12 大きな木の上で
「少し疲れたんじゃないかい?」
そうイヴニングが尋ねてきたのは、日が傾いてきた頃のこと。
大雑把に町の各所を回った私たちは、中心にそびえる巨木に登って町全体を見渡していた。
大きめの枝に三人で並んで座って、ホーリーとイヴニングが私を挟んで微笑んでいる。
長い間森の中で暮らしていたけれど、私は木登りなんてものはしたことがなかった。
高いところのものが欲しければ、力を使って落とせたし、登りたかったら体を浮かせれば良かったから。
でも郷に入っては郷に従え、というわけではないけれど。二人がよじ登っているのを見て、私もそれを真似てみた。
「そうね、少しだけ。でもとても興味深かった」
町の大通りが太陽のオレンジ色に照らされているのを眺めながら、私は頷いた。
ヒトの営みというものを自分の目で見て、肌で触れたのは良い経験だと思えた。
私にはないものが、ここには沢山あった。
「よかった! 来てくれたはいいけど、つまんなかったらどうしようって思ってたんだ」
私を見てニコッと笑うホーリー。
落ち着きなく足をパタパタと動かしながら、少し前のめりになって身を寄せてくる。
「町の雰囲気はわかってきたでしょ? 今度は色んな人とお喋りしてみようよ。みんないい人たちだよ?」
「それは……」
ホーリーの提案に、私は思わず言葉を詰まらせてしまった。
拒否をしたいわけではなかったけれど、なんとなく抵抗を感じたから。
町を巡っている中で、私は人々の視線が気になっていた。
和やかに過ごしている中で、私に向けれらているものには僅かな警戒の色が見えたから。
きっとそこに悪意はなく、単によそ者に向ける奇異の眼差しだとは思うのだけれど。
それでも二人へ向けるものとは違う眼差しを受けていると、気が引けるものがあった。
それにこうして人里にやってきたことで、私は自分がとても浮いているように感じられた。
二人と出会った時からわかってはいたけれど、私の出立ちや振る舞いは決して相応ではない。
身なりに気を使ってこなかった私は、いつも同じような黒のワンピースを着ているけれど、それは簡素な服装をしているこの町の人たちと比べると目立っている。
それに二人をはじめとする同年代の子供たちはもっと無邪気で活発で、同じ子供の外見をしている私は下手をすれば気味悪く見えていてもおかしくない。
そう考えると、多くの人々と交流を持つことに乗り気にはなれなかった。
あまりにも人々と異なっている私が、受け入れられるのかと思ってしまって。
そもそもホーリーとイヴニングの二人としか関わったことのない私には、まだ人と触れ合うことに慣れきってはいないし。
「大丈夫。わたしたちがちゃんと紹介するから。アイリスもきっとみんなと仲良くなれるよ!」
「……だと、いいのだけれど」
「アイリスすっごくかわいいしキレイだし、みんな夢中になっちゃうと思うな。よし、じゃあさっそく声をかけにいこう!」
不安を抱える私に、ホーリーは元気よく笑みを浮かべる。
まるで自分が新しいことに取り組むかのように、全身でワクワクを表している。
彼女みたいな子が真に少女らしいのだとすれば、私はやっぱりらしくない。
「といってもだよホーリー。もういい時間だ」
ホーリーの勢いに若干困っていると、イヴニングが口を開いた。
「もっと遊んでいたいのはわかるけれど、これ以上遅くなるとアイリスが帰るのが大変だ。続きはまた今度にした方がいいんじゃないかな」
「あーん、そっかぁ。町にいるとまだまだ大丈夫って気がするけど、アイリスはここから森に帰らなくちゃだもんね。いつものわたしたちとは逆だ」
イヴニングの指摘に、ホーリーは眉を落とした。
確かに二人が森に来る時は、いつも日が傾くと帰っていく。
徒歩であの距離を歩くとなると、これ以上を遅くなったら暗くなってしまうから。
それに比べると今は遅いくらいの時間だった。
個人的に時間を気にしてはいなかったけれど、イヴニングがそう切り出してくれたことには少しホッとした。
二人といることが嫌なわけではないけれど、町の人たちとの交流から逃れる言い訳になる。
そう内心胸を撫で下ろしていると、急にホーリーがパッと表情を明るくした。
「いいこと思い付いた! アイリス、今日うちに泊まりなよ!」
「………………え?」
「アイリス帰っても一人でしょ? ならうちに泊まっちゃえば、今日はずっと一緒にいられるよ!」
「そ、それは……」
名案だと顔を輝かせるホーリーの勢いは凄まじく、思わずたじろぐ。
人と交流を持つことにもまだ抵抗があるのに、彼女の家族のもとに赴いて一晩を過ごすというのは、一気に難易度が上がるように感じられた。
普通の人間の一般的な生活を体験する機会ではあるけれど、今の私にはまだ早い気がする。
「ホーリー、無茶言っちゃいけないよ。何段階もすっ飛ばしすぎだ。ずっと一緒にいたいのはわかるけれど、今日はひとまずここまでだ」
「でもさーイヴ。今から歩いて帰ったら、森に着く前に暗くなっちゃうんじゃない? 夜道をアイリス一人で帰らせるの?」
「それは、大丈夫」
イヴニングの助け舟を逃してはいけないと、私は首を横に振った。
そして掌の上に小さく火を灯し、それを掲げてみせる。
「灯りは自分で確保できるから。それに多少のことなら自分の身も守れるし」
「そ、そっか。アイリスにはその力があるから、わたしたちとはちがうもんね。火もそんなふうに出せるんだぁ」
残念そうにしたホーリーだけれど、その目は私の手の火を興味深そうに眺めた。
「それ、熱くないの? わたしでもそんなふうに持てる?」
「触ると普通に熱いわ。私は力でここに浮かせているけれど、他の人には無理だと思う」
「だよねぇ。うちではまだ火を使っちゃダメって言われるから、持てるなら持ってみたかったなぁ」
すっかり興味を火の方に移したホーリーは、そうこぼして溜息をついた。
このまま話題が戻らなければ都合がいいと思った私は、近くの小枝折って、それを材料に簡易的な木製のランタンを作る。
そしてその中に火を移してホーリーに渡すと、その顔がパァと華やいだ。
「こうすれば、あなたも持てる」
「わぁ、ステキ! アイリス、こんなのも作れるんだね!」
ただ明かりを手にしただけなのに、ホーリーは目を輝かせて舞い上がった。
イヴニングの「危ないから気をつけなよ」という声も、あまり届いていない。
それほどまでに、彼女は手元にある光に夢中になっていた。
「よし、じゃあ残念だけどアイリスを町の外まで送っていくよ。道は私が照らしてあげる!」
「まだ明かりが必要なほど暗くはないけどね」
浮き足立ったホーリーにイヴニングが茶々を入れる。
しかし全く気にしていないホーリーは、ニコニコしながら火を抱えて慎重に立ち上がった。
いずれにしても、今日のところはここまでとなったことに私は安堵した。
私が人間として生き、そして二人と一緒にいる以上は、いつかはこうして人里で暮らすことになるかもしれないけれど。
でも、慣れるのにはもう少し時間がかかるだろうから。
「早くしないと本当に暗くなっちゃうね。急がなきゃ────」
そう、ホーリーが口にした時。
少し強い風が吹いて、枝の上に立ち上がっていたホーリーの体を揺らした。
ランタンに気を取られていた彼女は咄嗟にバランスをとることができず、風に飲まれるように足を滑らせてしまった。
「ホーリー!」
思わず声が口から飛び出した。
即座に手を伸ばしたけれどそれは
ホーリーは重力に従って木から滑り落ちてしまった。
イヴニングと顔を見合わせ、慌てて下を見下ろす。
するとちょうど真下には枯れ草を沢山積んだ荷車があって、ホーリーはその中に沈み込んでいた。
「いったーい!」
そう呻きながらも元気そうな声が聞こえていて、ホッと胸を撫で下ろす。
草がクッションになって大事には至っていないようだった。
やれやれと隣で溜息をこぼすイヴニングは、けれど私の手をぎゅっと握った。
その手は汗に濡れ、少し震えていた。
とにかく無事なら良かったと、私たちも木から降りようとした時。
私たちの真下、ホーリーが落ちた荷車から急激に火の手が上がった。
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