第8話 『追放』が便利な理由の考察⑤ 追放テンプレ、その先にあるもの。


<< 前回のあらすじ >>



『追放テンプレ』にはいくつかのパターンが存在しているが、そのいずれにおいても『ざまぁ』される対象者は明らかに『主人公を追放した側』であり、『』によってざまぁが表現されている。


つまり『追放テンプレ』における『ざまぁ』はなんだかんだ言っても結局は『追放した側』が罰を受けることによって表現されている。



<< 今回の内容 >>



今回は『追放ざまぁ』考察の最終回ということで、いくつかの古典の中から、


単なる加害者への報復という低い次元に留まらない『視点を変えることによる気づき』によって表現される『』について考察していきたいと思います。



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【 『源氏物語』にみる追放 】



平安時代に紫式部が書いた『源氏物語』は、イケモン・モテモテ・ハイスペック型の主人公である光源氏が様々な女性と逢瀬を重ねていく話です。


『何をやっても許されるハイスペックで強運持ち主人公設定』はすでにこの頃からあったのです。


そしてこの『源氏物語』においても『追放』はストーリー展開の一つの要素として使用されています。



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物語の中で光源氏は、異母兄の朱雀帝に入内する予定だった朧月夜おぼろづきよと密通し、その事が朧月夜の姉であり、かつ朱雀帝の母である弘徽殿大后こきでんのおおきさきにバレてしまいます。


弘徽殿大后は激情家にして、光源氏の天敵中の天敵。そんな人に不倫現場を見つかってしまえば、そりゃもうどうしようもないという状況です。


そこで自分がいずれ都から追放されることになると察知した光源氏は、追放される前に先手を打って自ら須磨に逃亡することにします。


なのでこの場合は経緯として「」かつ「」という形になるので、厳密な追放とは少し扱いが異なりますが、事実上追放処分を受けたと言っても良いでしょう。


※なお不倫現場は弘徽殿大后も一緒に住んでいる朧月夜のお屋敷です。大胆不敵にもほどがあるだろうという話です。



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さてその後のストーリー展開ですが、須磨に逃走した光源氏はしばらく寂しい生活を送ることになります。


しかしそんな辛い逃亡生活の中でも色んな人と文通したり、明石の君と交際したりして、逃亡生活をちゃっかりエンジョイしているところが光源氏らしいところです。



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一方で光源氏を追放したことで都では、なんと連日連夜豪風雨が発生。


さらに追放した側では、弘徽殿大后の父である右大臣が死亡し、弘徽殿大后も病に倒れ、朱雀帝も眼病に罹るという悲劇に見舞われます。


この追放した側を襲った数々の悲劇は、光源氏が別になにかしたわけでなく、あくまでも自然に起こったことですが、それが光源氏の追放と関連性があるに違いないということは朱雀帝をはじめ、登場人物たちみなが認識するところであります。


この様に『追放した側がざまぁされるお約束展開』は、日本最古の長編小説とされる源氏物語の中にすら見られるのです。



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結果的に、そもそも光源氏の追放にあまり賛成ではなかった朱雀帝が、光源氏の赦免の御沙汰を出したことで光源氏の逃亡生活は終わりをつげ、都に帰ってくる展開となります。


追放の首謀者である弘徽殿大后は、自らが病気になったことや、憎き光源氏の帰還を止められなかったという点で『ざまぁ』されたと言えるでしょう。


しかしなんという主人公に都合良すぎるストーリー展開でしょうか。



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重要なのはその後の展開です。


ざまぁされた弘徽殿大后のその後についてですが、別に悲惨な死に方をするというわけではなく、後に光源氏が見舞い訪れた際には『自分の過去の行いを後悔しつつも、いまでも引き続き息子にあれこれ言って困らせている』という『』的な感じで描写されています。


この弘徽殿大后は光源氏の追放を首謀しただけではなく、光源氏の母である桐壺更衣きりつぼのこういに嫉妬し、いじめ倒して早死させたというが付くほどの悪役ですが、


その事によってなにか凄い制裁を受けるわけではなく、どちらかというと『主人公サイド(光源氏・桐壺更衣)の圧倒的な強運に勝てなかった』という扱いで終わっています。



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この様に、源氏物語における追放した側ざまぁは形式上は『加害者ざまぁ』ではありつつも、単純に報復が成立することによるスッキリ感ではなく『もののあはれ』の一つとして描かれているのです。


つまり”なにをやっても主人公サイドの主人公補正には勝てなかった。”というを表現しているのです。


弘徽殿大后の末路はあくまでも『悪人の末路』ではなく『あわれなひとの末路』なのです。


この無常の側面を含むざまぁは、単純な加害者ざまぁに留まらない『大人の嗜みざまぁ』と言えるのではないでしょうか。


※なおこの『もののあはれ』は主人公である光源氏にも適用されているのが源氏物語の特徴と言えます。光源氏は超ハイスペック型の主人公ですが、なんでも思い通りに出来るほどの力は持っておらず、光源氏もまたあわれなひとの一人として扱われているのです。



――――――― ここまでのまとめ ―――――――


源氏物語における追放ざまぁの結末は、単純な『加害者ざまぁ』ではなく、『もののあはれ』の一つであり『あわれさ』の側面から描かれている。


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【 『忠臣蔵』にみる追放 】



『忠臣蔵』は江戸時代に起きた、赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件を題材にした物語です。


忠臣蔵において追放される側は、藩主浅野内匠頭が切腹に追いやられ藩自体も取り潰しにされてしまった赤穂藩士たちであり、加害者はその原因となった吉良上野介と言えます。


なので、忠臣蔵のストーリーを一見すると、不条理な理由で追放された赤穂浪士たちが、敵である吉良上野介に報復を果たす『吉良ざまぁ』が主題の話に見えるかもしれません。


しかし赤穂浪士にとって、この吉良本人に対する直接的な報復がのは明らかです。



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赤穂浪士側の当初の目標は『』だったはず。


それは大内蔵之介がストーリーの序盤・中盤で吉良へ直接報復をしようすると藩士をひたすら抑えることに徹し、幕府の命令である赤穂城の明け渡しにも諾々と従い、あくまでも非暴力的な交渉に徹していることからも伺えます。


つまりストーリーの序盤・中盤で大内蔵之介はひたすら『赤穂藩の存続』を第一に考えて行動しているのです。


つまりこれは『単純な加害者ざまぁ』を目指すのとはまったく異なる、『』によって目標を達成させようとしていることを意味します。


しかしその願いも虚しく、嘆願の全てが聞き入れらなかったことが確定した後に、目標を吉良への直接的な報復に切り替えることになり、それはストーリー終盤の吉良邸への討ち入りという形で実現されます。



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ここで注目したいは、赤穂浪士の討ち入りが『ざまぁしている対象』です。


その一つは吉良上野介だと考えられます。忠臣蔵のざまぁ対象が敵役の吉良本人であることは間違いありません。


ただ、忠臣蔵におけるざまぁ対象はもう一つあります。


それは『幕府という体制』です。


つまり忠臣蔵では吉良を打ち取ることを通して『自分たちの主張を聞き入れなかった幕府体制へのざまぁ』を表現しているのです。



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もし忠臣蔵が、大内蔵之介の大人な対応の描写がなく浅野内匠頭切腹後、即討ち入りによって復讐を果たすという単純な復讐ストーリーであれば、これほど世の中に受け入れられることはなかったと考えられます。


それはあまりにも短慮で野蛮と言えるからです。


忠臣蔵が受け入れられたのは『あくまでも大人の対応を尽くしたものの結果それが叶わず、仕方なく実力行使に出ざるを得なかった』という背景描写があるからこそであり、世間から共感を得ることができたのです。


これはつまり『大人のブチギレ』です。


大人がブチギレるからこそ、仕返しという『加害者化する行為』にも正当性が生じ、忠臣蔵の報復は評価されたのです。



――――――― ここまでのまとめ ―――――――


忠臣蔵のざまぁは、表面上は『吉良ざまぁ』だが、よくよく考えると『幕府体制ざまぁ』である。


『大人のブチギレ』が表現されているからこそ、赤穂浪士の報復行為は評価されたと言える。


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【 『モンテ・クリスト伯』のおけるざまぁ 】



『巌窟王』としても知られる『モンテ・クリスト伯』は1844年から1846年にフランスのアレクサンドル・デュマ・ペールによって書かれた小説です。



――――― 以下ストーリーの要約 ――――――



① 主人公で船乗りのエドモン・ダンテス(19)は結婚式の日に虚偽の密告によって逮捕される。


・密告したのは若くして結婚し出世するダンテスを妬ましく思っていた3人(ざまぁ対象者)


・さらに取り調べを行った若い検事(ざまぁ対象者)が自己保身のためにダンテスの罪を捏造し、無期限監獄送りにする。



② 投獄先で隣の牢屋に住む謎の爺さんに教えを請い、様々な知識を得る。


・教養を得たことによって、自分が騙されて陥れられたことに気づいたダンテスは復讐を誓う。


・爺さんは実はかなり偉い研究者で古文書を読み解くことで莫大な財宝がある島の在り処を特定していた。


・その後、爺さんが死んだことをきっかけに脱獄に成功する。


③ 爺さんから教えられていた財宝を回収し、資金を得たダンテスは復讐を開始する。


・ダンテスは謎のイタリア貴族『モンテ・クリスト伯爵』を名乗り、次々と復讐を成し遂げていく。



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不条理な追放(投獄)から始まる『モンテ・クリスト伯』の復讐ストーリーは、主人公がという形での『』を得ることによって進行していきます。


またこの物語は源氏物語や忠臣蔵とは異なり、あきらかに『個人に対する復讐』がテーマの作品であり、『悪人本人が罰を受けることによるざまぁ』が表現されています。要するに『勧善懲悪ストーリー』です。


これらの要素は現在の追放テンプレにおける『主人公が積極的に直接報復するパターン』のストーリー構造とかなり共通していると言えます。



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善意の第三者のフリをして復讐対象者に近づき、騙して自爆させる形で破滅させるという『手法』で次々と復讐を果たしていくダンテス。


しかし終盤の方になると直接相手を殺すことではなく、社会的に失脚させた上であえてトドメを刺さない『手法』を使う様になります。


これによって生じる効果について考えると、前話で扱った『主人公が積極的に直接報復するパターン』におけるデメリットである『復讐によって主人公が加害者側に回ってしまう』ことを回避できることが挙げられます。


黒幕タイプ主人公であるダンテスは、圧倒的な力で相手を仕留める一歩手前まで持っていきつつも、『あえてトドメを刺さない大人的な態度』を示すことで、『慈悲のある人格者キャラクター』を維持しているのです。


また、ダンテスが復讐対象者たちの子どもたちについては、一貫して庇護する立場をとっていることも特徴的です。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆◇



①『相手を騙して自爆させる形で破滅させる黒幕的手法』


②『社会的に失脚させた上であえてトドメを刺さず、寸止めに留める』


③『子どもたち世代は庇護する』


この様な工夫を行うことでに『モンテ・クリスト伯』は明らかに個人を対象とした復讐物語でありつつも、主人公が『』を取ることを実現しており、そのことによって主人公が読者から嫌われることを防いでいるのです。



――――――― ここまでのまとめ ―――――――



『モンテ・クリスト伯』は明らかな復讐物語であり、『チート』や『個人への報復』といった現在の追放テンプレと共通する要素を多く含む。


しかし主人公の大人的な立場を強調することによって、単純な加害者ざまぁだけはなく『より上から目線でのざまぁ』を表現している。



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◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆



<< 最後のまとめ >>



① 源氏物語の追放ざまぁ


日本最古の長編小説『源氏物語』にみられる『追放した側ざまぁ』は、単純な『加害者ざまぁ』ではなく『もののあわれ』という視点を導入することによって、『なにやっても主人公補正には勝てなかったよ……』という『あわれさ』が描かれている。


② 忠臣蔵の追放ざまぁ


忠臣蔵のざまぁは、表面上は『吉良ざまぁ』だが、本質は『幕府体制ざまぁ』である。


さんざん大人な対応を心がけた上で、仕方なく吉良本人への直接的な復讐に及ぶことで『体制に対するざまぁ』を表現していると言える。


③ 『モンテ・クリスト伯』の追放ざまぁ


主人公がチート持ち設定であり、明らかに『個人に対する復讐』がテーマの作品である『モンテ・クリスト伯』は現在の追放テンプレと共通点が多いが、主人公の『大人的な立場』を強調することで、主人公が読者から嫌われることを防いでいる。





<< 最後の考察 >>



この様に過去の名作においては、『追放』というストーリー展開の同じでも『大人な視点』を導入することで単純な『加害者ざまぁ』に留まらない、『大人の嗜みとしてのざまぁ』が表現されています。


現在の『追放テンプレ』を嫌う層の人でも、これらの大人の視点を導入する『追放した側ざまぁ』は、より共感され、より受け入れられやすいと考えられます。


この『』こそが、今後の『追放テンプレ』を拡張し、発展させていくことになるのではないでしょうか。



以上、



『追放』が便利な理由の考察 終わり。



―――――――― 次回予告 ――――――――――



次回からは、お約束というで人気を獲得し、また『ざまぁ』対象を『個人ではなく宿』に設定することで、圧倒的なカタルシスを表現しつつ、応用性が高いためマンネリ化もしないという、


『悪役令嬢にみる応用ざまぁ』について考察していきたいと思います。



済 『ざまぁ』の面白さは「お約束」が持つ面白さ

済 童話における『ざまぁ』バリエーションの考察

済 『追放』が便利な理由の考察


→『悪役令嬢』にみる応用ざまぁの考察


・『ワンパンマン』に学ぶ"ざまぁ"表現方法の考察


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