38 幻想を統べる者

 生きていく上で親和は欠かせない。

 種族が違い立場が違いなにが違っても、この世で生きていく限り、他者との関わりは避けられない。

 海王の言葉は理解できたけれど、今の私にはそれを飲み込むことはできなかった。

 そんな私を見て、海王は小さく唸った。


「大分話が逸れてしまったな」


 そう端的に述べて、海王は視線に鋭さを持たせた。

 それは神秘を深め、多くを束ねる王の姿勢だ。


「自身が何のために存在しているのか。世界が何故お前という存在を生んだのか、それを知りたいのだな」

「……ええ」

「凡そ予想をしていると思うが、私もお前に明確な答えを提供することはできない。世界の意思は、世界のみぞ知ることだ」


 彼の言う通りその答えは予想通りで、私は特に落胆しなかった。

 そんな私を伺い見ながら、海王は厳かな言葉を続ける。


「────しかし当たりをつけることはできる。ドルミーレ、世界に望まれた子よ。お前は恐らく、幻想を統べるために生まれたのだ」

「幻想を、統べる……?」


 ハッキリと口にした海王の言葉を、私は思わず反復した。

 聞き慣れない言葉だと思ったけれど、しかしすぐに以前に耳にしたことを思い出す。

 あれは確か『どうぶつの国』。長老の一人がその言葉を口にしていた。

 ────真実は幻想の中にある、と。


「幻想とは、つまるところ神秘のことだ」


 私が疑問を口にするまでもなく、海王はすぐにそう付け加えた。


「神秘とは本来ヒトの手に余るもの。夢想と空想の産物であった。夢幻ゆめまぼろしの一端を我らヒトは獲得したわけだが、しかしてそれが幻想であることには変わりない」

「神秘よりも更に大枠の概念ということね。人智を超えた、本来現実の外にある現象。それを総じて、幻想と」

「そうだ。我らが持つ力は泡沫の夢の一端の、更にそのカケラに過ぎない。ドルミーレ、お前の力を除いてはな」


 海王は白い玉座に深く座り直して、私にまじまじと視線を向けてきた。

 その瞳は深海のように奥深く、際限なく青々としている。


「最後にして最大の神秘。七番目の神秘を持つお前の力は、世界の深部に繋がっているのだろう。深く広く、この世界と同調しているのだろう。それは、その他六の神秘を遥かに上回るものだ」

「どうして、そこまで知っているの……? それも、親和の神秘の力?」

「そうだ。親和による協調を得意とする我々は、他よりも少しだけ世界の意思が聞こえるのだ」


 各々の神秘を極めたヒトたちは、世界に通じその意思を汲むことができていた。

 しかし海王はその中でも、際立ってその思惑を感じ取っている。

 私の力とその在り方を、私から聞き出すことなく彼は理解していた。

 星のほとんどを埋め尽くす大海を統べる王は、圧倒的な共感性を持っているようだった。


「我々の全ての神秘を凌駕するお前の神秘は、あらゆる幻想に通ずるだろう。それはつまり、夢とうつつを取り払う力。即ち、世界を変える力だ」

「世界は、自らを変える力を私に与えたと……?」

「そうだ。世界は己が趨勢すうせいをヒトの手に委ねたのだ。神秘に足を踏み入れたヒトが幻想の全てを手にした時の、その行末を見たいのであろう」

「………………?」


 私の力が世界そのものを変えてしまう可能性があることは、もちろんわかっていた。

 日に日に大きくなるこの力は、際限なく世界の隅々まで浸透していっている。

 私自身とそしてこの力が、世界に同調していく感覚は確かにあった。


 けれど、それを促した世界の意志がわからない。

 わざわざ私のような存在を生み出して、何故ヒトにそれだけの力を与える必要があったのか。

 世界は、一体私に何を求めているのだろう。


「私は、この力を持って世界を変革すべき、ということ?」

「それは私には答えられぬ。だがそれを可能とする力であることは事実だ。しかしこうしてお前がヒトの形を得て存在した以上、お前は自らの意思で生きていけば良い」

「私は、世界に与えられた役割を果たさなければならないのではないの? 世界が変革を望んでいるのなら、私は何かしらを……」

「確かに神秘には役割がある。世界を支え、繁栄させる力こそが我らに与えられた神秘だ。しかし、それは個人の命運を握るものではない。お前が力に縛られる必要はないのだ」


 海王の声色はやや柔らかくなり、その覇気も緩んだ。

 大柄な体格でそっと私を見下ろし、泡ぶくの溜息を溢す。


「お前には幻想を制する力があり、ヒトの手で幻想を統べるために生み出されたのだろう。しかしこうして生を受けた以上、お前には生きる自由があるのだ。せねばならぬことなどない。お前は自らの意思と夢のもと、思うままに生きればいいのだ」

「そんなことを、言われても……」


 理由と意味を追い求めてきた私にとって、自由という言葉はとても不安定なものに思えた。

 何を元に、何の為に生まれたものだとしても、自分の思うがままにすれば良い。

 そう言われても、私は何かを自分の意思で求めたことなんて一度も……。


「考えたことなんてなかった。自分が、何をしたいかなんて……」


 生まれてこの方、ただ生きることしか考えていなかった。

 それにも特に理由はなく、ただ生まれていたから生き続けていただけ。

 楽しみや喜びを感じたこともあるけれど、それを自ら求めたことはなかった。


 そんな私が、自分の意思で思うように生きるとしたら。

 そうしたら私は、一体何を求めるんだろう。


「……神秘を得た我ら六つの種族は、世界を支え繁栄させながら、常に高みを目指してきた。更に尊き神秘を目指し、深き世界の真理に手を伸ばしてきたのだ。世界に影響を及ぼすお前の力は、その真理に通じている。お前もその最果てを目指したいというのなら、それもまたいいだろう。しかしそれも、お前が望まぬのなら気にせずとも良いものだ」

「世界の真理……それを手にした先には、一体何が……?」

「真理へと到達すれば、全智を得るという。即ち、世界を紐解くことができるということ。知性を持つ我らヒトの、探究心の最果てだ」


 私が自分の意味を知りたいと思うように、知性を持つヒトは物事の答えを欲するもの。

 その究極が世界の解明で、それが世界の真理を得るということなんだろう。

 世界に干渉し、力を同調させる私の力は、その世界の真理に繋がっている。

 夢とうつつの壁を乗り越え、世界の有り様を変えることのできる私は、一番世界の真相に近いということ。


「だからこそ、我らはお前の誕生を心待ちにしていたのだ。長らくの空席に、大いなる力を持つものが座すことを。お前がヒトを高みへと誘なうと信じてな」

「だから力あるヒトたちは、みんな私を知っていたのね。でもそれならば、私がそれに興味がないと言ったら困るんじゃない?」

「そうでもない。お前が存在し、お前の力が現存するというだけで、この世界に満ちる神秘の深みは変わっている。標としては十二分だ」

「……そう。なら、いいのだけれど」


 私が生きているだけで指針になるというのは、なんだかむず痒い感覚だった。

 けれど何かを強要されるようではないのは安心した。

 思えば旅の中で出会ったどの人たちも、邂逅を喜びはすれど、私に何かを求めることはなかった。

 彼らは皆、自分の生き方を始めから決めているのかもしれない。


「全てお前次第だ。好きに生きるがいい。しかし、お前が己を探求し、突き詰めていくのならば、気をつけることだ」

「…………?」

「世界の子、ドルミーレよ。世界と同調し、その真理に通ずる幻想の覇者よ。お前が自身の在り方を問い続け、己を高めてゆけば、お前は世界に多大なる影響を及ぼす存在となるだろう」


 ゆっくりと、しかし確かな重みを持って、海王は言った。


「お前が道を誤れば、世界もまたそれに続く。お前が世界を憎めば、世界もお前を憎むだろう」

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