37 海王と親和

「よく来た。私が海王である」


 謁見の間で私を出迎えたのは、大柄の男性の人魚だった。

 水中に揺蕩う白い長髪と、それと同じく白い長髭。

 老齢であろうことはその相貌に刻まれた深いシワから窺えるけれど、体格は老いを感じさせない隆々としたもの。

 感じられる覇気もまた、歳を重ねた重みと威厳を兼ね備えている。


 内部もまた煌く石でできた宮殿の中で、海王と名乗ったその人魚は、白い玉座に腰掛けていた。

 私を見るなり眉間にシワを寄せて体を強張らせたけれど、敵意や警戒心の類は感じられない。

 恐らくは、私から感じられる神秘の大きさに驚いたんだろう。


「最後の神秘を持って生まれた少女よ。お前がこうして我が元へ訪れたこと、喜ばしく思う」

「あら、どうして?」


 厳しい老人然とした表情の中に僅かな柔らかさを見せながら、海王は穏やかな声色で言った。

 まるで孫の来訪を心待ちにしていた祖父のように、その語り口はどこか親しげだ。

 その意図が理解できずに尋ねると、海王は目を細めた。


「長らく形をなさなかった第七の神秘。最後の席を埋める者に、ずっと会いたいと思っていたのだ」

「そう。私はご期待に添えたのかしら」

「予想を超えた神秘の奥深さに、度肝を抜かれているところだ」


 海王はそう言いつつも表情を変えはしない。

 驚いているのであればもっとそれらしくすればいいものを。

 まぁ、私にはそんなことはどうだっていいのだけれど。


「私は自分を知るための旅をしてるの。私が生まれた意味、この力を持つ意味を知るために」


 相手の様子を気にせず口を開いた私に、海王はふむふむと頷いた。


「その様子であれば、糸口は掴めてきているのではないか?」

「そうね、当初よりは大分。私は世界そのものが望んだことで生まれ、そして私の神秘は世界に干渉する力。それを自覚することで、私は大きな力を持つようになってきた」

「しかしそれだけでは、お前の求める答えにならないと?」

「私が知りたいのは、結局私は何なのかということなの」


 白い髭を撫でつけながら耳を傾ける海王に、私はハッキリと告げた。

 私のルーツや、力の形が見えてきたことは確かに収穫だけれど、でもそれだけでは意味がない。

 結局私は何のために、こんな異端な形で生を受けたのか。どうしてあの森にいたのか。

 私が知りたいのはそれなんだ。


「私は『にんげんの国』の中で人間の形をして生まれた。けれど蓋を開けてみれば全くの別物で、私は何物でもなかった。私は、そんな自分が何なのかを知りたいの」

「そうか、ドルミーレよ。お前は、許しが欲しいのだな」

「え……?」


 黙々と私の言葉を聞いていた海王は、そう言って大きく頷いた。

 予想だにしていなかった言葉に私が戸惑っていると、海王はそのまま言葉を続けた。


「自分が生まれた意味、存在する理由。それを求めるのは、自分がこの世界で生きる許しを、他人から得たいからだろう」

「そんなことはないわ。他人なんてどうでもいいもの。誰に認めてもらう必要もないわ」

「ならば何故そこまで自らを何かに定めたがる。他者を意に介さないのであれば、自己の定義など必要ない。それでもお前は、自らの在り方を問い続けている。それは、自身の存在を認めて欲しいからに他ならない」

「………………」


 海王から浴びせられる全く予想外の言葉に、私は言葉を失った。

 そんな風に考えたことは一度もなかったけれど、そう言葉にされると何故か胸が痛んだ。

 私は、誰かに認められたかった? 生きていていいと。存在していいと。許して欲しかった……?

 いや、でもそれは────。


「…………いいえ。私は、その為に求めているわけじゃ、ない。私はもう、とうの昔に他人には失望している。利己的で排他的なヒトビトに、関わりたいとなんて思わない。私は、一人で生きていくの」

「いいや、それはできないぞドルミーレ。ヒトは、いやあらゆる生命は、決して一人では生きていけない」


 頭を振り、あの時の絶望を思い出しなが言葉を紡ぐ。

 しかし海王はそれをあっさりと否定した。

 そのあまりの断定ぶりに、私は思わず噛み付いた。


「そんなことはないわ。私は生まれた時からずっと一人だった。一人で生きて、一人で何でもできた。世界を巡る旅だって、私はずっと一人だったんだから。私に他人なんて、必要ない……!」

「しかし、現にお前は今ここにる。未知を求め、他人の知恵を頼りに。その道中でも、様々な者がお前を導き、助けたのではないか?」

「それは……でも、必ずしも私がそれを望んだわけでは……」

「そうだろう。お前は望んでいなかったのかもしれん。しかしこの世に生きる限り、誰とも関わらないことなどできない。どこかで必ず、手を取り合うのだ。それが不本意であってもな」

「…………!」


 諭すような海王の言葉に、私は思わず息を飲んだ。


 私はずっと一人生きてきた。ずっとそう思ってきた。

 親無くして生まれた私は、森の中で一人で誕生し、長らく一人の日々を過ごしてきた。

 神秘の力があれば何に不自由することもなかったし、寂しさを覚えたことなんてなかった。


 けれど、本当に自分だけの力で生きていきたかと言えば、確かに違う。

 動物たちのお節介があったり、ミス・フラワーとたまに話したり、厳密には一人ではなかった。

 それがなくても決して困りはしなかったけれど、でも確かに私の今までに全く助力がなかったわけでもない。


 この旅の中でだって、道中の動物たちのお節介や、各国での住人たちの手があった。

『ようせいの国』で出会ったレイという妖精が、時より顔を見せに現れることもある。

 彼らの助力が全くなくとも、私はきっと何も困らなかった。

 けれどこの世界で生き、巡る以上、全く関わらずにいることなんて不可能だったんだ。


「ドルミーレよ、それは恥じることではない。生きとし生けるもの、例外なくそういうものだ。皆他者との関わりをもって己を定義する。良い関係も悪い関係も、同じ意味を持つのだ。お前は他者を嫌うようだが、その他者がなければお前はお前足り得ない」

「………………」


 ただ生きているだけだった私を明確にヒトにしたのは、ホーリーとイヴニングに出会ったから。

 そして、自らが人間ではない別の何かであると、そう気付いたのは人間に否定されたからだ。

 それを思えば確かに、私が個として存在しているのは、他人の存在があったからだった。


「……どうしてあなたは、それがわかったの。私でも認識していなかった、私が答えを求める意味を」

「我ら人魚の神秘は親和だ。この大海を巡って多くの命が結びつき、循環している。共存と共栄を重んじる我らは、目の前の少女が何を望んでいるのかなど、手に取るようにわかる」

「心を見透かしていると……?」


 咄嗟に浮かんだ不快感をそのまま言葉にすると、海王は静かに首を横に振った。


「そんなものではない。見ていればわかる。気にすればわかる。我らの神秘は、それを促進させているに過ぎない。共にあるものを察し、手を取り合う。生きるとは、そういうことだ」

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