93 戦いのわけ
私たちを覆っていた闇はすぐに取り払われた。
けれどそうして晴れた視界は、全く違うものになっていた。
昼間の日差しがほぼ通らない、薄暗い森の中に私たちはいた。
ここがどこかなんてすぐにわかる。
高速ビル群のようにそびえ立つ、天辺の見えない巨大な木々や、人よりも大きく覆い被さるような草花。
自分が小人になってしまったのかと錯覚するこの森は、『魔女の森』に間違いない。
大きな木葉に覆われた深緑の森は、とても静かだった。
国中で起きている戦いの騒ぎなんて、実は嘘だったんじゃないかと思うくらいに。
私が知る五年前と変わらず、穏やかで落ち着いた雰囲気だ。
「間一髪でございましたね。姫様、お怪我はございませんか?」
周囲を見回していた私に、クロアさんが優しく声をかけて来る。
移動の間に転臨の力を収めたのか、その姿は通常の人のもの。
すぐに頷くと、とても柔らかな笑みを浮かべて私をぎゅぅと抱きしめてきた。
華奢な腕が私の背中を掻き抱き、その温かな胸に迎え入れる。
その抱擁はとても柔らかく、優しく、それでいて力強くて。
心を抱かれるような温もりに、少し気持ちが柔らいだ。
「わたくしには、あなた様だけでございます。姫様の安寧が何よりの幸せ。あぁ、永劫このままあなた様を抱きしめていとうございます」
「クロアさん……」
涙ぐむように声を震わせ、じんわりと言葉を溢すクロアさん。
その優しさ、想いが強く強く私を抱きしめてくるのがわかる。
その想いが、細腕と一緒に私の心と体に固く絡みつく。
「ありがとうございます、クロアさん。でも、平和のためにはまずホワイトを止めないと。そうですよね?」
「左様で……ございますね……」
ゆっくりとその体から離れて私が言うと、クロアさんはションボリと頷いた。
しかしそれは私が離れてしまったことによる寂しさなどではなくて、何か憂いがあるような表情だった。
木漏れ日しか差し込まない森の中は薄暗くて、その白い顔に浮かぶ表情をよく読み取る事ができない。
「あの、クロアさん。どうしてこうなってしまったのか、教えてもらえますか? レイくんとクロアさんは、この戦いを起こしたくないと言っていたのに……」
その沈んだ表情を心配しながら、私はクロアさんの手を取って肝心なことを尋ねた。
きっとクロアさんの気落ちも、それに関連することだろうと思ったから。
弱々しい白い手で私の手を握り返しながら、クロアさんは子供のように小さく頷いた。
「全ては、あなた様の為なのでございます。もちろんわたくし共は無用で無謀な戦いをするべきではないと、そう考えておりました。しかし、状況はそうも言ってられなくなってしまったのです」
「この戦いが、私の為? どうして……」
「第一はあなた様の身の安全の為。第二は、ロード・デュークスが行おうとしている計画を押し留める為、でございます」
「…………?」
クロアさんの指が私の指に絡まる。
すらっと長く細い指が、私の手をしっかりと捕らえた。
まるでか弱い乙女が縋り付くように、そこには切実なものが感じられた。
私の身の安全、というのはなんとなくわかる。
要は私の身柄が魔法使いの手に渡らないように、という事なんだろう。
魔女狩り、そして魔法使いたちを襲撃する事で、私に向かられるであろう目を逸らそうということ。
けど、ロード・デュークスの計画ってなんだろう。
「ロード・デュークスの企てる計画、それだけはなんとしても阻止せねばなりません。魔女である我らは、その実現をとても許す事なのどできませんし、それに何よりあなた様にとって良くないものですので」
「一体、それはなんなんですか? ロード・デュークスは何を……」
独断で私を殺そうとしたりと、色々と勝手な人だということは聞いていた。
けれど具体的に何を目的としていて、どうして私を殺したいのかまでは聞いた事がない。
私が疑問を口にすると、クロアさんは唇を引き締めて俯いた。
それを言葉にするのは憚れると、そう言いたげな暗い表情で。
しかし意を決したように顔を上げると、更に強く私の手を握った。
「『ジャバウォック計画』。混沌の魔物ジャバウォックを再現させる、
「ジャバウォック────」
その言葉を聞いた途端、急激に心が騒ついた。
初めて聞く言葉のはずなのに、まるでよく知ってる言葉を耳にしたようで。
とても聴き馴染みのあるように感じられるけれど、私の心は強い拒否反応を示した。
それだけは受け入れられないと、そう叫ぶように。
「姫様、大事ございませんか……?」
「え、あぁ……はい。大丈夫です」
クロアさんに顔を覗き込まれ、ハッとする。
気が付けば私は全身汗びっしょりで、クロアさんの手を強く強く握っていた。
すぐに平静を取り戻して頷いて見せたけど、クロアさんの心配そうな表情は晴れなかった。
「ご存知ないはずの姫様にも、混沌の魔物の恐ろしさが刻まれている。やはり、その顕現は許されるものではない……」
クロアさんはそう噛み締めるように言ってから、そっと私の頭を撫でた。
「ご安心ください。あなた様はわたくしが何としてでもお守り致します。その身も心も、何者にも害することを許しは致しません」
「は、はい……」
私の頭を撫でてくれるその手は、まるで母親のように温かい。
それだけで安心できてしまいそうな、そんな柔らかさがあった。
ジャバウォックという名前に震えた心が、ゆっくりと解れる。
「でもクロアさん。それでもやっぱり、この戦いは止めないと。このままだと、ただただ犠牲者が増えて……」
「仰る通りでございす。本来であればレイさんが姫様をお迎えに上がり、直接こちらにお連れすることで、速やかに戦いを終える予定でございましたので」
クロアさんは私の頭を撫でる手を止め、息を吐きながらポツリとそう頷いた。
頭に置かれていた手がするりと滑って落ち、私の頬を包む。
レイくんは迎えに来てくれたけど、私たちはバラバラにこちらへ辿り着いた。
それにクリアちゃんの妨害もあって、計画は乱れたんだ。
「少々予定とは異なりましたが、それでも姫様は我らの元にいらっしゃった。後は、レイさんがリーダーの元に姫様をお連れし、目的を達する。我らが立てた算段は変わらず進むはずでした。ですが……」
ゆっくりと、噛み締めるようにそう言いながら、クロアさんは私の手に絡めていた指を解いた。
そして両の手で私の顔を包んで、震える瞳で私を覗き込む。
「ですが、レイさんは今ここにはいらっしゃらない。あなた様をお連れしたのは、わたくしでございます」
「クロア、さん…………?」
縋り付くように、掻き抱くように私にゆっくりと迫るクロアさん。
その声は恐怖と悲しみに震えるように、とても弱々しい。
「あなた様をあの場から連れ出したのが、レイさんではなくわたくしでようございました。レイさんでは、真っ直ぐ神殿へお連れしていたでしょうから……」
「…………?」
そう呟きながら、クロアさんは迷うように視線を下げた。
しかしすぐに顔を上げ、その潤んだ瞳を縋るように私へと向ける。
「────姫様。どうか、どうか……わたくしと共にどこか遠くへ参りましょう。全てを投げ捨て、誰もいないところへ、二人で……!」
泣き崩れるような剣幕で、クロアさんは切実にそう訴えた。
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