傘
梅干しおにぎり
第1話
長靴を履いて、自由が丘に寿司を食べに駅を目指した。雨の音はザーザーではなく、傘にポツポツポツポツという微妙な音を出す程度。大雨ではないが、小ぶりというわけでもない。
白地に赤い花の絵が描かれているこの傘は、就職活動中に雨が降ったときに買った物だ。
スーツだったので濡れるわけにはいかず、壊れた折りたたみ傘しかもっていなかった自分の為に、渋谷駅のデパートで選んで手に入れたものだった。なんだかんだと、自分で自分のお金で自分の為の傘を買ったのは、この時が初めてだった。手で広げなければならないが、大きくて、リュックを持つことが多い私には丁度よかった。白い柄の部分が汚れないかだけ心配だったが、三年たった今でも大事にしている。
駅について、ゆっくりと傘を手で閉じる。勝手に広がってしまう前に急いで紐でまとめる。バックをかけている肩と反対の手に、傘を持ち席に座る。乗り換えが多いが、他の大きな駅に向かうのと大差ない運賃なのがこの私鉄のいい点である。Suicaの残高を確認しながら、携帯を少しいじって電車を乗り換えた。屋根があるホームしかないので、傘を忘れないように何となく気をつけながら、握る手を意識する。
乗り換えた先の電車は、制服を着た高校生と大学生で少し混んでいた。適当な所に自分の場所を確保して、時計と行き先の地図を確認している間に自由が丘の駅についた。
正面口の反対側から出て住宅街方面に足を向ける。右、左、右・・・と繰り返し曲がるたびに様々なジャンルの店が出てくる。洋服屋、食べ物や、雑貨や、洋服屋といったように同じジャンルの店が同じ区画にはない。散り散りにある、と思ってしまうのは、似たような店が集められたフロアが重ねられている建物ばかりに行っているからかもしれない。
寿司屋に着くと、暖簾をくぐって戸を引く。思わず、入り口の前で数秒立ち止まってしまったり、扉が開くボタンを探してしまうことが多くなってきたが、何故か寿司屋と鰻屋は手で開けるものだという思い込みがある。
カウンター席しかない寿司屋は、平日の昼間だというのにおじ様とおば様の巣窟かと思うほど、混んでいた。店員さんに誘導された席に座って、ランチ握りを頼むとふぅと息をついた。吐いた息の代わりに海苔の香りが中に入ってくる。温かい緑茶を飲んで、身体が柔らかくなっていく。目の前にネタがあるのに、生臭さが全くないなぁと思っている間に、握りがのった皿がほいっと現れた。
美味しいなぁ、と食べる前に心の中でつぶやいてしまい少し口角が上がったのがわかった。醤油をつけて、一番に海苔が巻いてあるかっぱ巻きを食べた。ツンとわさびが始めにきて、後からきゅうりと紫蘇が口の中に広がった。わさびきいていて美味しいなと、何を食べても美味しい、美味しいと皿にのっているものを口に入れて味わい咀嚼した。
この動作を繰り返すと嬉しい気持ちが出てくる装置に、しつけられたかのように皿の上のものを空にした。周りを見ることなく食べていた私は、ようやくあら汁が置かれていたことに気がついた。先ほどまで目に入らなかった器の中に、身が入っているのが見えた。ちょこちょことほぐしながら、汁をすするのがあら汁の楽しんだ。
こちら、あずきのムース固めです。
最後のデザートがそっと机に置かれると、店員さんと目が合った。ちょっと、恥ずかしいなと思いながら笑うと店員さんも笑い返してくれて安心する。しかし、デザートを食べた私はそそくさと会計を済ませて店を出た。おば様もおじ様もずっと注文しながら、話しをし続けていた。
雨はやんでおらず、雨脚も変わらぬままだったので傘を開いた。電車の通る橋下まで歩き、携帯で目をつけていた雑貨屋さんへの地図を見た。人に渡すプレゼントのため、誰に何を渡すか考えながら歩き続ける。
余計なことを思い出す前に、雑貨屋につき傘たてに傘を投げ入れると沢山ある品物を選別する為にぐるぐると店内を回りつくした。一体どのくらいそんなことをしていたか、わからないがとりあえず、プレゼントを包み終えたのを受け取ったあと私は落ち着きを取り戻していた。
次は、酒屋に行こう。そう思って、傘をとり開こうとした私は違和感を覚えた。ボタンがあったのだ、傘に。押すと、傘が勝手に開いてくれるボタン。正式名称などわからないが、このボタンが自分の傘になかったことは確実だった。え?柄もデザインも私の傘と同じだ。いや、しかし開いてみると傘の大きさが小さい。これは、同じデザインの誰かの傘だ。慌てて、傘置き場に戻ると他に同じ絵柄の傘はなかった。すれ違った人もおらず、誰かが私の傘を間違えて持っていってしまったのだということだけわかった。
私の傘が。ショックを受けながら、仕方ないので誰かの傘をボタンで開く。白地の一部の部分が汚れ、柄の部分も色があせている。荷物が濡れないように、先ほどより鞄を身体にひきよせる。色々な事がぐるぐると頭をまわり、建物に入ったり出たりするのにあわせて傘をボタンで開いて、ボタンで閉じる。
私の気分と自分のいる場所への認識が戻ってくるときには、私は地元の駅についていた。傘を開こうとして、気分がまた落ち込みそうになる中ボタンを押した。バッと傘が広がった瞬間、またも私は違和感を覚えた。何故だか、この傘にこのボタンが付いている事が、前にもあったような気がしたのだ。
どういうことなのか、自分で自分を問答しているうちに私は、家を出るときに持っていた傘は、実は前にも入れ替わったことがあるのではないかと思った。そう考えて、もう一度傘を見上げてみた。買った後どこかで一度入れ替わり、また今入れ替わって私の元に戻ってきたから汚れているのではないか。三年前の物なら、汚れていても不思議ではないのに、私が雑貨屋に入る時まで持っていた傘は、柄が真っ白でとても綺麗だった。きっとそうだ、この傘は元々私の物だったのだとそう納得して私はボタンで傘を閉じた。
傘 梅干しおにぎり @umeboshionigiri
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