126 勘違い

「レイくんが、妖精────」


 俄には信じられなかったけれど、目の前の現実が否定しようもなく物語っていた。

 その姿から溢れ出す、魔法とは概念の異なる力。

 そして人間の身ではあり得ない、透き通る大きな羽。

 確かにそれは、私が知る妖精の友達によく似ている。


 そういえば、昔ソルベちゃんが言っていた。

 ──── 昔人数のすごく少ない属性の子が、一人『魔女ウィルス』に感染しちゃったって大騒ぎになったことがあったらしいよ────


 それに今日会った時も。

 ──── あれ、アリスから妖精の匂いがする。僕が来る前に誰か他の妖精が来てた?────


 あれは、レイくんのことだったんだ。

 大昔、二千年前に『魔女ウィルス』に感染してしまった妖精。

 私のそばにいた、正体のわからない妖精。

 それこそが、レイくんだったんだ。


「別段隠していたわけではないけれどね。妖精であっても、僕は『魔女ウィルス』に感染した魔女。今の僕の立場はそれだ。だからこそ僕は、ずっと魔女として魔女のために生きてきた」


 静かな瞳を煌めかせながら、レイくんは私を見据えた。


「僕が人間じゃなくて、がっかりしたかい?」

「……う、ううん。そんなことは、ないよ。私には妖精の友達も、人間以外の友達だっている。それでレイくんのことをどうにか思ったりはしないけど……」

「ありがとう。アリスちゃんならそう言ってくれると信じていたよ」


 私が慌てて首を横に振ると、レイくんはそっと微笑んだ。

 それだけを見れば、普段通り楽しくお話ししているみたいのに。

 けれどその瞳だけは、決して私を捕らえて放さなかった。


「アリスちゃん、僕はね……二千年前に魔女になった時からずっと、この時を待ちわびていたんだ。妖精の僕にとって二千年という時は決して果てしないものではなかったけれど……それでも、僕はずっと……」

「ドルミーレの力をずっと、求めてきたの……? 魔法使いを、滅ぼすために……」

「ああ。ドルミーレを虐げ、魔法を奪ったこの国の人々を、僕は許せなかった」


 レイくんは努めて普段通りに語っているけれど。

 それでもその言葉の節々には、奥深い寂しさが含まれていた。


 そんなレイくんは、決して恐ろしくはない。

 けれどその姿の奥底に眠る執着のような強い感情が、私の足を退かせた。

 それでも、私を庇うように腕を抱きしめる氷室さんと身を寄せ合いながら、私はレイくんから目を背けなかった。


「どうして、そこまで……? どうしてレイくんは、そこまで魔法使いを目の敵に……」

「それはね……僕が、ドルミーレのことを好きだったからさ」

「え…………?」


 思いもよらない言葉に、私はポカンと口を開けてしまった。

 けれどすぐに思い至ってハッとする。

 レイくんが長い時を生きている妖精で、二千年前から魔女なんだとしたら。

 その二千年前に存在していたというドルミーレと面識があってもおかしくない。


 だって、確かソルベちゃん曰く、妖精たちはドルミーレが力を使いこなすのを手伝ったみたいだから。

 レイくんがもしその一員だったんだとしたら、彼女に対して個人的な思い入れがあったっておかしくない。


「僕はドルミーレが好きで、憧れていた。まぁでも彼女は、僕なんて歯牙にもかけていなかったけれどね」

「……だからこそ、レイくんはドルミーレを復活させたかったんだね。また、好きな人に会いたかったら……」

「うーん……そこまで殊勝な気持ちでは、なかったんだけれどね。会えることなら会いたいとは思う。でも、僕にとっての一番はそれじゃないのさ」


 レイくんは少し恥ずかしそうにはにかんで、控えめに頬を掻いた。

 けれどすぐにその表情を曇らせ、口惜しげにはを食いしばった。


「僕はね、ドルミーレの存在と力に泥を塗られたのが、たまらなく許せなかった。卑き魔女だと蔑み、彼女を侮蔑してきた人間たち。だというのに彼女の魔法を掠め取って、我が物顔をする魔法使いが許せなかった。だから僕は彼らを滅ぼし、彼女から派生した、『魔女ウィルス』に感染した魔女を救いたいんだ」

「ドルミーレを知っているからこそ、今のこの国と魔法使いの在り方が許せなかったんだね」

「ああ。魔法は、ドルミーレのものだったんだ。彼女を拒絶したこの国の人間に、手にする権利なんてないんだ……!」


 恨みがましく吐き捨てて、力強く拳を握るレイくん。

 そんな荒々しい姿を、私は初めて見た。

 レイくんは、自分自身が虐げられているからではなく、ドルミーレが虐げられたことを憎んでいるんだ。

 だからこそ、本来魔法は魔女のものだったんだと、魔法使いの存在とこの国を否定するんだ。


 口惜しさに顔を歪めるレイくんからは、静かな悲しさが伝わってきた。

 好きな人を貶され侮辱され、剰え殺されて。それだけも胸が張り裂けそうなのに。

 それを糧にして、今この国は繁栄している。そんな現実への悔しさが。


「討ち取られたドルミーレが、けれど完全に消滅していないのはわかっていた。だから僕は、ずっと彼女を探していたんだ。この歪んだ状況をどうにかするには、彼女の力が必要不可欠だったから。そんな時、アリスちゃんと出会った」

「七年前、だね……」

「うん。昔言ったけれど、僕は最初、君の力にしか興味がなかった。その胸の内に眠るドルミーレを呼び覚まし、状況を打開することしか考えてなかった。けれどいつしか僕は、君を失いたくないと思ってしまったんだ」


 確かにそれは、かつての日々の中で聞かされた。

 ドルミーレの力を欲するのと同時に、私のことも大切に思ってくれたからこそ、レイくんは私を尊重してくれてきた。

 きっと本来は、さっきの真奈実さんのように、私自身をドルミーレの器にして再臨させようとでもしていたのかもしれない。


「だから僕は、君の心を保ちながら、君自身がドルミーレの力を全て手にして、僕と一緒にこの世界を救って欲しかったんだ」

「でもだったら……どうしてさっき、真奈実さんにドルミーレを投影しようとしたの……?」

「あれは苦肉の策さ。状況は切迫していて、君が力を完璧に使いこなすのを待つ時間がもうなかった。でも君の体に彼女を呼び起こせば、君は完全に心を潰されてしまう。だから、保険であるホワイトにやってもらったんだ。本人も、それを望んでいたしね」


 けれどそれは失敗だったと、レイくんは視線を落とした。


「でもじゃあ、やっぱりもう手段はないんじゃ……それともレイくんは、この体にドルミーレを……?」

「いや……いや、そんなことはしない。言ってるだろう? 僕は君を失いたくはないんだ」


 嫌な予感を口にすると、レイくんは大きく首を横に振った。

 甘い瞳を私へと向け、頬を撫でようと手を伸ばしてくる。

 けれど静かに私の傍に控える氷室さんの視線を受けて、レイくんは上げかけた腕を下ろした。


「他にも手段はあるんだ。リスクがあるから、本当はしたくなかったんだけどね」

「一体、何を……」

「…………僕はね、アリスちゃん。妖精として、とても希少な属性なんだ」


 一瞬の間を置いてから、レイくんはとびきり甘い声で急にそう切り出した。

 優しく蕩けるような、耳心地のいい声で。


「僕の属性は感情。この世界に存在する遍く生物の感情を司っている。心は、僕の得意分野なんだ」

「…………!」

「中でも僕は、魅了に特化していてね。僕という存在そのものが、ヒトを惹きつける魅了の概念なんだ。そこに、魔法を上乗せすれば……」

「────────」


 レイくんが煌びやかに微笑んだ瞬間、隣の氷室さんがガクリと膝から崩れ落ちた。

 私の腕を抱いていた手を解き、力なくその場に膝をつく。

 その白い顔は、熱でもあるかのように紅潮していた。


「氷室さん……!」

「大丈夫。別に危害は加えていないよ。ただ、邪魔しないでもらおうと思ってね」

「氷室さんに、何をしたの!?」


 息を荒らげて蹲る氷室さんに寄り添いながら、見上げて問いかける。

 するとレイくんは、なんでもないというふうに肩を竦めた。


「魅了はいわば人心掌握だからね。虜にした相手に僕の意思を介入できる。ただ、思ったほどは効かなかったなぁ。アリスちゃんへの強い想いが、僕の魅了を妨げているのかな」

「今すぐそれをやめて。氷室さんが、苦しんでる……!」

「悪いけどそれはできない。僕とアリスちゃんの邪魔を、これ以上されたらたまらないからさ」


 ごめんねと言いつつ、レイくんはそれに対する罪悪感を見せなかった。

 氷室さんは自由に体が動かないのか、蹲ったままたどたどしく私の腕を掴んだ。

 それでも顔は上げられず、力なく俯いている。


「私にも、そうやって魅了でいうことを聞かせるつもり……?」

「不本意だけれどね。君と、そしてその奥で眠るドルミーレ、二人ともだ。それこそが君の心をドルミーレから守りつつ、その力を十全に使う唯一の手段だ」

「そんなこと……!」


 不本意だというのは、本当なんだろう。

 決然とした面持ちで言っているけれど、レイくんの目を見ればそれはわかる。

 ずっと私を尊重してくれたレイくんにとって、それは苦渋の決断なんだ。

 魔法使いを屠り魔女を守る為に、レイくんは覚悟を決めている。


「ごめんね、アリスちゃん。けれどこの機を逃すわけにはいかないんだ。僕はこの世界を変えたい、変えなきゃいけない。その為には、君の持つドルミーレの力が必要なんだ」

「本当に……本当にそれ以外にないの……!? もっと平和的で、もっといい方法が……」

「いいや、ないよ。今の状況をひっくり返し、世界の在り方を変えるには、ドルミーレの力しかないんだ。世界を創り出すほどの力じゃなきゃ、ダメなんだ!」


 世界を創り出す力。

 そうだ。この世界は、『始まりの力』と私の夢によって作り出された世界。

 確かにそれがあれば、世界を再編することだってでいるんだろう。

 前にワルプルギスが言っていた、魔女の世界というものにできるんだろう。

 でも、そんなのって……。


「ダメだよ、レイくん。やっぱりそんなのってダメだよ。どんなに恨みがあったって、どんなに間違ってたって、そこにいる人たちを無視して、滅ぼして、世界を作り変えようだなんて。いくら、この世界が夢からできたものだとしても、ここにいる人だって今ちゃんとここで生きているんだから……!」

「────ん? ちょっと待ってアリスちゃん。今、なんて言った? この世界が……?」


 突然レイくんはキョトンとして、訝しげに眉を寄せた。

 そのあまりにも純粋な問いかけに、私は戸惑いながらも言葉を繰り返した。


「この世界は、私の夢から生まれた世界でしょ? だからこそレイくんたちは、私の力を使ってこの世界を変えようとしてるんじゃ……」

「………………」


 私の二度目の言葉に、レイくんは押し黙ってしまった。

 腕を組み視線を彷徨わせてから、小さく唸って私を見つめる。


 もしかしてレイくんはそのことを知らなかった……?

 いや、真奈実さんが知っていたんだから、レイくんだって知らないわけがない。

 それを踏まえた上での世界の再編だったはずだ。


「あー……アリスちゃん。君は大きな勘違いを、しているみたいだね……」


 しばらくの静寂の後、レイくんは気まずそうに口を開いた。

 その声色はとてつもなく優しく、小さな子供へ語りかけるようだった。


 その口ぶりに首を傾げる私へ、レイくんは口を開いたまま迷うようにまた視線を泳がせる。

 しかしすぐに、観念したように私の目を真っ直ぐ見た。


「アリスちゃん。この世界は、夢から生まれた世界なんかじゃないよ。何の紛れもない、現実だ」

「え、でも、じゃあ……」


 真奈実さんだってさっき、夢から生まれた世界であることを肯定していたのに……。

 戸惑う私に、レイくんは大きく息を吸ってから、そっと告げた。


「夢によって生まれたのはこっちじゃない、あっちだ。君が生まれ育った世界こそが、幻想から生じたものなんだよ」

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