75 身の振り方
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「あ、イヴだ! おーい!」
日が暮れはじめ、仕事を切り上げたイブニングが町を歩いると、聞き慣れた声が彼女を呼び止めた。
声がした方に顔を向けるまでもなく、それが幼馴染のホーリーであると理解したイヴニングは、歩みを止めることなく手を振り上げて呼びかけに応えた。
夕刻で、町の人々は帰路に着く者が多い。
魔物の出現があった約半年前のあの時より人の数は少なくなってしまったが、この時刻の人通りは多めだ。
未だ町には損壊の跡が爪痕として残っており、オレンジ色の光も相まって、やや哀愁が漂っている。
そんな中で、ホーリーの明るい声はやや浮いていた。
それは活気の源となりうるが、しかし同時に些か空気を破る声色でもある。
実際、彼女の溌剌な様子に表情を歪める町民たちも少なくはない。
しかしそれは、イヴニングの存在に対しても同様のことだった。
幼少の頃から手の掛かる子供として扱われてきた二人だったが、しかしそんな彼女たちも今や立派な大人だ。
そんな彼女たちが、二度にわたって町に災いを連れてきたのだから、疎まれても仕方はない。
二人が直接的に何かをしでかしたわけではないから、誰も彼女たちを厳重に捌くことはせず、そしてできないが、しかし個々の感情はそれでは収まらないものだ。
それでもまだ、子供の頃の過ちは辛うじて許されてきた二人。
しかし半年前の一件を境に、二人に対する風当たりは強くなっていた。
職を失わず、そして町を追い出されずに済んでいることがせめてもの救いで、誰も彼女たちに好意的な眼差しを向ける者はいない。
町役場で働いているイヴニングは、その聡明な頭脳を持って復興に従事し、町に全力で尽くしている。
それが功を奏し町民としては認められているが、しかし一個人としてはやはり厄介者扱いの色が強い。
主に家業を手伝っているホーリーも、二年間の旅で得た知識や、手に入れてきた物資を惜しみなく提供、共有することで周りの人間からは重宝されている。
しかしそれも実益的な部分のみで、やはり必要以上に関わろうとする者はいない。
それでも二人は、自分たちの境遇を嘆くことは決してしなかった。
何故ならそれは、自分たちよりも遥かに辛い目に合っている友人を知っているからだ。
それに、自分は一人ではないことを知っている。強く信頼し合った友人たちと共に過ごせれば、他に必要なものなどないと、彼女たちはそう考えていた。
「おつかれーイヴ。今から帰りー?」
そんな中でもその陽気さを損なわないホーリーが、イヴニング目掛けて突進するように飛びついた。
同時に腕に自らの腕を巻き付け、空かさず密着して放さない。
イヴニングはそんな子供のような登場に溜息をつきながらも、薄く笑みを浮かべた。
「お疲れ様、ホーリー。君もどこかの帰りかい?」
「うん、ちょっと届け物のお使いを終わらせたとこ。だからもう帰るところだよ」
「ならちょうどいい。これからドルミーレのところに顔を出さないかい?」
「いいね、行こっか!────あっと、ダメダメ。今日はファウストとお出掛けするって、この間言ってたから」
乗り気になって声を上げかけ、慌てて首を振るホーリー。
それを聞いてイヴニングもしまったと顔をしかめ、そしてすぐに苦笑する。
「ドルミーレがデートか。まさか、そんな日が来るなんてねぇ」
「素敵だよねぇ。ちょっと憧れちゃうなぁ〜」
「ホーリーはいい話ないのかい?」
「それ、わかって言ってるでしょ!? 怒るよー!」
「あーごめんごめん」
ムッとして抱きしめる腕に力を入れたホーリーに、イヴニングはヘラヘラと笑いながらも慌てて謝った。
お互い冗談でのやり取りではあるが、しかし正直あまり笑い話にはならない部分もある。
凡そ町の娘は成人前に嫁ぐことが多く、十六歳ともなれば婚約の話が上がってもおかしくない。
しかし既に二十歳を越えている彼女たちの元に、そういった話が舞い込んできたことは一度もないのだ。
二人とも外見は良い方だが、問題はそこではなく、昔からの風評が主だ。
若い頃は悪ガキとしての評判、そして最近の厄介者の扱いが加われば、誰も彼女たちをそういう目では見ない。
もちろん、ホーリーの奔放すぎる自由な振る舞いや、イヴニングの内向的で飄々した掴み所のない性格も影響しているだろう。
二十歳を越えたくらいではまだまだ気にするような時期ではいが、そういったことを鑑みると、二人としてはこの先にもその手の話題はあまり期待できないのだった。
「ま、いいけどねー私は。別に気になる人がいるわけでもないしさ。無理に縁談持ち込まれたりする方がめんどくさいしー」
「それは確かに同感だ。それを考えれば、何もない今はだいぶ楽だね」
「イヴのはちょっと毛色が違うでしょ」
フンとふて腐れたフリをしながら、実際大して気にしていない様子でそう口にするホーリー。
それにうんうんと同意するイヴニングを、彼女はジトッとした目で嗜めた。
「イヴは単純に、元からそういうのに興味がないだけじゃん。ドルミーレより、よっぽどイヴの方が恋愛とか想像できないよ」
「いや、まぁ、全く興味がないわけでもないけど……特別興味があるわけでもないかな」
「でしょー」
ホーリーの視線を交わしながら、適当にいなすイヴニング。
彼女はそもそも一人で読書をするのが好きなインドア派だけあって、あまりまどろこっしいことは好まない。
恋に焦がれたり駆け引きをするよりは、未知に思いを馳せ思考を巡らせている方が何倍も充実感を得られる人間だ。
それに比べれば、ホーリーは人並みに恋に興味がある女性だ。
しかしそんな彼女が積極的に心を惹かれないのは、きっと、もっと刺激的なものを既に知ってしまっているから。
それはイヴニングも恐らく同じ。彼女たちは、ドルミーレと過ごしている時間に何よりも充足感を覚えている。
だから、それ以外のものを積極的に求める意欲が今はまだないのだ。
それにまだ、そういったものに焦りを感じない年頃、ということもあるのだろう。
今は二人とも目の前にあるものに夢中なのだ。
「ただまぁ、そろそろ私も変わらなきゃなぁって、最近思うんだよ」
ポツリと、イヴニングは進む道の先を眺めがら言った。
その言葉に、腕にしがみ付いていたホーリーがビクンと跳ねる。
「え、まさかイヴ、気になる人ができたとか……!?」
「違うよ。何でもそういう話にしない」
「だって、そういう話の流れだったからー」
慌てるホーリーを嗜めて、イヴニングはやれやれと肩を竦めた。
「ドルミーレには、ファウストという良き理解者が現れて、彼女も少しずつ変わり始めてる。私たちも、変わらないといけないと思うんだ」
「どういうこと……?」
「いつまでもこんな片田舎の町で三人仲良くしていれば満足だなんて、そんなのはどうかって話さ」
イヴニングは少し迷いを含みながらも、皮肉めいた口調で言った。
そんな言葉に、ホーリーは思わず彼女の腕を強く抱きしめる。
「もう、仲良くするのはやめようってこと……? ドルミーレが、私たち以外の人と仲良くするようになちゃったから?」
「違う、そんなんじゃないよ。彼女がファウストと仲を深めることは純粋に嬉しい。それに彼が現れたって、私たちの仲は変わりないじゃないか。別に、そういうことじゃないんだ」
腕から伝わってくるホーリーの不安に、イヴニングはそっと首を横に振った。
それだけはあり得ないと。自分たちの仲は、友情は決して変わらないのだと。
「でも、ドルミーレの支えになるものが、私たちだけじゃなくなったのは確かだ。そしてそれをきっかけに、彼女は新しい道に踏み出そうとしている。だから私も同じように、新しい一歩を歩みたいと思うんだ。これからも胸を張って、彼女の友だと言えるように」
わからないというように首を傾げるホーリーに、イヴニングはゆったりと微笑んで、言った。
「ホーリー、私はね、そう遠くないうちにこの町を出ようかなって思っているんだよ」
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