魔法と結婚

 開場時刻16時を過ぎた多目的大ホールは、今や大混雑と化していた。昼間のメインアリーナと交代というように、どこもかしこも人だらけ。武術大会の主役の会場は観客という重みから解放され、今や静まり返っていて、春の夜風に気持ちよさそうに吹かれていた。


 人の流れという川の主流は、メインアリーナという海に向かって、日中は大きくせわしなく流れていた。だが、バトンタッチと言うように、今はこのコンサート会場に急流がひっきりなしに迫っている。


 青空に包まれていた空中庭園。今は夜空という宇宙にガラスのしゃぼん玉が浮かんだように、本物のプラネタリウムが360度、人々も建物も何もかもを包み込むように広がっている。


 東の空には夜のクイーン、月が立ち止まっていた。そのクレーターの輪郭ははっきりと姿形を見せていて、美しい彼女のかんばせといったところだ。この惑星のすぐ近の夜という舞台で静かに南の空へと登ってゆく。


 その光は銀ではなく紫。幻想的な彼女は上品な笑みをにじませている。それを人々へしげもなく降り注がせる、夜露のようになまめかしくありながら、慈悲深いとうとさを持って。


 国家機関、躾隊しつけたいの隊員は今はまさに本戦。期待を胸に会場へ入ろうとしている人々の両脇に立ち、さっきから大声で誘導をしている。


「もうすでに会場してますから、ゆっくり進んでください!」


 憧れのアーティストと待ち合わせという約束が叶う、コンサート会場。今日、この場所に、あのスミレ色の鋭利な瞳と、銀の長い前髪を持つ人が中ですでに待っている。R&Bというグルーブ感に乗る、少し低めの奥行きがある歌声が、もうすぐ同じ空間で、自分の耳に入ってくる。


 そう思うと、人々の熱気と興奮は最高潮を迎え、躾隊の隊員が見守る列が進む中で、様々な方法や形で表現されていた。


 一緒に聞きにきた仲間同士で、ディーバの歌を大合唱する大人たち。人ごみにうずもれそうになりながらも、まだかまだかと前を見ようと、ピョンピョンと跳ねている子供。


 そうかと思えば、浮遊という能力をすでに手に入れている子供。その子は地面から真っ直ぐ登り、小さな手を額に当て、はるか遠くにあるガラス張り入り口の扉と自分の距離を、子供なりに測ってみた。


「ママ、まだずっと先」


 他の宇宙へ行く飛行機の音の向こうで、流れ星が銀の尾を引いてゆく。そんなものに感動している余裕などない、独健どっけんはひまわり色の短髪を忙しそうに揺らしていた。


「足元が暗くなってますから、お気をつけください」


 今も花びらという吹雪を降らせる桜の木々は、その美を存分に味わえるよう、下からライトアップされていた。その奥に続く石畳は、ちょっとした薄闇がほのかに広がる。空中庭園という手が届きそうな高さの場所から、星空を存分に堪能できるように、わざと照明は控えられていた。


 その時だった。桜の木の影に人が立ったのは。朧月おぼろづきのような死角。その人の目元は大きなサングラスでしっかりと隠されている。はっきり言って、怪しさ全開。木の幹という柱を背にした向こうでは、独健の鼻にかかった声が懸命に仕事中だった。


 ひまわり色の前髪の下にあるスコープで客席の入り具合を確認しようとすると、近くにいた女が話しかけてきた。


「グッツはどこにありますか?」


 今日は国の機関ではない。ミュージシャンのコンサートという接客業。仕事が中断されても、独健は笑顔で丁寧に案内する。


「会場に入って、右手になります」


 そんなことをしている間に、サングラスをかけた人は、夜色に混じってしまった紫色のマントの1つを目指してゆく。モデル歩きというナルシストと公言しているような動きで。


 行く手をさえぎるような、人溜まりだろうが、子供が横切ろうとしようが、刺し殺すような威圧感で、他人を左右に強引この上なく雰囲気だけで押しのける。


 導くように作られた1本の道。その人の黒いショートブーツの前の障害物は、こうやってどんどん取り除かれながら、相手ターゲットに近づいてゆく。


 大人なら誰でも使える瞬間移動。だが、同じ場所に同じタイミングで来たら、衝突事故を起こしかねない。


 そのため、多目的大ホールのまわりは、整列している人の両脇に、到着地点をずらしために次々と人がシュッシュッと現れ続ける。それを隊員が見つけ次第、最後尾さいこうびに並ぶようにと案内するを繰り返している。


「サイン会はありますか?」

「申し訳ないんですが、本日は行ってません」


 混乱とまではいかないが、1歩間違えば、いつそうなってもおかしくないほどの大混雑と熱気。当日券購入待ちの窓口も大渋滞。中に入った人も、そのまま席に座るのではなく、グッズやサイン色紙などを買いあさっている。朝の市場みたいなにぎわいと活気。


 はつらつとした若草色の瞳は、仕事をこなしながら、あの銀の前髪の向こうに隠れた鋭利なスミレ色の瞳を、近くに貼られたポスターで見るのではなく。今日の朝。この目で直接、間近で見た鮮明な記憶でたどる。


(俺とは違う人生を歩んでるな。

 それが、一緒――)


 その時だった、隣で誘導していた隊員の言葉が不自然に止まったのは。


「瞬間移動する時は、他のお客様がいないかをお確かめの上、おこなっ――」


 スピーンッッッ!


 まるであたり一帯に氷が一瞬にして張ったような、砕け散ったガラスの鋭い破片が、体中に突き刺さるような音が響き渡った。今まで聞いたこともない響きに驚き、独健どっけんは思わず自分の耳をふさいだ。


「うわっ!」


 空から大きな飛来物でも落ちてきたのかと思い、はつらつとした若草色の瞳は空を見上げた。


「なっ、何んだ?」


 だが、そこには満点の星空と、紫の大きな月がいつもと変わらず、壮大で魅力的な光のイリュージョンを映し出していた。しかし、独健は気づいた。そう、音が人声が何もかもがなくなっていたのだ。


 静寂、無音、無響。冬のようなキンと澄んだ空気が広がり、遠くの音が乾いた風に乗ってきてもおかしくない感覚。それなのに、何も聞こえない。それどころか、若草色の瞳に映っている星も、何だか偽物みたいにきらめきという揺れ動く光の息吹いぶきがどれにもなかった。


 見上げていた顔をゆっくり下へ落とすと、ターコイズブルーのリボンも紫のマントも揺れているのは自分だけ。色はついているのに、映像の静止画と一緒。


「動いてない……まわりが全部、止まってる」


 何かによって、時を止められたようだった。こんなことができるのは神。もしくは、魔法だろう。だが、それを使える人はそうそういない。


 確かに自分の知り合いで1人だけいる。しかし、その人は今は、多目的大ホールの楽屋で待機中のはずである。


 だが、独健の他に動ける人がもう1人いた。それはサングラスをかけた人物。その人はモデル歩きで背後からすうっと近づいてくる。


 それには気づかず、独健は懸命に考える。魔法が使えない自分にとっては、時が止まっている間のことなど初体験。空前絶後の風景に囲まれながら、今の状況を打開するすべを探し続ける。だがしかし、それは自身の力ではやはり元に戻せない。


「どっ、どうすれ――」


 諦めずに、あらがおうとしていた。けれども、そこまでだった、独健が言うことができたのは。ガバッと手首を力任せにつかまれた――――



 ――――一瞬のブラックアウト。それとともに、肌を包む空気が急に変わった。この体験はよくある。よく知っている。


 独健は気がつくと、明るい部屋に立っていた。風で揺れていたターコイズブルーのリボンと紫のマントは、動かすぬしが消え去ったことによって、今はただただ重力に逆らえず、威厳という風格を持って立ち止まっていた。


 手首をつかまれたままの独健。その感触よりも、仕事場を離れ、別の場所にいる。そっちの方が大問題だった。瞬間移動をするにしても、発信地がわからなければ、到着地点との距離が測れない。すなわち、元の位置へ帰れないのだ。


「人に瞬間移動をかけられた……。どっ、どこに連れてこられた?」


 キョロキョロと落ち着きなく、若草色の瞳は辺りを見渡す。何枚もの少し派手めの服がかけれたハンガーラック。反対方向には、裸電球に囲まれた鏡とその前に置かれたメイク道具たち。


 独健どっけんにとっては無縁の場所。そうして、少し鼻にかかる声で、やっと突っ込んだ。自分の手首から今手を離した背中を見せている人物に。


「っていうか、お前誰だ? 俺をいきなりつかんできて、勝手に移動させ――」

「俺だ」


 奥行きがあり少し低めの男の声が、人々を魅了してやまない歌声のように響いた。独健はよく聞き覚え――いや最近よく聞くようになったそれを耳にして、戸惑い気味にその人の名を口にした。


「……その声……れん?」


 映画のワンシーンのように、振り向きざまにサングラスはすうっと抜き取られ、鋭利なスミレ色の瞳はあらわになった。知っている人につられてこられたのなら、どこにいようと問題はない。聞けばいいことなのだから。


 独健の若草色の瞳に、黄緑色の四角い箱がふと飛び込んできた。それは、自分が昼間食べ損ねた、黄色いお弁当箱と同じようなメニューが入っていたであろう、カラのもの。


「ここ、どこだ?」

「俺の楽屋だ」


 居場所さえわかればもう怖いものはない。独健のおどおどした雰囲気は息をひそめ、開き直ったがごとく、ゴーイングマイウェイの銀髪の男に、あきれがありながらもイライラしている様子で、皮肉混じりの言葉を浴びせた。


「さようでございますか! 本日の主役、ディーバ ラスティン サンディルガーさん! あなたさまがファンの前にいきなり現れたら、会場は大混乱。躾隊だけじゃ手にえなくなるだろう。何をしに来たんだ?」


 正論だ。仕事や学校。うまくいかないことがありながら様々な日常を送り、今日という日を目標に、楽しみに過ごしてきた人々。それがこの目の前にいる銀髪の男のファンたちなのだ。


 コンサート前というお預けをくらっている状態。みんなの気持ちに、最大限の期待がふくらんでいるところ。そこに前倒しでアーティストが目の前に突如現れる。下手をすると、驚きすぎて卒倒する人が出るかもしれない。それどころか、マスコミもまた大騒ぎだろう。


『ディーバ、ゲリラライブならぬ、ゲリラ出現で多目的大ホール、ファン騒然!』


 なとどいう見出しをつけられ、またテレビカメラやリポーターがディーバの元へ殺到。宣伝としては、ある意味いけているかもしれない。だが、それに配偶者や自分の子供たちが巻き込まれるという波乱を迎えるのは目に見えている。


 独健は珍しくいさましく話を続けていたが、途中で話になぜか色がついて――大人の想像が暴走してしまって、つっかえつっかえになった。


「いきなりあんなところで、魔法使って時間も止めて、俺を楽屋に連れ込んで――っ! い、今のは言葉のアヤだ。言い間違え――」


 だが、こんなことは大したことではなかった。このあと、躾隊の隊員、独健の身に降りかかる受難じゅなんにしてみれば。この男に、どんな言葉を贈ってあげたらいいのかわからない。だから、こうしよう。


 ただ花を手向たむけよう。はつらつとした若草色の瞳を持つ妻帯者の男に。ご愁傷しゅうしょうさまです、と言って。


 ヒョウ柄のストールは何の前置きもなく、すっと近づいてきて、


「っ」


 独健のひまわり色の短髪に片手で触れたかと思うと、いつまでも話し続けている男の唇に、自分のそれを強く押しつけた――何とキスをした。まさしくこれが口をふさぐである。


 起承転結ではなく、最後だけ取ってけつ。こんなお楽しみの時間があって許されるのだろうか。色気とかそういう問題ではなく、B級映画並みに支離滅裂である。


 独健どっけんのはつらつとした若草色の瞳は驚きで大きく見開かれ、衝撃的すぎて逃げることも忘れた。唇の温もりを感じながら、強姦といっても過言ではない、キスの前にただただ立ち尽くす。


(お前、何をしてるんだ!

 俺にいきなりキスしてきて……。

 ドキドキするから、やめろ〜っっっ!!!!)


 準備万端。いや、ゴーイングマイウェイのれんは瞳をきちんと閉じ、キスの感触に酔いしれる。


(あの日以来だ、キスをしたのは……。

 気分がいい)


 本番前の楽屋。2人きりの空間。みんなのディーバ、蓮。その男と警備をしている人間の中の一員、独健。人気アーティストを1人いじめ。いつ、スタッフが入ってくるかわからない密室で、いつまでもどこまでもキスが続いていきそうだった。


 だが、何とか落ち着きを取り戻した独健が手を振り払って、後ろに身を引いたことによって、強姦じみたキスは強制終了した。


「っていうか、仕事中だっっ!!」


 そうだ。今目の前にいる、ディーバさんのために業務を真面目に遂行していた。それが、時を止める魔法を使われ、瞬間移動で誘拐された隊員。怒って当然だった。だが、蓮は知っていた、独健の今日の勤務時間が何時までなのかを。


 携帯電話を瞬間移動で取り出して、この紋所もんどころが目に入らぬか的に独健に突きつけた。


「17時過ぎている。だから、退勤だ」


 ゴーイングマイウェイという嵐に連れ去られ、キスという津波に飲み込まれた結果がこれ。独健は両膝に手をついて、昼間の貴増参たかふみの『放課後、コンサート会場の裏に来な! 作戦』も含めて、盛大にため息をついた。


「はぁ〜、今日は俺、引っ張り回されっぱなしだ……。俺の安泰あんたいはいつ来るんだろうな? じゃあ、帰る――」


 独健は紫のマントとターコイズブルーのリボンを反転させ、銀のレイピアが楽屋の照明の中で振り返ろうとした。だが、蓮がその手をぐっと引っ張り、そうはさせなかった。


「聞いていけ」


 少し鼻にかかった声が聞き返そうとするよりも早く、


「何を聞いて――」


 ひまわり色の短髪と銀の髪がすれ違う位置まで迫ってくると、蓮は耳元で秀麗な色気を振りまきながらささやいた。


「愛している」


 順番がおかしい。普通、愛している→キス。が通例であろう。


 だが、蓮なりには、夫である光命ひかりのみことの言葉を実行した。誠実な結果だった。しかし、さっきの海辺のカフェでの優雅な男とした話を知らない独健。当然、彼はこう反応した。


「はぁ?」


 間の抜けた顔をして、これ以上ないほど思いっきり聞き返した。しかも、訴えかけるような視線を、鋭利なスミレ色の瞳に送っても、ただただこれが広がるだけだった。


「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」


 妙な間。どころではなく沈黙、静寂。いや、ご臨終りんじゅう並みの無言。続いてゆく、線路のようにどこまでもどこまでも、男2人きりの楽屋と空間に。


 だが、動きがあった。蓮の天使のような可愛らしい顔は、怒りでどんどんゆがんでゆく。そうして、火山噴火を起こし、天へスカーンと抜ける怒鳴り声とともに、独健に人差し指を突きつけた。


「お前、俺に言わせておいて、自分は言わないとはどういうつもりだ!」


 れんは愛の応えを待っていたようだ。しかし、独健どっけんにとっては、青天の霹靂へいれき。両手を横へフルフルして、ゴーイングマイウェイの蓮どのに物申す!


「いやいや! 俺は頼んでない、言ってほしいとは」


 確かにそうだ。独健の方が正論である。しかも、無理強むりじいするとは、これいかに。


 銀の髪を持つ男は、生まれて8年しかっていない。だが、対する独健は2036年生きている。つまりは知恵がある。この男がこんな行動をみずから起こすとは考えにくい。


 いきなりキスをする。ここは、蓮が勝手にオプションしたのである。だが、ナルシストなこの男が愛の言葉を自らささやく。しかも、事務的。いや、無理やりさせられている感が思いっきり漂っている。そんな蓮に、独健は正直に聞いてみた。


「それよりも、誰に罠を仕掛けられたんだ? お前がいきなりこんなこと言うなんて、どう考えてもおかしいだろう」

「…………」


 無言。無表情。無動。いわゆる、ノーリアクション。図星であるという結論に、独健は勝手に達した。だが、策士が誰なのかは気になるところ。若草色の瞳の男は一言断りを入れて、


「黙ってるってことは、勝手に考えるぞ」


 明引呼あきひこ、兄貴とまではいかないが、感覚人間なりに推理を始めた。


 ファイル1。


 カーキ色のくせ毛と優しさのあふれたブラウンの瞳。だが、独特のボケ倒しをし、時には罠を仕掛けてくる男が、独健の脳裏に浮かび上がった。


貴増参たかふみ……」

「違う」


 奥行きがあり少し低めの蓮の声が否定をした。独健は次に手をかける。


 ファイル2。


 藤色の剛毛で少し長めの短髪。鋭いアッシュグレーの瞳。駆け引きという名のカウンターパンチを仕掛けてくる男。


「そうか。じゃあ、明引呼あきひこ……」

「それも違う」


 否定という情報で、候補者が絞られてゆく。独健は今度は、今目の前にいる男と同じように、ある意味有名な人物を思い返す。


 ファイル3。


 漆黒の長い髪。聡明な好青年。瑠璃るり紺色の瞳。罠だとわからないように仕掛けてくる、策士のプロ中のプロ。


「じゃあ、また孔明こうめいにか?」


 前にも、孔明に蓮は何かされたみたいな言い方だった。銀の長い前髪は疑問という動きで、首を傾げる。すると、隠していた鋭利なスミレ色の右目があらわになった。


「またとはどういう意味だ?」


 ひとまず今は、愛していると言ってこいと策を仕掛けた人を捜索中。


「それはまたあとでだ。候補はまだいるからな」


 ということで、独健は別の話は置いておいて、次の人物に迫った。


 ファイル4。


 ほとんど姿を表すことのない瞳。だが、それがひとたび、まぶたという扉から解放されると、災いを起こすような邪悪な目。女性的なマゼンダの長い髪。あの男も策士である。ただ、負ける、失敗する可能性の高いものを選ぶという自虐的な人物。


 だが、独健どっけんは恐怖で震えそうになる。その人の名を言ってしまったがために、今この場に召喚されて現れるのではないかという戦慄せんりつの中で、恐る恐る唇が動いた。


るなす……」


 れんはバカにしたように鼻で笑った。


「こんな簡単なことも当てられないとは、所詮お前の頭は紙クズ――」


 暴言を浴びせられようが、2000年以上生きている独健には、そんなの取り合うレベルにも満たない。


「そう言うってことは、違うんだな」


 そよ風でも交わすように次へ。


 ファイル5。


 黄緑色のボブ髪。どこかいっているようでありながら、宝石のように異様にキラキラと輝く山吹色の瞳。18禁ワードは言うは、私、僕、俺がごちゃ混ぜだはの、予測不可能な男。挙げ句の果て、無意識の直感という罠を仕掛けてきて、自身の言動に首を傾げる人物。


焉貴これたか……」

「…………」


 さっきまで返ってきた返事がここでなくなった。なぜかはわからないが、蓮の綺麗な唇は微動だにしなかった。


 だが、独健は知っていた。2人は大親友。友達に罠を仕掛けるとは、いくらあの風雲児でもしない。しかし、神から直感でもまた受けて、言動を起こしたのかと思って、何度も首を縦に振って、考え考えうなずいた。


「そうか……なるほどな。……焉貴これたかに罠を仕掛けられたのか。珍しいな、お前と焉貴の間で策略なんて……」

「1度もそんなことはしていない。あいつは」


 やはり、大親友には策など不要だったらしい。


「これも違うってことで……」


 ラスト2人。独健は職場の廊下ですれ違ったことのある男を思い浮かべた。


 ファイル6。


 無感情、無動のブルーグレーの瞳。極端に短く切られた深緑の髪。一点集中で正直な男。


「夕霧……はあり得ないな。あれは真っ直ぐだから」


 口にしてみたものの、違和感だらけだった。絶対不動で言ってこいということはあっても、罠を張れるような人物ではない。


 そうして、とうとうたどり着いた、超感覚派、独健は。


 ファイル7。


 冷静な水色の瞳。紺の肩より長い髪。優雅な策士。


「残るは1人。ひかりだ。当たりだろう?」


 蓮は気まずそうに咳払いをして、鏡のまわりにある裸電球へ瞳をやった。


「んんっ!」

「視線そらしたってことは合ってるってことだろう?」


 2036年に比べたら、8年など、赤子の手をひねるよりも容易たやすいことだった。だが、れんは肯定せず、態度デカデカでこんなことを言ってきた。


「早く、俺に言え。聞いてやる」


 独健どっけんとしては話が終了している。罠を張った犯人を突き止めた。光命ひかりのみことが蓮に、一連の出来事をするようにと言ったのだと。それなのに、まだ要求される。


「お前、何を言ってるんだ?」


 ゴーイングマイウェイの蓮と感覚的な独健。2人の間で、ちょっとした会話の行き違いが起きていた。だが、ここから話が、まるで雪が溶けた地面の上を、ソリが無理やり滑ろうとするように、ガリッガリに引っかかり続け始める。


 光命は自身が感じた幸せを、2人に味わって欲しいと願っただけ。と思いきや、違うのだ。蓮と独健が困っているであろう姿を、今頃自宅で1人思い浮かべて、くすくす笑っているだろう。


 劣勢になりたくない蓮。

 恥ずかしやがり屋の独健。


 この2人に、愛している、という言葉を言い合わせるということは、どうなるか可能性から簡単に導き出せる。


 感覚で話している独健は、孔明こうめい月命るなすのみこと焉貴これたか、光命とは対照的に、会話の順番、内容などきちんと覚えていない。犯人探しという推理が割り込んだために、余計である。その前の話など忘れてしまった。


 蓮は独健とは視線を合わせずに、言おうとしたが、光命の罠という魔法は効力を失い、今はただただ恥ずかしい言葉と化した、愛している。頭文字付近でつまずきまくりだった。


「んんっ! あ……あい……」

「あい? ん?」


 独健の若草色の瞳には、横顔を見せている蓮が映っていた。だが、秀麗なそれがどんどん怒り色に染まっていき、こっちをにらみつけたかと思うと、とうとう怒鳴り声を上げた。


「あぁ〜! 愛しているの返事だっっ!」


 独健は思わず吹き出した。


「ぶっ!」


 そっぽ向いたまま、蓮は両腕を組み、俺様全開で命令形。


「早く言え」


 今は23歳だが、実際は8歳のお子さま。ひまわり色の髪はあきれ気味にかき上げられて、独健は意見しようとした。


「こう言うことって、強要されて言うことなのか? 俺は違う気がするんだが……」


 その刹那せつな、ビーム光線にもなる、鋭利なスミレ色の瞳がこっちへ向いた。


「…………」


 独健は何とも耐え難い苦悩の表情を浮かべる。


「あぁ〜、その刺し殺すような目で見られると、にらみで強行突破になるんだよな」


 返事を待っているのに全然返してこない相手を前にして、れんは無理やり両手で口を動かしてでも言わせようと、独健どっけんに近づくような雰囲気をかもし出した。


「っ」


 危険を察知した独健は、数歩後ろへ下がって、強制送還されるしか道がない人のような面持おももちになる。


「あぁ〜、その殴りかかりそうな勢いの姿勢も、絶対服従みたいにさせられるんだよな」


 ゴーイングマイウェイで押し切られてしまった独健は、両手のひらを相手に向ける仕草をした。


「わかった。観念して言う……」


 恥ずかしがり屋の独健のターン。


 頭文字で千鳥足ちどりあしも真っ青なほどもつれにもつれまくりだった。


「あ……あ……あ……!」


 途中で悪寒おかんが背中に走り、こっちもこっちで声を荒げた。


「って、お前、よく恥ずかしくもなく言うよな!」


 劣勢になりたくない蓮のターン。


 奥行きがあり少し低めの声が火山噴火を起こして、天へスカーンと向けるように爆発した。独健に人差し指を勢いよく突きつけて。


ひかりに言わされた俺の身にもなれ!」


 情にもろい独健は視線をあちこちに向け、唇を噛みしめたりしながら、納得の声を上げた。


「ま、まぁ、そうだよな。罠を仕掛けられたのは、確かに気の毒だ。それも考慮して、今度こそ、言うぞっ!」


 気合いを入れて、再び、恥ずかしがり屋の独健のターン。


「あ……あ……あ……」


 前に行きたいのに、服が釘に引っかかっていることに気づかず、それでも前へ行こうとして、また引っかかるようなリピート。


 いつまで経っても、目の前の男の要求に応えられずにいたが、独健、ここでいいことを思いついた。右手をパッと上げる。


「ちょっと待ってくれ!」

「何だ?」


 黒のショートブーツはさっきからクロスされて、完璧です的に立っている。その前で、落ち着きなくレイピアの銀の線をさまよわせている男。蓮と独健は対照的な性格だった。


 恥ずかしやがり屋の独健のターンはまだ続いている。少し、いやかな〜り言いづらそうに、若草色の瞳の持ち主は言葉をつむいだ。


「あぁ〜っと、『あ』で始まる方が今はちょっと恥ずかしすぎて言えないから、『す』の方でいいか?」


 ゴーイングマイウェイという、ある種のボケを持っている蓮に、こんな言葉が伝わるはずもなく、


「す? お前、何のことを言っている?」


 不思議そうに聞き返されてしまった。独健どっけんは苦笑いをして、ひまわり色の頭をぽりぽりとかいた。


「いや、そこで、マジボケされると俺も困るんだが……」


 れんの後ろに連なるきらびやかなステージ衣装が目に入り、心優しい独健は落ち着きを少し取り戻した。


「お前を待たせるのもいけない。コンサートの開演時刻に間に合わなくなるからな。みんなも楽しみにして待ってる……」


 バンジージャンプをする人が決心するように、独健は気合いを入れ、


「だからっ!」


 地面を蹴り、あとは落ちてゆくだけの運命。恐怖で思わず目をつぶった。そうして、男2人に青い春、青春がやって来る。


「す、す……す…………す………………す……………………きだ」


 単語の間を開けることで、恥ずかしさを軽減するという策、いや裏技だった。ご立腹するかと思いきや、蓮は鋭利なスミレ色の瞳のまま、態度デカデカで言う。


「いい、それで許してやる」


 独健はさっと瞳を開けて、両手を自分の前で左右に大きく振る。


「いやいや! 許可は求めてない! そういうところって、陛下に――!」


 独健は何かに気づき、はたと途中で言葉に急ブレーキをかけた。


 目の前にいる男の出生は知っている。陛下から分身したのだと。だが、もう何の関係もない。家族でも何でもないだと。


 分身した人物は他にも2人いた。しかし、それは陛下の過去世の1つ。当然、そこには、親や兄弟がいた。


 けれども、蓮にはそういう歴史がないのだ。世界という時の流れの中で、突如生まれた存在。真の孤独――


 独健の心の内など知らず、蓮は気にした様子もなく、首を傾け、針のような銀の輝きの髪を少しだけ揺らした。


「ん?」


 独健のはつらつとした少し鼻にかかる声は、珍しく元気をなくし、トーンが下がった。


「いや、いいんだ。お前が傷つくような話はしない――」


 独健は感情に流されやすい。明引呼あきひこ光命ひかりのみことに似ている。ただ、長く生きているから、大抵のことでは動じることがないだけだ。


 だが、目の前にいる男は夕霧命ゆうぎりのみことと同じ。過去は過去、現在は現在、未来は未来。人は人。自分は自分。ただそれだけのことなのだ。


 蓮も感覚ではなく感性であって、理論派。多少の情報をつなぎ合わせて、相手が何をしているのか、何を思ってるのかぐらいわかる。


「言っていい」


 少し寂しげに微笑む独健の顔が、裸電球に囲まれた鏡に映っていた。


「……そうか。……お前の出生って、珍しいよな」

「…………」


 れんは無言だった。異例なのは確かだ。それは事実。ただ認めただけの沈黙。独健どっけんにはきちんと両親も兄弟もいる。妻も子供いる。欠けているものなど何1つない。幸せの中で生きてきた。だが、この優しすぎる男は、心配せずにはいられなかった、目の前の男の気持ちを。


「俺だったら、どう……思うんだろうな? 親も兄弟も親戚も誰もいない。18歳より前の記憶が何もない。自分のルーツがない。耐えられない……そう思う時もあるかもな、俺だったら。お前だから平気――」


 蓮の奥行きがあり少し低めの声が途中でさえぎった。


「俺のガキの頃のやり直しは、あれの両親のもとで育った、許婚いいなずけとして。だから、親はいる」


 夕霧命や光命と同じように、彼にも人生のやり直しがあった。だが、それは義理の父と母が両親の代わりだった。こんな過去を持つ人は、この世界には存在しない。


 だが、そういう運命なのだ。ただそれだけ、蓮にしてみたら。独健はウンウンと小さくうなずいて、少しだけ微笑んだ。


「そうか。前向きな考え方だな、それは。小さい時から、彼女のことは好きだったのか?」


 そうして、ここから蓮のボケが咲き誇り始める。彼女とは、最初の妻のことだ。さっき、光命と話していた、あの女のこと。いや、厳密には違う。この女は2人いるような存在なのだ。ここにも異例が存在していた。


 蓮は繊細な手を唇に当て、ただただ無言を繰り広げる。


「……………………………………………………」


 小さい頃からのあの女とのやり取りを思い返し中。その中から、好きという感情を探す。だがしかし、なかなか見つからない。まだ捜索しようとしていたが、独健が声をかけたことによって、タイムアップが言い渡された。


「お前まさか、好きとかじゃなくて結婚して……」


 それは大変である。真実の愛どころの話ではなく、『みんな仲良く』という法律に違反してしまう。今度こそ、別の意味で、陛下からお呼び出しである。


「違う……はずだ」


 また出た。不確定要素を、ゴーイングマイウェイで無理やり確定、いや不確定のままの言葉。結婚しているのに、子供もいるのに、妻に対する気持ちがわからない。


 今の蓮の態度と言ったら、五里霧中、いや全てが幻、いいや、はっきり言って意味不明である。それ以外にどんな言い方があるだろうか。


 独健はまじまじと見つめた。自分と同じ23歳の男の、天使のように可愛いらしいのに、超不機嫌で台なし、だが、秀麗な顔を。さっきまでの深刻さがどんどん消え去ってゆく、ひまわり色の髪の奥にある脳裏の中で。


「はず?」


 自分もしっかり妻子持ちの独健。意外な返答に、少し鼻にかかった声は思わず裏返った。そんなことなどおかまいなしで、鋭利なスミレ色の瞳はあちこちに向けられる。


「気づいたら、結婚していた」


 何だかおかしな言動である。しかし、感覚的な独健は大雑把にスルーしてゆく。氷でも噛み砕くように、相手の言ったことをガリガリと飲み込んで、納得の声を上げた。


「あ、あぁ、そうか。まぁ、ここは物質界じゃないからな、真実の心を持たずに、結婚するやつはいないから、間違いはないな。確かに、違う、だな」


 物質界。それは、この世のことを指す。つまり、彼らは別の世界に住んでいるのだ。


 黄緑のカラのお弁当が近くで話を聞いている中で、またやってきてしまったこの時間が。


「…………………………………………」

「…………………………………………」


 れんが時を止めて、独健どっけんを無理やり楽屋に連れてきている。帰れと言ってこない。さっきからの会話のやり取りからすると、この2人はコミュニケーション不足のようだ。独健としては、時間が許す限り、お互いの距離を縮めるための好機だと判断した。


(ノーリアクション。

 返事がない。

 超初心者の俺には、難しいんだよな。

 蓮を理解するって)


 エメラルドグリーンのピアスを見て、お弁当箱を見て、ヒョウ柄のストールを見て、独健は話題探しに奮闘する。


(何を話したらいいんだ?

 まぁ、ここは普通に……)


 キスもし、愛の言葉も言った。それでも、男2人の密室という楽屋。そこに、独健の少し鼻にかかった声が響き渡った。


 クエスチョン1。


たかのことはどう思ってるんだ?」

「…………………………………………」


 蓮は身じろぎ1つせず、考える。あのボケをかましてくる男のことを。だが、さっきやって来た貴族服を着た人物と同じように、何が面白いのかがいつもわからず、全てが普通の会話に思える貴増参たかふみ


 独健は顔を歪ませて、心の中で思いっきり問いかける。


(い、いや!

 そこで、黙られても困るんだ。

 伝わってると思うんだが、何か答えたくないような――)


 さっきの出生の秘密みたいなものに触れてしまったのかと思い、独健は心配になり始めた。だが、蓮から遅れに遅れて、この言葉が返ってきた。


「わからない」


 予測していたものとは、全然違う回答がやって来て、独健は思いっきり聞き返した。


「はぁ?」


 訴えかけるような若草色の瞳が向かっていたが、そんなことなどどこ吹く風で、蓮は堂々たる態度で言い切った。


「気づいたら、そうなっていた」

「あ、あぁ、そうか」


 独健は戸惑い気味に言って、髪をかき上げた。そうして、また気まずい雰囲気の再来。性質も違う、職業も違う、生きて来た環境が違う、目の前にいる男の思考を、独健なりに前向きに解釈した。


(ミュージシャンは個性が強いから、人と感じ方が違うのかもしれないな。

 じゃあ、次)


 聞きたいこと、いやある人物に対する、蓮の気持ちを知りたい。それが独健の切なる願いだった。


 クエスチョン2。


明引呼あきひこはどうなんだ?」

「…………………………………………」


 れんは考える。わざと横文字を入れて笑いを取ってくる男。兄貴と慕われる人物。だが、蓮にとってはどこが面白いかやはりわからず、まわりが急に笑い出すという現象を巻き起こす明引呼あきひこ


 独健は心の中で、頭を抱え込んだ。


(いやいや!

 だから、どうして、黙るんだ!

 どういうことだ?)


 ただただ無言。無表情、無動。独健どっけんの苦悩は痛いほどよくわかるというものだ。だが、蓮はゴーイングマイウェイで、またこの言葉が出てきた。


「わからない」


 今度は独健が固まった。


「え……?」

(ここも……?)


 蓮は少しかがみこんで、銀の前髪を鏡に映して、乱れがないかチェックする。


「気づいたら、そうなっていた」

「そうか。パパ友とかでも何でもなかったんだな?」

「知らなかった」


 明引呼と蓮は知り合いではない。それなのに、蓮の中に、明引呼との思い出がある。それどころか、独健が関係を聞いてくる。何だかおかしい話が進んでいるようだ。


 感覚でチャチャっと片付けた独健は、気を取り直して、この人の名を口にする。


 クエスチョン3。


「じゃあ、孔明こうめいは?」

「…………………………………………」


 天才軍師。策を成功させるためならば、何でもする。だが、れんから見ると――と、ここで独健が声を荒げて、蓮の思考を強制終了。両腕を上からバンと机を叩くようにした。


「ここは沈黙するところじゃないだろう! 他のやつらから聞いた。お父上から、これ以上結婚するのは控えなさいと言われてた。それなのに、落ち込んでる焉貴これたかを救うために、孔明こうめいは作戦……いや、策略だな、それをして、お父上に一番近い立場にいる、お前に突然……そ、その……キっ、キスをした……んだろう?」


 そう、孔明がキスをした相手は蓮だったのだ。こういう罠だ。

 孔明はもともと付き合っていた女がいた。

 陛下から講演をする範囲を広めるようにとご命令を受けた。

 仕事は忙しくなる、彼女と会うのもできなくなるかもしれない。

 それならば、これを機に結婚しようとした。

 それを、親友である焉貴に話したのだ。

 そうしたら、焉貴が激落ち込みになった。

 婚姻と親友を救う手立て。

 その両方を叶える方法を、あの天才軍師は思いついた。

 結婚している焉貴これたかと結婚しようと。


 おかしいみたいだが、結婚している蓮と、光命が付き合っていた彼女とともにしたので、この世界ではあり得る話だ。


 だが、焉貴が婿養子に入った家は、ただ今新しく結婚することが、家長によって禁止されている。


 その家長は、蓮の父親。

 家長を説得できる可能性が高いのは、蓮を攻略するになる、だと判断した。


 そのために、孔明こうめいは面識が全くなかった蓮にいきなりキスをしたのだ。


 蓮はその時こう言っていた。


『なぜ、俺にキスをする?』


 それに対して、孔明はあの春風みたいに穏やかに微笑んだだけだった。


 この現場を見ていたのは、以下の人たち。光命ひかりのみこと夕霧命ゆうぎりのみこと焉貴これたか月命るなすのみこと、とあと、例の女の5人である。


 蓮は天使のように綺麗な顔は事実を知って、怒りで歪んだ。


「っ!」


 息を詰まらせた蓮の前で、独健どっけんは手をフルフルして、そう快に突っ込んだ。だが、恋愛感情のたぐいは、突っかかりまくりだった。


「いやいや、今頃気づくなって! それで、お前がこ……恋……恋に落ちたって、焉貴これたかが言ってて、お前が自分からお父上、いや、正確には義理のお父上に直談判じかだんぱんしに行ったんだろう? それはたぶん、孔明こうめいに動かされたってことだと、俺も思うんだが……」


 さすが、神の申し子。天才軍師。神業かみわざのごとく恋の勝利をつかんでいた。新参者の自分が行っても、家長に話すどころか、下手をすれば門前払いである。


 れんは大親友の焉貴が落ち込んでいるのは知っていた。

 それでも、蓮は動かなかった。家長の言葉は絶対だからだ。

 孔明はデジタル頭脳で、次の策を投じる。蓮を動かすための。

 それは、自分のとりこにして、蓮が孔明と結婚したいと思わせることだ。

 蓮は孔明にキスをされ、恋をしたのだ。

 そうして、蓮は自分のこともあるが、焉貴これたかを救おうと決心した。

 すなわち、孔明の思惑通り、蓮が自分から義理の父親を説得しに行った。

 義理の父親は厳格ではあるが、きちんと筋が通っていればとても優しい人物。

 小さい頃から、育ててきた義理の息子が誠実に頼めば、耳を貸すだろう。

 そうして、孔明が仕掛けた通り、家長からお許しが出たのである。

 明引呼あきひこが先に来るはずが、孔明がこうして割り込んだのだ。


 孔明という天才軍師に大敗した蓮。完全に劣勢になった彼は、悔しそうに唇を噛み締めた。


「っ!」


 すらっとした人の両肩を、独健は手でどうどうと言うようになだめた。


「いやいや、ここはもう怒らないでいこう。大人なんだからな」

「いい。許してやる」


 蓮は怒ったら負けだというように割り切って、無理やり優勢になったように、態度デカデカで言い切った。独健があきれたため息をつく。


「お前、本当に態度でかいよな?」

「性格だ」


 認めた上で、直す気はないようだった、蓮には。独健まだまだ他に聞きたい人がいるので、チャチャっと質問。


 クエスチョン4。


「じゃあ、次だ。るなすは?」

「…………………………………………」


 自分と違って、いつもニコニコしているあの男。あのお笑いは少しはわかる。わざと負けるものを選んで、やはり失敗してしまいましたか〜と言って、喜ぶという、マニアックな笑い。しかも、蓮は何度か吹き出してまで、笑ったことがある。


 だが、独健に問いかけられた理由が見当たらない。若草色の瞳は戸惑いという視線を、銀の長い前髪に送る。


(いやいや、この妙な間は、だから何なんだ?)


 とりあえず、蓮はとっかかりとなるものを見つけてきた。


「あれは……子供の担任教師で親友だった」


 そうなのだ。最初は教師と保護者。子供が間に入っていた。だが、話してみたら、意気投合。そのため、時々、プライベートで会って話したりはしていた。


 だが、さっきからの独健どっけんの様子からすると、そういうことではなく、もっと深い関係について聞いているようだ。


「それで、そのあとどうして、こうなったんだ?」

「気づいたら、そうなっていた」


 この回答はこれで、3回目。あの邪悪の象徴のようなヴァイオレットの瞳を思い出して、独健は身震いした。


「あ、あぁ、そうか。そこは、策略はなしんだな」

「ない」


 独健には次々に罠を仕掛けてくる月命るなすのみこと。だが、れんには全くしてこないようだ。あの負けるの大好き策士も、人を見て、きちんと罠を仕掛けてくるようだ。


 そうして、どうも何かをボケ倒しているような蓮に、独健は策士3人目について問いかけてみた。


 クエスチョン5。


「古い親友の焉貴これたかは?」

「あれとは、何をしても、何を話しても楽しかった」


 さっきまで超不機嫌だった、蓮の顔がほのかに微笑んだ。そう、あの黄緑色の髪と山吹色の瞳を持つ男。あの男とは交わる性質などない。例えて言うなら、夕霧命ゆうぎりのみこと光命ひかりのみことのようなものだ。


 だが、いつも超不機嫌な蓮が、子供に帰ったように無邪気にはしゃぎ、声を出して大笑いするほど楽しい時間を過ごせるのだ。それは、あの男が教師であり、自分の本当の年齢が8歳だからかもしれなかった。


 そうして、独健から質問が追加される。


「それで、どうして、こうなったんだ?」

「気づいたら、そうなっていた」


 何回言ったんだ、蓮はこの言葉を。独健は少し戸惑い気味に返事をしたが、


「……そうか」


 あのカーキ色のくせ毛と優しさの満ちあふれたブラウンの瞳を持つ男と自分の関係をふと思い出した。それと、蓮と焉貴は似ているのかもしれないと判断した。


「友達から恋愛に発展した、で合ってるのか? 俺もそうだから、そうなのかもしれないな」


 待った――いやいや、聞き捨てならない! 御用だ、御用だ!

 独健と貴増参たかふみが恋。

 これはわかる。最初にキスをしていた、2人とも。


 だが、もう1つがおかしい。

 蓮と焉貴が恋?

 こっちは会ってもいないし、そんなこと言ってもいなかった。あの超ハイテンション歩く17禁先生は。


 様々なカップリングという線が絡まり合ってるようなキスリレーのゴール。エキセントリックという言葉が気絶するほど、おかしくなっているようだ。


 だがしかし、蓮の口からは否定も何も出てこなかった。


「…………」


 さらには、独健どっけんも気にすることなく、質問が続いてゆくので、このままスルー。


 クエスチョン6。


「じゃあ、夕霧は?」

「子供の関係で知ってはいた」


 ひまわり色の短髪はウンウンと何度もうなずく。


「いわゆる、パパ友ってやつだな?」

「…………………………………………」


 お互いの家に行ったこともあるだろう。5歳の子供が遊びに行くのなら、親はついていかなくてはいけない。だが、ここはもう婚姻関係が明らかになっている。それでも、蓮の鋭利なスミレ色の瞳はたじろぎもせず、綺麗な唇も動かない。


 独健はあちこちの床を眺めて考える、今目の前にいる男の心の内を。


(この間は何だ?

 さっきと違う気がする。

 どういう意味で話してこないんだ?

 ……肯定してるってことだな、きっと)


 パパ友なのはわかった。だが、結婚している、いや愛する夫になっている。当然そこまでの経緯があるはずだ。独健も気になって聞いてみた。


「それで、どうして、こうなったんだ?」

「…………………………………………」


 だがしかし、どこまでも続く沈黙がやってきた。感覚ではないが、非凡であるがゆえのはみ出した独特の感性で、れんは全てを図っているようで、恋愛感情が自分の頬を過ぎてゆく、風のように感じているらしい。


 風の正体をきちんと説明しろと言われているようなものなのだ。蓮にとって、相手への想いを言葉に変換するのは。


 対する独健は、そんなことが起きているとは知らず、ノーリアクション、返事なしの種類がわからない。それでも、懸命に考える。この男との距離を縮めたいと真摯しんしに願って。


(いやいや、今度の間は何だ?

 質問を俺がした。

 ここも肯定か?

 いや、違う。

 イエスノーの質問じゃないから……。

 ……考え中か?

 きっと、そうだな)


 5分ほど経過。やがて、蓮の人々を魅了してやまない、奥行きがあり少し低めの声が、ある人の名前をつぶやいた。


ひかり……」


 一粒の砂という言葉でも、独健は必死にすくった。


「光がどうした?」

「光が好きだったからだ」


 また、意味不明な言葉がやって来た。独健どっけんの白地に金糸の刺繍ししゅうほどこされた制服の袖口がパッと上がった。


「ちょっと待った! それじゃ、2つの意味があるんだ」

「ん?」


 蓮の中では完璧だった言葉。そのはずだったが、止められたので、不思議そうな顔をした。独健はきちんと説明する。


「お前がひかりを好きなのか、と、光が夕霧を好きなのかの、2つがあるだろう?」

「…………………………………………」


 ひねくれで態度はでかいが、基本的に夕霧命と同じで、真面目な蓮。しかも、素直ではないが、正直者。そのため、相手の言葉にはきちんと返事を返したい。


 だから、考えるのだ。ただ、それが断りもなく、ゴーイングマイウェイでどこまでも続くので、まわりが困ってしまうだけで。


 どちらかというと、光命ひかりのみことのように瞬発力のある独健。この短い会話の中でも、蓮の沈黙の種類がつかめてきた。


(ちょっとわかってきた。

 今は考え中だ)


 3分経過。


ひかりが好きだったから、賛成したのもある」


 愛する夫が小さい頃から想っていた相手。他の配偶者の賛成があれば、結婚しようとするだろう。だが、矛盾が出てきた。れんの気持ちは、いつどうやって変わったかである。独健も当然そこを突っ込んだ。


「ってことは、お前にも、夕霧に気持ちがあったってことになるよな?」

「気づいたら、そうなっていた」


 絶対におかしい、いや、蓮は恋愛に鈍感なのだ。あの女が言っていた通り。そうして、独健は最後の人にたどり着いた。


 クエスチョン7。


「そうか。じゃあ、ひかりは?」

「…………」


 蓮は何も言わず、晴れ渡る青空の下で、心地よい風に吹かれたような、子供のように無邪気に微笑んだ。口の両端を上に上げ、さっき感じたキスの温もりを脳裏で宝物のように大切になぞる。


 だが、独健は心の中で、猛抗議だった。


(いやいや!

 ノーコメントで、微笑まれだだけじゃわからないんだよな。

 言葉少なっ!

 リアクション、超薄ちょううすっ!

 だが、これを理解しないといけない。

 俺もお前のこと……す……好き……なんだからな。

 それでも、わからないところが今あったから、確認しておくか)


 また、肝心なところでつまずいていたが、独健どっけんはとうとう核心に迫った。


「お前、さっきから、『そうなっていた』の繰り返しなんだが、具体的にそこを教えてくれないか?」


 蓮の顔はすっと真顔に戻ったが、すぐにそこは通り過ぎて、超不機嫌になり、怒りという火山を大噴火させて、独健に人差し指を突きつけた。


「……なぜ、俺の気持ちを聞いてくる! それを俺に説明させようとは、お前どういうつもりだっ! 俺がどんな言葉を使おうと、お前には関係ないだろうっっ!」


 火がボウボウと燃える。というよりも、大地をグラグラと揺れ動かすような怒り。独健はびっくりして、言葉をつまらせた。


「きゅっ、急に長々と話し出して、お前を理解するのは難しいな」


 だが、生きている長さが違う。相手は8年。自分は2036年だ。十分自覚している、自身には優しすぎるところがあると。だから、相手にさっきから黙って合わせてきた。


 しかし、ここはきっちり言わなくてはいけない。ほとけのような気持ちでわざとしていたおどおどを、独健は一気に消し去った。若草色の瞳は真っ直ぐ見つめ返し、少し鼻にかかる声はハキハキと伝える。


「だけど、これだけは言える」

「何をだ?」


 今度は独健の金切かなきり声のような怒号が、楽屋の外まで届くようにはじけ飛んだ。


「関係なくないだろうっ! お前と俺の仲なんだから。何のために、お前と名字が一緒になったと思ってるんだっっ!」


 そう、妻子持ちの独健はれんと結婚したのだ。だから、彼の後輩が『2度目の新婚さん』と言っていたのである。


 ちなみに、ここで、夫婦8人――


「…………」


 蓮は無言。ここは反省中。配偶者に、愛する夫に対する想いを聞かれて、答えないとは、いくら優しい独健でも怒るだろう。しかも、自分と関係ないと言うとは。


 独健の話は身振り手振りで、まだまだ熱く語り中。


「明智家ブームに乗って、家名が欲しくて婿養子に来たんじゃないんだ。みんな、本気でお前のところに来たんだろう? ただ、ブームが今起きてるって話だけだろう」


 歴史上で、明智といえば、おのずと答えは出てくる。おそらく、あの本能寺を燃やしてしまった人だろう。だが、ここは本人から出演許可が下りていないのでスルー。


 この家系、ここの世界で大ブームが起きていて、養子、嫁、婿養子……とにかく明智一門になれるならと、願い出る人が続出。それでは、誰でもなれるかと言ったらそうではない。その人と、すでに一員となっている全ての人が、今よりも幸せになれると判断した人だけが、招き入れられる。


 彼らが結婚したのも、自分の思慕や欲望を満たすためではない。全員が、愛する家族みんなが幸せになると判断して、プロポーズを受けて、式を挙げているのだ。


 この世界には、自分の損得で動く人はいない。いや、そういう人もこの世界で存在することは、やはり神に赦されていないのだ。


 蓮の鋭利なスミレ色の瞳は独健どっけんから外れ、楽屋のドアノブの丸い光を眺めていた。指先で唇に触れて、そうして、やっぱり、この時間がやってしまった。


「…………………………………………」


 いくら夫になったとしても、意味不明である。アイコンタクトもできない。口も動かない。地球1個分の広さもある多目的大ホールの隅々に届くほど、独健は力の限り叫んだ!


「だから、今度は何の間だっっっ!!!!」


 そうして、れんの奥行きがある少し低めの声がたった一言を告げた。


「帰る」

「だから、ゴーイングマイウェイすぎだろう! 俺の――」


 どこに行くのかわからず、独健の大声が楽屋に響き渡っていたが、2つの結婚指輪が重なるように手を握られ、瞬間移動で消え去った。

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