過去6「真相①」
俺とミリアの歪んだ関係が始まった。
俺は殺しへの飢えを満たすために、彼女を殺す。
彼女は苦しみから逃れるために、俺に殺される。
彼女の身体の過剰再生が進み、適正な人体を保てなくなると、俺は剣を取る。
俺は握った剣に魔力を込める。俺自身は魔術師ではない。だから、こんな芸当ができるようになったのは、苦々しいが『呪魔』のおかげだ。『呪魔』は俺に魔力を与える。より多くの命を奪うために。その溢れんばかりの魔力を武具に込める。そうすれば、その武器は本来のスペック以上の力を発揮する。
そして、その名刀もかくやという切れ味になったそれを以て、俺は彼女の首を刎ねる。
速く、鋭く。
迷いやためらいは剣を鈍らせる。鈍った剣では彼女の首を一刀のもとに断ち切ることはできない。いかに切れ味鋭い剣でも、使い手が鈍らでは意味がない。
――風を斬れ。
――音を斬れ。
――光を斬れ。
神速とも呼ぶべき速度へと俺の剣は加速していく。
――すべては苦痛なき処刑のために。
俺とミリア。
利害は一致している。
……そのはずだ。
だが、迷いは消えない。
本当に良いのか。
こんな関係を続けることが正しいことなのか。
「良いのです。私もヴァイスさんのおかげで助かっています。自分で自分を殺すのは難しいものですから」
彼女はそんな風に言って、木漏れ日の隙間からのぞく陽光のような微笑みを口の端に浮かべる。
俺はそんな彼女の言葉にすがろうと思う。甘え、委ねることでしか、俺は、もはや自分を保てそうもなかったから。
だが、自分の中の逡巡は、ずっと消えないままだった。
旅路の果て、俺たちは故郷に帰りついていた。
ロアと暮らしたあの隠れ家だ。
鬱蒼と茂る森の奥。世界からも忘れ去られたような隔絶された場所。そんな雰囲気は昔よりも強くなっていた。五年以上も放置されていたのだから、当然ではあるのだが。
俺たちはここで暮らし始めた。
荒れ果てた小屋を修理し、畑を整え、生活必需品を補充する。しばらくは目が回りそうな忙しさだった。俺もミリアも特殊な環境で育ったものだから、正直、世間には疎い。二人だけで生活の基盤を整えるだけでも大層苦労したのだ。
「でも、こういう生活も楽しいものですよ」
ミリアはそう言って、微笑むのだった。
隠れ家にたどり着いて数週間。
ようやく、俺たちはそれなりに安寧な日々を手に入れていた。
もちろん、その安寧はミリアの血によってあがなわれていたのだが。
そんなつかの間の穏やかな日々の中でも、いや、そんな日々の中だからこそ、俺は自分の行っていることの是非について考え込んでいた。
確かに、今、二人のこの関係は、一つの円のように完結している。
だけれど、その円にはいくつもの傷がある。
それを見ないようにして、気づかないふりをして、ようやく成り立っている関係。
それが健全な関係であるはずがない。
俺は気が付けば、いつも自分の手を見つめている。
真っ赤な血に染まり続ける自分の薄汚い手を。
ある日の夜、俺は彼女に尋ねた。
「……もとの身体に戻りたいとは思わないのか?」
その問いかけをするには、随分な覚悟が必要だった。
彼女が元の身体に戻るということは、『神の器』としての役割を放棄することと同義だ。敬虔な信徒である彼女がそれを良しとするわけがない。そう思ったからだ。
俺は静かに彼女の言葉を待った。
彼女は笑っているとも、悲しんでいるとも見える曖昧な表情で、直前まで飲んでいた暖かいミルクに目を落としていた。
時が止まってしまったのではないかと思えるくらいの時間の後に彼女は言った。
「戻るわけにはいきません」
そこには溶けた氷同士がぶつかったときに立てる音のような冷たい響きがあった。俺は彼女のそんな冷然とした声を始めて聞いた。
「私の身体は神からの預かりもの。私のものではないですから」
「だが……」
「それに――」
彼女は俺を見る。
確かに、彼女は俺を見ている。
だが、その瞳に俺は映ってはいなかった。
「ここにある命は敬虔な信徒たちからいただいたものです。それを捨てるなどということはできません」
俺は言葉を失う。このときの彼女にはそうさせるだけの何かがあった。
彼女もまた口を閉じる。二人に沈黙の帳が降り、見えない何かが肩の上にのしかかった。
永遠とも思える時間の後に彼女は言った。
「……今日もうは眠りましょう」
俺はベッドに入る。
ミリアはカーテン一枚隔てた向こうのベッドで横になっている。
気づいていたことではあったが、彼女にはおおよそ自己と呼べるものがない。
生まれてこの方、信徒として「神のために生きよ」と教えられてきた彼女は、異常なまでに我欲というものを持たなかった。どんなときも我がまま一つ言わない。彼女が何かを欲したことなど皆無だった。
人は彼女のような存在を聖人と呼ぶのかもしれない。
聖人と言えば、聞こえはいい。だが、いかなる聖人と言えど、欲はあるはずだ。「おいしいものが食べたい」「綺麗な服が着たい」「皆に愛されたい」。それはもちろん欲だし「誰かを助けたい」という「願い」だって一種の欲とも言える。
だが、彼女にはそんな欲すらない。
「神の御子と世界を救う」
それは彼女にとって与えられた義務だ。彼女は望んでいるのではない。彼女にとって、世界のために尽くすことは自分の人生よりも先にある大前提。
彼女は「正しさ」という形に歪んでいた。
俺は彼女に「生きて」欲しかった。
「生きる」というのは、ただ呼吸し、心臓が動いているというだけのことではないと思う。「生きる」ということは、きっとその先にある何かだ。うまく言葉にはできないが、きっとそういうものなのだと思う。
彼女に「生きて」もらうこと。
いつしか、それが俺の人生における目標になっていた。
その事件は俺たちが一緒に暮らし始めて半年が過ぎた頃に起こった。
「斬殺事件……?」
近場の村に買い出しに出かけた際に聞いた話だ。なんでも山一つ向こうの村で斬殺事件があったらしい。何者かによって、村の住人の大半が殺された。犯人はまだ捕まっていないという。
住人たちは、その事件を王都の事件、すなわち俺が起こした事件と結び付けて考えているようだった。
「王都ですら滅ぼされたんだ。『悪魔』がうちの村に来たら、もう終わりだよ……」
「………………」
また、俺が人を殺してしまったのか。
一瞬、そんな最悪な想像が頭をよぎる。
だが、俺は今回の事件の犯人ではない。もし、俺が犯人だったとしたら、山向こうの村は襲わない。きっと、先に隠れ家にほど近いこの村で滅ぼしているはずだ。それに、俺には事件が起こった日の記憶がある。今までの経験上、俺が『呪魔』に憑りつかれ、暴走したときは、その間の記憶が飛び、ぽっかりと穴が空く。そこから考えても、俺が犯人だという線は限りなく薄いと言える。
ならば考えられることは――
(——俺以外の『呪魔』か……?)
『呪魔』の感染者は俺だけというわけではない。
研究施設に居た頃、ゼーアが話していた。少なくとも俺以外に数人、あの施設には『呪魔』の感染者が居たらしいし、まだ保護されていない感染者も居ると話していた。奴の言葉が信用できるのかは解らない。だが、そこで嘘をつく意味もないだろう。俺以外にも感染者が居ることは、ほぼ間違いない。
もちろん、斬殺事件=『呪魔』の犯行とは限らない。隣国のアルエスタやハルの国との戦争で住処を追われた住人が野盗と化し、他の村を襲っているなんていう話も耳にしたことがある。すべての事件を呪魔と結び付けるのは安易な考え方だろう。
だが、噂話によれば、今回の事件は王都の事件、つまり、俺の事件と関連付けて、とらえられている。それはつまり、二つの事件に何らかの似た点があるのだと予想できる。ならば、俺と同じ『呪魔』の犯行という可能性も低くはない。
(俺以外の『呪魔』が見つけられれば……)
具体的な思惑があるわけではなかった。
だが、この事件が俺の心の霞を払ってくれる。
そんな直感が俺の足を動かした。
「……どこに行かれるのですか?」
夜、ミリアが寝静まったのを見計らって、俺は隠れ家を出た。例の村に行こうと思ったのだ。彼女には何も言わずに出発するつもりだった。話せば余計な心配をかける。そう考えた。
「……事件があった村ですか」
しかし、彼女は俺の考えを読んでいたようだった。俺が家を出るとすぐに俺を追いかけてきた。
「……ああ」
もはやごまかしは効かないだろう。俺は素直に白状する。
「………………」
彼女は真剣な表情でこちらを見つめている。彼女の美しい金の髪は月明かりを浴びて、淡く輝いていた。周囲の木々は夜の冷たい風を受けて、静かに揺れる。
「私も行きます」
彼女はそう言ってこちらを見る。
彼女の空を映した湖面のようなブルーの瞳には一切の曇りはなかった。
そこには有無を言わせぬ何かがあった。もはや、彼女を振り切るという選択肢は残されてはいなかった。
俺は彼女に背を向けながら言った。
「……行くぞ」
こうして、俺たちは隠れ家を出発した。
山向こうの村には、通常、一日ほどかかる。こちら側との間にある山は険しく、多くの回り道を強いられるからだ。だが、俺の『呪魔』の感染者としての身体能力を利用すれば、険峻な岩肌も軽々越えられる。俺はミリアを抱き上げる、山をかける。
「はわわわわ」
「大丈夫か? 戻るか?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
俺たちはものの数時間で例の村の近くまで足を踏み入れていた。
山上から例の村が視認できる位置まで来たときだった。
「……?」
俺の足はぴたりと止まる。
まさか……この感覚は……?
「ヴァイスさん……?」
不審げにこちらを見るミリア。俺は次の瞬間、彼女を抱いて、その場から飛ぶ。
次の瞬間――
地面を揺らす轟音。
俺たち二人が直前まで立っていた場所の地面に、突如、大きな穴が空く。
「……へ?」
次に、またひゅうという風切り音を聞きながら、俺は大きく後ろに飛び下がる。
「ミリア! 敵だ! 攻撃されている!」
「へ?」
俺がミリアに警告している間も襲撃者は一切手を緩めることなく、俺たちを襲おうとする。
俺はミリアを背中にかばい、咄嗟に腰に下げた剣を抜く。
――舞い散る火花。
そして、鈍い金属音が静かな山中に響き渡る。俺が剣で襲撃者の武器を受けとめた音だ。びりびりと腕がしびれる。何と重たい一撃だ。まともに食らえば命はない。
そして、そうやって敵対者の足を止めて、ようやく俺は確信する。
——こいつは、俺と同じ『呪魔』の感染者だ
襲撃者は飛びずさり、一度距離を取る。
大柄な男だ。筋骨隆々、腕や足は丸太のように太く、胸や腹ははちきれんばかりに膨れ上がっている。顎には、まるで伸びすぎた雑草のようなもっさりとした髭を蓄え、瞳は磨き上げられた珠のようにぎらぎらと輝いている。その姿はまさに野獣とでも呼ぶ他ない。
知らない男だ。少なくとも記憶にはない。
だが、こいつが自分の同類であることは、感覚で理解できた。
匂いで解る、とでも表現すればよいのだろうか。
こうして、目を合わせ、武器をかわしたことで、俺とこの男の間に何かが伝わった。
——俺たちは殺し合わなければならない、と。
「うがああああああああああああ!」
獣の咆哮と共に男は再び俺に向かって突進してくる。
その手に握られているのは、槌。
いわゆる、ウォーハンマーだ。
長い柄の先に大岩のような金属塊が付いている。先程、一撃を受け止めたからこそ解るが、相当な重量だ。男はそれをまるで木の棒でも振り回しているかのように軽々と振り回す。
俺はその一撃を一つ一つ見切り、躱していく。
男の一撃は脅威的だ。だが、大きな獲物を使用している分、どうしても一撃が大振りになる。ゆえに、いくら速度のある一撃であっても、なんとか躱すことができた。それに加えて、こいつは理性を失っているせいか、攻め方が単調だ。これなら、対処できる。
俺は、一瞬の隙を突き、男の懐に潜り込む。
巨大なウォーハンマーは接近戦には向かない。この間合いなら、男に俺の一撃を対処する術はない。
(——————『殺す』)
俺の剣が男の喉笛を切り裂こうとする直前だった。
俺は身をこわばらせ、立ちすくむ。
振り切った剣を無理矢理に止めたせいで、全身が悲鳴を上げている。
「あ……あ……」
俺の剣は男の喉の先、皮一枚のところで静止していた。男は見えない糸にでも縛り付けられているかのように動けなくなっている。
俺が自身を静止するのが、あとほんの一瞬でも遅ければ、俺は間違いなく、この男を殺していた。
(俺は今、何と考えていた……?)
俺は確かにこの男を『殺す』と考えていた。
何のためらいもなく、この男の命を奪おうとしていた。もちろん、先に襲ってきたのはこの男の方だ。ならば、この男は殺されても文句は言えない立場なのかもしれない。
だが、問題はそこではない。
二度と人など殺したくないと願っていたはずの自分がこうもあっさりと殺人に手を染めようとしたことに驚いたのだ。
『呪魔』によって、理性を失ったわけではなかった。今の自分は確かに理性を持っていた。獣の本能ではなく、人の理性で命を奪おうと思考していたのだ。
俺は動揺し、剣を緩めてしまった。
『呪魔』の感染者同士の戦闘において、その隙は致命的なものとなった。
「——がっ」
そして、俺は意識を失った。
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