第33話軍人、一撃を放つ

「下がってろ」

「う、うん……」


 レギオスはシエラにそう言うと、蛇蜻蛉を睨みつける。

 凍り付くような冷たい瞳に、シエラは思わず息を呑む。

 加勢する、などとは到底言えない雰囲気だった。

 ビチビチと跳ねていた蛇蜻蛉の舌は、次第に力を失い動かなくなった。


「シャアアアアアアアアア!!」


 蛇蜻蛉が吠える。

 舌を切り落とされた痛みで暴れ回り、長い尾をやたらめったら振り回している。

 その先端が崖の側面を走り、岩壁を削る。


「うおおっ!?」


 その上にいたアレンらが、落ちそうになり慌てて引っ込んだ。

 ずずん! ずずずん! と身体を撃ちつけるたびに大地が揺れる。

 岩石が地面に落ち、土煙が上がる中、レギオスは微動だにせずそれを眺めていた。

 暴れていた蛇蜻蛉だが、次第に痛みが治まって来たのか落ち着き始める。


「ゥゥゥ……!」


 だがその目は怒りに燃えていた。

 その対象であるレギオスを前に、今にも飛びかかろうとしていた。

 レギオスもまた、迎え撃つべく全身に魔力を漲らせている。


「おいっ!」


 アレンが崖の上から顔を出し、声をかける。


「大丈夫なのか!?」


 レギオスはそれに頷いて応える。

 心配は無用、そう目で言っていた。


「……そうか。そうだな、俺を倒した貴様なら」


 アレンは親指を立てると、顔を引っ込めた。


「あの人たち、私と一緒に戦ってたの!」

「そのようだな」


 走り抜く瞬間、彼らがシエラを懸命に助けようとしているのをレギオスは見ていた。

 何があったかも何となく想像は出来る。やはりそう悪い奴ではなかったのだろう。

 色々と聞きたいことは山積みだが……


「ともあれ、こいつを倒してからだな」

「シャアアアアアア!!」


 レギオスが呟くのと同時に、蛇蜻蛉は大きな口を開けて突っ込んできた。

 長く伸びた鋭い牙がレギオスに迫る。

 がぢん! と鈍い音がして鋭い牙が地面に突き立つ。

 身体を捻り躱していたレギオスは、右手に蓄えていた魔力の塊を蛇蜻蛉のこめかみに叩きつけた。


「ふ――ッ!」


『雷撃』を乗せた拳を『紫電』の速度で繰り出す一撃。

 拳が当たった瞬間、雷光が蛇蜻蛉の頭蓋を貫く。


「ッッッァアアアア!?」


 衝撃で吹き飛ぶ蛇蜻蛉。何度も地面をバウンドし、岩壁へと激突した。

 巨大な土煙が上がり、その上に岩石がガラガラと落ちてくる。

 その威力に崖の上にいた兵たちが歓声を上げた。

 長く、息を吐いてレギオスは呼吸を整える。


「レギオス、まだ終わってない!」


 シエラが声を上げると、岩石に埋もれていた尾がピクリと動いた。

 頭上に積まれた岩石を押し退けながら、のたのたと這い出てくる蛇蜻蛉。

 その下には先刻脱ぎ捨てられたばかりの、抜け殻が見えた。


「あいつは何度倒しても脱皮して蘇るんだ!」

「しかもそのたびに強くなるの! 気を付けて!」

「……輪廻の蛇、か」


 二人の言葉にレギオスは舌打ちをする。

 何度殺しても蘇る、輪廻の蛇と呼ばれる魔獣――それが蛇蜻蛉。

 大陸深部にしか生息せず、その上個体数も少ない希少な魔獣でその性格は狂暴無比。

 自分の身体より大きい獲物でも、構わず丸のみにしてしまう。

 特筆すべきはその回復力。深刻な傷を受けたびに鱗を脱ぎ捨て、新たに再生するのだ。

 こうして再生した鱗はより硬く、しなやかになり、今までとは文字通り別種の強さを持つ。

 普通の蛇なら巨大な獲物を丸呑みして死んでしまう事もあるが、蛇蜻蛉は脱皮を繰り返し、無理やり消化してしまうという。

 内臓が潰れ、骨が砕けるほどのダメージですら死なない再生力。

 蛇蜻蛉にダメージを与えて倒すことは非常に困難なのである。


「シャアアアアアア!!」


 再度、突進してくる蛇蜻蛉。

 まさしく生まれ変わったかのように元気いっぱいだ。

 大きく頭を振り乱し、その勢いで地面を尻尾で薙ぎ払う。

 その攻撃線上にはシエラもいた。


「シエラ!」


 咄嗟に反応したレギオスはシエラを抱え、跳ぶ。

 どどどどどど! と広範囲に渡って地面が抉れ、レギオスはその遥か後方へ着地した。


「……ッ!」


 がくん、膝をつくレギオス。

 動かない。――動けないのだ。

 シエラが見上げると、その顔は脂汗で濡れており、苦悶の表情を浮かべていた。


「痛いの? レギオス?」


 先刻の攻撃が掠りでもしたのかと心配そうに問うが、レギオスは何とか笑みを浮かべる。


「……いや」


 言葉の通り、レギオスには傷一つない。

 にもかかわらず何故……と不思議そうな顔をするシエラだったが、すぐにその原因に思い当たる。


「レギオス、まだ病気が……!」

「……あぁ、まぁ少し無理をしている」


 言うまでもなく、レギオスの病は治ったわけではない。

 無理やり身体を引き起こし、気力だけで動いているような状態だ。

 それでもレギオスはよろけながらも立ち上がり、蛇蜻蛉を睨みつける。


「だがまぁ、何とかしてみせるさ……大事な娘の為だもんな」


 レギオスはそう言葉を絞り出すと、再度魔力を集めていく。

 先刻の一撃、本来であれば蛇蜻蛉と言えども殺傷出来るはずだった。

 脳を破壊すればどんな生物も生きていることは不可能。

 だがシエラたちの善戦があだとなり、脱皮によって強く、固くなった皮膚に守られ破壊まで至らなかったのである。


「シュー……」


 今度は地を這うように近づいてくる蛇蜻蛉。

 レギオスはそれを迎え撃つべく、前屈みになる。


「もっと、強く……!」


 更に、更に、更に、深く練り上げた魔力を集中させていく。

 魔力を込めた右腕に、数本の雷光が走る。

 加えて、軸足にも魔力を溜める。

 動けるのはあと一度か二度くらいだろう、ならばこの一撃に全てを賭ける。


「――だめ! レギオス!」


 突如、シエラが抱きついてくる。


「それじゃ足りない! 倒せない! そんな状態じゃあ……レギオスだってわかってるはず!」

「……!」


 シエラの言う通りだった。

 先刻の一撃で倒せなかったのだ。それと大差ない一撃では、より丈夫になった蛇蜻蛉の鱗を貫けるはずがない。

 かと言って逃げるのは不可能。

 蛇蜻蛉は非常に執念深い性格をしており、逃げる馬を追いかけ喰らったという記録も残っている。

 加えてここは森である。

 飛行能力を有し、蛇と同じく体温で獲物を見つける能力を持つ蛇蜻蛉相手に逃げるのは無謀だ。

 そもそもレギオスにそんな体力は残っていない。


「だが、他に手は……」


 言いかけたレギオスだったが、ふとシエラの手に走る雷光を見て、止まる。

 そうだ。自分だけの魔力では倒し切れないが、シエラと一緒なら……?

 考え込むレギオスに、シエラは不思議そうに尋ねる。


「レギオス……?」

「……もしかしたら、いけるかもしれない。力を貸してくれるか? シエラ」

「うんっ!」


 レギオスの問いに、シエラは力強く頷いた。


「――手を」


 レギオスに促され、シエラは無言で手を差し出す。

 小さく、か弱く、しかしボロボロの手。

 山道を歩き、魔獣と戦ったのだ。

 レギオスはそんなシエラの手をぎゅっと握る。


「魔力線、直列接続」


 繋いだ手から、レギオスの魔力がシエラに流れ込んでいく。

 ただ流れ込んでいるわけではない。

 接続された二人の魔力線は混じり合い、互いに凄まじい勢いで増加していく。

 同じ魔力でも、魔力線を長く、何重にも重ねることで飛躍的に出力を増やす事が可能。

 そう、発電コイルを巻けば巻くほど出力が増えるのと同様に。

 かつての研究でそれを発見したレギオスは、それに賭けたのである。

 ただしこれは同系統かつ、十分に息の合った魔術師同士でなければ魔力は暴走し、致命的な事故を引き起こす。

 凄まじい勢いで高まっていく自身の魔力に、シエラは怯えている。


「な、何これレギオス! 怖い、怖いよ……」


 本来ではあり得ぬほどの爆発的魔力の高まりに、シエラの手は震えていた。

 レギオスは落ち着いた声で語りかける。


「大丈夫だ。俺に身を任せろ」


 レギオスもまた、荒ぶる魔力の渦に包まれている。

 それでも平然とした様子のレギオスを見て、シエラはゆっくりと頷いた。


「…………うん、わかった」


 そう言って両手で強く、握る。

 もうその手は震えていなかった。

 レギオスは目を細め、シエラの頭を撫でる。


「いい子だ」


 そして、振り向く。

 射抜くような視線、その殺意に蛇蜻蛉はびくんと震えた。

 だがすぐに、六枚の翼を広げ、一斉に叩きつけた。


「ジャアアアアアアアアア!」


 真っ直ぐ、高速で向かってくる蛇蜻蛉。

 目で追うのも難しい程の速度、だがレギオスは落ち着いた様子である。

 右手に蓄えられた魔力はバリバリと無数の火花を散らし、青白い光を放っている。

 ゆっくりと腕を上げ、二本の指先で蛇蜻蛉の額を指し示す。

 光は指先に集中し、更に眩しく、更に激しく光を放つ。

 溢れんばかりの魔力の昂りが、弾けた。


 レギオスが放ったのは雷魔術最大の威力を持つ、『雷撃』。

 空気中で魔力を放電させ敵に放つ『電撃』と基本原理は変わらないが、その出力は桁違い。

 故に『雷撃』と名付けられたこの魔術は、歴史上でも数人しか使い手がいない。

 レギオスとて本来なら使えない魔術だ。

 だがそれを可能としたのが、シエラとの直列接続である。

 魔力線が倍になれば、その出力は何十倍にも膨れ上がる。


 閃光が辺りを包む。

 光は蛇蜻蛉を飲み込み、ボロボロと崩壊させていく。

 脱皮にて再生を図ろうとする蛇蜻蛉だが、崩壊する速度の方が遥かに早い。

 すぐに、そんなことも考えられなくなってしまった。

 蛇蜻蛉は細切れになり、潰れ、消滅していく。

 その細胞の一片たりとも残さずに。


 ――光が徐々に収まっていく。

 シエラが閉じていた目を開くと、まず見えたのはレギオスの背中。

 そしてその前方に広がる、凄まじいまでの破壊の痕。


「や、やった……の……?」

「あぁ、今度こそな」


 そう言ってレギオスは微笑む。

 シエラは何も言わず、ただ抱きつくのだった。

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