海堂シオンについて
私、海堂シオンは15歳の女子高生である。
一般家庭に生まれ、特にめだった特徴はないごく普通の女の子である。
・・・表向きは。
―あれは小学校に上がりたての頃だった。
両親は、娘の私を一人残して蒸発してしまった。
今思えば日々の生活は贅沢ではなかったし、周りの友達との日常生活の会話の齟齬に、まったく違和感をもっていなかったと言えば嘘になる。
だが、誰が自分の親が突然消えるなんて想像できるだろうか。ましてやそれが現実に起こってしまうなんて。
私は絶望した。小学生になりたての、まだまだ幼い心持でありながら、その絶望は確かなものだった。玄関に入った瞬間に孤独になったのだと悟った。立ちすくむ私の姿を今でも覚えている。
良心の顔も今ではおぼろげにしか覚えていない。彼らがしていた仕事はなんだったのか、聞いていたような気もするけれど、それを信用できるかと言われれば話は別だ。
もう、忘れよう。そう思った。
身寄りのなかった私はその日、父方の祖父母に引き取られた。最後の良心に憎くも助けられながら、私は祖父母の住む田舎で日々を過ごした。
「大丈夫、今日からシオンちゃんのおうちはここだからね。遠慮なくくつろいでね。」
必死に笑みを浮かべるおばあちゃんの顔が焼き付いている。祖父母は優しかった。私が苦労しないように学校にも行かせてくれた、お洋服だって周りの友達に見劣りしないようにそろえてくれた。だから、私に残っている幼少期の記憶はこの時期がほとんどだった。
数年たって、中学校に上がったころ、私はめっきり祖父母になついていた。自分の要求をきちんと告げられるようになった。遠慮しなくなった。祖父母もただ甘やかすのではなく、娘のように私を扱ってくれた。それが嬉しかった。祖父母と両親の話をすることはそれでもどこかタブーのようになっていたけれど。
私はそれで満足だった。あの日が来るまでは。
吹奏楽部に入っていた私はあの日、居残り練習でいつもより少し遅い時間に帰宅した。多分、それが良くなかった。
いつもの薄暗い通学路を帰っていると、祖父母の家の方から怒鳴り声が聞こえた。
おじいちゃんが野球観戦の熱を上げているのかな、私はそう思った。おじいちゃんは少し癇癪持ちで(勿論私やおばあちゃんに怒ることはなかったが)テレビや物にあたることはしばしばあった。私とおばあちゃんでクスクス笑うとおじいちゃんは我に返って恥ずかしそうな顔を浮かべるのが日常茶飯事だった。
―今日もおじいちゃんをからかってあげよう。
そう思った矢先、祖父母の家の敷地内から、見知らぬ黒い自動車がものすごいスピードで飛び出してきた。
車のドライバーと一瞬、目があった気がした。気がしただけで、顔は思い出せない。
けれど、その瞬間で私は何か確信めいた不吉な予感を感じた。
車は私が来た方向と反対方向に猛スピードで走り去った。
私は祖父母の家にダッシュで向かった。
私の不吉な予感は的中していた。
鮮明な記憶が脳に焼き付いているだけに、今でもその記憶を思い出すと恐怖と悲しみで顔を覆いたくなる。
全てが、失われた。家族も、記憶も、お金も、全て。
凄惨な光景だった。そこにあったはずの暖かい日常が、冷たくなっていた。
私が「機関」に拾われたのは、その時だった。ある意味天涯孤独になった私は機関にとって保護対象でもあった。同時にこの事件の犯人グループが「機関」と敵対する組織によるものだということが分かった。反抗理由は単なる金策だと聞かされた。
そう思うと、私の人生はいつも私ではなく、誰かの手によって引きずり回されているような気がする。心が締め付けられる。
機関に入った当初は単なる保護対象として丁重に扱われていたが、どうにも私にはそれがむず痒かった。中学生の思春期も相まってしばしば扱いに反抗した。毎日独房にも似た保護部屋で一人くつろぐのは想像以上に苦痛だったのだ。
私は仕事をもらうことにした。事件の生き残りとしてまた命を狙われるかもしれないからと外部の仕事ではなく、機関内部での仕事を任された。
その最初の仕事、事務処理のデスクワークで私の指導役になってくれたのが長濱先生、グレモリーと呼ばれる先輩だった。
先輩は外の世界で学校の教師をしているらしく、中学生の私とまさに生徒と教師の関係のようになっていた。先輩は外の世界のことを私にたくさん教えてくれた。機関の施設から一歩も外に出れなかった私にとって、それは幻想的で夢のような話だった。(プライベートな話が原則許されない私人間関係だが、私の生活圏は機関施設内のため特別に許されていた。)
私が14歳になった時、先輩の指導から一年が経って、私は会長の秘書という何だか少し偉そうな役職になった。まあ、現実はそんな仕事でも作らないと保護対象の人間が安全に生きる術がないだけなのだが。
とにかく、それに伴い先輩は異動になった。機関のなかで一番関りのあった先輩と別れるのはとてもつらかった。
会長はおじいさんのような人で、私にはとても優しかった。外部の人間との応談時は時に険しい顔をして、恐怖で相手を押さえつけようとする節もあったが、その目を私に向けることはなかった。
私には確かな居場所が出来つつあった。
機関の人間は優れた運動能力、思考能力、特殊能力のいずれかを持つもので構成されていた。
特殊能力、といってもこの世界における魔法みたいなものらしいが、魔法を使えない私からすればそんなもの能力といっていいのかすら怪しい。
私はその三つのいずれも持ち合わせていないと思っていた。
だが、そうではなかった。いや恐らく、この機関に丁重に保護され続けられた理由はそこにあったのかもしれないが、私はそれに気づいていなかった。
私の目には明白な異常があった。
人を見抜く、というべきか、人を威圧するというべきか、その詳細は私にも分からない、ただ、何か異常があるということだけはハッキリと分かった。
それが分かったのは15歳になる誕生日だった。何かに目覚めるにはきっと都合の良い日だ。
だから、私は彼と会うことを希望した。
私を守って、世界をも保持しようとする機関の活動の中で、それさえも無視して世界を改変してしまった特異点の女子高生。
そして、その歪んだ世界を元に戻すための最重要人物、閑谷圭という男子高校生。
一体何が、どんな風に私の目に映るのだろうと思った。
先輩と一緒なら恐らく一時的な外出の許可は得られるだろうという算段もあった。
目の力の確認も会長からとれた。準備は万端だった。
得られる限りの一般社会の情報を頭に叩き込んで、私は世界の変革を偵察する。
「私、海堂シオンって言います!よろしくお願いします!」
どう見ても冴えない男児高校生は私を見て、驚いている。とりまきの女性たちの視線がこちらに注がれているのも分かる。でも、私は止まらない。全てをこの目で見極めるまで帰るわけにはいかない。
私の世界は、今この瞬間に始まるのだ。
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