第73話

 先生の車で山を越えて、しばらく走った先に目的地はあった。


 楚楚ノヶ関遊園地――昨年開園したばかりの遊園地で、田舎からのアクセスもそれ相応に考慮された立地となっているため、俺たち田舎の高校生からすれば「楽園」ともいえる場所である。都会の高校生からすれば、さびれた遊園地に見えるかもしれないが、大きな観覧車やジェットコースターを設置しているという規模感だけで随分と心躍るものがある。――まああくまで、非モテ世界での情報だけど。


 実はこっちの世界では既にさびれているのかもしれない。貸し切りできるくらいだし、いくら機関の力が強いとはいえ、大人気遊園地を貸し切きにするのは難しだだろう。


 そう思っていた俺の杞憂を吹き飛ばす光景が、そこにはあった。


「えぇ・・・こんなとこなんですか、遊園地って・・・」


「そうよ?あら、閑谷君は来たことないんだったかしら?」


「ないですないです、生まれてこのかた一度も。」


「それはそれでかわいそうな気がするわね・・・」


 先生の慰めの言葉も耳に入らないほど、俺はその光景に飲まれていた。


 高層ビルみたいに天を突く遊園地の看板と、謎のマスコットキャラクター。無数の入場ゲートの先に広がる世界はもはやこの世のものでは無い幻想的な世界。一体何をモチーフにしているのかは皆目見当もつかないが、下手すれば魔法使いでも出てきそうな、いや、小人とか出てきても何の不思議もない、一つの別世界の街が大きく人がっていた。勿論、観覧車もジェットコースターもその景観に溶け合って、そこにある。なんだこの遊園地、夢の国か、夢の国なのか此処は!!!


「あのー、閑谷君ー?」


「うわっ!!なんすか先生!!」


 突然俺の耳元で囁く――その音量ではなかったが――先生。


「いやなんすかじゃなくて、ほら」


 と言って、先生は遠くを指さす。俺はその指に従って左を向いた。


「もう来てるわよ?橿原さん。」


「あ――」


 俺は口を開いたまま、呆然とする。


 最初は声を出そうとした、あ、玲奈じゃんとか、そんな風に。数十メートル離れた彼女はこちらには気づいていないようだったので、長濱先生は「迎えに行きなさい」という意味で彼女を指さしたのだろうが、俺は固まった。


 綺麗――という言葉では、きっとこの時の俺の感動を表現することは出来ないだろう。もっと、繊細で、もっと美しく、もっと――儚い。


 薄幸とかそういう言葉を誉め言葉として使うのはいかがなものかと思うのだが、それでも敢えて言おう。彼女は薄幸の美人だと。


 白いブラウスに橙のガウチョパンツを合わせて、肩に小さなカバンを掛けている。――いやなに、俺は別にファッションに詳しいわけではないので、その組み合わせがどうとか流行りの服だとかそういうことは一切分からない。分からないが、――その衣装と、彼女のいつも以上に清廉で研ぎ澄まされた美しさが、まさに薄幸の美人というところであった。触れれば壊れてしまうそうな。バラに棘があるという表現を応用すれば、彼女はガラス細工と言ったところか。


 触れることがおこがましい。

 触れるための代償が必要。


 そういう類の美しさを俺は感じていた。


 生唾を飲み込む。なぜだか掌が汗でにじむような気がした。気温は高くない。寧ろちょうど良いのに。


「はやくいってあげなさいよ。」


 言って、長濱先生は俺の背中をポンと押した。俺は押された背中始動で一歩をこけないように踏み出す。


「先生・・・」


「なによ、ここまでおぜん立てしてるんだから、追加の要望は聞けないわよ?」


 言って、笑う。俺に期待するように、俺の背を押すように。優しくて、包み込むような笑みだった。


 俺は拳をぱっと開いた。空気に触れて、冷える。いつの間にか拳を握りしめていたらしい。


 俺は玲奈をもう一度見据えた。彼女は先程の俺と同じように高く聳え立つ看板と謎のクマみたいなマスコットキャラクターを見上げていた。彼女の顔は落ち着いていて、クマを愛でるような表情だった。――それさえも、儚げで美しい。


「じゃあ、いってきます。」


 俺は言いながら歩きだす。


「ええ、いってらっしゃい。彼女を救って、世界も救って、そして――」


 また会いましょう、と。


 もう二度と会えないような声で、そう言った。俺は振り向かなかった。


 振り向くことなく、玲奈を見据えて、呟いた。


 彼女だとか世界を救うだとかそんな大仰なことは約束できない。やることはひとつだけである。


 この世界で、彼女と一緒に、


 遊園地デートを満喫するだけなのだから。


「おまたせ、玲奈。」


 白く儚げで美しい彼女は、笑顔と共に振り向いた。

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