11 初めての外界

 翌日の昼下がり、私はホーリーたちと森の外で待ち合わせをした。

 森から出たことはなかったけれど、でも中は知り尽くしていたから、彼女たちがいつも北側から来ることは知っていたし、合流に際して問題はなかった。


 けれどやっぱりというか、森から足を踏み出すことに少しばかり不安のようなものはあって。

 けれど私が躊躇う暇もなく、ホーリーとイヴニングに手を引かれて、私は初めて外界に足を踏み入れた。


 いつも訪れる二人を受け入れるだけだった私が、自分の足でどこかへ赴く。

 森の中を歩き回るのとさして変わらないようで、でもどこか不思議な感覚が胸を埋め尽くした。

 風が一直線に通り抜ける、開放感に満ち溢れた草原。覆いかぶさるものがない、青く広く伸びる空。

 それらだけでも、私はどこか違う世界にやってきたのような気分になった。


 森は広いとはいえ、似たような景色が続く閉塞的な空間ではあった。

 それに比べれば、その外に広がるものの雄大さたるや。

 無限に広がっているかのようなこの開放感は、いつの間にか得ていた知識だけでは絶対に味わうことはできなかった。


 世界は広く、多彩である。

 私はそれを、森から出てようやく実感した。

 もちろんこれはあまりにも一端で、全貌の欠片でもないことは重々承知だけれど。

 それでも、外の世界に出ることの意味を、私はきちんと理解した。


「世界は、美しいのね」


 草原を歩きながらポツリとこぼすと、二人は目を丸くして私の顔を見た。

 特に変わったことを言ったつもりはないのに、心底驚いたような視線が突き刺さる。

 少し不快だった。


「おおげさだなぁアイリスは。何にもない草原だよ? これで驚いてちゃ、町でひっくり返っちゃうよ」

「なら撤回するわ」

「あ、ちがう! そういう意味じゃないよ! わたし、アイリスがそうやって興味を持ってくれてうれしいよ……!」


 私が眉を寄せて即座に切り返すと、ホーリーは慌てて首を振った。

 その動揺ぶりに満足した私が表情を戻すと、ホーリーは安心したようにホッと息を吐く。


 森の中の静謐とした美しさしか知らなかった私には、太陽の強い日差し受けた草原の青々しさがとても鮮やかに映った。

 溌剌と突き抜ける開放感からは底抜けの可能性を感じさせられて、とても輝かしく思えた。

 私には、こういった美しさの価値観が今までなかった。

 だからこそ口をついた言葉だったけれど、二人にとっては特に代わり映えのしないものらしい。


「まぁでも君のリアクションとしては意外かな。こうしてわたしたちの誘いに乗ってくれたけど、あんまり興味はないと思っていたから」

「そんなことは、ないわ。外に全く関心がなかったわけではないもの。ただ、理由と必要性がなかったから、今までは出なかっただけで」

「そっか。ならわたしたちがその理由と必要性になれたってことだ。うれしいな」


 イヴニングはそう言って、ニヤニヤとわたしの顔を見た。

 彼女が何を言わんとしているのかいまいちわからなかったけれど、聞くのはあまり得策ではないように思えた。

 きっと、あまり気分の良いことを言わないだろうから。彼女はそういう少女だ。

 だから私は無言を返したのだけれど、イヴニングのニヤニヤはしばらくおさまらなかった。


 そんな素朴な会話をしながらひたすら歩き続けて、約一時間ほど。ようやく彼女たちの町に辿り着いた。

 一本道とはいえ、二人は森に訪れるのに結構労力を費やしているんだと、私は身を持って理解した。

 これからはもう少し丁寧にもてなしてあげた方がいいかもしれない。


「ほら、アイリス! ここがわたしたちの町だよ! 特に何もないけど……良いところでしょ?」

「……そうね」


 パッと笑顔を輝かせて腕を広げるホーリーに、私は取り敢えず頷いた。

 小さな林に併設された町は、私の知識にあるこの国の平均的な田舎町のイメージと相違ないものだ。

 自然に溶け込んだのどかな木造の町並みと、神秘を持たない素朴な暮らし。

 しかしだからこそどの種族よりも生きることに貪欲で、培ってきた知恵と技術で豊かさを補おうとしている文化。


 それは、想定内のものだった。

 けれど実際に自分の目で見て、そしてそこに生きる人々を目の当たりにしてみると、想像を超えた感覚に包まれた。

 大きく繁栄しているわけでも、突出して賑わっているわけではない。

 それでも多くの人々が交わり、集団の生活を行なっている光景は、私に未知の感情を叩きつけてきた。


 一人で暮らしてきた私には全くなかったもの。

 そして二人と出会ったことで、その片鱗を感じかけていたもの。

 これがきっと、人の温かさというものなのかもしれない。


 私が興味深く町を見回していると、二人は嬉しそうに私の手を取って歩き出した。

 ここにはどんな人が住んでいるだとか、これは子供の溜まり場だとか、こんな施設があるだとか、ここは良いサボり場だとか。そうやって、次々私に案内をして回る。

 頭ではわかっているのに、私にはその全てが真新しく見えて。隅々まで目をやる私に、二人は楽しそうに微笑んでいた。


 簡素な木造の平家が並ぶ町並み。木々が生茂る半分林の中のような町造り。

 人々の衣服は素朴で、煌びやかなものなんてほとんどない。国外れに近いこの町は、決して豊かではないんだろう。

 けれど穏やかでのどかで、活気に溢れた良い町だと、そう思った。


 私が知識によって行なってきた生活は、確かに人間の範疇のものではあったけれど。

 こうして実際に人間社会を目の当たりにすると、ただの真似事だったような気がした。

 力で色々なことが補えた私は、生きる為の努力や苦労を知らず、ただ平坦に暮らしていた。

 けれどこの町の人々は、誰もが生きた軌跡をその身に刻んでいる。


 苦労して手に入れ、努力して培い、そうして得たもので精一杯生きている。

 優れていなくても、満たされていなくても。それでも今を着実に歩んでいる。

 途上だからこそ前に進む活力を持って、至らないから助け合い手を取り合っている。

 どれも、私にはないものだった。


 私は、人間のことを何も知らなかったんだと知った。

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