまわりは、点々としていて、他の一角とはどこか雰囲気が違っていた。
「あれは私たちの墓なんです」
「……墓……ですか?」
「この村では誰かがなくなるとあの場所に遺体を埋めます。そして、畑から一本ひまわりを抜いてきて植えなおすのです」
サクは大きく目を見開いて、指さす先のひまわりを見ている。
「ひまわりのために生き、ひまわりのために死ぬ。私たちは死んでもなお、ひまわりを育て続ける……自分の死体を栄養にして……」
ひまわりたちはあくまで美しく、気高く咲いている。けれど、その美しさにはどこか陰がある。そんな風に思えてしまう。
「あそこにはお父さんも、お母さんもいます。会ったことないおじいちゃんやおばあちゃんも……それ以外の村の人もたくさん、たくさん……」
サクは瞳に涙を滲ませる。そして、震えた声で呟く。
「私は、妹を……リムをあそこに埋めたくない……」
彼女の瞳から一筋、涙が溢れる。
「もうこれ以上、誰かを見送るなんて、嫌なの……」
「………………」
音もなく降り注ぐ小雨のように、彼女は静かな涙を流し続ける。
「外に出るのが禁止されてるのはわかってます。でも、せめて、妹だけは……」
震えながら目元を拭うサクの肩を、ミリアはそっと優しく抱いた。
「事情はよくわかりました」
サクはそっと顔を上げて、ミリアを見る。
「だったら……」
「けれど、あなたの言うようにすることはできません」
「………………」
サクはミリアの言葉にきゅっと唇を引き結ぶ。
「……そう、ですよね」
「外に出るなら、あなたも一緒です」
「……え?」
サクはまじまじとミリアの顔を見つめる。ミリアは聖女のごとき、優しく穏やかな笑みで彼女を見たつめていた。
「私に少し考えがあります」
ミリアは眼前に広がるひまわり畑を見つめて、言った。
「このひまわりを調べさせてください」
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