第32話 軍人、駆け付ける

「シュー……」


 威嚇音を上げる蛇蜻蛉。その眼前には倒れ臥す兵たち。

 あれから幾度となく攻撃を繰り返したが、蛇蜻蛉にはまともなダメージを与えられなかった。

 それどころか向こうの攻撃を防ぐだけでも精一杯。

 尾の一振り、牙の一噛みで兵が一人、二人と倒れていった。

 ようやく立っているアレンとシエラすら、ボロボロである。


「はぁ、はぁ……お、おい君。さっきの電撃はもう撃てないのか?」

「ちょっと……はぁ、無理、かも……ふぅ……」


 アレンの問いに、シエラは息を荒らげながら答える。

 シエラは肩で息をし、足をがくがくと震わせている。

 疲労はもはや限界、満身創痍といった様子だ。

 無理もない。魔術の発動には体力と気力を必要とする。

 まだ子供のシエラがあれだけの魔術を連発出来ること自体がおかしいのだ。

 これ以上の戦闘は無理だろう、アレンはしばらく考え込んだ後、舌打ちをする。


「……チッ、足手まといが」


 アレンの言葉に、全員が驚く。


「役立たずは必要ない! 今すぐこの場から消え失せろ!」

「な……そんな言い方は……!」

「いいから消えろ。子供はおうちに帰っているんだな! なぁおいお前らもそう思うだろう!?」


 兵たちは互いに顔を見合わせる。

 先刻までの戦いはシエラに頼ったところが大きかった。

 それはアレンもわかっていたはずなのに、何故……そう考えた兵たちだったが、すぐにアレンの意図に気づく。


「そ、そうだ……我らとて帝国軍人の端くれ……プライドというものがある!」

「女子供と肩を並べて戦うなど、戦士の恥よ!」

「その通りだ! 少女よ、君の手助けなどもう必要ない!」

「あとは俺たちだけでどうにでもなるぜ!」

「おおおおおおおおおっ!」


 気合を振り絞るように雄たけびを上げる兵たちを見て、シエラには気づいた。

 すなわち、悪役を演じてシエラが気兼ねせず逃げられるようにしよう、という事に。

 息を呑むシエラの背中を、中年の兵が押す。


「……行きな。おっちゃんは自分のしたことの責任は取らねばならん」

「おじさん……!」


 兵たちはシエラの言葉にも振り返らず、蛇蜻蛉へと向かって行く。


「シャアアアアア!」


 甲高い声を上げながら、迎え撃つ蛇蜻蛉。

 また、戦いが始まった。

 否、戦いとは呼べないような、一方的な蹂躙である。

 いくら気力を振り絞ろうと、何かが変わったわけではない。

 瞬く間に戦列が乱れていくのを、シエラはただ眺めていた。


「何をしている! 早く行け!」


 アレンが声を張り上げる。

 このまま蛇蜻蛉が襲ってきて乱戦になれば、もはや逃すことすら出来なくなる。

 必死の形相なアレンに、シエラは意を決したように森の奥へと駆け出した。

 それを見送り、アレンはようやく安堵の息を吐き、敵を見据える。

 周りには頼もしい顔つきとなった兵たちがいた。


「ふっ、なんだお前ら。皇子の腰巾着かと思ったが、中々どうして、肝が座ってるではないか」

「へへ、なんだか目が覚めちまったんでさ」

「そうだ。あんな皇子にいいように使われて死ぬなんて、まっぴらゴメンですよ」


 今まで死人のようだった兵たちの目には、いつのまにか生気が、光が宿っていた。

 アレンは全員を見渡した後、にやりと笑う。


「……いいだろう、では生き残ったら皇子の悪行を報告して、一泡を吹かせてやるとするか?」

「そりゃあいい。俺がいくらでも証言しますよ」

「俺もだ!」「俺も奴には煮え湯を飲まされた!」


 口々に声を上げる兵たちを見て、アレンは頷く。


「ならば行くぞ! まずはこの場を生き延びようぞ!」

「おおおおおおおっ!」


 全員、一丸となって突っ込んでいくアレンたちを見て、蛇蜻蛉は目を細める。

 獲物を前に舌舐めずりをしながら、大きく口を開け、飲み込もうとした――


「ジャアアアアアアッ!?」


 ――その瞬間、全身を硬直させた。

 驚く兵たちの目に映ったのは、逃がしたはずのシエラだった。

 手にした棒の先端には、レギオスから渡されているスタンガンが取り付けられていた。

 スタンガンを蛇蜻蛉へと押し付けたまま、シエラは前を見据えて、言う。


「諦めないで」

「き、君は……逃げたはずじゃあ……」

「棒を取りに行っていただけ」


 スタンガン単体では蛇蜻蛉には届かない。

 故にシエラは森の中に入り、長い棒を探していたのだ。

 それに蔦を巻き、括り付け、高所にいる蛇蜻蛉に当てたのである。

 蛇蜻蛉は全身を痙攣させ、身体の端々から火花を飛ばしていた。


「ギェェェェェェェェ!?」


 五大術師であるゼオンすらも一撃で気絶させたその威力。

 蛇蜻蛉は地面に落ち、悲鳴を上げてのたうち回っている。

 それでもシエラはスタンガンを押し付けたまま、離さない。


「く、ぅぅう……!」


 歯を食いしばりながら、耐えるシエラ。

 蛇蜻蛉はビクンビクンと痙攣し、泡を吹き始めた。


「おおっ! き、効いているぞ!」

「いいぞ! このまま当て続ければ……!」


 歓声が上がる中、アレンが飛び出しシエラと共に棒を持つ。


「何をぼさっとしている! 貴様らも来い!」

「は、ハッ!」


 慌てて駆けつけた兵たちが、二人を支える。

 全員で、一丸となって、蛇蜻蛉にスタンガンを当て続ける。


「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 力を振り絞り、雄たけびを上げる。

 電撃は蛇蜻蛉を焼き続け、抵抗が徐々に弱くなっていく。

 ――どれくらいの時間がたっただろうか、蛇蜻蛉の動きが完全に止まった。

 力なく項垂れた蛇蜻蛉は、倒れた衝撃で崖下へと落ちていく。


「倒……した……?」


 皆、信じられないといった顔で、崖下へと落ちていく蛇蜻蛉を見下ろしていた。

 長い風切り音の後、ずずん、と土煙が上がる。

 地面に落ちた蛇蜻蛉は、ぴくりとも動かなくなっていた。


 無言のまま、顔を見合わせた後――


「やったぁぁぁぁっ!」


 誰ともなく、歓喜の声を上がる。

 兵たちは手を取り合い、互いに喜びを分かち合う。


「見事だったぞ!」

「あぁ、やったな! ちくしょう!」


 アレンもそれに加わり、円陣を組む。

 シエラは少し離れた場所からそれを見ていた。

 それに気づいたアレンが、声をかける。


「おい君、何をしているんだ。こっちに来て皆と――」


 言いかけて振り向いたアレンが見たのは、赤い舌に巻き取られたシエラ。

 直後、崖下へと引きずり込まれる。

 慌てて覗き込むアレンたちの目に映るのは、シエラを咥え飲み込もうとしている蛇蜻蛉だった。


「ば、馬鹿な……倒したはずなのに……」

「見ろ! 地面に抜け殻が落ちている! また脱皮したんだ!」


 蛇蜻蛉の身体は、先刻よりもさらに輝きを増していた。

 二度生え変わった鱗は艶を帯び、まばゆい光すら放っている。


「く、あああああっ!?」


 そんな蛇蜻蛉に咥えられ、シエラは苦悶の声を上げていた。


「お、おい! まずいぞ! どうにかして助けるんだ!」

「駄目です! 飛んでいるし、銃を使えばあの子に当たります!」

「そ、そもそも奴には銃弾は……」


 先刻の戦いで銃弾が利かないのは証明済みである。

 舌打ちをするアレンだが、すぐにシエラが手にしたスタンガンに気づいた。

 どうやらギリギリでキャッチしたようだった。


「おい! 君、それを蛇蜻蛉にもう一度当てるんだ!」

「う……わかって……る……」


 皆が固唾を飲んで見守る中、シエラは渾身の力を込めて手にしたスタンガンを、押し当てる。

 ババババババ!と激しい音と共に蛇蜻蛉の全身に火花が弾ける。


「おおっ! やったぞ!」

「今度こそ俺たちの勝ちだ!」

「い、いや……待て、様子がおかしい……!」


 喜んでいた兵たちだったが、違和感に気づく。

 先刻はスタンガンを浴びるや悲鳴を上げていた蛇蜻蛉だったが、今は全く、微動だにしていない。

 脱皮により新しくなった鱗は、より強く、しなやかに生まれ変わる。

 今まで効いていた攻撃も、もはやダメージを与えられない。

 目を細めてシエラをじっと見つめる蛇蜻蛉は、不気味に笑っているように見えた。


「シュー……!」

「っ!?」


 シエラの表情が、苦悶に歪む。

 舌でゆっくり、じわりと締め付けられているのだ。

 シエラの顔は赤から青くなっていく。


「ああああああああああッ!?」


 痛々しい悲鳴が上がる。

 みし、みし、と軋む音が聞こえ始めた。


「おい君! 頑張れ! 何とか堪えろ!……くっ、どうにかならないのかっ!」

「あの電撃でも効果がなかったくらいです。我々に打つ手は……」

「くそぉっ!」


 拳を叩きつけるアレン。

 兵たちも力なく項垂れている。

 これ以上、対抗する手段はない。

 どうしようもない。その場の全員が絶望した時である。


 黒い影が彼らの横をすり抜け、崖下へと跳んだ。

 影は蛇蜻蛉を掠め、崖下に着地した。

 続いて、影の後方に何かが落ちる。

 赤く、ぬめぬめした何かがのたうち回っている。

 蛇蜻蛉の舌だった。


「シャアアアッ!?」


 鮮血を吹き上げ驚愕の表情の蛇蜻蛉、アレンたちはただ呆然とその光景を眺めていた。

 そしてシエラは、自身を抱きかかえる影を見上げた。


「……すまない、待たせたな」


 言葉の主はシエラのよく知った者だった。

 逆光となっていた影の、その表情が露わになっていく。


「レギ、オス……!」


 影は、レギオスは、軽く微笑むとシエラを降ろし、空を見上げた。

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