109 ドルミーレの夢

 そして、ドルミーレの死後から二千年ほどが経たった頃、ようやく事態が動き出した。

 生きる屍の如き枯れ果てた精神で、吹けば飛んでしまいそうな曖昧な心を、最後の一欠片で生き繋いでいた二人。

 無限とも言える時の中で、掠れ切った精神と燃え尽きかけた心で、それでも諦めずに歩みを止めなかった。

 そうして彼女たちはようやく、手掛かりと呼べるものを見つけたのだ。


 それは、世界の外側にあった。この世界をどんなに探索しても、どんなに見渡しても、見つかるはずがなかったのだ。

 長い年月の中でも残り続けていた、ジャバウォックが残した僅かな世界の歪み。

 常に揺らぎ変動しているそれを調べていた時、ホーリーがその先に感じるものを見つけた。


 その歪みは僅かに世界の外側の一部を晒しており、ほんの一瞬だけ、その先にあるものを観測することができたのだ。

 そしてその奇跡のような一瞬で、ホーリーはそこにドルミーレの心の気配を察知した。

 それを感じた瞬間、ホーリーの心に二千年ぶりに光がさしたのだった。


 それからホーリーは、顔を浮かべるのも千年ぶりであるイヴニングを呼び寄せ、共にその世界の外側を調べた。

 その結果二人はそこに、この世界とは異なる法則で成り立っている、『もう一つの世界』を見つけたのだった。

 そしてそれが、ドルミーレの力によって形成されているものだということを理解した。


 それは、世界の奥底で深い眠りについていたドルミーレが、夢を見ることで創り出した世界だった。

 彼女たちの世界と似通いつつも、しかし全く違う常識で成り立ち、独自の発展を遂げている世界が、そこに出来上がっていたのだ。

 何もないところでゼロから創り出され、そして夢でありながら現実に存在するものとして、形あるものとして成り立っていた。


 そして、そのドルミーレの力が感じられる世界の中で、とても小さく純粋な心の気配が感じられた。

 ドルミーレととても似通った、しかし全く違う、とても無垢な心がそこにはあった。

 そしてその心の中、その奥底、更に深奥に、ドルミーレの心そのものを見つけたのだった。

 その時二人は悟った。この無垢な心は、ドルミーレが深い眠りの中で見ている夢なのだと。


 この世界を恨み、忌み嫌ったドルミーレ。

 そんな彼女が深い眠りについたことで、その夢が新しい世界を形作った。

 そして彼女はその夢の世界の中で、新しい彼女自身を夢想し、新しい生命として生み出していたのだった。


 彼女自身であり、しかし彼女とは違う、連なりつつも全く別個体である、『新しい心』を。

 それは夢だから成立する、自分であり自分ではない存在。

 誰しもが眠りの中で生み出すであろうものを、彼女はその強大な力で形にしていたのだった。


 それを知った瞬間、二人はかつての清らかな感情を取り戻した。

 まるで二千年前に戻ったかのように、その精神に潤いを取り戻したのだ。

 それも当然だ。長らく探していたドルミーレの痕跡と、そして彼女の望みをやっと見つけることができたのだから。


 そのもう一つの世界こそが、そしてそこに芽生えつつある『新しい心』こそが、ドルミーレの望みであると二人は確信した。

 それがわかったのならば、二人がやることはもう決まっている。

 ドルミーレが新しく創り出したその世界と命を、その側で守り続けることだ。

 それこそがドルミーレを、元の世界とそこのヒトビトから保護することになるのだから。


 そう思う中であわよくば、身近にい続けることで、ドルミーレが再び自分たちといたいと思うようになってほしいと、そんな願いが胸に宿った。

 新しい世界で彼女が彼女自身を取り戻すもよし。そうして癒えた心でこちらの世界に戻ってくるもよし。

 いずれにしても、二人は今度こそドルミーレを安らかに過ごさせると、そう心に誓った。


 それから二人はもう一つの世界に渡り、新しく生まれた心の側で、彼女を守り続けることにした。

 しかし初めておこなった異なる世界への移動は、二つの世界の隔たりを歪めてしまい、結果として一部の魔法使いにもう一つの世界の存在を露見させてしまった。


 しかしドルミーレが創り出した世界には、神秘と呼べるものが全くなく、幸い魔法使いたちは全く興味をなかった。

 生まれたばかりの心はとても無垢で、ドルミーレと心を繋げている二人以外には、とても彼女の気配を感じ取らせることはなかったのだ。

 結果として、多くの者たちにとってそのもう一つの世界は、特に意味のないものとなった。


 しかしそれでも細心の注意を払う必要はあり、その為に二人は、元の世界を完全に手放すわけにはいかなくなった。

 故に二人は『まほうつかいの国』での立場を保ちつつ、二つの世界を股にかけることを選んだ。

 その中で、心情が柔軟なホーリーが主に『新しい心』の側にいることになり、聡明で冷静なイヴニングが主に元の世界の様子を窺うことにと、役割を分けるようになった。


 そしてホーリーは、『新しい心』に最も近い立場を得る為に、その母親の役割を担うことにした。

 生まれたばかりの無垢な心は赤子そのもので、それを身近で育み守る存在が必要だと考えたからだ。

 夢の世界の中に湧くようにして生まれた『新しい心』は、寄る辺がなかった為、それはとてもスムーズに柔軟に作用する。

 イヴニングと二人で丁寧に世界に干渉する魔法を使い、ホーリーと『新しい心』は自然に社会に溶け込んだ。


 その行為、その為の魔法の行使が、もう一つの世界に『魔女ウィルス』を伝播させることなったのは皮肉なこと。

 しかしそれよりも二人にとっては、ドルミーレと『新しい心』の側に寄り添うことの方が重要だった。


 そうして明確な立場を与えたことで、『新しい心』は実在的な形を得、人間の赤子として生誕した。

 飽くまで現実として成立している世界の中では異質な誕生だったが、それはまさしくドルミーレの夢からいずるものと言えた。


 そのようにして生まれた赤子に、ホーリーとイヴニングは新しい名前を与えた。

 ドルミーレでありドルミーレではない、新しいその命に。彼女とは区別しつつも、名残を思わせる名前を。

 彼女が幼少の時名乗っていた、『アイリス』という名に語感が近しい、『アリス』という名前を。


 新しい命に、『新しい心』に新しい人生を。

 そしてその果てにいつの日か、自分たちとの日々を望んでくれることを願って。

 いつか真の意味でドルミーレが目覚める時まで、彼女の夢を見守ることを二人は決意した。


 これから何があろうとも、ドルミーレを守り続ける。

 この『新しい心』を守ることは、それに繋がること。

 ホーリーとイヴニングはそう信じ、新しい人生を歩むことを決めたのだ。


 ただ一重に、親友を愛するが故に。




 ────────────

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る