95 地獄のような日々
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ジャバウォックが現れた日、ドルミーレが立ち去った後、ホーリーとイヴニングはファウストの計らいで、ひっそりと故郷に送り届けられた。
幸か不幸か、ジャバウォックとドルミーレによって王都も城も大混乱に陥っており、彼女たちのことを気に留める者は誰もいなかった。
しかしあのまま留まっていれば、魔女の知り合いという立場を責められ、拘束され尋問されていたであろうことは、想像に難くない。
ファウスト自身、傷心と混乱に埋め尽くされていたはずだが、その中でもドルミーレの友人に対する気配りを欠かさないあたり、彼の本質を窺わせる。
画して、ホーリーとイヴニングはまたしてもドルミーレを失ってしまった。
その絶望を拭ってやることはできず、そしてそんな彼女の後を追いかけることもできず。
二人は傷つき去っていく彼女を見送ることしかできず、再び取り残されたのだった。
しかも今回に関しては、彼女たちの態度、反応が原因といっても間違いではない。
ドルミーレに対する驚愕、そして反射的な恐怖が、彼女を深く傷つけてしまったのだから。
しかしそれは、決して誰にも責められることではない。何故なら彼女たちは、ただの人間なのだから。
混沌の魔物ジャバウォック────ドルミーレがそうと定義した怪物は、彼女の感じた通り、ドルミーレを抑止するための対照存在。抑止の獣。
それ故に、ドルミーレは激しい不快感と嫌悪感、そして本能的な拒絶を感じさせる存在として成り立っていた。
そしてジャバウォックが抱く『混沌』という性質もまた、世界の法則に則っている生命としては、吐き気を催す
しかし、ドルミーレが感じたものはそこまでであり、彼女はジャバウォックが与える恐怖の本質を感じ取っていなかった。
それは一重に、ジャバウォックが彼女の力の一部から生じているものであり、対照でありつつも凡そ対等な存在だからだった。
だからドルミーレは、普通の人間が、普通のヒトが感じる恐怖を感じ取ることができなかった。
ジャバウォックは、ドルミーレと同等の強大な力と、その煩雑とした混沌の性質を持つことで、とてもこの世のものとは思えない存在感を持っていた。
それは規模だけの話ではなく、存在としての規格や概念そのものが、この世のものと相入れない形をしている。
異なる次元の存在、住む世界が違う存在、決して交わることのない理外の存在。
それに普通のちぽっけなヒトが相対せば、精神を削られるような恐怖を覚えるだろう。
自らの常識では測りきれない、そもそも測り方がわからない、正体不明に対する恐怖。
想像しうる恐怖は、そのリスクを測れる分対応のしようがある。しかし想像の及ばない恐怖は、思考を溶かして心を砕き、魂を震わせる。
ヒトの手では到底届かない遥か彼方の存在は、ある種神に感じるような神々しさと、しかし畏怖を抱かせる。
あの場にいた全てのヒトビトは、そういった恐怖に支配されていた。
そんな理外の怪物を、ドルミーレは圧倒し、なぎ倒した。
未知の存在を超える力をまとい、彼女は未知を未知で上書きした。
それがいくら救済のためとはいえ、しかしその内部を理解できる者は誰一人いなかった状況下。
その場面に出会したヒトが捉えられるのは、怪物を圧倒した怪物がいるという、そんな漠然とした事実だけ。
それはあまりにも仕方のないことだった。
そしてそれは、ドルミーレのことをよく知る者たちも例外ではない。
寧ろ彼女をよく知るからこそ、彼女が発揮した尋常ではない力に、驚き戸惑っただろう。
その状況では、驚愕と恐怖を感じない方が無理な話なのだ。
どんなに彼女を信頼し、愛していたとしても、その反応を避けられる者は誰一人として存在しないのだから。
しかしそれでも、その反応によってドルミーレが深く傷ついてしまったのは事実だった。
元々他人との関わりが乏しい彼女にとって、数少ない信頼を置く者たちからの反応は、心を砕くのに十分だった。
それがよくわかっているからこそ、ホーリーとイヴニングは深い罪悪感を覚えていた。
あの日を境に、人間は明確にドルミーレを敵と見做した。
彼女が西に自らの領域を作り閉じこもっていることを知ると、絶え間なく討伐隊を送り続けた。
ジャバウォックの襲来によって、王都をはじめ国の至る所が大きな被害を受けていたが、それでも人間は魔女を討ち果たすことに躍起になった。
大きな被害を受け、そして大きな恐怖を皆で共有したことで、共通の強大な敵に全ての怒りと憎しみを向けているのだ。
ファウストは、魔女と通じていた責を問われて幽閉されたと、ホーリーとイブニングの耳に入っていた。
それによって二人は、ドルミーレに対する抗議を国に向ける手段もなく、魔女憎しの気持ちを膨れ上がらせるヒトビトを、ただ指を咥えて見ていることしかできなかった。
話が広まり、そして時間が経っていくについれて、あらゆる被害の原因がドルミーレのものになっていく。
ジャバウォックが巻き起こした被害も、その他の魔物が及ぼしてたことも、そしてそのうちあらゆる不幸や不運まで、悪しき魔女のせいにされるようになって。
ドルミーレという魔女は、あっという間に人類の敵として扱われるようになった。
ホーリーもイヴニングも、ドルミーレを嫌う感情は全く抱いていなかった。
その強大な力と存在感に、反射的な恐怖を抱いてしまったけれど、それで彼女に対する親愛が損なわれることはなかった。
寧ろ、深く傷付いたドルミーレを案じ、この状況下に晒されている彼女を心の底から心配していた。
しかし、自分たちには彼女のもとを訪れる資格がないという気持ちが、二人の足を止めてしまっていた。
ドルミーレを追い詰めてしまったのは、自分たちの責任だと、そう思ったから。
ドルミーレを思えば思うほど、彼女の元に訪れる勇気が削がれていってしまう二人。
そして時が経つにつれて、魔女を憎む動きが熱を増し、活発になっていくヒトビト。
そんな地獄のような日々は、約一ヶ月ほど続いた。
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