121 大切なものを守る
「よしこ……さん……?」
頭が真っ白になりながら、唇が勝手に動いて目の前の人の名を呼ぶ。
眼前の光景が認識できなくて、今起きたことが理解できなくて。
私はただ震えながら、覆いかぶさるその人の名を呼んだ。
返ってきたのは、とても柔らかな笑顔。
「間に、合った────無事、かな……?」
「善子さん……! そんな!」
いつもと変わらない優しい語りかけが、逆に私へ現実を叩きつけた。
私を庇って、善子さんがホワイトの牙を受けている。
長い牙は根元まで突き刺さっていて、異物が食い込んだその体はドクドクと血液をこぼしていた。
それでも、善子さんは笑顔を絶やさない。
私のすぐ上に覆いかぶさって、優しい笑顔を向けてくれている。
それだけを見れば、まるで何事もないかのように。
けれど、だらりと垂れ下がるおさげの髪は彼女自身の血に濡れていて、私の頬をペトリと撫でた。
「善子さん……私を庇って……か、身体が────!」
「大、丈夫……だから……」
ただ震え、泣き言をこぼすことしかできない私に、善子さんはニコッと笑った。
それからすぐに片手でグッと拳を握ると、裏拳を放つように後ろ手に大きく腕を振った。
それと同時に拳から光が炸裂し、その体に食らいついていたホワイトを勢いよく吹き飛ばした。
「ふぅ…………これは、きくなぁ……」
ホワイトから逃れた善子さんは、よろよろとふらつきながらゆっくりと体を起こした。
その肩には折れたホワイトの牙が一本深々と刺さったまま。
けれどそんなこと気にする素振りも見せず、善子さんは私の傍に立ってホワイトを見据えた。
「安心してね、アリスちゃん。私が……守る、から……」
「ま、待ってください……! 善子さん!」
私に背を向け、震える脚で踏ん張る善子さん。
止めどなく溢れる血はその体を真っ赤に染め、血の海から這い上がってきたかの様だった。
それでも膝を折ることのない彼女に、私は思わず制止の声を上げた。
少しだけ回復した体で何とか上体を起こして、その背中を見上げる。
ホワイトに喰らいつかれたその体は、大きな穴がいくつも開いている。
そのまま潰されず、人の形を保てたのが奇跡の様だった。
そんな体で、戦い続けるなんて無理だ。
「何も心配しないで……私に、任せて……」
善子さんはぎこちなくこちらに目を向けると、ニィッと口元を緩めた。
私を安心させようと強がっているのは明らかで、その笑みは余計に私の胸を締め付けた。
真っ赤に染まった体、血の気の引いた蒼白な顔で浮かべる笑みは、あまりにも……。
「………………」
けれど、その背中には覚悟が背負われていて。
体をろくに動かせない私では、善子さんを止めることはできなかった。
「真奈実…………私の大切な友達に、酷いことすんじゃ、ないよ……」
持ち上がらない足をゆっくりと動かし、善子さんはすり足で歩を進める。
先ほど善子さんに殴り飛ばされたホワイトは、まるで蛇そのもののように上体を低く地面に這わせ、姿勢を低くして善子さんを睨んでいた。
しかしその表情には動揺の色があり、口から流れる血も厭わず、善子さんから視線を外せずにいる様だった。
『善子さん…………貴女は何故、そこまで…………』
「何故? そんな、わかりきったこと聞かないでよ、真奈実」
警戒心を剥き出しにし、蛇の尾をズルズルと踊らせながら尋ねるホワイト。
そんな彼女に、善子さんは静かに答えた。
「友達を守るのは、当たり前だ。私は、何が何でも……大切なものを守る。それが、私の……正しさだから」
押せば倒れそうなほどにふらふらな善子さん。
けれどそれでも、動かない足を引き摺って、揺るがない意志を掲げて、ホワイトへと向かう。
「けどね……それはアリスちゃんだけじゃ、ないよ……真奈実、アンタもだ」
『わたくしを……? 何を言っているのです。わたくしは貴女なんかに守られたりは────』
「私がアンタを、もう一人になんてしないから……」
『何をわけのわからないこ、と────』
ホワイトが嘲笑を浮かべたその時、彼女の体が急激に蠢き、全身から鮮血が吹き出した。
美しい純白の鱗が剥がれ飛び散り、剥き出しになった肉が断裂する。
肉体が張り裂ける苦痛に、ホワイトは大きくのたうちまわった。
ドルミーレの怒り、『魔女ウィルス』による暴走は確実に彼女を蝕んでいる。
本来であれば一瞬で潰れてしまっておかしくないそれを、必死で堪えているのは彼女の胆力に他ならない。
けれどそれでも精神と肉体の汚染は続き、崩壊は終わりを見せない。
ドルミーレは以前、私が殺されそうになった時に表に現れてそれを阻止しようとした。
だからきっと、私に対して牙を向くホワイトには、より一層怒りが増しているはずだ。
このままでは本当に、ホワイトはドルミーレの怒りによってその心も体も破壊されてしまう。
「もうやめよう……おわりに、しよう。そんな力に頼るのはやめようよ。私が、アンタの力になるから……」
『何を、寝言のような、ことを……!』
彼女もまた全身から鮮血を流しながら、噛み付く様に善子さんを睨む。
地面に這う低い姿勢のまま、今にも飛びかかりそうな勢いで吠えた。
『これ以外に、手段などないのです。『始まりの魔女』の再臨こそが、全ての魔女を救う道。悪しき魔法使いを、根絶やしにする為に、必要な力……! そして始祖様が降臨なされば、世界は本来の姿を取り戻す……! これこそが、唯一にして絶対の手段。わたくしが行うべき正義なのです!!! わたくしが……わたくしが、成さねばならないのです!!!』
「アンタは本当にバカだよ。勝手に、責任背負い込んで……一人で、抱え込んで…………だから、正しさの使い方を間違えるんだ」
ゆっくりと、ゆっくりと。善子さんはホワイトへ歩み寄る。
「私には、難しいことはわかんないけどさ…………アンタのその、正義として守りたいって気持ちは、きっと……別の方法があったと、思うんだ。ただ、アンタは自分の正しさしか信じないから、盲目になっちゃった、だけでさ……」
『貴女が……他でもない貴女が、知った様な口を聞かないで……! 一体、何に頼れと言うのです。力のあるわたくしは、この正義の元弱きものを守る責任があるのです。守るべきものしかない中で、一体にわたくしに、どうしろと……!!!』
「…………それは、私の弱さの責任だ。ごめんね、真奈実」
善子さんが、ホワイトの目の前までたどり着いた。
人間より二回りも大きなその頭を正面に捉えた善子さんを、ホワイトはすぐさまその髪の蛇で囲い込む。
コンマ一秒あれば善子さんを八つ裂きにできる状況で、しかしホワイトはただ視線を突き刺すだけだった。
「私が頼りないから……弱くて、正しくなくて、バカだったから……アンタは自分だけの道を行ってしまった。それは、私の責任なんだ……」
『何を……何を勝手な────!』
ホワイトの反論は悲鳴へと塗り変わった。
着実に進行している肉体の崩壊は、その強靭な体を切り裂き破裂させている。
蛇の胴体は幾つにも断ち切れ、もはやその長身は影も形もない。
ホワイトは腕で体を支えながら、それでも食らいつく様に善子さんに目を向ける。
『わ、わたくしははじめから、誰のことも頼って、など……! 正しいのはいつもわたくしだけ。並び立つものはいない。故にわたくしは、いつも一人で……正義を成す、責任を……』
「あぁ、そうだね。アンタはそうやっていつも、自分の殻に閉じ籠ってた。そこから連れ出して、誰かと寄り添うことを教えてあげられなかったのは、親友である私の、責任なんだ……」
『ちがう、ちがうちがうちがう……ちがう!!!』
ホワイトは大きな頭を振って、まるで子供の様に喚いた。
『そんなもの、わたくには必要なかった、ただ、それだけのこと……! わたくしは、貴女のことなど────』
「うん。わかってる。それでも私たちは、親友だったんだ」
善子さんは大きく腕を広げ、ホワイトの頭をそっと抱きしめた。
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