第5話「白の魔女」
男が居た。
天井には珠玉の装飾が凝らされたシャンデリア。左右の壁には、選りすぐりの宝刀。床には、上質の布で織り上げられた赤絨毯。まさに豪華絢爛と呼ぶべき調度品たち。ここは、とある国の王室である。
そんな豪奢な部屋の奥に鎮座する一つの玉座。そこに、一人の男が腰かけている。
玉座に座るのは、当然、王しかありえない。もちろん、この男も一国の王であった。
レヴィアルビオ王国、国王ブレード=ハンダーソード。レヴィアルビオを治める若き王である。
夜空を思わせる漆黒の髪に、吸い込まれそうな深い闇の瞳。その目には強い意志の炎が灯り、口元には見る者を魅了する淡い微笑が浮かぶ。誰であろうと一目見ただけで理解する。この男は人の上に立つために産まれてきた人間である、と。彼はそれだけの気品と威厳を悠然と着こなしていた。
そんな王の前には、ひざまづく複数の人影。王に仕える忠実な家臣たちである。彼らは静かに王の言葉を待っている。
「『白の魔女』」
男が口を開くだけで、家臣たちは身構える。一言も聞き逃すまいと全身全霊をかけて、王の言葉に耳を傾ける。
「そう呼ばれている者がいる」
王は家臣たち一人一人の目を見ながら、ゆっくりと語り続ける。
「かの者は不老不死であり、魔術とも違う奇っ怪な術を使うと言う。また、顔が広く、各国にその魔女に通ずる者が居るとも」
王はそこで言葉を止め、改めて家臣たちの顔を覗き込む。王は家臣すべての心の奥底まで見通している。王の瞳にはそう感じさせるだけの力があった。家臣たちは思わず身を震わせる。
「勘違いするな。私は魔女に通ずるという者を批難したいわけではない。むしろ、その逆だ」
王は言う。
「『白の魔女』を手にすることができれば、不老不死の秘術が手に入るやもしれん。それは我が王家こそが管理するにふさわしい奇跡」
王は地を震わせる厳かな声で宣言する。
「『白の魔女』を捕らえ、我が元に連れてくるのだ。これは王命である」
こうして、レヴィアルビオ王国による『白の魔女』捕獲計画が幕を開けた。
夜の街を二人の人影が駆け抜ける。
「振りきれましたか?!」
「いや、まだだ!」
バンという破裂音が夜の闇を割り、風切り音が二人の横を掠め、消えていく。
銃だ。
「あいつら、街中だってお構いなしかよ!」
二人を狙っていた人影たちは、一切動ずることはない。情けなど持たないゴーレムのように冷酷無比に、ただ淡々と銃に弾を込め、二人に向かって引き金を引く。
魔術銃はここ数年で完成した最新の魔術兵器だ。魔石の力で爆発を起こし、鉄の弾丸を発射する恐るべき兵器だ。過去の兵器との違いは、高い殺傷力を誇りながら、使用する魔石は必要最低限で済むという点である。また、ある程度、訓練を積めば、誰にでも使いこなせるという点でも過去の魔術兵器と一線を画している。魔術銃をレヴィアルビオ王国が開発し、各国に輸出を初めてから、戦争はいっそう激化した。
石畳を踏みしめ、石造りの家屋の隙間を抜けていく。
そのとき、弾丸の一発がヴァイスの髪の毛の先を掠める。
「っ!」
弾丸に触れた髪は弾けとんで消えた。それを見たヴァイスは舌打ちをして、叫ぶ。
「やっぱ、反撃を――」
「だめです!」
ミリアはヴァイスを制して言う。
「こんな街中で戦えば、関係のない罪なき人を巻き込んでしまいます!」
旅の途中、物資の補給のために立ち寄った街で二人は突如、銃を持った兵士たちの襲撃を受けた。反撃すれば街の人々を巻き込むと考えた二人は、逃げに徹することに決めた。
「ちっ」
彼女にそう言われては、もうどうしようもなかった。今できることは、一刻も早く街の外に逃げることだけだ。
「止まれ! そこの二人!」
駆ける二人の行く先を封じるように立つ複数の人影。銃を構えた兵士たちだ。どうやら、待ち伏せされていたようだ。
(ちっ、どうする?)
ヴァイスは状況を俯瞰的に判断する。後ろには銃を持った追手。前には道を塞ぐ兵士たち。
(前の兵士を瞬時に切り殺して、道を開く――)
瞬時にそう判断し、腰の剣に手を伸ばした瞬間であった。
「おまえたち二人の身柄が確保できない場合、この街を住人ごと吹き飛ばす!」
「?!」
兵の中でも将校らしき男は続けて叫ぶ。
「これははったりではない! 見よ!」
男が指さした先には街を囲む険山。その山頂には――
「魔術砲……?!」
夜の闇に溶け込む漆黒の砲身が、こちらにその口を向けていた。その数、視認できるだけで十以上。この街を吹き飛ばすには十分過ぎる火力である。
「おまえたちが投降せぬ場合、あの砲は容赦なく、この街に降り注ぎ、多くの命を奪うことになるだろう!」
堂々とそう言い切る将校らしき男。彼に向かって、ヴァイスは叫ぶ。
「そんなことになれば、おまえたちも巻き添えだぞ!」
「元より覚悟の上である」
気が付けば、周囲を銃を持った男たちに囲まれている。その銃口は油断なく、二人を狙っていた。これでは下手に動けない。
「おまえたちが投降し、我々と共にくれば、この街に対する砲撃は中止する。だが、おまえたちが抵抗したり、逃げ出したりすれば、この街は火の海に沈むことになる」
「………………」
ヴァイスは思考する。ヴァイスの身体能力は常人のそれとは比べ物にならない。この状況からでも離脱することは十分に可能だろうし、この周囲を取り囲む男たちをねじ伏せることもできないわけではない。
だが、あの山の上の砲を止めるのはさすがに間に合わない。奴らが本気ならば、この街は一瞬で焼き尽くされるだろう。この街はあくまでも旅の途中で立ち寄っただけの場所。庇いだてする義理などありはしない。ここの住人たちを見捨てれば、自分たちは窮地を脱することができる。
だが――
「……ヴァイス」
「……ああ、わかってるよ」
この人が他人を見捨てるなんて真似できるはずがないのだ。そのことは自分が一番良く知っている。
ミリアは将校らしき男に向かって言う。
「約束してください。私たちが投稿すれば、この街に手出しせず、あの砲を引き上げると」
「約束しよう」
男はがなるような声で返事をする。
次に男はヴァイスに向かって言う。
「武器を捨てろ」
「ちっ」
ヴァイスは言われた通り、持っていた剣を投げ捨てる。
それを見た男が手で合図をすると、兵士たちは二人に近付き、武器を回収し、不可視の魔術の縄で二人を拘束した。
「連れていけ!」
こうして、二人は謎の集団の手に落ちたのであった。
二人は目隠しをされ、車に乗せられる。魔石を動力に動く車。これもレヴィアルビオの特産品だ。がたがたと揺れる車内でヴァイスは必死に思考を働かせる。
こいつらは一体何者で、何が目的なのだろう。
自分たちが狙われる心当たりはいくらでもる。ここ数年だけでも、様々な街や村に干渉し、争いを調停してきた。激化する戦争を収めるために、国に政治的な介入を行ったこともある。ミリアが長年培ってきた人間関係を使った成果だ。
だが、そういう行動を面白く思わない勢力が居ることも間違いない。たとえば、戦争を使って、一儲けしているような奴ら。二人を拘束した兵士たちは、所属を判別させるような紋章の類はつけていなかった。しかし、奴らは惜しげもなく、銃を使用している。銃は高価な代物だ。弾丸だってタダではない。そう考えれば、奴らには資金を潤沢に使えるだけの巨大な支援者が居る可能性が高い。ただのマフィア程度の奴らと侮るべきではないだろう。
さらに言えば、この計画の首謀者はミリアの性格を熟知している。彼女は人を見捨てられない。それが他人であろうと関係ない。罪のない人々が傷つくということが絶対に許せない。だから、この街の住人を人質にとるというやり方が成功している。だが、これはあの人の性格を理解しているからこそ立てられる計画。普通、見ず知らずの他人を助けるために自分が犠牲になるなどという選択をする人間は居ないのだから。
「着いたぞ」
そんなことを考えている内に、車は目的地に着いたようだった。二人は車から降ろされ、どこか室内に連れ込まれる。そして、長い階段を降りさせられる。空気がこもっている感覚がする。どうやら、自分たちは地下に向かわされているようだ。
相変わらず目隠しをされ、縄で縛られてはいるが、乱暴な扱いは受けていない。やはり、ただのチンピラという線はなさそうだ。こいつらは何か明確な目的を持って、自分たちを拉致している。
「目隠しを外す」
唐突に自分たちを連れていた男はそう言った。
「いいのか?」
「これもご命令の内だ」
そう言いながら、男はヴァイスたちの目隠しを外した。
目隠しがなくなったことでようやく自分たちが居る場所の様子を知覚できるようになる。
ぐるりと周囲を見渡す。
一見した印象は、どこかの国の実験施設のようであった。手近な机の上には文字やグラフがいっぱいに書き込まれた資料が山と積まれ、空の試験管が何本も並んで置かれている。その資料や試験管のいくつかは地面に転がっていた。壁際には鉄格子に囲まれた牢があり、中の壁からは何者かを拘束するための鉄の鎖が伸びていた。しかし、中には誰も居らず、誰かが居たような様子もない。鉄格子にも錆が見られる。長年使われておらず、放棄された研究施設といったところだろうか。
観察を終え、隣に居るミリアを見る。
なぜか、彼女は震えていた。
「……どうした?」
思わず、声をかける。しかし、彼女はこちらを振り向こうともしない。彼女の顔をのぞき込む。
彼女は目を大きく見開き、大口を開けている。何かに驚き、呆然自失の体になっているようだ。
「おい」
「この場所は……まさか……」
彼女はうわ言のように呟く。
この場所を知っているのだろうか?
当の昔に打ち捨てられたような研究施設に彼女と一体何の関係があるのだろう。自分には何の心当たりもない。自分が産まれる前に、ここと何らかの関わりがあったのだろうか。
「おい。この先だ。この扉の向こうで、おまえたちをある御方が待っている」
ここまで自分たちを連れてきた将校らしき男は言う。
「せいぜい、あの方の御機嫌を損ねぬことだ」
そう言って、男は扉を開け、二人を中に押し込む。それと同時に扉が閉まる。鍵がかかる音がする。内側からは開けられない鍵のようだ。ここに閉じ込められてしまったらしい。
中は先程の部屋と違い、小奇麗にされている。大きな屋敷のダンスホールほどの空間の左右には先ほどと同じ鉄の牢が立ち並んでいる。自分たちから向かって正面には、陰鬱な雰囲気の場所には不似合いな豪奢な椅子。その椅子の上に一人の男が座っている。
不思議な雰囲気を持った男であった。日も差し込まない地下施設であるにも関わらず、その男がそこに居るだけで、あたかもこの場が貴族の居室であるようにすら感じさせる。
「やあ、よく来てくれたね、『白の魔女』」
その漆黒の髪の男は親し気な調子で声をかけてきた。
「いや、ミリア=ローゼンハート」
まるで十年来の知己に接するかのような態度。しかし、ミリアの方には心当たりはない。
「……私のことをご存知なのですか?」
ミリアは警戒心を隠さない固い声で問う。
「ああ、もちろん。よく知っているとも」
――この男は
「むしろ、今の世で私ほど君のことを知っている者は居ないと自負している」
——こいつだけは
「本当に会えてうれしいよ。これは本心だよ」
——絶対に
「君は私の一番優秀な生徒だったから」
——『殺す』
「手荒いな……」
気が付けば、ヴァイスは拘束を引きちぎり、目の前の男に踊りかかっていた。
だが、男はまるですれ違い様にぶつかりそうになった相手を避けるような軽々とした調子で、その一撃を躱していた。暗い部屋に響く轟音。男が座っていた豪奢な椅子はヴァイスの拳によって、ひしゃげて、歪んでいた。
「邪魔をしないでもらおうか」
男は自身に飛びかかってきた獣のような様子のヴァイスの腕を掴む。
「ぐぅ!」
瞬間、再び不可視の縄が出現し、ヴァイスをその場に拘束する。ヴァイスは縄に縛られ、まるで芋虫のように地面に這いつくばらされる。
「うぐあああぁっ!」
身動きを封じられてなお、ヴァイスは男に組み付こうとして、暴れている。
——『殺す』『殺す』『殺す』
ヴァイスの脳髄は殺意という原始的な本能に塗りつぶされていた。
そんなヴァイスの様子を見たミリアは呟く。
「まさか、貴方は――」
彼女は驚愕に声を震わせている。
いや、そんなはずはない。ありえないのだ。一体、どれだけの時間が経ったと思っている。ありえない、あってはならない。
ミリアの中の常識はその存在を否定する。
しかし、直感とも呼ぶべきものは、今、目の前に居る相手が何者であるかをはっきりと告げていた。
「貴方は、司教様……ゼーア様なのですか……?」
問われた男は、昔と変わらない柔らかな微笑で答えた。
「その通り、正解だよ、ミリア」
「その姿はいったい……?」
ゼーアを名乗った男の姿は、ミリアの知るゼーアの姿からはかけ離れていた。ヴァイスが衝動のままに飛びかからなければ、気が付くことはなかっただろう。
「ああ、この身体はレヴィアルビオの今の王。ブレード=ハンダーソードの身体だよ。乗っ取ったんだ」
「……乗っ取った?」
そんなことを事も無げに言うのだ。
「君は『呪魔』の感染の性質を覚えているかな?」
昔と変わらない、まるで生徒にでも接するような調子でゼーアは言う。
「感染者を殺した者に感染する……」
「その通り。正確には、感染者を殺した者、もしくは感染者の死亡時に近くに居た者だけど。基本的にはその解釈でいい」
ゼーアは説明を続ける。
「ここでいう感染とはいったい何なのか? これは感染者当人でなければ解らないが、実は『呪魔』は人を殺すことで奪ってきた魔力そのものを受け継がせる。だから、感染者は、代を追うごとにより強大な魔力を得るようになる」
ミリアは口を挟まず、ゼーアの言葉を待つ。
「ここで重要になってくるのは、魔力の引き継ぎがあるということだよ。魔力というのは、基本的にそれを産み出した者の性質が混ざる。同じ量、同じ属性の魔力であっても、それを産み出した人間が異なれば、性質というものは変わってくる。例えるなら指紋が一人一人違うみたいに、魔力というのも一人一人違うというわけさ」
言っていることは理解できる。実際、魔術師の中には残留魔力で個人を特定できる者も居るらしい。持っている魔力は一人一人違うというわけだ。
「私は魔力の引き継ぎに目をつけた。魔力が引き継がれるということは自分の持つ魔力を次の感染者の魔力に上書きすることも不可能でないとね」
「魔力の上書き……?」
「つまり、感染者が死亡し、次の感染が発生する前に、自分の中にある『呪魔』の魔力を自分の魔力へと書き換え、そこに自分の意識の情報を混ぜ混めば――」
「次の感染者に自分の意識を移せる……?」
「その通り。さすがはミリア。私の歴代で最も優秀な教え子だけはある」
ゼーアは本当に嬉しそうに目を細めている。
「もちろん、誰でもできる話じゃない。長年『呪魔』を研究し、魔術にも奇跡にも精通している私だからこそできた方法だよ」
「なぜ、そんな人の身体を乗っ取るような真似を……」
問われたゼーアは顔を伏せる。
「私のオリジナルの身体など、とっくに朽ちてしまったからね。不老不死として悠久の時を生きる君に追い付くためにはこうするしかなかったのさ」
彼は自分に追い付くために、こんなことをしたのだと言う。そんな言葉に思わず血の気が引く。
ミリアはゼーアを睨みながら言う。
「そんなことのために、人の身体を奪ったのですか?」
「私にとって、これ以上に大切なことなど、ありはしないよ」
ゼーアは目を逸らすことなく、ミリアを見て、冷然とした調子で言いきった。
「長かったよ……君を殺してあげるために、何度も人生を繰り返した。その度に人を殺した。効率よく人を殺すために、国を乗っ取り、戦争を激化させた。本当に苦労したんだよ……」
そう語りながら、ゼーアはミリアの方へ一歩ずつ歩み寄ってくる。
「そして、ようやく君の『不壊』の性質を上回るだけの魔力を貯めることに成功したんだ。今、私が全力を込めて、君の首を刎ねれば、君は二度と生き返ることはない」
ミリアは思わず、後退りするが、後ろは先程この部屋に入ってきたときに使った扉だけ。そこは固く閉ざされている。他に逃げ道は見当たらない。
「ようやくだ……ようやく、君を救ってあげられる……君を眠らせてあげられる……」
ゼーアは何かに酔っているような調子で語り続ける。
「待たせてしまってすまない。ずっと苦しかっただろう? 愛した人は自分よりも先に死んでしまう。隣に寄り添ってくれる者も居ない。こんな人生、本当に辛かっただろうに……」
ゼーアはなぜか泣きそうな表情になっていた。
「本当に、本当に……こんな……」
ゼーアはミリアの白い頬に触れて言った。
「五百年もの間、一人にしてすまなかった……」
ゼーアと間近に向かい合うミリアは言う。
「確かに、私は死にたかった。無駄に五百年もの間、生き長らえて……愛した人は次々に私を置いて逝ってしまった……」
ミリアはゼーアの漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。
「けれど――」
ゼーアの背後で突如、轟音が響く。
確かに、この五百年、辛いことばかりだった。何度、普通に死ぬことができたら、そう考えたかも解らない。
けれど、一人だったというのは間違いだ。
ゼーアが振り返ると、そこには拘束の縄を引きちぎったヴァイスが立っていた。
「――私は一人じゃなかった!」
ヴァイスの瞳には、強い意志の炎。その炎はぶれることなく、ゼーアを捉えている。
「――触れるな」
ヴァイスは神速と呼ぶべき速度、一足飛びでゼーアの前に出る。
そして、大きく拳を振りかぶり、それをゼーアに向かって打ち付けながら叫ぶ。
「薄汚い手で、俺の母さんに触れるなぁ!」
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