パズルピースの帰宅

 ――――光命ひかりのみことはブラックアウトから解放されると、自宅の玄関ホールへ戻ってきていた。家族が急に増え、大工に頼んで増築に増築を重ねた家。


 しかし、彼らのたくみの技は素晴らしく、ちょっとした噴水が鈴の音のように頬を軽やかになでてゆく。


 若葉色の絨毯じゅうたんが春らしさを床で花咲かせる。四季織々で色を変えるそれ。吹き抜けのガラス窓には和紙が不規則な三角形を作り、ところどころにアクセントを置く、しゅ色や少しおとなし目の紫。


 つるしびなのような遊び心のある縦の線が、天井から何本も降り注ぐ。子供がいる家らしく、可愛らしさも漂わせていた。


 そこに立つ光命の服装は、白のカットソーに黒の細身のパンツ。濃い紫の膝上まであるロングブーツ。甘くスパイシーな香水。彼のよそおいは洋風。だが、和を好む夫婦がいる以上、そのあでやかさも、でる感受性を兼ね備えていた。


 小さなソファーが規則正しく並んでるのかと思いきや、それらは小さな人たちに崩壊的にバラバラにされ、もはや彼らに占拠。いや、基地にされていたのである。


 冷静な水色の瞳に子供たちの遊んでいる姿を映していると、女の声がふと横からかかった。


「――あぁ〜、あんた、どこ行ってたんだい?」


 その声は粋で鯔背いなせで、キビキビとしたもの。紺の長い髪が振り返ったことで揺れ動くと、長い髪を結い上げた色っぽい女が立っていた。光命の妻の1人だ。いくら夫婦であろうとも、今日のキスは内緒。そのため、夫は優雅に微笑んで平然と嘘をつく。


「事務所へ用があったので、そちらへ行っていました」

「そうかい。準備が間に合わないから、子供たち見ててくれないかい?」


 女は気にした様子もなく言って、光命から忙しそうに離れていきそうになった。冷静な頭脳は今見たデータから拾い上げる。玄関ホールでピョンピョン跳ねたり、兄弟同士で遊んだり、ふざけあっている子供の数。その総数14名。


 光命は違うが、子供のいる人と結婚したのだ。キッズの数は夫婦の比ではなく、うなぎ上りに増えている。遊線ゆうせん螺旋らせんを描く声が優雅にうなずき、ここにいない妻たちの心配をした。


「えぇ、みんな、まだ終わっていないのですか?」


 2人が話している間にも、ガシャーンと派手な音がして、花を飾っていた花瓶が床に落ちて粉々に砕け散った。


「あぁーっ!」


 子供たちの驚いた声が聞こえているが、叱るでもなく、何かするわけでもなく。夫と妻はまだまだ話し中。粋な女は少しだけため息をついて、自分たちの家が今どういう状況なのかを、母親として、子持ちでなかった夫に説明した。


「子供が一気に増えただろ? だから、大変なんだよ。小学生はまだいいけどさ、もっと小さいのはあちこちウロウロして、着替えさせようとしても、瞬間移動できるやつがいるから、終わらないんだよ」


 普通でも大変なのに、勝手にどこかに消えてしまうチビっ子。苦労がよくわかる。


「1人平均3人を担当……」


 つぶやく光命ひかりのみことの前で、不思議なことに壊れた花瓶と花は、逆再生する映像のように元へ巻き戻った。そうして、まるで何事もなかったように、親が叱ることもなく、誰かが怪我するわけでもなく、罪悪感を覚えるでもなく。平和にどこまでも過ぎてゆく、この世界。


 母親1人が3人の子供の面倒を見ている。妻は今のところ4人いる。そうなると、単純計算で、子供は12人。大家族である。だが、さらに悲惨な状態が女の粋な声が言い渡された。


「あの2人が仕事で家空けてるから、4人ずつってところだよ」


 計算がおかしい、さっきから。4×2=8人。今目の前にいるだけでも、子供は14人。彼らは支度が終わっているはず。ここにいるのだから。誰からもツッコミがないので、このままスルー。


 配偶者がたくさんいる。みんなそれぞれ仕事をしている。職業によっては、家にずっと帰ってこれない人が出てくるのだ。妻2人はまさしく、家に戻ってきていない。3ヶ月近くも。


 家族が欠ける。さみしいものだ。出来れば、みんな仲良くそろって、そう望んで当然。光命の冷静な水色の瞳はうれいに少しだけ染まった。


「そうですか」

「じゃあ、頼んだよ」

「えぇ」


 女が言い置いて、去ってゆく素ぶりを見せると、廊下の途中ですうっと姿を消した。光命は近くにあった、キューブ型のソファーの1つに優雅に腰掛ける。サファイアブルーの宝石がついた指輪をした人差し指は、あごに軽く当てられた。


(間に合わなかったのかもしれない。

 れんのコンサートを彼女たちと一緒に観たかったのですが……)


 猛スピードで脳裏の左右を過ぎてゆく映像が一瞬、白い光を発し、通常の速度で流れていた音声が途切れた。そうして、別の映像が流れ出す。それはさっき見ていたものと、スタートは同じなのに、次の言動から全く違うものとなり、完全に別の結果にたどり着いた。


(……未来が変わった。

 彼女たちが来るみたいです)


 子供たちがガヤガヤしているのを横目で見ながら、白のカットソーと黒い細身のズボンがソファーから優雅に立ち上がった。首元の十字のチョーカーをシャンデリアの乱反射に揺らめかせて、悪戯好きな光命はこんなことを考える。


知礼しるれが私の背後に現れるという可能性が99.99%。

 ですから、彼女の背後に回るように瞬間移動しましょう)


 シュッと消え去るのと入れ違いに、女が現れた。その女はさっきいた、粋で鯔背で、色気たっぷりなタイプとは違う。可愛らしいという言葉がよく似合い、どこかボケている感がある。


 瞬間移動をしてきた。当然、到着地点に誰からいると思ってしてきた彼女。だが、子供たちがちょこまか動く景色が広がるだけで、大人の姿はどこにもない。ふわふわウェーブのショート髪が、首を傾げたことによって落ちたが、


「あれ? 誰もいないん――」


 すぐに後ろから、男の声が不意に、何の予告もなくかけられて、


「知礼」

「きゃあっ!」


 女はびっくりして、光の速さのごとく飛び上がった。その飛距離、真上に約5mである。


 子供たちは遊ぶ手を止めて、悲鳴の上がった方を見た。だがしかし、それが誰なのかわかると、別に気にした様子もなく、再びみんなで話したり、遊び始めた。


 女の真後ろには、神経質な手の甲を中性的な唇に当てて、光命ひかりのみことがくすくすと笑っている姿があった。悪戯が成功したために。だが、この優雅な王子さまならぬ、策士は平然とこんなことを質問する。


「どうかしたのですか?」


 どうかさせているのは、光命であろう。それをわざわざ聞くとは、悪戯にもほどがある。


「あ、あぁ……ひかりさん、びっくりしました」


 女は乱れた呼吸を整え整え、振り返った。昔から変わらない驚きぶり。それを前にして、光命の優雅な笑みは一層濃くなった。


(私もいませんね。

 あなたを驚かせることが好きだなんて……)


 どうやら、このびっくり仰天している知礼が、光命の元彼女のようだ。色々あったが、今は我が妻に、優雅な夫は言葉をかける。


「仕事は終わったのですか?」

「はい、終わりました」


 家を空けないといけないほどの仕事。大変だっただろう。妻に夫はいたわりの言葉、いや行動を取った。


「それでは、私からのご褒美を差し上げます」

「何ですか?」

「こちらです」


 彼女の前髪を細く神経質な手でさらっと避けて、光命はその額に軽くキスをした。


「ありがとうございます」


 妻は頬を少し赤くして、礼儀正しく頭を下げる。唇ではなくおでこ。3ヶ月会っていなかった割には、冷めた感じがする。


 だがしかし、違うのだ。昔から、この2人はこういうピュアな関係なのだ。夫婦となっても、それはほとんど変わらない。体の関係が2人には数えるほどしかない。それでも、愛しているという気持ちは、そこにきちんとある。


 本当の平等とは、こうだろう。全員に同じように接するのではなく、8人に対して、8通りの対処をする。それが真実の愛だ。人それぞれ、好みや幸せを感じる方法も物事も違うのだから、相手に合わせるのが筋であろう。


 誰を1番好きかもおのずと順位がつく。相性という数値の差は多少なりとも出てくる。だが、全員を愛しているのは違っていない。それは確かな事実。


 これが理解できない人は、やはり明智家には入門できないのである。


 1人の妻を見送って、次の妻がやって来る。その女はサバサバとしており、色気なんて言葉ありましたっけ? 的な雰囲気。手よりも先に足が出るタイプで、足元にあるものは足で取り上げ、両手がふさがっていたら、何の躊躇ちゅうちょもなく、足でドアをバンと蹴り開ける女。


りん、お帰りなさい。どうでしたか?」


 彼女の本当の名前は、倫礼りんれい。この妻にはこだわりがある。家族以外には、倫とは絶対に呼ばせない。たとえ、親友にでもそれは許していない。だがしかし、光命ひかりのみことは晴れて、彼女を『倫』と呼べるようになったのだ。


 チビたちが噴水をのぞき込んでいるのを、倫礼は瞳に映しながら、あっけらかんとした様子で言った。


「そうね……? 初めてホテルに缶詰だったから、大変なとこもあったけど、知礼しるれがいてくれたから、乗り切れたわ」

「そうですか」


 光命は丁寧語なのに、妻は砕けた口調。それでも、これが彼らにとっては普通。倫礼を見送る光命。彼女と瓜二つのもう1人。その女の面影を、彼の脳裏の浅い部分に引き上げ、五感全てを使って、恋というこうの煙の輪郭を崩さないように大切になぞってゆく。


(彼女と彼女は同じ。

 ですが、彼女と彼女は違う。

 なぜ、違うのでしょう?

 倫の前では、私は冷静でいられるのです。

 ですが、もう1人の倫の前ではいられない……。

 なぜなのでしょう?)


 そう、倫礼は2人いる。今の倫礼は仕事で3ヶ月近く留守にしていたが、この家に帰って来れば、妻として自分を出迎える女。だが、もう1人は、この家に戻ってきても、自分を出迎えない。いや、出迎えることができない。いつも彼女は、違う場所で1人きりでいるからだ。


 今日は一度も会っていない、あの女に。忘れたことはいつだってない。蓮がカフェで感じたように、光命はまるであの女が自分と背中合わせで立っているように思えた。


(彼女のそばへ行きたい……)


 だがそこで、キュービック型のソファーで、他の兄弟たちと仲良く話している、ピンクがかった銀髪の男の子を見つけた。


(ですが、今日は百叡びゃくえいと約束してしまいましたからね。

 あとで、時間をかなくてはいけない。

 彼女に懺悔ざんげする時間を……)


 そう、さっきの倫礼ではないのだ。自分が14年間も待たせてしまった女は。もう1人の倫礼なのだ。


 自身が彼女と同じ立場で14年間生きていたらと思うと、平和な我が家が急ににじみ始めた。そうして、光命の冷静な頭脳という盾は、激情という名の獣にあっという間に飲み込まれてしまった。


 自分でも自覚していたが、平静ではいられなくする。あの女は、光命を。うつむくと、視界は若葉色の絨毯と紫色のロングブーツだけになった。水色の瞳は涙でゆらゆらと揺れて、神経質な頬を雫が落ちてゆく予感がしていた、楽しく遊んでいる子供たちがいる前で。


(少なくとも、彼女を待たせた14年間は懺悔し続けなくて――)


 そこで、ふっと人影が隣に立った。振り向かなくてもわかる。この雰囲気で、この匂いで、誰だか。以心伝心、我が愛する人。昔からそうだった。こんな時の自分を助けに来るのだ。


 その人の腕が自分を包み込むように伸びてくる。遊線が螺旋を描く声は、小鳥のさえずりのように小さく儚げに舞った。


「夕霧……」


 水色の瞳とブルーグレーのそれは一直線に交わる。窓から入り込む紫の月影を間に挟んで。玄関ホールで子供たちがキャーキャー騒いでいる声は、引いてゆく波音のように息を潜めてゆく。


ひかり……」


 紺の長い髪と深緑の短髪はそのまま、相手の顔にすうっと近づく。2人きりの世界で、唇はキスという出会いをした。悲しみも何もかも全て消し去ってくれる、愛する夫のキス。閉じたまぶたの裏で、飽きることのない唇の感触を、お互いの心のつながりを感じている大人2人を、男の子、いや小さな息子が1人じっと見つめていた。


 だがやがて、ピューッと奥にある部屋へ向かって走り出した、こんなことを大声で叫びながら。


「ママ〜! パパたちが玄関でキスしてる〜!」

「あぁ、いつものことだから、放っておきな」


 さっきの粋で鯔背な女の声があきれ気味に響いた。明智家では、よくあることらしい、光命ひかりのみこと夕霧命ゆうぎりのみことがキスをするのは。しかも、子供たちに大披露で。


 というか、幼稚園生でもキスをするようなラブラブな世の中なのだ、この世界は。キスをしていても、特に子供の害にはならない。ただ、同性同士というのが、ここ最近の斬新な出来事だったが。


 それも、慣れてしまった他の子供たちは、気にした様子もなく、噴水の中に靴ごと入って、びしゃびしゃと遊んでいる。せっかく、お出かけのお着替えをしたのに。しかし、不思議なことに出て来ると、服は元どおり乾いているのである。


 玄関という限られた狭いスペース。そこで、いつまでも、光命と夕霧命のキスというダンスは甘く魅惑的に続いてゆく。


 その時だった、彼らの向こうにある色ガラスの入った玄関ドアが、パッと勢いよく開いたのは。


「は〜い! 焉貴これたかパパ、帰ってきたよ〜!」


 片手を高く上にかかげているため、1つしかボタンを留めていない白いシャツから、すらっとした素肌が見えていた。


 黄緑色のボブ髪。どこかいってしまっているようでありながら、宝石みたいな異様な輝きを持つ山吹色の瞳。焉貴、めでたく学校からご帰宅である


 ここで、妻子持ちの焉貴が明智家に帰ってきたので、夫婦10人――


 超ハイテンション焉貴。目の前の夫同士のキスに、帰宅そうそう出くわして、珍しくため息をついた。ボブ髪を両手でくしゃくしゃにする。


「また〜?」


 右側にすっと立って、恋に落ちてしまったお姫さまのように目を潤ませた、光命の声真似をし、


「夕霧〜」


 今度は反対側に立って、夕霧命の、自分にはちょっと再現不可能な地鳴りのような低い響きで言って、


「光〜、チューッ!」


 目を閉じで顔を突き出してみた。焉貴はピンクの細身のズボンの膝に、両手を乗せて、またため息をついた。


「俺、毎日、何回も見るんだけど……。っていうか、今朝、3回見たから。で、今でしょ? 合計4回だよ? どうなっちゃってんの? 2人して、ラブラブすぎ――」


 毎日。それは仕方がないだろう。離れていた時間が長かったのだから。だが、1日に4回以上もしているのは、少々問題である。しかも、玄関で、他の人が帰宅するというこの時間帯に。困ったものである、光命と夕霧命も。


 そうこうしているうちに、りんとした澄んだ丸みがありはかなげな女性的だが男性の声が、一旦閉まったドアが開くと同時に響き渡った。


「ただいま帰りました」


 銀のティアラを乗せたマゼンダ色の髪。パステルブルーのドレスにガラスのハイヒール。いつもニコニコと隠れている瞳は、自分が中に入れないことにほんの少しだけ怒りを抱いて、それは開かれたが、邪悪なヴァイオレットであることには変わりなかった。


「おや? 玄関前でキスで通せんぼですか〜?」


 ここで、妻子持ちの月命るなすのみことが明智家に帰ってきたので、夫婦12人――


 今度はドアが閉められないうちに、漆黒の長い髪を持ち、瑠璃紺色の聡明な瞳。天女のような白い着物をまとって、すうっと瞬間移動でドアの向こうに男が立った。


「ただいま帰りましたよ、私も」


 ここで、彼女持ちだった孔明こうめいが帰ってきたので、夫婦14人――


 焉貴はさっと立ち上がって、月命の前をすっと通り抜け、孔明に甘さだらだらで、もたれ絡まるように両腕を背中に回して、ただをこねた。


「え〜? 孔明こうめい、何で私なの〜? 俺の夫でしょ〜? ボクって言ってよ〜」


 孔明のシルバーのブレスレットが猥褻わいせつ先生の頬をあやしくなでる。


「ボクの方がいいの〜? 焉貴これたかは」

「叶えてくれちゃった、孔明こうめいにはキスを差し上げちゃいます!」


 13cmの背丈の違いを持って、焉貴と孔明の唇はパッと近づいた。玄関に入ってすぐと、玄関のドアの外で夫4人がキスをしている。今や明智家の玄関はラッシュアワーならぬ、キスアワーと化していた。


 間に1人取り残された月命は動くことも叶わず、女装夫は人差し指をこめかみに当てて、考えるふりをする。


「僕だけ、のけ者ですか〜? 仕方がありませんね。それでは、僕がプロポーズした夫を待ちましょうか〜?」


 抜群のタイミングで、明引呼あきひこのウェスタンスタイルで決めています、197cmの体格のいいボディーがご登場。


「おう、帰ったぜ」


 ここで、妻子持ちの明引呼が加わったので、夫婦16人――


 ニコニコというまぶたに隠されたヴィオレットの瞳は、日焼けをした夫の横顔に向けられた。


「さすが、僕の愛している人です〜」


 都会の真ん中に立つ明智家。乱雑で、自然など楽しめない。そんなイメージを持ちがちだが、様々な建築家の神がかりなセンスで、どの角度から見ても、美し街並みが望める。その頭上には、紫の月を玉座に迎えた星空が、輝きというベールを優しくかける。


 しかし、そんなことは今はどうでもいい、我が家の玄関前。植え込みの木は、兄貴のウェスタンブーツで軽く蹴りを入れられ、ガサガサといなないた。


「っつうか、何、夫チームで玄関に溜まってんだよ?」

「いつも通りです〜」


 月命の凛とした澄んだ声が明引呼のそばに寄り添った。兄貴は被っていた帽子を乱暴に下ろし、藤色の剛毛で少し長めの短髪が、ガシガシとかき上げられる。


「またってか? バカップルじゃなくてよ。バカ夫夫ふうふになってんだろうが、毎日毎日よ、夕霧とひかりの野郎はよ」


 本当に迷惑である、これが毎日とは。14年しか生きていなくて、嘘偽るしかなかった月日を考慮したとしても、問題である、この行為は。中には入れない。他の4人はキス中。ということで、月命は自身が一番愛している夫に声をかけた。


明引呼あきひこ、僕としませんか?」


 ミイラ取りがミイラみたいなことを言い出した、失敗することが好きな月命るなすのみこと。彼のパステルブルーのドレスを、兄貴の太いシルバーリングをした手が、パシッと強く叩いた。


「それはあとにしろや。早く玄関あけねぇとよ、後ろがつかえ――」


 言い終わらないうちにやって来てしまった。彼らの後ろに、カーキ色のくせ毛で、優しさの満ちあふれたブラウンの瞳の持ち主。こんな意味不明な言葉を言って、ご帰宅である。


「ただいま、行ってきます、です」


 ここで、妻子持ちの貴増参たかふみが帰ってきたみたいなので、夫婦総勢18人――


「来ちまっただろ、次がよ」


 どんどん、門から玄関までの石畳の上に夫たちがあふれ返っている明智家。それでもまだ、全員帰ってきていない。明引呼のウェスタンブーツはジャリジャリと砂糖菓子を食べるような音をかかとで立てて、振り返ったと同時に、深緑のマントを今度はパシッと叩いた。


「っつうか、帰って来る時まで、ボケてくんじゃねぇよ。行ってきますって言ってきやがって、言葉逆だろうが」


 オレンジ色のリボンが任務を無事に終えたことを、物語るように平和に揺らめいていた。流れ星がすうっと横切る下で、貴増参の羽布団みたいな柔らかな低い声がのんきなことを言う。


「我が家もてんやわんやの大にぎわいです」

「にぎわってんのはよ、玄関だけ――」


 明引呼が何とか状況を収集しようとしていたが、その途中で、最後尾に2人一緒に人が立った。紫のマントとターコイズブルーのリボンが落ち着きなく、あたりを見渡す。


「うわっ! こ、今度、どこに俺を連れてきた!」


 行き先を告げられず、連れ去れてしまった独健どっけんに、れんは銀の前髪の乱れを直しながら、今頃しれっと返事をした。


「家だ」


 少し鼻にかかった独健の声は、予想外のところに連れてこられて、驚きすぎて一瞬裏返ったが、


「へ?」


 すぐに優しさ全開で、蓮の超不機嫌な顔にお礼を言った。


「……あ、あぁ、サンキュウな。お前のお陰で、自分の力を使わないで、無事に帰ってこれた」


 夫の長蛇の列の中程で、明引呼あきひこのガサツな声が、未だにキスをしている光命ひかりのみこと夕霧命ゆうぎりのみことに文句を言っていたが、


「また、次帰ってきてんだよ。旦那オールで集合じゃねぇか、玄関でよ。せめぇんだよ、いくら増築し続けてもよ。入れなくて、外にあふれてんだよ。毎日毎日」


 途中から、潜入作戦にすり替わっていった。


「もう少し早く帰ってこねぇと、中に入れねぇってか? どいつ、出し抜くってか?」


 そうこうしているうちに、パステルブルードレスの横を、白のはだけたシャツがすっとすり抜けてきた。孔明こうめいとのキスのお楽しみが終了した焉貴これたか。今度は別の夫におねだり。


「アッキー、お帰り〜! チュー、俺にして〜」


 兄貴の太いシルバーリングは今度、黄緑色のボブ髪を思いっきり遠くへ押した。


「てめぇも、あとにしろや! 歩く17禁夫がよ」


 乱れた髪を額から頭の後ろへすうっとかき上げて、卑猥な転入理由の教師は、無邪気な子供みたいに微笑んで、こんなことを言ってきた。


「じゃあ、エロ用語、連発しちゃ〜う!」


 玄関が……玄関が……平和な玄関が、色欲漂う夜色に染まってゆく。だが、それを巻き返した人たちがいた。それは、天使のように本当に無邪気な子供たちである。


「パパ〜〜!」


 玄関ホールから、ドカドカと走り寄ってくる。明引呼の当然すぎる注意がやってきた。


「ガキどもがくっからよ。黙れや」


 ここで明らかになる。なぜ、この世界の学校で、大人の話を生徒の前でしても、先生がクビにならないのか。いや、問題にならないのかの理由が。


「え〜? 聞こえないんだからいいでしょ? この世界じゃ、17歳になるまで、大人の話はどうやっても聞こえないし、知ることもないんだからさ」


 これはこういう考えだ。子供が聞く必要はない。それならば、聞こえないシステムを開発してしまえと言うことで、17禁ワードは、高校を卒業するまで絶対に聞こえないし、子供はみんな大人の営みも知らないのだ。そんな平和で神聖な日常が広がっている。だが、まだら模様の声の話はまだ続いていた。


「だから、俺、学校でいつも、マスター×ー××××してんの、中庭とかでね」


 焉貴先生、やりすぎだった。だからと言って、それはまずいだろう。野郎どもに囲まれて仕事をしている兄貴は、口の端でフッと笑って、大問題点を指摘。


「大人には見えてんだろがよ。この、猥褻野郎が」


 同僚の女性から文句が出ると思うが、なぜか平気なこの世界。もうすでに、混乱を極めている中で密かに始まる。策士2人の昼下がりの約束事が。


 孔明の白い着物が揺れると、エキゾチックなこうの香りがそよ風を起こした。


るなす〜? ボク、もう待てないんだけどなぁ〜」

「おや? また君が先に根を上げましたか〜」


 石畳の下から当てられた光に照らし出される、月命るなすのみことの笑顔はまるで幽霊のように影がおかしな感じでできていて怖いのに、ニコニコしていた。


 何が起きても、ある意味落ち着いている貴増参たかふみは、あごに手を当て、ふむと縦にうなずく。


孔明こうめいるなすは今日も、身を焦がすほどの愛の業火に包まれちゃいました。僕も一緒にえたかったです」


 意味不明なボケが前で展開されていた。だが、そんなことよりも、ひまわり色の髪を持つ人は別のことが気にかかっていた。石畳に寄り添うように置かれた灯篭とうろうの光にほのかに照らされている独健どっけんは、隣にいる人気アーティストの身を心配する。


れんはいいのか? 戻らなくて」


 そうだ。ディーバさんは、スタッフに注意されていた。17時50分には遅くても戻ってきてくださいと。だが、まだ時間はある。それよりも、今別の男とキスに夢中な紺の長い髪を眺めて、れんの奥行きがあり少し低めの声が正直に言った。


ひかりに戻るように言われた」

「そうか」


 一度うなずいた独健だったが、風にそよそよと揺れる笹に険しい顔を向けた。


「ん? 何か嫌な予感がするな、それって……」


 違和感。いや、ただの違和感ではない。震撼しんかんさせるがごとくの身震い。それを見極めようと、感覚の独健、めちゃくちゃにしまわれている記憶の引き出しをかたっぱしから開けようとした。


 だが、一足遅かった。冷ややかに重厚感満載で、阻止がかかったのである。それは、凛とした澄んだ丸みがあり儚げな女性的な声。しかし、誰がどう聞いても男性のもので、殺戮さつりくまがいな響き。


「僕のセリフです〜。独健どっけんは黙っててください」


 月命。この男の怖さは知っている。教師としては、模範のような優しい先生。だがしかし、大人に対しては、真逆と言ってもいいほどの男、いや夫。


 独健は顔が引きつりながら、警告する鐘をカンカンカン! と叩くように、心臓がバクバク言い始めた。


「いや、るなすが言うと、余計、嫌な予感がするんだが……。策略とかして来る気じゃないだろうな?」


 光命ひかりのみことと夕霧命のキスが終了したため、夫たちが玄関の中に吸い込まれ始めた。月命は恐怖も裸足で逃げ出すほどの含み笑いをして、マゼンダ色の長い髪を否定という動きで横へゆっくり動かす。


かんぐりすぎですよ〜。夫夫間で、そのようなことはしませんよ〜。僕もそこまで無慈悲で残酷で冷酷で無情で無感情で非道で……」


 夫全員が玄関ホールの応接セットに座り、お茶が出てくるまで、月命の戦慄せんりつまじりな言葉が平和な我が家を凱旋がいせんし続けていた。


「……ではないです〜」


 白い手袋を脱ぎながら、独健は極めて聞こえないように言ったのだが、


「お前、本当に邪悪だな。そんな言葉がいくつもすぐに出て来るんだからな」


 地獄耳の月命には聞こえてしまった。まぶたから解放された極悪非道なヴァイオレットの瞳。緑茶を一口飲んで、月命は目は笑ってないのに、にっこり微笑む。


「おや? 何か言いましたか〜?」


 独健のひまわり色の髪まで、恐怖で青ざめたような気がした。小さくプルプルと横に震える。


「お前のその笑顔、すごみがあるからやめろ! 歴史の先生じゃなくて、お前自体が歴史になるくらい生きてるから、怖すぎるんだ!」


 お茶の中に浮かべられた桜の花びらを指先でいじりながら、焉貴の螺旋階段を突き落とされたぐるぐる感のある声が同意した。


「まあ、そうね〜。俺も昼休みに生徒に、歴史の先生になればよかったのにって言われちゃったしね」


 自分の帽子を子供にかぶせて、明引呼あきひこはアクセサリーの貴金属類がすれる音をひずませる。


「てめぇら2人、長生きしすぎなんだよ。300億年も生きやがって」


 白の手袋に小さな手が通されて、開いたり閉じたりをしている隣で、貴増参たかふみの羽布団みたいな声がボケをかましてくる。


「素晴らしいです。様々な時代を見てきた。僕も目からうろこを脱いじゃいます」

「それは、脱帽――」


 独健が突っ込もうとしていたところで、地獄からの招待状のような含み笑いが、月命るなすのみことから聞こえてきた。


「うふふふっ。僕の本当の年齢を言った独健どっけんには、今日もお仕置きです〜」


 ちょっと待った! ここは話がおかしくなっている。それなのに、誰も物言いもせず、子供たちが遊び回る玄関ホールがただただ平和に広がる。しかし、兄貴だけはしっかり心の中でツッコミ。


(俺だろうがよ、言ったのは。

 てめぇの年齢が300億年ってよ。

 その特異体質で、ナイスに話すり替えやがって)


 自分の望んだ通りに物事が動いてゆく、月命。強引に話の流れを変えようが、気づくはずがない、他の誰もが。


 しかも、罠を仕掛けようとしている独健は、超感覚である。策という恐ろしい罠が水面下で引き返せないほど繰り広げられているとも知らず、はつらつとした若草色の瞳の持ち主は、自分なりに月命に抵抗してみた。


「今日はその手には乗らない。俺はたかに予約済みだから」


 限定どら焼きを分けた代わりのご褒美。それが独健という男への予約なのだ。明引呼のアッシュグレーの鋭い眼光は、マゼンダ色からひまわり色に密かに移った。


独健どっけん、てめぇ、毎日、るなすの罠にはまってんだよ。

 そろそろ気づきやがれ)


 たまには、勝つこともする月命策士は、こうやって話を持っていった。


「それでは、割り込み予約ということで、3人で、にしましょう」


 3人でしましょう。ではなく、3人で、しましょう。わざと、ここは『、』が入っている。


 策士の頭の中ではすでに計算済み。そのため、ヴァイオレットの瞳と瑠璃紺色のそれは一瞬、ほんの刹那、交わっただけだった。


孔明こうめい、昼間、約束したお仕置きの罠を今しかけましたから、仕上げをお願いします〜)


 独健は何もしていないのに、お仕置きをされるという、悲惨な運命にあった。兄貴の足が直角に組まれると、スパーがカチャッと鳴った。


(話、強引に持っていきやがって。

 がよ……)


 明引呼あきひこの口の端はニヤリとして、こんなこと言った。


「割り込めんなら、俺も混ぜろや」


 兄貴も何かに上乗り。緑茶から取り出した桜の花びらに、フーッと息をかけて飛ばすと、子供たちがぴょんぴょん跳ねてそれを取ろうとする。そうして、その前にいた焉貴これたかが砕けた感じで参戦。


「じゃあ、俺も入れて〜?」

(昼休みの約束どおり便乗しちゃいました!)


 月命と約束していた。お仕置きに参加するとかしないとか。焉貴先生はこう見えてもやはり策士なのだ。平気で嘘をついてくる。


 さあ、残り3人。緑茶が一番似合っている服を着ている夕霧命ゆうぎりのみことは、はかまの袖をあでやかに脇へ落とした。


「俺もする」

(修業には笑いが必要だ)


 どんなことでも修業がついているなら、すると本人が言っていた。そうして、もう1人大人のワードを平気で言ってしまう人から、何の話かが明らかになる。


 子供たちを眺めている冷静な水色の瞳とその神経質な頬は、まるで映画のワンシーンのように綺麗な横顔を見せていたが、言葉は修正を入れないといけない内容だった。


「夕霧がセ×××するのでしたら、私も加えてください」

(いつもの罠みたいです)


 はつらつとした若草色の瞳に、夫が映り変わってゆくたび、数が増えてゆくという。どうやっても罠であろう、玄関ホールの夫夫の会話。貴増参たかふみに聞かれていた質問。戸惑っている、慣れないとは、どうやら、夫婦の営みのことのようだ。


 月命るなすのみことと共謀している孔明こうめい。彼の銀のチェーンブレスレットは、獲物であるひまわり色の髪を妖艶ようえんになめるように触った。


「ふふっ。モテモテだね、独健どっけんは今日も。僕は髪をなでてあげるよ」


 全てを記憶する頭脳。それは、こんなこともわかってしまうのだ。白い薄衣の下にある胸の内はこうなっていた。


(この順番で、話してくるからね、みんな。

 だけど、彼だけは話さないから、ボクから最後の確認で、るなすの罠は終了)


 そうして、光命がわざと家に呼び戻していた人に、孔明が話しかけることで、4人の策士の罠が集大成を迎える。


れん、君はどするの?」


 光命ひかりのみことが戻ってこいと言った理由がわかった蓮は即答だった。だが、態度はデカデカ。


「いい、してやる」


 こうして、たまには策略家の貴増参。彼の羽布団みたいな柔らかさで低めの声がこんなことを言って、締めくくった。


「素敵です。みんなでニャンニャンする。明るい家族計画です」


 独健は座っていた椅子から、バッと思わず立ち上がった。彼の少し鼻にかかる声が玄関ホールにこだまする。


「だ〜か〜ら〜っ! 9対9の複数婚、初めてなんだから、もう少し優しくしてくれ! っていうか、何で、次々に俺に押し寄せて、毎日毎日、夫全員ってか、毎晩、BL9バキューンッ! になるんだっっ!!!!」


 ただいま、放送禁止用語が入ったので、銃声が入りましたこと、お詫び申し上げます。


 大人の話は全然聞こえていないまわりにいた子供たちは、不思議そうに独健パパのお怒りの様子を眺めていた。めでたく、夜に独健を囲む会が出来上がったのを見計らって、シュッと現れた粋で鯔背な女の声が、いつも通りのことを言った。


「はい、いいから、弁当箱こっちによこしな」

「はい」


 それぞれの手に、瞬間移動ですっと現れた。好物以外は全て同じメニューだったはずのお弁当箱が。知礼が脇から顔をのぞかせる。


「今日は何個ですか?」

「数学の先生、計算お願いします!」


 倫礼に話を振られた数学教諭が、パンパンと手を黄緑色の髪の上で鳴らした。


「はい! じゃあ、焉貴これたかパパに、チビたち、注目〜!」


 さすが先生。遊んでいた子供たち全員が一斉によって来た。


「うん、何?」

「何するの?」


 今は数学、昔は算数の先生は、子供たちに出題。


「9-2=いくつ?」


 即行手が上がった。この世界では、忘れるということが起きない。そのため、小学校1年生、いわゆる、5歳児でも、地上の全ての言語は話せてしまうのだ。


 算数というよりは数学レベルの勉強までしっかり頭の中に入っている。しかも、テストはなし。理解しているかのチェックなど不要。全員、理解できているのだから。


 それでも、チビっ子は嬉しいものだ。自分のわかる問題が出題されたのだから。ぴょんぴょん飛び跳ねたり、袖口を引っ張ったり、それぞれの方法で、自分をアピールしてきた。


「はいはい!」

「わかる〜!」


 キラキラと宝石のように異様に輝く山吹色の瞳は、新しく増えた子供も今までいた子供も差別することなく、黄緑色のボブ髪を揺らして、まだら模様の声が指揮を取るように合図をかけた。


「じゃあ、みんなで、せいの〜っ!」

「7っっ!」


 蓮パパができなかった、簡単な引き算は、きちんと5歳児の我が子には解けていた。マゼンダ色の長い髪がリボンに結わかれたまま、子供たちのすぐそばにすっと腰を下ろす。


「よくできました。こちらを差し上げますよ、ご褒美として」


 抱えるほどの大きな袋で、そのリボンが解かれると、甘い香りがしてきた。子供たちは目をキラキラ輝かせる。


「うわー! キャンディーだ」

るなすパパ、ありがとう」


 さっそくアメを口に入れた子供のほっぺたはぷくっと膨れ上がり、そのまま、またそれぞれ好きなように走ったり、椅子の上に寝そべったりを始めた。


 申し合わせたように出てきたキャンディー。当然、出どころが気になる。月命るなすのみことは学校の先生であり、少し仕事が残っていたが、家に真っ直ぐ帰るようなことを昼休みに、焉貴これたかに話していた。買い物など行っていないはずだ。


「これ、どうしたんですか?」


 知礼しるれが自分も1つ手に持ちながら、まるでお菓子の国の王女さまみたいな、女装夫に問いかけた。だがしかし、月命はニコニコしているだけ。


「うふふふっ」


 それが、何を意味しているのかは、明智家に嫁、婿養子に来て、この男と少し過ごしてみれば、わかるのだ。この男がどんな特異体質なのかは。粋で鯔背な女はため息をついた。


「またかい……」

「ほとんど毎日よね〜。どうなってるの? るなす


 倫礼も1つキャンディーを取って、歯に挟んでクルクルっと袋を取った。こうして、月命からそれは本当なのかと、耳を疑いたくなるような話が出てくる。


「僕にはわかりませんよ。ですが、学校の正門を出たところで、どうしても、僕にキャンディーを渡したいとおっしゃった男性がいらっしゃったので、いただいてきたんです〜」


 意味不明である。どんなシチュエーションなんだか。だが、この世界では起きるのだ、こういうことが。キャンディーを親指の爪でポーンと上にはじき上げて、焉貴は口の中へポンと入れた。


「会ったことあんの〜? その男と」


 月命は人差し指をこめかみに当てて、困った顔をする。


「それが、どちらでも会ってないんです〜。こちらの世界では忘れるという現象は起きませんから、間違いはありません」


 明智家の玄関に、大人全員の盛大なため息が響き渡った。


「また知らない人にもらってきて……」


 悪意のある人がいないからこそ、成り立つ話である。この世界でしか、ありえないだろう。そこで、独健どっけんの鼻声が再び玄関ホールに炸裂した。


「あっ! 俺、弁当箱、持って帰ってくるの忘れた」


 そうである。貴増参にコンサート会場の裏に呼び出され、親切な人が届けてくれたお弁当。行方不明のままであった。ネットも万全なこの場所、探せばどんなに遠くの情報であろうと、1活で出てくる。だがしかし、時間は少々かかる。


 ということで、魔法使いである、れんが登場。


「いい。俺がやってやる」


 指先を軽く上げただけで、黄色のお弁当箱が独健の手の中にやって来た。結び目は誰か女性が直したみたいに、綺麗になっている。それを見て、子供たちから拍手喝采が起こった。


「うわ! れんパパの魔法すごい〜!」

「サンキュウな」


 1度まで、いや2度までも、世話になった独健は、さわやかに微笑んで素直にお礼を言った。だが、蓮の態度はそっけないものだった。


「ん」


 妻の手に渡されたお弁当。重みがあった。


「食べなったのかい? 中身入ってるじゃないか」


 せっかくの愛妻弁当がそのまま戻って来た。独健はちょっとビクッとして、途切れ途切れで言葉を紡いだ。


「あ、あぁ……ちょっとあってな。こ、怖いな……。夕霧の最初の奥さんって」


 夕霧命ゆうぎりのみことだったら、この奥さんでも怖くはないだろう。絶対不動で、何を言われても平気だ。だがしかし、独健にとっては怖さ100倍である。


「お腹すいて、仕事できなかったんじゃないのかい?」


 ただ心配しているだけの妻に、独健はまるで浮気でもばれた夫みたいにドキマギ。


「あ、い、いや……それは……」


 言葉を詰まらせている夫の代わりに、意外な人から話の続きが出て来た。それは知礼だった。


「お花畑でランララ〜ン♪庵の限定5個のどら焼きです〜。独健さんのお腹を満たしたのは……」


 からくりがわからないと、ここも意味不明である。どんな罠か、はたまた策略か。


「な、何で知ってるんだ? 大抵ボケてるのに、時々、理論のひかりの元彼女は」


 そうして、この人に話がバトタッチされる。サバサバとした倫礼が、こんな目に遭っていたのだ、昼間に。


「私が午前中、コンビニに行った時、知らない女の人が私にどら焼き2個渡してきて、きらめき隊の火炎不動明王かえんふどうみょおうさんに届けてくださいって、言われたわけ」


 月命が何人か途中を経過したと言っていたが、その1人が自分たちの妻とは。独健はげんなりとした。


「世の中狭いんだな。れんの最初の奥さんを経由したなんて……」


 倫礼が蓮の元奥さん。つまりは、明智家の娘なのである。粋で鯔背な女の背中に、独健は声が上ずりそうになりながら問いかける。


「か、覚師かくし?」

「何だい?」


 ズドーンと地鳴りをさせる落雷の轟音。地面がグラグラと振動する。そんな荒野。自分よりも高いものがない環境の中で、走り抜けるしか方法がない。そんなドキドキ感で、独健は言葉を紡ごうとする。


「そ、その……」

「はっきり言いな!」


 色気もひざまづくような妻、覚師。だが、独健はそんなことよりも、自分のイニシアチブを取ろうと、果敢にも挑んだ。


「ハートの弁当は……恥ずかしいっていうか、なんていうか、作ってくれるのはありがたいんだが……」


 覚師は色っぽく微笑んで、こう返した。


「あぁ、そうかい。じゃあ、明日は、L・O・V・Eにしてやるよ」

「あははははっ……!」


 他の夫婦たち何人かが笑っている中で、独健どっけんのはつらつとした若草色の瞳はさっと立ち上がって、両手を前で横にフルフルさせた。


「いやいや! 形が文字になっただけだろう!」


 1つ話がオチを迎えて、珍しく姿を現したヴァイオレットの邪悪で誘迷ゆうめいな瞳は、瑠璃紺色のそれを真っ直ぐ見つめ返した。


孔明こうめい、僕と服はどちらが素敵なんですか?」


 確かにそれは気になる。お昼に焦らして、孔明は去っていったのだから。白い薄手の着物はなまめかしく揺れて、好青年で陽だまりみたいな顔で微笑んだ。


「どっちも! だけど、るなすの方がずっと素敵かなぁ〜?」

「うふふふっ」


 愛する夫に言われたら、それは、いくら邪悪な月命るなすのみことでも、思わず笑い声を漏らすだろう。夫2人で盛り上がっているところへ、兄貴からこんな質問。


孔明こうめいの年齢、いくつだよ?」


 漆黒の長い髪と飾りの赤く細い縄が、くるっと半円を描いた。


「ボク〜? 前は32歳で、今は26〜」


 何だかここも規格外な大先生。明引呼の隣にいた独健から別の疑問が飛んだ。


「みんな、23歳で197cmだろう? 何で、お前だけ色々と仕様が違うんだ?」


 明智家に入ると、全員、背が縮んで、年が若くなる傾向がある。それでも、孔明は26歳で、210cmなのだ。天才軍師。この回答にもきちんと可能性を導き出していた。夫、いや妻たちも入れて18人の中でも、自分が異色であることを口にする。


「物質界での経験があるからじゃないかな? 実際に。みんなは、疑似体験だったんでしょ? ボクと倫だけ、下界で生きてたのはね」


 この世界と下界は、法則がずいぶん違う。その経験は、似たようなものは手に入れられても、本当に生きた歴史にはかなわない。そう、彼らはある意味、生きていないのだ。


 みんなの中で、あの倫礼が浮かぶ。今ここにいる、倫礼ではなく。もう1人の彼女。今リアルに生きているあの女。彼女イコールこの人。夫婦18人の中では暗黙の了解。


 月命の凜として澄んだ女性的でありながら男性の声が、その人の名を呼ぶ。


ひかり?」


 組まれていた濃い紫のロングブーツが、まるで舞踏会のワルツでターンをするように、若葉色の絨毯に優雅に下された。


「えぇ」

「昼間、小学校の講堂に来てましたが、僕に会いに来てくれたんですか?」


 月命と光命ひかりのみこと。今まで関わり合いが全くなかった。だが、結婚した。夫が愛する夫に会いに行く。そんなことも起きるかもしれない。こんなに仲がいいならなおさらだ。だがしかし、光命は無情にも紺の長い髪を横へ揺らした。


「いいえ、違います」

「じゃあ、ボク〜?」


 孔明と光命。塾の講師と生徒の関係だったが、今では夫夫。愛をもって講演を聞きに行ったということもあるかもしれない。だがしかし、光命は冷酷に紺の長い髪をまた横へ揺らした。


「そちらも違います」


 焉貴これたかが脇から顔をのぞかせた。


「お前、何しに行ったの? 昼間の学校に」


 一歩間違えば不審者である、他の先生や生徒から見れば。外部の人が入ってきてはいけないはずの、小学校の講堂に突然、瞬間移動してきたのだから。


 今日はまだよかったが、運動会の練習風景などは、曇りガラスみたいなものが張られて、絶対に保護者に見えないようなシステムまである姫ノかん


 いつも冷静な水色の瞳が、陽だまりのように緩んだ。いや、氷が溶けたダムのように、幸せが大放出した。そうして、この人の名を口にする。


百叡びゃくえいの様子が心配だったので見に行ったのです」


 講演会に現れた光命の目的は夫2人ではなく、小さな王子さまだった。夫全員があきれたため息をついた。


「今日もまた親バカ……」


 友人に冷やかされるほど、大人の世界を満喫していた光命。それなのに、子供を持った途端、毎日、学校に様子を見にいってしまうほど、子煩悩に変わってしまっていた。幸せがもたらした素敵な成長の1ページなのかもしれない。


 自分の名前が大好きなパパから出てきた百叡は、ピューッと走り寄ってきた。


「パパ、来たの?」

「えぇ、後ろから見ていましたよ」


 息子を抱き上げて、光命は自分の膝に乗せる。そうして、いつも通り、スリスリとピンクがかった銀の髪に頬を寄せた。


 覚師は噴水の水を少しだけ手ですくって、素知らぬふりでこんなことを夫全員に聞いた。


「今日は誰が誰んとこ行って、キスしてきたんだい?」


 秘密のはずのキスリレーが妻にダダもれだった。夫たちは全員息をつまらせ、視線だけでお互い見合わせた。


「っ!」


 独健どっけんは不思議そうに、しかも、覚師からの質問ということで、1回つっかえた。


「な、何で知ってるんだ?」


 夫たち全員が、心の中でため息交じりに頭を抱える。


(そう言ったら、認めてるのと一緒だ……)


 覚師は水につけていた手を勢いよく降って、ぴしゃんと水面みなもを鳴らした。まるで、お黙りと言うように。


「何、寝ぼけたこと言ってんだい? あたしも小学校の歴史の先生なんだよ、仕事がさ。妻の9人中7人が、小学校教諭だろ? 全校生徒から丸見えなんだよ、孔明こうめいるなすが渡り廊下でキスしてたのはさ。しかも、そのあと、焉貴これたかと月がベンチで、危なっかしい格好でしてただろ?」


 それは、披露していていると言っても過言ではない。奥さんたちも仕事していたのだから、学校で。姫ノ館でキスをした人たちは以下の3人。孔明、月命るなすのみこと焉貴これたか。どれも策士。さあ、誰のミスだ。


「バレバレです〜」


 知礼しるれが覚師の背中から顔をのぞかせた。そうして、これ以上ないくらい怖い含み笑いが聞こえきた。自分に家のはずなのに。


「うふふふっ。わざとあちらの場所にしたんです〜。夫婦間では秘密は持たないということで、妻のみなさんにもお伝えしたんです」


 ここに、お楽しみのキスリレーのルールを破壊している人がいた。せっかく、夫夫の秘密で盛り上がっていたのに。月命という頭はいいのに、自虐的な策士。彼に夫たちの抗議の眼差しが殺到。


「お前また、失敗すること選んで……ドM」


 倫礼がサバサバとした感じで、子供が落としたおもちゃを拾い上げた。


「でもさ、私たちも、内緒で同じことしてたから、おあいこってことじゃない?」


 覚師が色っぽく微笑んで、こんな内容が出てくる。


「まあ、そうさね。あたしたちも婦婦ふうふだから、横のつながりもあるからね。あんたたちが知らないだけで」

「そうです〜。仕事の合間に瞬間移動して……」


 ふわふわウェーブ髪を噴水の前で揺らして、知礼はにっこり微笑んだ。倫礼は自分の人差し指を立てて、唇をトントンと叩く。


「夫のみんなには内緒でキス……しちゃった〜!」

「夜も女同士でさ、セ×××するかね?」


 妻チームのおさ、覚師が一声かけると、知礼がノリノリで答えた。


「いいですね〜、ぜひ、そうしましょう!」


 夫たちのため息は、また若葉色の絨毯に降り積もった。


「下界で言うところの百合……」


 そう。この結婚をするためには、女性もバイセクシャルでないとできないのだ。そうでなくては、昔のどこかの国の王さまが、女性をはべらしてと同じになってしまう。


 それでは、わざわざ皇帝陛下から、他の国民に伝えて欲しいと、おうかがいが立つわけがない。そんな関係はもう古いのだ。この世界してみれば。


 夫婦の会話が続いていきそうだったが、夕霧命ゆうぎりのみことと同じ深緑の髪をした男の子がパッと走ってきた。


れんパパのディーバ ラスティン サンディルガーのコンサートに早く行きたい〜!」


 総勢、5歳児だけで27名。だが、この家の人間にとっては大したことではない。なぜなら、教師が職業の人がいるからだ。彼らの日常からしたら、全然教養範囲なのである。


「もうすぐ支度ができるから、待っときな」


 覚師が適当にあやすと、知礼が今も奥の部屋で、着替えに奮闘しているであろう人たちの話を代わりに聞いてみた。


「他の妻からの質問ですが、ファミリー席は飲食禁止ですか〜?」


 もう勝手に瞬間移動で、コンサート会場へ行ったのかと思うほど、さっきまで話さなかった蓮の奥行きがあり低めの声が、最低限のことだけ返してきた。


「いや、構わない」


 光命の膝の上で嬉しそうに足をパタパタさせている息子。その小さな手を握って、倫礼は優しく微笑む。


百叡びゃくえいは今日はどこで見るの?」

ひかりパパのお膝の上〜!」

「そう、よかったわ」

「うんっ!」


 覚師の瞳には子供たちの未来が映っていた。教師として培ってきた経験も使いながら、子供の様子を見つつ、明智家の今日の大ニュースを口にする。


「試合、聞いたよ」


 夕霧命と覚師。14年も一緒に夫婦をやって来た。無感情、無動のブルーグレーの瞳は微動だにせず、こんな言葉を口にした。


「そうだ」


 結果は負け。それを知っている。だから、肯定。抜け落ちた会話だが、2人にならわかるのだ。18人で夫婦。武術大会の敗退は、家族のものでもある。だから、誰も話題にはしなかったが、覚師はせいせいしたと言うように天井を見上げた。


「あたしはこれでよかったと思うね」

「なぜだ?」


 地鳴りのような低い声が聞き返した。覚師が振り返って、独健だったら絶対に逃げ出していたであろう、強気どころではなく、喧嘩腰の言葉が降りかかった。


「あんた、いつまで経っても、躾隊しつけたいやめないで、武道家に転身しないから、尻でもひっぱたいってやろうかって思ってたんだよ」


 妻は妻。昔から変わらない。何度結婚しようと、こんな感じ。夕霧命ゆうぎりのみことは拳を軽く握り、唇に当てて、噛みしめるようにして笑った。


「くくく……」

ひかりのことだって、そうだよ」


 覚師の視線が一旦冷静な水色の瞳へ向かった。今とは違う家で、何度も会っていた男、いや夫の従兄弟。夕霧命は笑うのをやめて、真顔へすっと戻った。


「何のことだ?」


 悩んできたのは夫だけではないのだ。結婚しているのだから、妻の気持ちも当然そこにはあるわけで、覚師はこう思っていた。


「あんたの話は、いつもひかりのことばっかりだった。だから、惚れてんだと思ってたんだよ。けど、いつまで経っても言わないからさ。代わりに言ってやるために、何度引き止めてやろうとしたかわからないよ、全く……」


 知礼しるれのどこかとぼけている感がある瞳もこっちに向いて、彼女として、男2人がどう映っていたのかを、ノンフィクション作家らしい言葉で告げた。


「そのことについては、覚師さんに私も同意します。ひかりさんの夕霧さんを見る目は、事件の香りが思いっきりしてました。いつもいつも……」


 14歳の少年には、大人の駆け引きは難しかったようだ。他の夫たちが、苦笑いした。


「バレバレだ……」


 夕霧命ゆうぎりのみこと光命ひかりのみことの2人で、ロミジュリ効果のように盛り上がっていただけで、どうやら妻と彼女から見ると、大したことではなかったらしい。なぜなら、彼女たちも2000年以上生きているのだから。同性同士で好きだろうと、世の中、そんなこともあるだろう、ぐらいの感覚だったのだ――――


 

 ――――さっきから多目的大ホールでは、R&Bの神がかりなリズムと、ディーバの魅力的な低めの声が、1億人近くの人々を魅了し続けていた。一緒に踊ったり、一緒に歌ったり、トークがあったり、笑いがあったりの1時間。


 そうして、れんがリハーサル時のステージで、スタッフと打ち合わせていた曲の最終小節へ入り込んだ。ジャンプするようなリズムが1、2、3……と近づくと、ディーバの右手はさっと上がった。


(4拍目で、魔法だ)


 その途端、多目的大ホールの天井から、色とりどりの花びらが客席にもステージ上にも降り注ぎ出した。狂喜乱舞、手舞足踏しゅぶそくとう、どんな言葉を使っても言い表せない、光る五線譜の水流が巻き上がるような歓声が一斉に湧き上がった。


「うわぁぁぁぁぁっっっ!!!!」


 ファミリー席で見ていた家族もびっくりの出来事。チビっ子は思わず、絨毯の敷いてある床にぴょんと降り立ち、小さな指で天井を指差した。子供たちの小さな瞳というレンズに、花びらが舞い降りてくる。


「すご〜い!」

「お花だ〜〜!」


 様々な色のライトが宙をくるくると回る中で、花びらは七色の光を放ちながら、次々に落ちてくる。人々の歓喜が止むことはなく、コンサート会場は大盛り上がりを見せていた。


 倫礼はボックス席から身を乗り出して、首を傾げる。


「どうやってんのかしら?」


 確かに、花屋に持ってきてもらうわけでもなく、天井に何か仕掛けがあるわけでもなく。花が降ってくるのだから、それは当然そう思うだろう。


 百叡の体重を膝で幸せに変換し続けていた、光命が聞き返した。


「どのような意味ですか?」

「いや、蓮に何度聞いても、どこから花を持ってきてるか知らないって言うのよ」


 砕けた感じの倫礼に対して、光命はどこまでも丁寧に話していた。


「そちらは私も聞き出せませんでした」


 独健と同じように感覚の倫礼は、チャチャッと結論づけて、人差し指を立てて、頭の上でクルクル回した。


「じゃあ、やっぱり、異空間から来るのかも。だから、魔法なのね」

「そうかもしれませんね。私たちの魔法使いです」


 18人夫婦がいても、魔法使いは蓮だけ。そうそう使える人はいない。貴重な人物。だからこそ、ディーバのライブは楽しいのだ。こんなサプライズが起こるのだから。多目的大ホールの人々は、降り注ぐ花びらのシャワーをしばらく浴び続けていた。

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