第31話 軍人、ドーピングする

「脱皮……!」


 シエラの呟きで、その場の全員はようやく気付く。

 先刻落ちたのは蛇蜻蛉の抜け殻だったのだと。

 蛇蜻蛉の鱗が、ぬるりと妖しく光る。


「なにをぼさっとしている! 攻撃を続けろーーーっ!」


 アレンの声で兵たちは銃を構え直し、射撃を再開する。

 だが、先刻は当たっていたはずの弾丸が当たらない。


「駄目です! 弾丸が滑ってまともに当たりません!」

「あの鱗……さっきよりも硬くなっている!」


 銃が通じず、慌てふためく兵たち。

 その間も、シエラは魔力を練り込んでいた。


「どいてっ!」


 兵たちを押しのけ前に出たシエラは、かざした手から雷撃を放つ。

 だが、それも効果はなし。

 蛇蜻蛉は涼しい顔でそれを受けると、軽く首を傾げた。


「く……おい! 十分に溜めてから先刻の雷撃を撃つのだ! それまでは我らが何とかして時間を稼ぐ!」


 アレンの言葉にシエラは俯いて答える。


「……残念だけど、さっきのが全力」

「……な、んと……」


 絶望の表情を浮かべるアレンと兵たち。

 それはシエラも同じだった。

 目の前の蛇蜻蛉は、獲物を前に悠々と翼を羽ばたかせていた。


 ■■■


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を荒らげながら、レギオスは道無き道を行く。

 シエラの足跡や草木の折れた跡がまだしっかりと残っており、目印になっていた。

 歩くごとにレギオスは息を荒らげている。


「くそ、きついな……」


 少しはマシになったとはいえ、まだ完全には回復しきっていない。

 そんな中、険しい森の中を歩いているのだ。

 一歩、歩くごとに体力を削られ、気力を奪われていく。

 それでも気を強く持って進むレギオスだったが、ふと立ち止まる。

 目の前の木の幹に、深く刻まれた傷を見つけたのだ。


「爪痕……か」


 火熊の爪痕、これを見たらすぐに迂回しろとシエラには強く言ってある。

 足跡から察するに、シエラは言った通りに迂回して進んでいるようだった。

 一旦胸を撫で下ろすレギオスだったが、だからと言って魔獣に襲われていないとも限らない。

 今、この辺りには魔獣が多くいるのだ。


「グゥゥ……!」


 突如、軋むような音のような音が聞こえた。

 見れば森の奥から火熊がのそり、と姿を現す。

 どうやら手負いのようで、何かと戦ったような痕が見える。

 火熊はレギオスを見つけると、立ち上がり咆哮を上げる。


「ゴォォォォォォォォォォ!」


 ビリビリと空気が揺れ、小動物が蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 黒い髪がなびき、衣服が揺れる。

 レギオスはしかし、全く動じることなく火熊を見た。


「――退け」


 途端、火熊の表情が変わる。

 びくんと背中を仰け反らせた火熊は、耳を垂れ、顔を伏せ、怯えた表情になっていく。


「グルゥゥ……」


 それでも唸る火熊に一歩、レギオスが踏み出した瞬間である。


「キューン!」


 火熊は情けなく鼻を鳴らしながら、一目散に森の奥へと消えていった。

 それを見送ったレギオスは、大きく息を吐き、改めてシエラの足跡を追う。

 定期的に行っていた『索敵』を発動させ、シエラの位置を確認する。


「……とりあえずはまだ無事のようだな。……しかし妙だ。一緒にいる人間の生体反応が薄れているように感じられる……まさか、何かあったのか?」


 索敵により感じ取れる生体反応は、生命力が強い程より強く感じ取れる。

 だが弱々しい反応の中で一つ、やたらと巨大な気配も感じられる。

 人ではあり得ぬその力強さ。嫌な考えが頭をよぎる。


「魔獣……!」


 そうとしか考えられない。

 レギオスの背筋に冷や汗が流れる。

 胸が締め付けられるような感覚を押さえつけながら、レギオスは腰から小瓶を取り出す。

 ――魔力回復薬。以前レギオスが研究していた試作品で、少量ながら魔力を回復させることが可能だ。

 ただしこれには欠点があり、とてつもなくマズい。

 万が一の為にと持ってきていたが、出来る限り使いたくはなかった。

 とはいえそうもいっていられない。

 レギオスは毒々しい色の液体を、意を決して飲み込んだ。


「~~~~ッ!」


 泥と生肉と金属を混ぜたような味に吐き気がこみ上げる。

 それを無理やり飲み込むレギオス。

 とてつもない嫌悪感の代わりに、尽きかけていた体力と魔力が戻ってくる。


「~~~~ぷはぁ!」


 涙目を浮かべながら、小瓶を仕舞うレギオス。

 両脚を踏みしめ、練り上げた魔力を身体に纏う。

 ――『紫電』、発動。レギオスの身体が眩く光る。

 刹那、レギオスの身体は消えた。

 舞い落ちる木の葉がびゅうと風に流され、遥か彼方へと飛んでいく。

 レギオスのいた場所にはめり込んだ足跡と、一筋の電光のみが残されていた。

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