第27話 軍人、寝込む

「ふむ、こいつは悪熱病じゃな」


 すぅすぅと寝息を立てるレギオスを見て、シエラの呼んだ医者が呟く。


「高熱が出て、強い倦怠感に襲われる病じゃ。風邪とよく似ているが、それより数段たちが悪い。三日三晩熱が続き、回復にもかなり時間がかかる……」

「……大丈夫、なんですか?」

「ううむ……特効薬があるが、運が悪いことに今、町で流行っておってのう。丁度切らしておるんじゃよ。まぁ放っておいても八割がた治ると思うが、運が悪ければ後遺症が残るかもしれないし、最悪の場合死ぬ事もありうる」


 医者の言葉に、シエラの顔色が青くなる。


「ど、どうにかならないんですか!?」

「むぅ、どうにかしたいのは山々じゃが、薬もない現状ではゆっくり休むしか……あ、いやちょっと待て。そういえば……」


 医者は何か思いついたかのように、口元に手を当て考え込む。


「北の森に群生しておるシビという木に生る実を煎じて飲めば、悪熱病によく効くらしいが……いやいや、忘れてくれ。最近は森に魔獣が出るからの。採りに行くのは危険すぎるわい」

「北の、森……」


 シエラはそう呟くと北の方を見やる。

 そんなシエラを見て、医者はくぎを刺す。


「妙なことは考えなさるなよ。お嬢ちゃんに出来ることは、親父さんの面倒を見ておくことじゃ」

「…………わかってます」


 シエラはしばらく沈黙した後、答えた。

 医者はやれやれとため息を吐く。


「……まぁよい。それじゃあワシは帰るからの。何かあったらすぐに呼ぶんじゃぞ」

「はい。ありがとうございました」


 医者が帰るのを見送った後、シエラはじっと北を眺めていた。


 ■■■


「レギオス、水持ってきたよ」

「……あり、がとう」


 息も絶え絶えといった様子で、レギオスは何とか返事をする。

 意識は朦朧としているようで、コップを取ろうと伸ばした手が空を切る。

 シエラはその手を取ると、ぎゅっと胸に抱く。


 力なく握り返す手は、いつもの力強さからは考えられないものだった。

 こんな弱ったレギオスを、シエラは初めて見た。


「レギオス……!」


 思わず呟く。祈るように。

 レギオスは苦しそうに息を荒らげていた。


 ――翌日も、その翌日も、シエラは必死に看病をした。

 しかし一向に良くなる気配はなく、むしろ病状は悪化していくばかりである。

 医者も何度か呼んだがどうする事もできず、本人の回復力に期待するしかない状況は続いた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 息を荒らげるレギオス。

 最近はほとんど寝たきりで、日に日に意識のある時間が減っているように感じた。

 自然と本を読む時間が増えたシエラは、本棚にあった地図を見つける。

 それには医者に聞いた特効薬、シビの群生地が描かれていた。


「本当だ、北の森……ここなら一人で行ける、かも…」


 苦しむレギオスを見て、シエラの決意は固まった。


 ――翌日、大きなリュックを背負い、厚手の長袖長ズボンに、分厚いロングブーツという服装でシエラは家を出る。

 山を歩く時はそうしろと、レギオスに教わった格好だ。

 準備を終えたシエラは、よしと頷くとシビの群生地を目指して歩き始める。


「行ってきます」


 しばらく、真っ直ぐに歩き続けたシエラは家に転がっていた地図を開きコンパスを手にする。


「えぇっと……ここがウチだから、北はあっち、だから向こうの方角、だよね」


 地図の読み方、コンパスの使い方、山道の歩き方は万が一の為にレギオスに仕込まれていた。

 静かに、森の音に耳を澄ませながら、出来るだけ体力を消耗しないよう、遅すぎず早すぎない速度で歩く。

 しばらく歩くと、地図に描かれた目印である巨大な岩石に辿り着いた。


「……よし、計画通り」


 丁度一時間、予定通り辿りついたシエラは小さくガッツポーズをする。

 ちょこんと座り込むと、リュックから水筒を取り出して一口飲む。

 焦ってペースを乱せば、最終的には遅くなる。

 逸る心を落ち着かせながら、一息ついた。

 そして少し休んだ後、また移動を開始する。

 時折、携帯食として持ってきたナッツを食べながら、水を飲みながら、黙々と歩く。

 改めて地図に視線を落とすと、順調に進んでいるように見えた。


「方角はあってる、かな。……多分」


 目印となる大岩は通ったし、次の目印である遺跡も抜けた。

 このまま地図の通りに進めば、もうすぐ渓谷に着くはずだ。

 そこには橋が掛けられており、越えれば群生地である。


「待ってて、レギオス」


 決意を新たに、また歩み始めるシエラ。

 森を奥に進むにつれ、茂みは深くなっていく。

 長袖を着ていなければ、素肌は裂けていただろう。

 ロングブーツを履いていなければ、枝などの棘を踏み破っていただろう。

 レギオスの教えが今、役に立っていた。

 順調に歩みを進めていたシエラだったが、ふと立ち止まる。


「あれは……」


 目の前の木に見えるのは鋭い爪痕。

 近づいて見ると、それは火熊のものだった。


「縄張りにしている証拠、だよね。迂回していかなきゃ」


 知能の高い獣は自身の縄張りを示すため、糞や爪痕を残していく。

 その中でも魔獣のものは非常に危険だ。レギオスも見つけたら必ず回避しろと教えていた。

 教えの通り、シエラはそこを迂回して進む。

 やや遠回りして時間はかかったが、ようやく渓谷が見えてきた。

 橋が架かっており、渡った向こう側にシビの群生地があるはずだ。


「ここを渡れば……!」


 橋を渡ろうと足を踏み出すシエラだったが、その足が止まる。

 シエラの背後、森の奥から人の声が聞こえたのだ。


 耳をすませば、やはり人の声に違いない。

 どうやら助けを求める声のようだ。悲鳴や獣の咆哮が聞こえてきた。

 一瞬、無視すべきかと考えたシエラだったが、すぐに振り返り、声の方へと歩き出す。

 レギオスを助ける為にはこんな危険を冒す必要はない。

 だが、今の自分には戦う力がある。

 助けを求める声を無視することなど、出来はしない。


 警戒しながらも、声の方へと進むシエラ。

 木々をかき分け枝葉を折って、声は鮮明に、大きくなっていく。


「ゴオオオオオオオオオ!!」


 咆哮を上げたのは、縄張りの主である火熊だ。

 周りには帝国兵たちともう一人、貴族風の男、アレンがいた。


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