第8話 非モテの俺は、約束する

 腹部にダメージを負った俺は、ゆったりと校舎の出入り口に向かった。


 長濱先生め・・・訳のわからんことを言いやがって・・・


 頭の中はぐちゃぐちゃだった。


 橿原玲奈・・・この日常における『俺の彼女』としての存在を、俺は夢か何かだと楽観的に捉えていた。


 それが超常現象によって引き起こされたもので、しかも彼女の『彼女としての願い』を叶えて満足させないと今度はこの世界そのものが終わるとか、奇想天外すぎる!

 これは異次元恋愛映画の世界なのか!!


 腹部を押さえながら下駄箱までたどり着き下駄、いや、スニーカーと上履きを入れ替えたところで台風の目でる彼女の声がした。


「圭くん!」


 今日で何回目だか分からないその台詞だった。


「一緒に帰ろうと思って教室行ったら居ないし、もう帰ったのかなーって心配だったんだよ」


 やや心細そうな表情で、彼女は開放されている玄関の前にいた。ここで待っていてくれたのだろう。


「ご、ごめん、ちょっと用事があって」


「あっ、ううん、そんな怒ってるとかじゃないから謝らないで。ただ心配で」


 えへへと可愛らしく微笑む彼女に、不覚にもドキリとする。


 さっきまでは、これが夢でも俺は満足だと、そう思っていた。


 けど、実際はそうじゃない。これも現実で、『彼女』が望んだ世界なのだ。


 そしてこの現実は――


 もう二度と叶うことはない『彼女』の願望。


 ***

 

 保健室を出た直後、長濱先生は扉から顔だけ出して、一言付け加えた。


「この世界は彼女の願いが叶い、満足すればその時点で消失するわ。つまり――元の世界に戻るの。そして、昨日までの本来の安定した世界に戻る。彼女の記憶も君の記憶も恐らく消える。つまり、君たちは昨日までと同じ見知らぬ他人に戻ってしまうわ」


 ――残念かもしれないけど

 と一瞬暗い表情を見せたあと、また悪魔の笑みを浮かべる。


「彼女とのラブラブ生活、今のうちに楽しんでおくのよ?」


 ***


 案外、痛みで苦しんでいるときでも人の話は入ってきてしまうんだなと人の許容範囲を憎みたくなる。


「でね、今日はリカちゃんが数学の時に大なり小なりを、海老反り逆海老反りって覚えててね」


「それはさすがに嘘だろ」


「いやいや! ほんとなんだってば! あー、疑ってるのー?」


「いかにも怪しいからなぁ~」


 一緒に下校しながら、他愛もない会話を続ける。昨日まで女の子と喋ることがほぼ無かった俺が少し自然に話せるようになっているのは、この世界の俺の能力の名残なのか、はたまた昼休みに緊張感が解けただけなのか、理由はよく分からなかった。


「その・・・さ、圭くんの話も教えてよっ」


 玲奈は歩きながら俺の顔を覗き混むようにして言う。


 うわ顔近い近い、まだその距離は緊張するから!!!!


「俺の・・・話?」


 何とか視線を逸らす。

 

「そう、圭くんの話」


 なんとも可愛らしく、俺の言葉を上塗りする。

 その麗しい目はこちらを見つめていた。やばいって、俺まだ彼氏一日目なんだよ?手加減して?


「そ、そうだな・・・」


 確かに、今日一日通して彼女との会話は、一方的な会話だったような気もする。俺としては情報が欲しかったから聞き手に回ったというのもあるが。


 ましてや人と話すことが少ない俺が何を話せば良いのかわかるはずもなかった。


「え、えーっと、俺は昨日、映画を見た」


 小学生の日記のような言葉が出てきた。なにそれ。


「どんな映画?」


「内容は・・・男が、生まれたときは老人みたいなんだけど、年をとるにつれて若返っていって、最後は赤ちゃんになってしまう映画」


「どのシーンが一番好きだった?」


「え、それは・・・そうだな、主人公と愛しあった相手が、一度はあきらめた夢を成し遂げて、んで、男に励まされた台詞をTVインタビューで話してるのを見て、その男がホテルのロビーで微笑むシーン。」


 俺は昨日、いや、厳密には一昨日の夜見たお気に入りの映画の話をした。


 彼女は俺の話を聞き流すのではなく、時に頷きながら、時に相槌を打ちながら真摯に聞いてくれた。そのお陰か、そのせいというべきか、俺の語りは止まることを知らなかった。


「でさ、この映画の監督って実は幼少期の体験からホラー映画とかも作ってて、この映画もややミステリー要素はあるんだけど、それでも感動的な展開に持っていってるんだよな!」


 熱の入りかたは異常だった。というのも、こんなに真剣に趣味のことについて話す機会が随分なかったから。

 ただ、俺の話を聞いてくれるのが、嬉しかった。


「ふふっ」


 突然、彼女がうつむき、笑う。


「あっ・・・ごめん、熱くなっちゃって、気持ち悪いよな・・・」


 これもまた一方的な会話をしてしまっていた。早口でベラベラと・・・笑われるのも無理はないか。


「え? 圭くんの話、面白いよ?」


 彼女は顔を上げて続ける。

 なんでそんなこというのと言わんばかりに。


「私あんまりそういうの詳しくないけど、話聞くだけでワクワクして楽しくなっちゃう! しかも圭くんの話し方だからかな、なんか、私も見た気分になれちゃうの!」


 指先を合わせて謎にくねくねと動かしながら、朗らかな笑顔で、べた褒めだった。


「しかも、あんまり圭くんの話聞いたことなかったから、それも新鮮でさ」


「じゃあ・・・なんで笑ったんだ?」


 バカにされたのかと思ってしまったけれど。


「いや、その・・・私今、幸せだなぁって・・・」


 突然狼狽しながら彼女は頬を朱に染め、顔を両の手のひらで挟むようにして視線を逸らした。


「お、・・・おう」


 俺も彼女とは反対の方向に顔を振り切り、頬の熱を感じた。火照っているのがわかる。


 俺も幸せ・・・って思っちゃってるじゃんか。


「じゃ、じゃあさ、圭くん」


「な、なに?」


 互いに顔を見ないようにしながら会話するカップルがそこにあった。


 人が少ない住宅街の下校ルート。


「明日、映画とか・・・見に行かない?」


 チラチラと俺の方を見ながら提案する。はい、可愛い。


「え?」


「私、あんまり映画館で映画見たことないし、その、何を見れば良いかもわかんないから・・・」


 デートをしたことがないのかこのカップルは、と思うくらいにぎこちないデートのお誘いだった。


「い、嫌なら全然大丈夫なんだけ――」


「い、行こう!!」


 彼女の言葉が終わる前に俺は言っていた。


「いいの?」


「全然大丈夫!行こう!」


 デートとかしたことないし、よくわかんないけど、この子となら。玲奈となら。

 例えこの関係がいずれ無くなってしまうんだとしても、今この瞬間この世界では、彼女の彼氏は俺なんだ。


 恋愛映画とかドラマとは違うかもしれないけど、彼女の望みを叶えるのは彼氏の役目だ。万国共通。


「嬉しい・・・ありがとう・・・」


「か、彼氏だから、当然だ」


「なにその台詞、かっこつけすぎだよ」


 そういって笑う。


 照れながら俺も玲奈も歩を進めた。


 玲奈のことを知るためにも、世界のためにも、とにかく今は彼女の望みを叶える。


 どんな結末だって、非モテの俺にはどんとこいだ。


 散々長濱先生の話を疑っていたのに、これが彼女の望んだ世界なんだ、なんて言われたら望みを叶えて満足させてあげたくなっている俺がいた。


 やはり俺は、人に甘い。

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