第15話 崩壊
目を見開いたまま、女の子にキスをされている俺を、俺は見ていた。
俺を見ている俺も目を見開いている。驚きだ。
元祖佐藤は叫びながら体を張って、俺の目を覆うつもりだったのだろうが、ラッキースケベよろしく目のラインだけ覆えてないので、俺は『幼馴染とキスする俺』を脳に焼き付けなければならなくなった。電車を飛び越える人間の光景含め俺の脳は、死後天然記念物として保管されてしまうだろう。
しかし、そんな冗談めいた考えを続ける間もなく、冗談めいたこの世界が、視界の中で歪んでいくのが分かった。視界が斜めに傾く。いや・・・これは足場が傾いている?
「――ッ!?」
「こ、ここからが、あなたが見るべき光景です」
元祖佐藤は恥じらいをまだ少し残しながら、元の威風堂々とした態度に戻りつつあった。ゴミを見るような態度をしたり、恥じらったり忙しいやつめ。
「ど、どういうことだ?」
地面は傾き、揺れていた。それも、経験したことのないような大きな揺れ。
「こ、これ俺たち死んじゃわないか⁉」
このまま揺れが激しくなったら建物は倒壊して、地面は割れて、命の危険に見舞われるに違いない。鼓動が早くなって、俺は少し焦る。
「大丈夫です。この世界はさきほど言ったように心象世界ですので私たちに質量はありません」
いや、だからそこもいまいち納得してないんだってば。闇医者かお前は。
「それよりも――」
元祖佐藤は険しい顔付きで続ける。歪む世界を眺める。その顔にはどこか哀愁が漂っている。もう戻らない何かを見るような。
「橿原玲奈の力を正しく理解すべきです」
やはり、あのギャルは橿原玲奈なのか。
佐藤の言葉であのギャルが本当に橿原だということが確定した。正直、現状では自分の命が気になってそれどころではないのだが。
「い、いや、力云々よりこの天変地異みたいな現象はなんなんだ? 天災か何かか⁉」
こんな大きな揺れをもたらす災害なんて果たして存在していいのか、もしや一昨日世界は滅亡する運命だったのか、なんて馬鹿げた考えで自分を納得させないと気が気ではなかった。それくらいに異常な光景だった。
「だから、言っているのです」
「は? よくわかんねえよ!」
少し声を荒げる。はっきりと説明しない佐藤に、そしてそれ故に導かれる結論に気付いて、気付かない振りをしている自分にいら立つ。
「ですから、これが、彼女の・・・橿原玲奈の力なのです」
佐藤の顔は、歪む世界と比例するように険しくなった。
この世界の歪みを既に佐藤は経験していた。世界が終わるようなこの現象を一度経験していた。そう考えれば、それを止められなかった自分を客観視するのは相当な苦痛だったに違いない。
「・・・」
佐藤の言葉で、この状況が本当に橿原玲奈、あのギャルの力だということが確定してしまった。きっぱりと断言されてしまうともう逃れようがなくて、やるせない気持ちになってしまう。
こんなの馬鹿げている、それだけだ。一人のただの女子高生に、世界を破壊に導くような力が備わってるなんて、そんなこと急に言われても訳わかんねえ。信じたくねえ・・・けど、この状況は確かにあった事実だと、理解していた。
ぼんやりとこの状況に既視感を感じていた。あの日、プロポーズされた後の記憶が俺の中で消えていたのは、現実とは思えない現象に遭遇してしまったから、と考えるのが妥当か。
「この世界はこの後どうなるんだ?」
崩れていく建物と巻き起こる竜巻が俺と元祖佐藤、つまり心象世界を追体験している俺らに影響を与えていないことに少し安堵しながら、それ以上の憂いを感じていた。
「この世界は、私とあなたが、き、キスをしてしまったことで橿原玲奈によって否定されました」
世界の否定・・・ねぇ。
「よって、橿原玲奈の力によってこの世界は別の世界に作り替えられるわけです」
もう、ホントにここらへんはワケがわからない。JAXAダイレクトである。電話させてくれ。
「私とあなたが付き合っていない世界、言ってしまえば私とあなたが不仲で、橿原玲奈があなたと付き合える限定的な世界を彼女は作ったのです」
「世界を作るとか、壮大すぎてよくわからん・・・」
「確かにそうですね。彼女の『願いを叶える力』は絶大ですが、世界を作るということまでは完璧に成すことは出来なかったようです」
完璧な世界を作ることは出来なかった。
不出来な世界。つまりそれは、消えることが確定している世界、ということか。
「・・・それが、俺と橿原が付き合ってる世界が滅亡する理由か」
長濱先生のやや断片的な情報と佐藤の説明、そしてこの状況を見て、漸く俺はこの大きな問題の成り行きを、嫌々理解し始めていた。
「そういうことです。分かっていただけましたか?」
「分かりたくないような異常な現実だけど、分からないといけないことなんだろうな」
だから、橿原の願いを7日以内に彼氏として叶えて満足させて、世界を元に戻さないといけないわけか。なるほど、なるほどな・・・くそ、わかるけど、気持ちが追い付かない。追い付かせたくない。
おかしいに決まってる。あんな普通のギャルが、デートもした別の橿原が、こんな力を持っているなんて、信じようにも、信じたくねえ。
「残念ながら、変革した世界の橿原玲奈は彼女の願いが叶うこと、要は満足することで元の世界に戻るよう世界を構築したようです。彼女自身がかけたリミッターのようなものなのでしょうが、変革後の世界の彼女は自分の力を認知していないため、あなたに託すしかありません」
「・・・で?」
「本来ならば我々機関が果たすべき使命ではありますが、変革後の世界で世界の変革に気付き、活動できているのは極わずか、連絡方法も確立されていません」
「・・・」
「組織の説明が欲しいですか?」
「いや、いい。長濱先生に教えてもらった」
たしか、あのメモに『機関』とやらの概要についても書いてあった気がする。第一今はそんな気分じゃない。
「あなたは悠長に彼女の願いを叶えればいい、と考えているのかもしれませんが、彼女の力がどのようなものか正しく理解した上で、その責任を肝に命じていただきたいのです」
――強引なやり方で申し訳ありません、と彼女は付け加えた。深々と俺に向かって頭を下げる。やめてくれ、俺のなかでお前は幼馴染なんだから。これ以上混乱させるな。
世界は歪んだまま、ゆっくりと動き続けていた。やがて、ギャルが俺と佐藤のキスに気付き、彼女自身が光始める。なんだよそれ、かぐや姫かよ。
心の整理は付かないままだった。多分ずっと付けられない。けど、この世界と、隣で頭を下げてる幼馴染が居る異様な状況はそれ以上に嫌だった。
「・・・わかったから、顔あげてくれ」
佐藤は険しい顔付きのまま顔を上げる。
「・・・彼女なんていたことない俺に期待されても困るが、やれるだけやるよ、佐藤。だからそんな顔すんな」
幼馴染の暗く険しい顔を見ていられるほど俺のメンタルは強くない。
「面目有りません・・・どうか世界をよろしくお願いします」
「子供でも預けんのか、お前は・・・」
世界ちゃんか? 世界ちゃんをよろしくお願いしてんのか?
「機関からすれば世界はそれくらいに大切なものですから・・・」
・・・おい冗談通じてねえぞ・・・
沈んだ気持ちのまま、ふざけてみた。
「じゃあ、来週になったらお迎えに来てあげてくださいね?」
「え、来週、ですか。お迎え・・・」
腕を組み、佐藤は思案する。
「り、リムジンで良いでしょうか?」
「ブハッッッッッッ」
吹き出してしまった。なぜそんな真顔でそんな回答ができるんだ。張り詰めた糸が切れたように笑いが止まらない。
「な、何がおかしいのですか!ワタシはあなたの問いに真摯に――」
「いやごめん、元の佐藤とあまりに違ったもんだからさ」
笑いを堪えながら堪える。元の佐藤なら適当にあしらうか、更に冗談を笑いながら重ねてくるくらいしかなかったからな。それはそれで好きだったけどこれも悪くない。
「元の佐藤・・・ですか」
「あー、あれも機関の佐藤だから、演技なのか。まんまと騙されてたんだな、俺」
自嘲ぎみに笑った。決して佐藤を責めるつもりはない。機関の役割の重要性はそれなりに理解している。世界の安寧を保つためなら俺くらい騙してもらわないと。いや、むしろ光栄だ。
でも、ほんのり悲しいのも本当だ。佐藤とは幼馴染っていうか、心で繋がっていると思える数少ない大切な友人だったから。
「・・・」
「どうした?」
佐藤は胸に両手を当てていた。
「その、あなたの知る佐藤という人間と今の私は、世界変革の影響を受けてしまったため同一の人物とは言えません」
「あ、そうなの?」
「橿原玲奈が私とあなたが不仲な世界を望んだため、私にはあなたへの憎悪が標準設定されているんです」
「あー・・・」
だから、あんなに冷ややかな口調と見下すような視線だったわけね。憎悪飛び越えて侮蔑じゃなかったか?
「でも、この心象世界で元のワタシの心情が、ワタシに少し共有されました。こんなこと、あるんですね。」
「ん? どゆこと?」
どことなく、佐藤の表情が和らいでいるような気がした。俺を顔を見上げる。
「いえ、元の世界の私はあなたに少なからず好意を抱いていたみたいです。機関の人間としてではなく、一人の女性として。・・・こうしてあなたと話してみたら私の憎悪も案外薄れてしまうものですね」
この世界で、ずっと見せなかった朗かな笑顔を彼女は見せてくれた。にこりと笑う彼女の周りが明るくなるような、いつもの佐藤の笑顔だった。俺の心も少し明るくなる。
「そ、そうか・・・」
俺が恥じ入るのを見て、彼女も自分が何を言っているのか理解したようだ。
「あっ! べ、べつにそういうつもりじゃありませんから!」
どういうつもりなのか、まったく推察できてないから安心してくれ。
「い、いいですか?これで心象世界の追体験は終えますが、設定的に私とあなたは不仲ですからさっき見たことは忘れてくださいね⁉」
ころころ態度が変わってしまうのはそれはそれで新鮮だけど・・・ねぇ。
「ここで見たこと覚えとけって言ったの佐藤じゃね?」
そのためにつれて来られたような気がするんだが
「だ、だから、それじゃなくて・・・」
彼女の顔がまた赤らむ。そんなあからさまに恥じることができるのはそれはそれで才能な気がする。
「あー、あれか、キスか」
「――――う、いや、――」
図星なのだろう。佐藤は最大限に恥じ入りながら悶えるような声をあげる
いや、俺も恥ずかしいからね?
「ば、バカ!!!」
突然、佐藤は俺にタックルする。タックル、といっても言い換えれば俺の胸に飛び込んでくるようなものだった。それくらいに、か弱いタックル。
俺はビックリしてしまった。心臓の音が跳ね上がる。俺の胸に女の子が・・・いやちがうそうじゃなくて
「え、えと、なにしてんの?」
キョドった
「は、恥ずかしいのでこっちを見ないでください」
佐藤は俺の胸に顔を埋めている。柔らかい香りが俺の拍動を早める。
「え、えと、俺もその恥ずかしいんだけど・・・」
「お、おあいこです。これで」
俺は身動きがとれなくなってしまった。
歪んだ世界は、橿原玲奈が発した光に包まれ辺り一面真っ白になっていた。
そうして端のほうから暗闇が白を侵食する。
俺が落ちてきた時と同じ。黒。
「あ、あと、暗いのは嫌いなんです」
くぐもったこえで俺の胸に佐藤は呟いた。
「・・・わかった」
俺は真っ白になってしまった空を仰いで黒をまった。
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