第9話 刺客、来る

 帝都はその日、雲一つない晴天だった。

 季節は夏、高く伸びた建設物が熱の逃げ場を塞ぎ、街全体を温めている。

 道行く人たちは半袖で、額の汗を拭きながら歩いている。


 それは城の中でも同様。兵たちは日陰に身を寄せ、暑さに耐えながらも警備をしていた。

 文官たちも、それをまとめる家臣の者たちも同じである。

 ただ一人、帝国皇子であるミザイを除いては。


「うー、暑い暑い。全く今年の夏は暑すぎるな」


 ミザイの部屋は備え付けられた冷風機により、部屋全体にひんやりした風が吹いていた。

 そんな中、ミザイは氷の入ったコーヒーを飲みながら電子チェスに興じていた。

 これは魔術により回路を制御した板を盤面とし、その上に置いた駒を交互に動かして王を取り合うという、名前通りまんまチェスで、レギオスが戯れに作ったものだ。

 ただ現在の技術では複雑な思考は出来ず、あまり強くも出来なかった。

 電力も食うし、相当な資金もかかった為、今はミザイのオモチャとなっている。

 夏は部屋を涼しくして遊戯ゲーム三昧、それがミザイの夏の楽しみ方だった。


「あぁくそ! また負けた!」


 敗北をしたミザイが、苛立ちのままに操作盤を投げつける。

 つまらなそうにメイドの差し出したコーヒーを飲み干して、返した。

 しかしいつもならすぐに空のコップを持って下がるメイドだが、今日はそのまま動こうとしない。


「……どうした。下がらぬか」

「……あの、よろしいでしょうかミザイ皇子」

「あとにせい。俺は忙しいんだ」


 そう言って先刻放り投げた操作盤を拾い、電子チェスに興じるミザイ。

 だがメイドはやはり下がろうとしない。

 それでも無視するミザイの後ろでじっとしていたメイドだったが、不意に沈黙を破った。


「……私、その……身ごもって、しまいました。ミザイ皇子の、子供を……」


 不安に押し潰されそうな声で、メイドは言葉を絞る。

 衝撃的な発言に周りの兵士たちがざわめいた、


「なんだ、そんな事か」


 だがミザイは振り返りもせずに言った。


「堕ろせよ。わかっていると思うが」

「――ッ!」


 その言葉はメイドにとってもわかっていた事だ。

 わかっていた事ではあるが、それでもあまりに無体な言葉だった。

 メイドの両目から堪えていた涙が零れ落ちる。


「後生です……この子を産ませてはいただけないでしょうか……支援してくれなどとは言いません。王族の子供だとも言いません! ですから、どうか……」


 深々と頭を下げるメイドをミザイは振り返り冷たく見下ろすと――


「……わからぬ女だ」


 立ち上がり、メイドの腹を蹴りつけた。


「ああっ!? な、なにを……!?」


 身体を丸めて腹を守ろうとするメイドに、ミザイはなおも蹴りを入れ続ける。

 兵たちも慌てて駆け寄るが、ミザイは意に介さない。


「このような下賤の女が俺の子を身ごもったら問題であろうが。大体こんなことがバレたら親父にどう言い訳するのだ。堕ろせないというのであれば、堕ろさせるまでよッ!」

「いやぁっ! 許してくださいませっ!」

「ちっ、無駄な抵抗を……おい、お前らもやれ!」

「は……ハッ!」


 彼らは戦時にて功績を上げられず、ミザイの護衛に回されている兵たちだ。

 給金も少なく、ミザイに睨まれては暮らしていけない。

 非道な行為と思いつつも、従うしかなかった。

 ――そして数十分後。


「う、うぅ……」


 泣きはらしたメイドが兵たちに肩を借り、部屋を出ていく。

 抱えたお腹は赤く腫れ、太腿からは血が流れていた。


「すまんな嬢ちゃん、俺らもやりたくてやったわけじゃないんだ」

「とりあえず医者に連れていくからよ。なぁ元気出せって」

「うるさいっ!」


 そのあまりの痛々しさに兵たちは声をかけるが、メイドは長い髪を振り乱し暴れる。


「離せっ! バカっ! 死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! みんな……みんな死んでしまえっ!」

「お、おいこら暴れるな……」

「んぐっ!? んぐぅーーーっ!!」


 兵たちに口を押えられ、メイドは部屋を出て行った。

 泣き腫らしたメイドと目が合ったミザイだったが、何の関心も持っていなかった。

 すぐに視線を電子チェス盤へと戻す。


「いやぁ流石はミザイ様。いいですな。実にいい」


 ミザイの背後、暗闇から声が聞こえた。


「……馬鹿にしているのか? ゼオン」

「滅相もない。むしろ尊敬していますよ。我が主殿」


 暗闇から出てきたのは黒装束の男だ。

 つばの長い帽子を被り、膝まで伸びたマントで全身を隠しており、その姿はよく見えない。

 だが歪んだ笑みを見せる口元と時折見える鋭い視線は、ゼオンと呼ばれた男の邪悪さを表すには十分だった。


「下民どもへの扱い方というのをよくわかっておられる。やはりミザイ様こそが次期皇帝としてふさわしい。戦争が終わった途端、用済み扱いされた私を救ってくれたのはあなただけですからな」

「ふん、俺は敵が多いからな。護衛が必要なんだ。せいぜい守れよ。ゼオン」

「えぇこのゼオン、命に代えましても……ところでミザイの身の回りの世話をさせる、新しい女はどこから調達いたしましょう?」

「ふむ……」


 あのメイドもそうだが、ミザイに世話をさせる女性はどこからともなくゼオンが攫ってきた人間だ。

 考え込むミザイに、ゼオンは進言する。


「……昔傍に置いていたあの銀髪の娘、確かシエラとか言いましたか。あの女はいかがでしょうか?」

「あれはレギオスが連れて出て行ったではないか。今はどこにいるのかもわからん。」

「場所はわかりますよ。テレーズがレギオスと連絡を取っていたのを盗み聞きましたのでね。今はギャレフという帝都から離れた田舎にいるようです」

「聞いたことがない場所だな」

「えぇ、そんなド田舎です。人一人いなくなっても問題ありますまい? 何ならミザイ様に恥をかかせたレギオスめも討ち果たして参りましょうか?」

「……ほう、それはいいな」


 ミザイの顔が邪悪に歪む。

 ゼオンはそれを見て嬉しそうに頷く。

 ――それは暗にそうしろ、という合図。

 明確な命令はしない。それでは何かあった時に言い逃れが出来ないからだ。

 こうしてミザイはゼオンを使い、やりたい放題をしていた。


「……では、そのように」


 闇に消えようとしたゼオンはふと足を止める。


「ところであのメイドですが……」

「ふん、腕一本が欲しいのだったか? 好きにすればいい」

「ありがとうございます」


 ゼオンは嬉しそうに頭を下げ、不気味に笑う。


「……ふん、気味の悪い奴め、たまには身体ごと持って行って構わぬのだぞ」

「いえいえ、滅相もない。私は美しい女の腕が欲しいだけですので。穢れた身体までは必要としていないのですよ」


 首を振るゼオンは、人とは思えぬような禍々しい笑みを浮かべた。

 それを見てミザイは呆れたようにため息を吐く。


「……そうか」

「えぇそうです。では――」


 ゼオンは今度こそ闇に溶けて消えた。

 ミザイの電子チェスをする、ピコピコ音だけが部屋に響いていた。

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