107 変貌と混沌

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 ホーリーとイヴニングがその異変を自覚し始めたのは、彼女たちの年齢が四十になろうかという頃だった。

 ドルミーレの死から二十年程が経過し、魔法が浸透した『まほうつかいの国』は、ある程度の安定を得ていた。

『魔女ウィルス』という危機は悪しき常識と化し、しかし人々はドルミーレが存在したという過去を、なかったことのように振る舞いだした、そんな頃。


 二人は魔法使いとして国の中枢に入り込みつつ、親友を思いながら長い時を過ごしていた。

 ドルミーレの眠りについての手掛かりは何も掴めないまま、しかし時間を無為に費やすことなく、強かに自らを高め、いつか来るであろうその時に備えていた。

 そんな彼女たちの肉体には、凡そ通常の人間ではあり得ない変化が起きていた。


 いや、厳密に言えば変化が起きていなかったのだ。

 ホーリーとイヴニングは、所謂老化を全くしていなかった。

 時間経過、年齢の積み重ねによる肉体の老朽化を、一切感じられないことに気付いたのだ。


 それは容姿だけの話ではなく、身体的な衰えの類も、彼女たちには一切訪れなかった。

 その見た目、佇まいだけを見れば、彼女たちは二十代後半ほどの印象を与える。

 彼女たちが積み重ねてきた精神的な成長もあり、外見的な若々しさに年相応の重みが合わさって、然程違和感を与えるものではまだない。

 しかし確実に、彼女たちの体は若者のそれを保ち続けていた。


 魔法使いとして、皆初代ばかりの当代においては、『魔女』から転じた魔法使いは全て女だ。

 その中には、魔法で自らの容姿を保ったり、身体機能を補強する者は少なくなく、実年齢よりも若々しい外見をしていることは、そこまで珍しいことではなかった。

 しかし二人には関しては、そういった対策を一切講じていないにもかかわらず、より自然にそれを保っていることが問題だった。


 その原因が『魔女ウィルス』にあるということを、二人はすぐに理解した。

 彼女たちは立場上魔法使いの仲間入りを果たし、人間社会に溶け込んでいるが、『魔女ウィルス』の侵食を食い止める秘術を行なっていなかった。

 つまり彼女たちは厳密に言えば魔法使いではなく、ただの『魔女』なのだ。


 何故そうしたのかと言えば、それはもちろん、『魔女ウィルス』がドルミーレの因子であり、それによる変質は彼女に近づくことだからだ。

 二人は、親愛なる友人からの侵食を全面的に受け入れ、その心と身体を委ねることを選んだ。

 そしてその選択が、彼女たちの肉体を特異な状態にすることとなった。


 元来ドルミーレと親交が厚く、そして彼女と心を交わしていた彼女たちは、『魔女ウィルス』の適性が著しく高かった。

 それはつまり、ドルミーレの細胞の侵食がスムーズに運び、かつそれに負けぬ耐久力があり、ドルミーレへと近づく変質を柔軟に許容できる、ということだった。

 故に彼女たちは、感染から二十年近くの時が立ちつつも、普通の魔女のように死に至ることはなく、生き長らえることができた。


『魔女ウィルス』に対する適性が極端に高い二人は、後に『転臨』と呼ばれる存在の昇華を、感染した時点でほぼ果たしていたのだ。

 故に彼女たちは、『魔女』として成立した時点で既に人間を逸脱しており、よりドルミーレに近い『違うモノ』になっていた。

『魔女ウィルス』の侵食率はほぼ百パーセント。人ではない異形の在り方をその身の大半に含んだ二人は、既に人間ではなくなっていた。


 故に彼女たちは、通常の人間のような劣化を経験することなく、むしろ漲る魔力がその肉体を常に高めていた。

 そんな肉体に変質した彼女たちは、親友に近づけたという静かな喜びを覚えながらも、自らの肉体に混じる異様な感覚に気付いた。

 ドルミーレに存在が近づくのはよかったが、それによって変質した肉体に、かつて感じことのある黒々しいおぞましさを覚えたのだ。


 それはドルミーレの黒い感情によるものと、そう捉えることもできた。

 しかしよく突き詰めてみれば、それは確かにドルミーレの感情に通ずるものではあったが、彼女自身とはどこか異なる性質を感じさせた。

 そしてそれが、『混沌』によるものだと気付くのに、そう時間はかからなかった。


 ドルミーレに対する抑止、あるいはドルミーレの反転存在、ジャバウォック。

 あの混沌の魔物から感じた、まさしく『混沌』の恐ろしい気配が、彼女たちの変質した肉体から感じられていたのだ。

 それは恐らく、ドルミーレがあまりにも世界とヒトビトを憎んだことで、彼女の奥底にある裏側の部分が引き出されてしまったから。

 ジャバウォックは飽くまでドルミーレの力の一部。その性質を反転させたもの。

 ドルミーレが闇に沈み込んだ結果、そういったものが滲み出てしまった可能性は、十分にあった。


 その証拠に、二人が自らの魔力を過剰に高めると、肉体が異形に変貌した。

 かつて見た魔物ほど形は崩れないが、しかし人間のその外見に、他の生き物の姿形が反映され、複合的な怪異になる。

 更には、そう成ることで『混沌』のおぞましさがありありと曝け出され、まさしくジャバウォックに直面した時のような、この世と乖離した威圧を振り撒くのだった。


 二人は、自らがドルミーレに近づくことで人間でなくなることは構わなかったが、その状態に『混沌』が混じることにはやはり嫌悪感を抱いた。

『混沌』そのものに対する思いもそうだが、まるでドルミーレがそういったものだったと、そう言われているような気がしたからだ。


 そうして『混沌』の一部を身のうちに宿すようになったことで、二人は彼女の天敵であり仇敵であるジャバウォックに目を向けるようになった。

 ドルミーレを抑止する為、否定し誅殺するために現れたあの混沌の魔物に、何か手掛かりがあるのではと考えたのだ。


 約二十年前に世界を脅かしたジャバウォックは、未だにその爪痕を残していた。

 見てくれは大分平穏を取り戻している世界だが、その在り方や構造には未だ隠しきれない歪みを抱えている。

 それは、ジャバウォックそのものを知り、そしてドルミーレから派生した魔法を持つ者には、よく感じられる事実だった。


 中でもドルミーレと最も近く、そして高い魔法の実力を持つ二人は、それをより感じ取っていた。

 故に、そうして未だに残るジャバウォックの残滓から、深い眠りについたドルミーレの手掛かりを得られるのでは、と考えるようになった。


 以降彼女たちは、魔法使いとしての表の立場を保ちながら、裏ではジャバウォックに対する調査をするようになった。

 時には世界中のあらゆる場所に赴き、時には自らのおぞましい部分に目を向けて。

 その中で二人は、改めてジャバウォックの危険性、そして醜さを認識していった。

 知れば知るほど、深めれば深めるほど、それがドルミーレにとっていかに受け入れ難いものなのかを理解していく。

 そしてその混濁とした在り方が、世界に対してどれだけの脅威になるのかということを。


 いつしかその調査は、ジャバウォックの再誕を防ぐ意味合いを持つようになっていった。

 混沌の因子が残っている以上、同じくドルミーレの因子が残っているこの世界に、再びあれが現れないとは言い切れないからだ。

 いつの日かドルミーレが目覚めた時、またあの魔物が姿を見せるということは、もうあってはいけない。


 そうやって彼女たちは、常にドルミーレに通ずるものを追いかけながら、いつの日かの再会を目指し続けた。

 長い、長過ぎる年月の中を。




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