第14話 真実


 夕暮れ特有の、オレンジ色の光が辺りを照らしている。踏み切りの音が鳴り響いていた。


 だが、その踏み切り音はどうやら俺の知っているその音とは微妙に違っていた。いや、違っていたというよりは、遅かった。リズムが。


 俺は踏み切りの前に立っている。目の前で電車が踏み切りを通過しているのが分かる。確かに俺はそこにいる。でも、確実に俺の意識はそこにはなかった。自分を第三者として見ているような、そんな感覚。


 電車は動いていた。これまた恐るべきほどゆっくりに、乗客一人一人の顔が明快に認識できてしまう。といっても夕暮れ時の田舎専用ローカル線に乗る人なんて極一部の人だけで、数えるほどしか乗客は居なかった。でも彼らの顔を見るに彼らの感覚は俺の感覚とは違うのだろう。


 俺だけが、この瞬間を、時間の流れを緩やかに感じているのだろう。


 いわゆるゾーンというやつがある。


 アスリートとかが具体例として上げられるが、要は極限の集中状態でゾーンに入ることで凄まじい力を発揮する、みたいな超人理論である。そしてそのゾーンとやらの効果の一つに、時の流れを緩やかに感じる――相手の動きがスローに見える――みたいなのがあるらしい。

 存在は知っているが、そんな経験したこともなかった。


 もし仮にこれがゾーンだとしたらなんだというのだろう。


 電車は、幼稚園児が三輪車に乗っている速度と同じくらいゆっくりと路線を進んでいる。


 俺の体は現実のスピードで動かすことができた。回りを見渡しても俺と同じように動いている人は居ない。やはり俺だけが、この世界をスローにかんじているのだろう。


 だが、ここはいつ、どこだ?


 思い返そうとすると頭が痛む。確か、デートの帰り道佐藤に合って、それで佐藤が髪を切って――


 佐藤の見慣れない髪型と顔が脳裏に浮かぶ。パッツンショートヘアに、眼鏡の無い佐藤の顔。


「いっっっ――」


 再度、頭が割れるように痛む。


「あれ、あの髪型、どこかで・・・」


 一般のハサミで無造作に伐られたため、アンバランスに見える佐藤の髪、そしてあの口調。俺はどこかであの「佐藤」にもあっているはずだったのだ。一体、どこだったか。


 その時、ガラガラの電車の向かい窓から、つまり電車を跨いで反対側の道路に俺の顔が見えた。口を開けて驚くような顔の俺は、紛れもなく、正真正銘俺の顔だった。

 俺が、俺を見つけたのだ。


 どうなってるんだ、これは。


 何も分からぬまま向こうの俺が向けている視線を追う。俺が驚いているのは何故か、二つ隣の車窓から見える景色に答えがあった。


「――――あっ」


 立ち姿だけでわかった。彼女がそこにいた。こちらの俺からは顔半分ほどしか見ることができなかったが。


 あのギャルだ。あの日、あの踏み切りで俺に婚約を強いた女子高生。


 橿原玲奈、で良いのだろうか。


 彼女有り世界で接した清楚な橿原と、元の世界のこのギャルが同一人物だというのは俺のなかで仮説に過ぎなかった。だから彼女が誰なのか確信をもって言うことはできない。


 しかし、この状況は一体全体どういうことなのだ。さっきまで彼女有り世界にいた俺が、また非モテ世界に戻ってるなんて、しかも過去で、過去の俺もそこに居て・・・ってぶっ飛んでるにもほどがある。


 向こうの俺は何やら天に向かって叫ぶような姿勢をとった。スローなこの世界でこちらの俺には音は何一つ聞こえていない。だから、向こうの俺の言葉も口パクにしか見えないのだ。


 でも、覚えていた。あのとき、このギャルと話した内容は。それくらいに衝撃的だったから。


「「俺の話を聞け」」


 俺は俺の口パクに音を合わせた。

 どうやら間違いないようだ。


「あの、そろそろ思い出してもらえました?」


 冷ややかな、それでもどこか懐かしいあいつの声が突然耳に飛び込む。


「んあっ?」


 周りの世界に干渉できず、音も聞こえなかった俺は、生きている声に驚いてしまった。


「いや、ですからあの日の事、思い出してもらえましたか?」


「佐藤・・・だよな」


「そこを疑われるとは思ってませんでした」


 淡々と、冷徹な目で俺に言葉を返す佐藤。確かにあの佐藤だった。


「これはどういうことなんだ?」


 この世界もこの状況も、全てを指した言葉だった。


「これ、ですか。随分曖昧な表現をしますね。――まあ、いいでしょう」


 とやや満足気な顔で佐藤は話始めた。なんだか少し腹が立つ。


「ここは心象世界です。つまり人が体験した過去の記憶ということですね。現実よりゆっくり時が進み、音も聞こえないのは、この記憶の保持者の体感に準ずる心象世界の特徴だったりします。」


 全くもって、理解できない。心象世界という言葉のぼんやりとした意味はわかっても、いざ自分が心象世界にいるなんて言われたら理解は遠ざかって然るべきだ。追体験してるなんていわれたら尚更。


「・・・・・・」


「いきなり理解しろ、というのは少々無茶な話ですね。良いでしょう。あなたが分かるように説明してあげます」


 最初からそうしてくれ、佐藤。というかそんなしゃべり方なのかこの佐藤は。もっと砕けた友達だったのに、と心の中で沈む。


「この記憶は私のものです。本来機関の人間の記憶を追体験させることは規則違反でもあるのですが、この場合は致し方ないでしょう。元の世界の記憶を唯一持っている貴方とシンクロすることで、私の元の世界の記憶を共有させていただきました。

――ともかく、これは元の世界の私が体感した音、景色、その全てです。そして一昨日のこの瞬間から、世界は変革してしまった。私の目の前で世界の変革が起こったのです」


 世界の変革、佐藤が言った言葉を反芻する。長濱先生もそんなことを言っていたっけか。世界が、変わってしまったのだとか。

 ぼんやりとした脳みそに訳のわからない言葉を押し込んだ。


「あなたと彼女の目付役として機関から配属されていた私の目の前でそんなことが起きるなんて、今考えても自分の愚かさに虫酸が走ります」


 苦虫を噛み締めたような顔で佐藤は続ける。苦しみに満ちた表情だった。


「私はなんとしても、あなたたちの行動を、決定を止めなければならなかった」


 長濱先生の言っていた、橿原の叶えてはいけない願いを思い出す。


「俺と付き合うこと、か』」


 俺の言葉に佐藤は少し驚きながら頷く。


「そう。彼女としては『結婚』は『付き合う』ということにはならないだろうと思ったのでしょうが。そんな簡単なことのわけがありません」


「・・・どういうことだ?」


「まあいいでしょう。結局どちらにせよこの瞬間、私に出来たことはあなたと結婚しようとした彼女の願いを別のものにすり替えることしかなかった。貴方と彼女が結ばれて生まれる被害を思えば、背に腹は代えられないと思ったのです」


 あー、もうワケがわからない。彼女の願いを別のものにすり替えるってどういうことだ? そんなこと普通に生活してて考えることあるか? 俺はない!


「結果として、それはこの世界の凍結あるいは変革、という更に派手な問題を作り出してしまうわけですが」


 世界規模どころか宇宙規模の話になっているようだ。俺の手には負えない。JAXAをよぼう。


「どうやら完璧に理解の域を越えてしまったみたいですね」


「・・・ご名答。なにもわかっちゃいないよ」


 佐藤はやれやれ、と俺に分かるようにボディランゲージで煽った後、引き締まった顔で告げた。


「見ておくべきです。あの日、あの瞬間何がおき、この世界がどうなったのかを」


 澄みきった目で、佐藤は言う。その目には俺を見下すような気持ちは感じられなかった。俺の知っている佐藤の純粋な目だった。

 まあ、言ってることはワケわからんが。


 刹那――


 佐藤の中からもう一人佐藤が現れた。いやほんとに、幻覚じゃなくて。

第2の佐藤は、俺と元祖佐藤と違い、緩やかな動きで電車へと走り出す。その早さはスローに見えているにも関わらず電車より遥かに速い。俺の知っている佐藤は運動音痴とも得意とも言えない一般のJKだったはずである。

 既に第2佐藤の髪もパッツンショートで、眼鏡も外されていた。


「え、佐藤が二人?」


「ここに本来いた私です。つまり、元の世界の私」


「え、でもなんで電車に向かって走ってんの? 死ぬ気なの?」


「言ったでしょう。世界の変革を止めるためにと」


 いや言ったけど。それさえもわからん俺にはその派生は分からんて。1の段がわからんやつに3の段を理解させようとするな。


 第2の佐藤は素早い走りで電車まで駆けて、


 その後――


 電車を飛び越えてしまった。


「は?」


 思わず声をあげる。人間が走り幅跳びみたいな要領で電車を飛び越えるなんて光景、見てもよかったのだろうか?俺の眼球はモルヒネ付けにされて永久保存されそうなくらい貴重なものとなってしまってないか?。


「あ、ダメだ!」


 続けて元祖佐藤が声をあげる。大声にビックリしながら佐藤を見ると、先程までの威風堂々とした態度がガラリと変わってしまっていた。顔を赤らめて恥じらう乙女の姿があった。なにしてんのおまえ。


「え、どしたの佐藤・・・」


 友人の知らない一面を、更に別の一面で塗り替えるのはどうにも気まずい。恥じらう佐藤とかあんまり見たことないし・・・


「あ、え、えっと・・・」


 本当にどうしてしまったのか。どもりにどもって何も喋れていないぞ。


 こっちの元祖佐藤が戸惑っている間に、第2佐藤は電車の向こうに着地していた。

 俺の隣に立って、なにをするんだろう。俺は凝視する。未だに天に向かって叫んでいる元の世界の俺。

 隣に来た佐藤を佐藤だと認識していないし、突然の出現に驚いていた。元の世界の記憶があるはずの俺も覚えてないし。


「み、見たらダメですーー!!!!!」


 こっちの佐藤が何か叫んでいる。うるさい、おれは集中してるんだ。


 第2の佐藤は驚き顔の俺の頬を両手で包み、


 そして――


「あああああああああああああ!?」


 向こうの俺と口づけを交わしていた。

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