127 逆

「………………え?」


 申し訳なさそうに眉を下げながら放たれた言葉に、私はポカンと口を開くことしかできなかった。

 夢によって生まれた世界は、こっちじゃなくてあっち……?

 そんな荒唐無稽な話、とてもじゃないけれど…………。


「そ、そんな馬鹿な……私を戸惑わせようと、わざとそんなことを……」

「…………」


 否定の言葉が欲しいのに、レイくんは気不味そうな笑みを浮かべるだけ。

 その瞳が浮かべるのは私への労りで、とても騙そうとしている様には見えなかった。

 嘘を語っている様には、とても。


 私が生まれ育った世界こそが、夢から創り出された世界……?

 本当に、そうだっていうの?

 魔法も神秘もない、こっちの人に言わせてみれば寂れた世界だという、あっちが?


 とてもじゃないけれど、信じられない。

 でももしそれが本当だったとしたら、私が今まで過ごしてきたもの、大切な人たちもみんな、幻想から生まれたものだってことになる。

 今の今まで一緒に戦ってれた善子さんも、私の為に全てを費やしてくれた晴香も、私を信じて待ってくれている創も。それに、お母さんだって。


 みんなみんな、夢幻ゆめまぼろしから生まれた、幻想だったっていうの……?


 魔法や不思議に富んだこちらの世界がそうならば、納得は難しくなかったけれど。

 あちらの世界が幻想だと言われても、うまく消化することができなかった。


「うそ、だよ……そんなこと、あり得ないよ。さすがにそれは……」

「……いいや、アリスちゃん。それこそが真実。こちらとあちら、二つの世界の在り方なんだ」


 首を振る私に、レイくんは優しく言葉を添えた。


「でも、そんな……だってこっちの世界は、私の夢や空想が反映された世界なんじゃないの……? だから、いろいろと共通点もあったりして……」

「逆、なんだよ。あちらの世界が、こちらの世界をベースに作られたんだ。君があちらの独自のものだと思っていたものは、こちらの要素から派生したものだろう。そして君個人の空想がこちらと似通っていたのは、この世界の記憶がに焼き付いていたから、なんじゃないかな……」

「そん、な…………」


 全部、全部逆だったていうの?

 私が思い至ったことは、全て真逆だった?


 私の力が世界を創り出したと、夢から生まれた世界があると、それに気付いた私の早合点だった……?

 魔法や神秘が存在する、摩訶不思議な世界こそが夢から生まれたものだと、私が決め付けていただけ……?


 でも、そんな……でも、でもでもでも……!


「全ての始まりであるドルミーレを宿す私がいる、あちらの世界の方が現実なんじゃないの? こっちの国での出来事は、私の夢が創り出したの時に彼女が反映されて、そうあったものとして生まれたものだと、私は……」

「確かに、そういう解釈もできなくはないね。でもアリスちゃん、君が今握っているその剣はどこにあった? それはあらゆる幻想を打ち砕き、真実を示す剣だ。それだけは、決して幻想からは生じない」

「…………!」


 優しくも淡々としたレイくんの言葉に、私は息を飲んだ。

 確かにこの剣は、ずっとあのお花畑の城の中にあったものだ。

 あらゆる魔法を斬り払うこの剣が、私の夢という幻想から生まれるのは辻褄が合わない。


 それに思い起こしてみれば、私が七年前にこの国を訪れた時、ドルミーレは「帰ってきてしまった」と言っていた。

 それはつまり、彼女自身がこちらの世界の住人だったということだ。

 全ての始まりであり、夢の世界を創り出した『始まりの力』そのものである彼女自体は、絶対的な現実なのだから。


 頭の中でいろんなものが繋がっていく度、体から力が抜けていった。

 氷室さんに寄り添っていたはずなのに、私の方がもたれかかりそうになってしまって。

 心臓が早鐘の様に脈打って、呼吸がとても苦しかった。


 真奈実さんが知った事実は、こっちだったんだ。

 彼女は、あちらこそが幻想の世界だと知っていた。

 自分が生まれ育った世界が幻だと気付いたから、そこから人々を救済しようとしていたんだ。

 だからこそ、自身が目指す魔女の世界に迎え入れる為に、多くの人々を『魔女ウィルス』に感染させた。

 一人でも多く、偽りの世界から救い出す為に。


 今思えば、私が昨日世界の在り方に気付いた時、夜子さんは決して、どちらの世界がそうだとは言っていなかった。

 夜子さんが私の結論に気付いていたのかはわからないけれど。

 彼女は私の質問に答え、この力によって世界が創り出されたということを肯定しただけだった。

 それを私が勝手に、自分の解釈に当て嵌めただけだったんだ。


 あぁ……そうか。そう、だったんだ。

 私がずっと現実だと思っていたものは、幻から生まれたもの、だったんだ。

 私が今まで歩んできた日々も、大切な人たちも、全部全部。


 ……けど、どちらの世界が夢のものだとしても、私はもう既に結論を得ているじゃないか。

 始まりがなんだったとしても、今存在している時点で紛れもない現実なんだと。

 そこに確かに心が存在している時点で、もうそれは変わりなく愛おしいものなんだと。


 私がずっと信じてきたものが夢だったという真実は、確かにとてもショックだけれど。

 その結論に変わりはない。どちらが夢からの物であったとしても、私にとってはどちらも紛れもない現実だ。

 友達と繋がっているこの心に変わりはなく、それだけは決して揺るがない。


 そう、思って────


「あれ、じゃあ……」


 そして、私は大事なことを忘れていることに気が付いた。


「じゃあ、私は、何……?」

「………………」


 吹っ切れて納得した頭にストンと純粋な疑問が降りてきて、私はそれをそのまま口にした。

 それを受けたレイくんは、言葉にするのを躊躇う様に押し黙って視線を下ろしてしまう。


 私は向こうの世界でお母さんの元に産まれて、ずっとあっちで育ってきた。

 少なくとも、私にはその記憶しかない。

 確かに途中こちらの世界に来ているけれど、それは私の十七年の人生の内の一部であって、基本はあちらで過ごしてきた。

 そのあちらの世界が夢から生まれたものだとしたら、それを創り出した私は、どういうことになる……?

 私には、まだ思い出していないもっと根本的な記憶があるということ?


 なんだかとても、嫌な予感がした。


「…………ね、ねぇ、レイくん。知ってる……? 私は、一体……」

「うん。知ってるよ、アリスちゃん……」


 恐る恐る見上げる私に、レイくんはとても悲しそうな顔で頷いた。

 私の目の前にゆっくりしゃがみ込むと、片膝をついて真っ直ぐ目を向けてくる。


 なんだか無性に全身が震えて、冷や汗が背中を滝の様に流れた。

 氷室さんに添えていた手は今や完全に縋り付いていて、どちらが支えているかわかったものじゃない。


 聞きたくない。聞くなと、私の心が叫んでいる。

 それでも、聞かなければならないと、そう思った。


 そんな私に、レイくんは静かに口を開いた。


「あちらの世界はね、『始まりの魔女』が眠りに落ちたことで生じた、ドルミーレが見ている夢の世界なんだ。つまりね、アリスちゃん────君は、ドルミーレの夢そのもの。夢の中の彼女が、君なんだ」

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