108 摩耗していく日々の中で

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『真理のつるぎ』によって死に追いやられ、肉体は朽ち果て呪いと化し、心は深い眠りへと落ちたドルミーレ。

 彼女が持つ強大な力は、死後も尚その心を保ち続け、眠り続けることで存在を消滅させずにいた。

 それを感じ取ったホーリーとイヴニングは、いつの日か彼女が目覚め、再会を果たせる日を信じて日々を過ごしていた。


 しかし、その日はいくら待っても訪れなかった。

『魔女ウィルス』によって変貌した肉体と、修練を積んだ魔法の術、そして友としての心の繋がり。

 あらゆるものを駆使しても、二人はドルミーレに関する一切の手掛かりを得ることができなかった。

 眠りについているであろうドルミーレの心が、今一体どこにいるのか。

 彼女の眠りはいつ覚めるのか。そもそも彼女は目を覚ますことを望んでいるのか。

 ドルミーレ自身がその胸に抱く、これからの道筋は何なのか。


 ひたすらにドルミーレを想い、彼女のためを思ってあらゆることに尽力する日々。

 けれどその当の本人の思惑は全く見えてこず、次第に二人は行き詰まるようになった。

 しかしそれでも二人は決して諦めなかった。諦めることだけはしなかった。

 もう何度もドルミーレを助けることができなかった二人は、今度ばかりは何があっても彼女を救うと決めたからだ。

 例え全てが徒労になろうとも、ドルミーレの為に全力を尽くすこと以外、二人に選択肢はなかった。


 めげずに、ドルミーレがいなくなった世界で生きていく日々。

 そうした時間は容赦なく経っていき、世界は彼女たちを置き去りにして進展を続けていった。


 ドルミーレの死後から五十年が経った頃には、当時を知る者はほとんどいなくなった。

 その頃には既に、ドルミーレに関する事実は歴史の影に隠されて、あらゆることが漠然な記録とされるようになった。

 衰えることのないドルミーレの呪いは、『魔女ウィルス』という実際的な病だけが認識され、殆どの人間はその始まりたる彼女を知らない。

 ドルミーレがまつわる一切の出来事は、多くの人間から覆い隠されていた。


 ホーリーとイヴニングはその齢を七十ほどとしていたが、相変わらず衰えない肉体は、その容姿を若々しく保っていた。

 二人は外見をある程度魔法で調整して、若く見える四十代ほどとし、その頃から表舞台を出たり入ったりするようになった。

 そうすることで自分たちの実在をあやふやなものにし、まるで不老不死のような振る舞いに、違和感を与えないようにした。


 ドルミーレの死後から百年が経った頃には、ホーリーとイヴニングは、自分たちが死ねないことに気づいた。

 肉体が老化せず劣化しない事実は、決して朽ち果てないことを意味していたのだ。

 それでも普通に考えれば限度があり、どこかに際限があるように思える。

 しかし『魔女ウィルス』との親和性が極端に高い二人は、保有する魔力量がとても高く、無限とも思える再生と最適化を繰り返していた。

 結果として、彼女たちはいくら時が経とうとも、その命に限りが来ない存在となっていた。


 どんなに適性の高い『魔女』でも、そう何十年もはもたない。

 二人は特例中の特例だった。もちろん人間の寿命は長くて百年前後。その頃の二人の周りに、知人と呼べる人間はいなかった。


 ドルミーレの死後から五百年経っても、目立った進展はなかった。

 その頃から二人は、時を刻むことをやめた。

 どんなに自らの魔法を高め、神秘への理解を深めても、ドルミーレへの手掛かりを得ることはできない。

 世界を探索し、未だに残る歪みを調査し、あらゆることに探求を続けても、親友は二人のもとに帰ってこなかった。


 いくら肉体が常に最適な状態を保ち続け、どんなに死ぬことがない体だろうとも、その心は、精神はすり減っていく。

 高々百年前後の命を前提として生を受ける人間の精神にとって、五百年はあまりにも長かった。

 いくらドルミーレへ近づき、その存在が人間離れしようとも、その基本構造は人間のそれなのだから。


 精神は細り、不安定になり、朦朧としていく。

 それでも二人が生きることを諦めなかったのは、一重にドルミーレを想っていたから。

 最後に交わした約束を決して違えはしないという、もはや意地と呼べる意思があったからだった。

 むしろそれだけが、彼女たちをこの世界にしがみつかせていた。


 ドルミーレの死後から千年が経った頃には、二人は自らを失いかけていた。

 相変わらず『まほうつかいの国』の表舞台を出たり入ったりして、国の行末に関わっていた二人。

 国に関わっている間は辛うじて、ある程度の個を保ってヒトビトと関わっていたが、それも本来の自分かどうかは怪しかった。

 千年という、悠久とも呼べる時を歩んできた彼女たちは、自己の定義がとてもあやふやになっていた。


 それでもなんとか、その心の奥底で燃え続けるドルミーレに対する想いに縋ることで、二人はギリギリ精神を保っていた。

 しかしそんな摩耗した心は、いつ掻き消えてしまってもおかしくはなかった。

 二人はかれこれ五百年ほどロクに言葉も交わさず、ただ生き続けることだけに目を向けて、一秒一秒を歩んでいた。


 もう誰もドルミーレを知らない。覚えていない。

 国の中枢、その最奥の一部の人間だけが、ただの記録としてその事実を知っているだけ。


 彼女がどんな人物だったか、彼女を巡ってどんな出来事が起きたか、世界を脅かしたジャバウォックを彼女が打ち倒したこと、そして彼女が真理を抱く剣で屠られたことなど、もう誰も知らない。

 それは全て二人の胸の中にだけある物語。そこにだけ、唯一の真実があった。

 二人にはもう、それしか信じるものがなかったのだ。

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