120 全てを失おうとも

『────────!!!!!』


 怒号とも悲鳴ともとれる絶叫と共に、眩い輝きが炸裂した。

 その純白の肉体、テラテラと艶やかな鱗一枚いちまいから、細いレーザーが周囲に撃ち放たれる。


 その場全てのものを光で飲み込み、そして焼き殺さんばかりの無差別な攻撃。

 かわすことなんてもちろんできるわけがなくて、私は『真理のつるぎ』を広範囲に振り回すことで何とかそれを防いだ。


 しかし、そんな私たちにすぐに蛇の尾が飛んできた。

 全長数十メートルあるその巨体の尾は、軽く一振りしただけで離れた私たちを簡単に叩き落とせる。


 剣を振り抜いたばかりですぐに回避に転じられなかった私を、善子さんが引っ張ってくれた。

 二人で空中を転がるように横滑りして、空間を断つような一撃から何とか逃れた。


「真奈実…………めちゃくちゃだ。明らかにまともじゃないのに、どうしてそこまで……」

「あのままじゃ危険です。一刻も早く彼女を止めて、その体からドルミーレの力を引き剥がしましょう」

「う、うん……」


 荒れ狂うホワイトを見て泣きそうな顔になっている善子さんに、私は努めて気を強く持って声を掛けた。

 ドルミーレが怒りを露わにしたことによって、彼女から感じる力の強大さは更に増して、正直今すぐ逃げ出したいくらい恐ろしい。

 それでも、ドルミーレに蝕まれているホワイトを見捨てることなんてできない。


 ドルミーレの力はホワイトの精神だけではなく、肉体にも影響を与えているように見えた。

 彼女の肉体に蔓延っている『魔女ウィルス』がドルミーレの影響で暴走しているのか、全身が所々歪に蠢いている。


 いくら転臨した魔女が『魔女ウィルス』を制御下に置いているといっても、その大元であるドルミーレの意思が絡めば別問題のはずだ。

 きっとあのままでは、至らぬ身で擬似再臨をし、肉体が瓦解したアゲハさんのようになってしまうかもしれない。

 いや、ドルミーレの怒りが影響しているのだから、もっと酷い惨劇だってあり得る。


 私は別にホワイトが憎いわけじゃない。

 善子さんとちゃんと向かい合ってもらう為にも、こんな無茶無謀で命を危険に晒してほしくはないんだ。

 だから何が何でも彼女を押さえ、止めなきゃいけない。


『世界の為、全ての魔女の為────消えるのです! 姫殿下!!!』


 彼女の身を案じる私たちを他所に、ホワイトは怨念のような叫びに殺意を乗せて声を上げる。

 それと同時にホワイトから光の斬撃のようなものが放たれた。

 空間を真っ二つにするような光が、瞬きのスピードで駆け抜けて飛び込んでくる。


 魔法で強化された動体視力と反射神経で何とかそれをかわしたけれど、咄嗟に動いたことで善子さんと離れてしまった。

 そんな私に、ホワイトは透かさず極大のレーザー光線を放ってきた。


「ッ────!」


 私は即座に『真理のつるぎ』で受け、魔法を打ち消す。

 それと入れ替わるように、善子さんが大砲のような光の弾丸を打ち込んだ。

 しかしそれは、ホワイトの尾の一振りでいとも簡単に防がれた。


「真奈実! お願いだからもうやめて! どうして、そこまでして……!」

『わたくしは、正しく在らなければならないのです。常に清く正しく、弱き者を守る正義でなければならない……! それがわたくしの、使命なのだから……!!!』


 ホワイトの体からは怨念を形にしたような黒いもやが滲み出している。

 蛇と化したその肉体は歪な変形を見せ、不気味に蠢く。

 それでも怯まず、ホワイトは絶叫しながら周囲に無差別的な光の攻撃を放ち続ける。


『魔女となったわたくしには、虐げられる弱き同胞たちを守る責任が、ある……! 正義であるわたくしには、誤りを正す責任があるのです……! その為ならば、わたくしは手段を厭わない。例え誰を蹴落とし、自らの全てを、失おうとも────!!!』


 ホワイトが高らかに手を上げると、天空に大きな光の輪が現れた。

 彼女の『領域』で覆われた神殿前の広場、その全てを見下ろす特大の光輪ができたかと思うと、その内側から光が雨のように降り注いできた。


 視界を煌きに埋め尽くされるほどの、光の豪雨。

『真理のつるぎ』を振り回しても到底捌き切れないであろうそれに、私は慌てて障壁を張った。

 しかし、降り注ぐ光の雨に気を取られた私に、突然鈍い衝撃が突き刺さった。


「────アリスちゃん!!!」


 ぐわんと身体中をシェイクされたような衝撃に苛まれながら、善子さんの悲鳴だけが耳に届いた。

 けれどそれ以外に私に感じられたのは全身の強烈な痛みだけで、他の情報は全て吹き飛ばされた。


 でもすぐに、体が背中から地面に叩きつけられた衝撃で、全てが私に帰ってきた。

 ぐるぐると回転する視界と、キーンと嫌な耳鳴りがする聴覚と、全身が砕けるような感覚。

 そこで私は、自分が蛇の尾で地面に叩き落とされたことを認識した。


 障壁を張っていたことでダメージは幾分か緩和されたようだけれど、それでも超重量の殴打と高所からの落下に体は悲鳴を上げている。

 朦朧とする意識、ぼんやりとする目で何とか上を見てみると、目の前にはホワイトの蛇の巨体があった。


『貴女様の、負けでございますよ。愚かな姫殿下。貴女様の弱き心では、抱えきれない始祖様を……わたくしが呼び覚ましましょう』


 呼吸を荒げながらも、ホワイトは悦に入った笑みを浮かべた。

 その肉体は悲鳴を上げ、歪み張り裂け、至るところから鮮血が飛び散っている。

 ドルミーレの怒りによる『魔女ウィルス』の暴走が、彼女の肉を暴走させている。


 それでもホワイトは、その鋼の意思を曲げずに私を見下ろしている。

 肉体が内側から傷付く痛みを堪えて、ドルミーレの怒りで圧迫されているであろう心の苦痛にも耐えて。

 ドルミーレの強大さを知っている私には、それがどれだけ凄まじいことかわかる。

 ホワイトは確かに、ドルミーレを受け入れるに足る人なのかもしれない。


 けれど、ドルミーレは彼女に明確な怒りを示している。

 私を倒し彼女の心を我がものにできたとしても、果たして本当にホワイトの思惑通りにいくのかな。

 私には到底、うまくいくとは思えない。


「アリスちゃんから離れて!」

『────うるさい!!!』


 善子さんが光で身の丈ほどの剣を作り、私に覆い被さろうとするホワイトに斬り込む。

 けれどホワイトはそれを鱗の蔓延る片腕で受け止めた。

 そして光の剣が鱗の隙間に食い込んで血が吹き出すのも気にせず、そのまま力任せに善子さんを振り払う。


 悲鳴を上げて宙を転がる善子さんに、ホワイトは目もくれない。

 自分を想う親友を無下にして、目的以外の全てを投げ捨てて、ホワイトは私に狙いを定めた。


 彼女には、覚悟ができている。その正義の元に全てを守る覚悟が。そしてその為に、仇なすものを踏みにじる覚悟が。

 だからホワイトは足踏みをせず、怯まず、揺るがない。

 自分の正義を心から信じ、それを全うすることを誓い、責任を自らに課しているから。


 全く争いのない世の中なんてあり得ない。

 いつだって人間は異なる正義をぶつけ合って、より勝る方が平和を手にしてきた。

 だから、ホワイトの思想は決して間違いではなくて、私の考えの方が甘いんだって、わかってる。


 けれど、それでも。

 それでも私は、魔女と魔法使いの争いをこれ以上起こして欲しくない。

 どちらにも、私には守りたいものがあるから。それだけは譲れないんだ。


 ホワイトの正義は確かに多くの人を救い、そしてその人たちにとって良い世界を作り出すのかもしれない。

 でもその方法を私は受け入れることができないから。

 私を殺してドルミーレの全てを我がものにしたところで、彼女が魔女を救ってくれるとは思えない。

 万が一その力で魔法使いの殲滅が叶っても、その先の未来がみんなの為になるものだとは思えない。


 だから、私が止めなきゃいけないんだ。

 ドルミーレをこの心の中で眠らせている私が。

 彼女の力を持つ私が、ドルミーレの復活を阻止しなきゃいけない。


 なのに、体が動かないんだ…………!


『姫殿下────お覚悟を!』


 ドルミーレによって暴走した『魔女ウィルス』に肉体を蝕まれながら、ホワイトは私に牙を剥いた。

 全身から血を吹き出し、肉体の至るとこが破裂し、断裂し、美しい純白の体は血みどろに濡れている。

 しかしそれでもホワイトは、その揺るがぬ鋭い瞳を私へと一心に向け、大きく切り裂けた口を開いた。


 鋭い牙が並ぶホワイトの蛇の口。

 先端が裂けた舌を震わせながら、力なく倒れ臥す私に喰らい付いてかかる。

 彼女の巨体からなるその大口ならば、私を丸呑みにすることなんて容易いだろう。


 逃げなきゃ。立ち上がらなきゃ。戦わなきゃ。

 そう思っても、全身が悲鳴を上げて言うことを聞いてくれない。

 どんなに心が強く思っても、体が現実を突きつけてくる。


 ホワイトにドルミーレの力の行先を奪われた時点で、心にポッカリ穴が開いて力が入らなかった。

 それでもなんとか奮い立って戦って、けれど何度も圧倒的な力に打ちのめされて。

 体が限界を迎えている。根性論ではどうにもならないくらい、物理的に手足が動かない。


 必死で全ての魔力を回復に回しても、到底間に合わない。

 ホワイトの牙はもう目前で、ちっぽけな私を喰らい尽くすのなんてあと一瞬あれば足りる。

 諦めたくない。諦めるつもりなんてない。私は彼女の正義に屈しないのに……!


 開かれたあぎとは目の前。

 生暖かい吐息とともに、シューッと低くかすれた喉を鳴らす音が降りかかって。

 私は思わず、ぎゅっと目を瞑ってしまった。そして────。


 ぐちゃりと。肉が潰れる音が体に響いた。


 けれど、痛みは訪れない。

 その代わりに、熱くべっとりとしたものがボタボタと私に降りかかってきて。

 私は恐る恐る目を開いた。そこには────


「ギリギ、リ……セー、フ…………」


 私に覆いかぶさるように善子さんが四つん這いになっていて。

 彼女の肩と脇腹には、ホワイトの牙が深々と食い込んでいた。

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