第34話軍人、落ち着く
「うおおおおおおおおおっ!」
レギオスの背後から、兵たちの雄叫びが聞こえた。
戦闘中に崖から降りてきたのだろう。
兵たちと共に駆け寄り、レギオスとシエラを取り囲んだ。
その中から進み出たアレンは、レギオスに右手を差し出す。
「見事な戦いだった。そしてすまなかった。どうやら俺は皇子の甘言に踊らされていたらしい」
「気にするな。あのバカ皇子、悪知恵だけは回るんだ。俺も一度は騙された」
それは言わずもがな、シエラとの婚約を許した事である。
帝国皇子という立場もあり、強く言われれば断りにくいものだ。
煮え湯を飲まされたもの同士、レギオスはアレンの手を取り握手を交わした。
「だが二度目はない。帝都に帰ったらあの男には痛い目を見てもらうつもりだ」
アレンは強い口調で言った。
後ろにいた兵たちも、うんうんと頷く。
「そうか。まぁ何かあったら言ってくれ。俺に出来る事なら協力しよう」
「有り難い……君にも助けて貰ったな。礼を言う」
「いいよ。レギオスの為だったし……というか大丈夫なの? レギオス」
シエラが声をかけると、レギオスの足元はふらついていた。
「……いや、そろそろヤバい……な……」
レギオスの身体は、既に限界を越えていた。
ぐらり、と大きく身体がよろめいたレギオスを、シエラは何とか抱き支える。
「おい大丈夫か! ……こうしちゃいられない! おいお前ら、レギオスを運ぶぞ! 手を貸せ!」
「ハッ!」
アレンの号令で兵たちはレギオスを担ぎ上げ、家へと運ぶのだった。
■■■
――夢を見た。
少女と出会った時の夢を。
燃え盛る炎の中、力なく座り込む一人の少女。
少女は今まさに、殺される直前だった。
その顔は血と涙に濡れ、立つことも出来ない状態である。
不憫に思い連れ帰り、孤児院に預けたが、少女は何故か手を放そうとしない。
駄目だ、離れろと言っても聞き入れず、結局世話をすることになってしまった。
戦場でのショック故か、少女は表情をなくしており、何も言わず後ろをただついてきていた。
最初はうっとおしいだけだったが、いつしか受け入れ、生活の一部にすらなっていた。
守ってやらねば何もできない小さな命。
成長につれ少しずつ出来ることが増えていき、手を離れていく。
それでも少女は、ずっと傍にいた。
声が聞こえる。
少女の声が。名を呼ぶ声が、聞こえてくる――。
■■■
「――レギオスっ!」
耳元で聞こえる大きな声に、レギオスは目を開ける。
どうやらベッドに寝かされているようだった。
割れんばかりの頭痛や熱湯のように茹った頭は回復し、随分すっきりとしていた。
ぼんやりとした視界の向こうで、シエラが自分の名を呼んでいた。
「よかった。目を覚ました……」
心配するようなシエラの声が聞こえた。
――大丈夫だ。と言おうとするが声が出ない。
どうやら何日も寝ていたらしい。
だがこういう時、どうすればいいのかレギオスはよく知っていた。
手を伸ばし、シエラの頭を優しく撫でた。
シエラはただ無言で、なすが儘になっていた。
しばしの静寂、ぼやけていた視界が次第にクリアになっていく。
「……シエラ?」
目の前にいたのはまごう事なきシエラだった。
にもかかわらず、レギオスは思わず尋ねてしまった。
理由はシエラの表情。
涙でくしゃくしゃになり、それでも安堵と喜びを湛えた満面の笑顔。
表情を失っていたはずのシエラとは思えぬような――。
「よがっだぁ……!」
涙声を上げながら抱きつくシエラ。
今まで見たことがない表情のシエラを見て驚くレギオスだったが、それを今尋ねるほど無粋でもない。
自分の為に流す娘の涙に目を細め、小さな背中を抱き寄せるのだった。
■■■
「一体何事ですか、父上……いえ、皇帝陛下」
謁見の間にて、皇帝に呼び出されたミザイは怠そうに立つ。
欠伸を噛み殺しながら、後ろ頭を掻きながら、眠そうな顔で。
そんなミザイを前にして、皇帝は苦い顔をした。
「……何の用で呼ばれたか、わかっているか?」
「はぁ、皆目見当がつきませんが……」
本当に、全く、理解していない様子だった。
首を傾げるミザイを見て、皇帝は大きなため息を吐く。
「そうか。なら彼らの顔を見ても同じことが言えるかな? ……入るがよい」
皇帝の命で入ってきたのは、アレンと兵たちだった。
レギオスを送り届けた後、容体が回復に向かうのを確認して帝国へと帰還したのである。
そして宣言通り、皇子を追放するため兵たちと共に皇帝に全てを告白したのだ。
アレンの勝ち誇った顔を見たミザイの表情が強張る。
「貴様らは……」
「お久しぶりですな、皇子。二度と会えないかと思っていましたが、無事会うことが出来て嬉しいですよ」
不敵に笑うアレンに、ミザイは顔色を悪くする。
色々と知りすぎた兵たちと、諸々計画を知られたアレン。
ゲートを起動させ、出てきた魔獣に殺させる予定だったが、まさか生きていたとは……0
苦い顔をするミザイに、皇帝が声をかける。
「その者たちに色々と話を聞かせて貰った。ゲートを起動させたらしいな」
その言葉はいつもより二段階は冷たいものだった。
今までは血縁だからと少々の事は見逃してもらっていた。
部下や下々の女に手を出したり、気に入らない男を勝手に処罰したり、傍目から見れば少々とは言えぬことも多々あるが……しかし国防の要たるゲートに関しては話が別だ。
封印されているゲートは強力な魔獣の闊歩する危険地帯と繋がったり、敵国のど真ん中に繋がったりする可能性があり、国を脅かす危険がある。
故に、起動自体を固く禁止されているのだ。
それを部下に命じてやらせたという話が皇帝に入っているのだ。
もはや許せぬ、とでも言わんばかりの鋭い視線を受け、青ざめたミザイは慌てて膝を突いた。
「待ってください皇帝陛下! それは誤解です!」
「……何が誤解というのじゃ?」
「それは……そう! 連中が全員で私を嵌めようとしたのですよ!」
「失礼ですが嵌めようとしたのはあなたでは? ここに皇子から頂いた正式な文書もありますが。ほら皇子の印も刻まれている」
アレンはミザイから渡された手紙を広げた。
そこにはしっかりと、ミザイの文字で、兵たちに指示を出したと書いてあった。
中年の兵たち前に出て、頭を下げる。
「その指示はゲートを開く事。皇子に娘を人質に取られ、仕方なかったのです……」
「き、貴様の娘など知らん! それに細かい内容は書かれていないだろう! その文章、どうとでも取れる内容ではないか!」
ミザイは万一の事を考え、明確な指示は出さないよう徹底している。
苦しい言い逃れだが、確かに証拠はない。だがアレンはミザイの抗議を読んでいたかのように、指を鳴らした。
部屋の奥から出てきたのは、かつてミザイの元で働いていたメイドだった。
「お久しぶりです。皇子……」
「お前は確か……」
メイドを見た皇子は目を丸くした。
数カ月前に孕ませ、あげくにその腹を何度も蹴り、追放した女だった。
「彼女は皇子のメイドとして働いていましたが、ある日突然解雇されてしまいました。その後、不憫に思った図書館の司書が彼女を下働きとして雇ったのですよ。……そうですね?」
「は、はい。私はそれ以来図書館で働いていました。……ですがある日、皇子が図書館に現れたのです。皇子は私には気づかない様子で、熱心に調べ物をしている様子でした」
「ご存知の通り、図書館で本を借りる際は本の題名を記入せねばなりません。その履歴はあるかい?」
「えぇ、ここに……」
メイドが取り出した書類には、ミザイが借りた本の履歴が乗っていた。
レギオスの住むギャレフの町周辺の地図や、ゲートの位置を記した本を中心に、毒や魔術、呪いの類について何冊か借りていると記載されている。
もはや言い逃れは不可能だった。
項垂れる皇子に、メイドはお腹に手を当てながら、言う。
「……それと、この子は無事です。あなたとの……」
その言葉に、謁見の間の人間全員がざわめいた。
「な……馬鹿か貴様! それはこの場で言う事か!?」
「こんな場だからこそ、です。公になってしまえばこの子も保護せねばならないはず! 私はどうなってもいい……ですがどうか皇帝陛下! 皇子の血を引いたこの子だけは……!」
メイドは地に頭をつけ、懇願する。
皇帝は面食らった様子で、ミザイを見た。
「み、ミザイよ……その者の腹にお前の子がおるというのか……?」
「……えぇ、まぁ」
これだけ並べた嘘を論破された以上、もはやミザイの信頼は微塵もない。
どれだけ否定しようと説得力は皆無である。
ミザイは渋々認めるしかなかった。
皇帝は眩暈を起こしたのか、足元をふらつかせている。
「レギオスの娘と婚約していたであろう。その間に事を行っていた、と……?」
「ち、父上。ですがどちらも遊びですよ。何の問題もありますまい?」
「あるに決まっとるだろうが! この馬鹿者が!」
大きな声が謁見の間に響いた。
「婚約中に他の娘に手を出すだけでも許されぬのに、子まで作っておっただとぉ!? レギオスの娘との婚約破棄、男女の事だからと深くは責めなんだが……とんでもないことをしていたようだな! あの思慮深いレギオスが何を言わずに去って行くのも当然じゃ! 全て貴様のせいではないか!」
「ぐ、ぐぐ……し、しかし……!」
口を挟もうとしたミザイだが、皇帝はそれをばっさりと切って捨てた。
「ええいこれ以上の言い訳は耳が腐る! その者をひっ捕らえよ! 国外追放処分とする!」
控えていた兵たちが、ミザイを取り囲んだ。
その兵たちもまた、ミザイに痛い目を見せられた者たちである。
遠慮なく両腕を掴み、引きずっていく。
「そ、そんな父上! ご無体な!」
「ワシをこれ以上父と呼ぶな!貴様と血が繋がっていると思うと、吐き気がするわ!」
「父上! 父上っ……クソ親父ぃぃぃぃぃ! 絶対に許さんぞ! くそぉぉぉぉぉぉぉ!!」
本性丸出しで叫ぶミザイ。
その声は閉ざされた巨大扉に遮られ、聞こえなくなった。
皇帝はアレンたちやメイドの方を向き直り、目を伏せる。
「君たちには申し訳ない事をした。愚息の代わりに詫びよう」
「そんな! 気にしないでください!」
「いいや、そうはいかぬ。その子に罪はない。十分に援助する故、引き続き城で働いてくれ」
「皇帝陛下……! ありがとうございます。ありがとうございます……!」
感激の涙を流しながら、メイドは再度頭を床に擦り付ける。
「アレンに兵たちよ。お主らもだ。魔獣の出現という危険な状態からよくぞ生き延びてくれた」
「ハッ、恐縮でございます」
「だが開いたゲートを閉じねばならぬ。その任務、頼めるだろうか?」
「ご心配には及びません。先日知り合った人物から、ゲートが閉じられたとの手紙が来ましたので。我々に協力してくれた人物で、その人物のおかげで生き延びたようなものです。S級危険魔獣である蛇蜻蛉を倒す程の猛者ですよ」
「なんと! それは是非礼をせねばならぬな。というかその人物、我が帝国にて雇えぬか?」
席を立つ皇帝に、アレンは苦笑を返した。
「皇帝陛下のよく知った人物ですよ。……そして彼を雇うのはまぁ、少々難しいかもしれませんね」
「むむ……一体何者であろうか……」
皇帝はううむと唸りながら、考え込むのだった。
■■■
「グォォォォォォォォ!?」
森の中、獣の咆哮が響き渡る。
火熊をジークたち魔獣狩りが取り囲み、長い柄を取り付け改良したスタンガンを押し当てていた。
回復したレギオスは、ジークらと共にゲートから出てきた魔獣を狩っていたのだ。
火熊は倒れ、びくびくと痙攣していた。
「おう、お前さんの作ったこのスタンガンだっけ? こいつは大したもんだぜ。火熊も一撃とはな」
ジークは手にした改良型スタンガンを得意げにくるりと回す。
レギオスが皆に作った改良型スタンガンは魔獣相手に非常に効果的で、ジーク率いる魔獣狩りでも火熊くらいなら十分に倒せるようになっていた。
それでもレギオスがついていくのは、青大将クラスの大型魔獣が出た時のためである。
そして痕跡を見つけたら、一人でこっそり狩りに行っていた。
だがその機会もだいぶ減りつつあった。
「しっかし魔獣もめっきり見なくなったなぁ。以前はちょっと歩いただけで見かけたくらいなのによ」
「大分倒したからな」
レギオスは回復するとすぐにゲートを起動させていた魔石を外し、その綻びも修理した。
新たな魔獣はほぼ現れなくなっており、残った魔獣もジークらと共に倒して回ったので、ここらにはほぼいなくなっている。
「ま! よきかなよきかな。今日も仕事が終わったし、町へ帰ろうぜ!」
「そうだな。腹も減った」
火熊を倒したレギオスらが町へ戻ると、入り口にシエラが立っていた。
「おかえり、レギオス。皆さんも」
「おうシエラちゃん! 今帰ったぜ!」
大手を振るジークだが、シエラの視線はレギオスに注がれていた。
自分に全く興味なさそうなシエラを見て、ジークはレギオスに小声で話しかける。
「相変わらず無愛想だなぁシエラちゃんはよ。レギオス、お前親として心配じゃねーのか?」
「うーん、少し前は笑顔を見せてくれたんだがなぁ……」
病み上がりのレギオスに見せた、涙でくしゃくしゃの笑顔。
だがあれを見せてくれたのは、その時の一度きりだ。
あれ以来シエラはいつもの無表情に戻ってしまった。
「ほう、とても信じられねぇな。あの美器量だし、めちゃめちゃ可愛かったんじゃねぇのか?」
「あぁ、信じられないくらい可愛かったぜ」
ニヤリと笑うレギオスに、ジークは苦笑いをして肩を組む。
「オイオイオイオイ、見せつけてくれるじゃねぇかよこの野郎! 可愛い娘に好かれていいねぇ!」
「あぁ、娘ってのはいいもんだぞ。お前も所帯を持ったらどうだ?」
「……チッ、親バカも大概にしとけよ。見てらんねーぜ! 全く……行くぞ野郎ども!」
ジークは呆れた風に舌打ちをすると、皆を連れて町へと入っていく。
それをレギオスはシエラと二人、見送っていた。
「ねぇレギオス」
「ん、どうした」
「さっき私の笑顔、可愛かった……って」
「あぁ、言ったぞ」
レギオスの言葉に、シエラは口ごもる。
その表情は夕焼けに照らされ、赤く染まっている。
「……ねぇレギオス」
「なんだ?」
「私、笑った方がいい?」
「むぅ……」
今度はレギオスが口ごもる。
そしてしばらく考え込んだ後、顎に手を当てた。
「……いや、いい」
想定外の言葉に、シエラは目を丸くする。
「お前が笑顔を振りまいたら男が寄ってきて敵わん。だから今くらいでいいぞ。うん」
真面目な顔をするレギオスを見て、シエラは口元を緩めた。
「……もう、レギオスったら」
「なんだと? 本気だぞ。お前が笑ったらどんな奴でも――」
いちころだ――言いかけて、レギオスは止まる。
シエラは目を細め、口を大きく開き、頬を紅潮させ、笑っていた。
それはレギオスが今まで見た中で、一番の――だった。
「……レギオス?」
気づけばレギオスは顔を赤らめていた。
誤魔化すように首を振り、シエラに背を向ける。
「……なんでもない。さ、夜は冷える。早く帰るぞ」
「変なレギオス」
帰り道、シエラの表情はいつもと同じに戻っていた。
それでも二人の会話は、いつもより少し弾んでいた。
娘を婚約破棄された最強軍人、国を見限り辺境へ 謙虚なサークル @kenkyo
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