10 理由がない
「ねぇ、町に来てみない?」
ホーリーが唐突にそう言い出したのは、私たちが出会って半年ほどが経過した頃だった。
いつものように私の元に訪れたホーリーとイヴニング。お喋りもそこそこに、イヴニングは本を読み出して、私はホーリーが花の冠を作るのを手伝わされていた。
ここへ来る道中に摘んできたという花を、彼女に言われた通りに黙々と編み込んでいたそんな時。
普段と変わらない世間話のトーンで、ホーリーはそう口にしたのだった。
「もちろん、アイリスが嫌じゃなきゃだけどね? ただ、一度もこの森の外に出たことないって言ってたから、私たちの町を一回見て欲しいなって思って。まぁ、何にもないけどさ」
「私が、町に……」
鼻歌まじりに花を弄りながら、ホーリーはニコニコと楽しそうに言う。
そんなことを考えたこともなかった私は、ただその言葉を繰り返して呟いた。
二人と出会ったことで、他人とのコミュニケーションには慣れた。
それに時間を共有するということの意義も、少しは理解できたと思う。
けれど私は日々を二人と過ごすことに満足していて、それ以上の発展を望んでいなかった。
それは、一人で生きてきた十二年間と同じ。それ以上を求める必要がなかったから。
けれど同時に、彼女の提案を拒む理由もない。
私は必要がなかったから森を出なかっただけで、出たくなかったわけではないから。
それに二人がいつもやってくるから、私がから出向くという考えが芽生えなかった。
ただそれだけなのだから。
「別に、いいけれど……」
「ホント!? やった!」
私が答えると、ホーリーはパッと笑顔になって飛び上がった。
あまりにも反射的に動くものだから、編み途中だった花が解けてテーブルの上に散らばってしまう。
けれど上機嫌なホーリーは全く気にも留めなかった。
「嬉しいなぁ! 町のこと、色々案内するね! 後それから、みんなにも紹介する。アイリスのことを知って貰えば、この森は何にも怖くないってわかってもらえると思うし!」
「まぁまぁホーリー。あんまり焦らない」
浮き足立って舞い上がるホーリーに、イヴニングが本を閉じながら声をかけた。
それから私の方に静かな瞳を向けると、やんわりと微笑んだ。
「意外だなぁアイリス。私はてっきり、君は面倒がるかと」
「確かに私としては必要性はないけれど。でも、断る理由がなかったから」
「そうか。でも断らない理由も、なかったじゃないか」
私の返答にイヴニングはそう意地悪くニヤついた。
人を見透かしたような目に少し不満を覚えたけれど、でも彼女の言っていることは尤もだった。
断る理由がないのと同時に、断らない理由もなかった。今までの私ならば、必要ないと感じた時点で拒んでいたと思う。
それでも私は、ホーリーの申し出を受け入れた。
それはきっと、断らない理由があったからなのかもしれない。
「もぅイヴ。せっかくアイリスが行くって言ってくれたんだから、水差さないでよー」
「ごめんごめん。ちょっとからかっただけさ。でもねホーリー。浮かれるのはわかるけれど、招くのならば君も慎重にならないといけないよ」
「どういうこと?」
イヴニングはそう言うと、本をテーブルの上に置いてホーリーの顔をまじまじと見た。
「アイリスはわたしたち以外の人間と接したことがないんだ。そんな彼女を町へ連れて行くのなら、その不慣れをフォローしてあげなきゃいけない。いつもみたいにただ楽しく遊ぼうってだけじゃダメだ」
「そ、そのくらい、わたしだってわかってるよー」
「どうだろうねぇ。あれもこれもとアイリスを振り回して、最終的にてんてこ舞いになる気がしてならないのはわたしだけかな?」
「イヴだけですぅー! もう、ホントいじわるなんだから!」
ホーリーは唇を尖らせて、ムッと憤りを露わにした。
けれどその怒りは一瞬で、すぐに機嫌を戻して私に笑顔を向けてくる。
憚ることなく思ったことを口にし、そして感情を曝け出すホーリーとイヴニング。
けれどそこにわだかまりが生まれないのは、お互いが相手をよく理解し、そして信頼ているからなのかもしれない。
今のやり取りで何かが解決したとは思えないけれど、それでも二人の意思疎通は図れている。
それが私には、まだまだ不思議だった。
「まぁ、イヴもいるから大丈夫だよ。安心してね、アイリス」
笑いながらそう片付けるホーリーに、私はただ頷いた。
人間社会の只中というのは確かに未体験のものだけれど、そもそもあまり不安はなかったから。
二人との時間で他人には慣れたし、彼女たちがいれくれるのであれば特に問題はないように思えた。
未体験とはいえ未知ではないから、何から何までわからないということでもないし。
呑気そうに笑うホーリーを見て、イヴニングはやれやれと肩を竦めているけれど、だからといって止める素振りは見せない。
口では諫めてはいるけれど、きっと想いは同じということなんだろう。
二人の意思が共有されているのであれば、私がそこに疑問を挟む余地はない。
必要かどうかは別として、この二人とならば何か新しいことに手を出してみるのも悪くはないのではと、そう感じられる。
私も一人の人間なのだから、多くの人々と関わりを持ち、真の意味で人間的に生きるような努力をするべきなのかもしれない。
きっと二人は、私にそれを望んでいるのだろうし。
それを思えばやっぱり、拒む理由も不安を覚える理由もなかった。
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