2 姉妹の不安

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『まほうつかいの国』の王都、その王城前の広場でシオンは大きな溜息をついた。

 軍帽をやや乱雑に脱ぎ、片目にかかる前髪ごと大雑把に髪を掻き上げる。


 ワルプルギスの魔女の撤退によって収束した、国内の無数の騒乱。

 それは恐らく姫君アリスの功績だろうと、シオンは当たりをつけていた。


 アリスが王都の戦乱から離脱した後、シオンとその妹のネネを筆頭に、ロード・ホーリー傘下の魔女狩りたちは事態の収束へと行動を起こした。

 ロード・スクルドの助力もあり、戦乱は緩やかに勢いを落としていったが、しかし根本的な解決にはなかなか至らなかった。

 魔女と魔法使いは元来相入れない存在である為、そもそも向かい合っていて争わない理由がないからだ。


 しかし、ワルプルギスの魔女は撤退した。

 それはその本拠地へと乗り込んだアリスの行いによるもので間違いない。

 彼女からの連絡はないがシオンはそう確信し、静かに尊敬の念を抱いた。


 それは決して、彼女が姫君だったから成せたわけではない。

 大いなる『始まりの力』を有しているからでも、またない。

 それは一重に、彼女が彼女だったからこそだと、シオンはそう思っていた。


 アリスの身も心配だったが、しかし国内の各地で起きた暴動で傷付いた街々を放っておくことはできず、シオンたちはその対応に手を回していた。

 それがひとまずの落ち着きを見せたのが先程のこと。日は完全に落ち、しかし戦いの後の街は静かさの中に疲労を浮かべていた。


 痛み崩れる街並みや、傷付いた民間人。

 ワルプルギスの目的が街の破壊や住民への危害でなかったはいえ、街の只中での戦闘は少なからずその爪痕を残していた。


 行き場をなくした者や大きな怪我をした者は城の一角を解放し、そこへと誘導した。

 その為王城前は閑散としており、息を抜くにはうってつけだった。


「アリス様、無事だといいね」


 シオンがのんびりと星空を見上げていると、傍らにいたネネがポツリと呟いた。

 やんわりと腕に絡みついてくる妹に、シオンは静かに頷く。


「ワルプルギスの撤退の仕方的に、何かを成し得たというわけではなかったし、アリス様が彼女たちを制したんでしょう。ご無事であるはず」

「まぁ、そうだね。でも、今から探しに行ったほうがいいかな?」

「そうねぇ……」


 まるで子供のようにしなだれ掛かってくるネネに視線を下ろしながら、シオンは静かに思案する。


「迎えにあがりたいけれど、私たちはアリス様からこちらを任された。私たちはアリス様がお帰りなる場所を整える責任があるわ。それに、ロード・デュークスの動向にも目を向けていければならないし」

「それもそっか。今はアリス様を信じるしかないね」


 ポツリと頷いたネネの顔には、疲労の色が見えた。

 常日頃からブスッと静かな顔をしている彼女は、よく見ないとその調子を読み取ることが難しい。

 今日は早く休ませた方が良いなとシオンが思っていると、ネネが再び口を開いた。


「ねぇ、姉様ねえさま……」

「なぁに?」

「この国は、大丈夫なのかなぁ」


 唐突な言葉に、シオンは首を傾げてしまった。

 ネネはそんな姉の顔を見ることなく、その肩に頭を寄りかからせる。


「今日の戦いはとりあえず落ち着いたけど、魔法使いと魔女はこんなになるまで争ってさ。でも、魔法使いだって一枚岩ってわけじゃないし。人間は、このままでいいのかなって……」

「そうね。確かに良い状態とは言えないわ。でも、私たちにはライト様がいる。アリス様だっている。魔法使いと魔女の垣根を越えたあの方たちがいれば、きっと私たちはその先にいけるわ」


 魔法使いと魔女の差なんて、本来は存在しない。

 それを理解し、争うことを否定する彼女たちがいれば、この国の在り方はきっと変わることができる。

 シオンはそう信じ妹に柔らかく言葉を向けたが、反応はあまり芳しくなかった。


「そう、だよね。でもなんていうか……今日、ちょっと不安になっちゃったんだよね。クリアに、会って……」

「…………」


 言い難くそうにその名を口にするネネに、シオンは息を飲む。

 そんな姉の腕を強く抱きながら、ネネはポツリと続ける。


「魔女を憎まない。魔女を嫌わない。魔女を差別しない。わかってる。わかってるけど……アイツを見た時、それを忘れそうになっちゃって……だから……」

「ええ……ええ。言いたいことは……わかるわ」


 たどたどしく言葉を並べるネネの頭を撫でながら、シオンは少し固めの声で頷いた。

 それ以上は言わなくて良いと。皆まで言うなと。


 両親を殺めた人間を、容易く許せるわけがない。

 しかもそれが、狂気に満ちた果ての行為ならば尚更だ。

 そこに理由も所以もなく、何の価値もなく行われたことであるのならば。


 クリアが自らの行いの一端を語った時の、物を指すような口振りは、シオンも忘れられなかった。

 彼女には恐らく、人々はその程度にしか映っていないのだろう。

 クリアランスという凶悪な魔女を目の前にすれば、魔女という存在そのものに黒い気持ちを抱かざるを得ない。


 しかし、自分たちがそれを口にしてはいけないと、シオンは静かに戒める。

 魔法使いと魔女の不毛な諍いを正そうとしている自分たちが、個人的な憎悪に燃えてはいけないと。

 だからシオンはその感情を静かに飲み込んで、ネネをそっと抱きしめた。


「大丈夫よ、ネネ。あなたには私がついてる。あなたは一人じゃない。あなたの気持ちは私たちの気持ちよ」

「…………うん」

「許せない気持ちを捨てる必要はない。けれど、それに飲み込まれて復讐に駆られてはダメ。私たちが成すべきは報復ではなく、この歪んだ現状の打破なんだから」


 自分に宥める資格なんてないと思いつつ、妹を抱きしめるシオン。

 今不安に駆られているのはネネだが、立場が逆転する可能性だって十分にあるのだから。

 しかし自分は姉だからと、妹に対して気丈に振る舞う。


「今日は色々あったから疲れたでしょう。早く帰って休まないと。今日は私が膝枕してあげましょうか?」

「……それで癒されるのは姉様ねえさまだけだし」

「えー、そうなの?」


 シオンが軽口を投げると、ネネは呆れた顔をして溜息をついた。

 しかし不安に揺れていた心は弛緩したようで、その表情は幾分か柔らかくなった。


「じゃ、今日も私がしてもらおうかしら」

「ダメー。今日は疲れたからパス」

「えー、意地悪。いつもしてくれるのに」

「えーじゃないよ。えーじゃ」


 ネネのつれない態度に唇を尖らせつつ、しかし満更でもなさそうに口元を緩めているその様子を見逃さない。

 仏頂面で無気力そうに見えるネネだが、自分とのスキンシップが嫌いではないことを彼女は知っている。

 だからきっと部屋に戻れば、ぶつくさ言いながらも膝を貸してくれるのだろう。

 そしてそこまでのやりとりが、きっとネネの心を和ませる。


「そうと決まれば早く帰りましょう。明日もきっと忙しくなるからね」

「いや、私ダメって言ったよね? 何も決まってないよね?」


 溜息交じりに文句をこぼすネネの腕を引いて、シオンは帰路へ足を向ける。

 妹に道を踏み外させてはいけないと、その心を曇らせてはいけないと、そう思いながら。

 妹には笑っていてほしいから。その行く道は自分が導こうと、シオンはネネに笑顔を向ける。


 しかしその笑みの下で、ふと考えないようにしていたことが脳裏によぎった。

 あの戦乱の中、クリアランスとアリスが親げに言葉を交わしていた光景を、シオンは確かに目にしていたのだ。

 それが意味するところを、彼女は必死で頭から振り払った。




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