72 誰の味方か

「つかぬことをお伺いしますが……」


 屋敷の使用人が新しく用意した紅茶に口をつけるホーリーへ、スクルドは徐に切り出した。


「ロード・ホーリー。あなたは一体、何をお考えなのですか?」

「まぁ、色々とね」


 前傾姿勢で手を組み、覗き込むようにその蒼い瞳を向けてくるスクルドに、ホーリーは笑みを保ったまま返す。

 まだ若輩である彼ではあるが、君主ロードの位を持つ一流の魔法使いであることには変わりない。

 その眼差しは、鋭く相手を捕らえる力を持っていた。


 しかしそれを受けても、ホーリーは飄々とペースを崩さない。


「この五年間、あなたはデュークスさんの計画による悪影響を調べていたと言っていました。つまりあなたの目的は、ジャバウォックの再現の阻止であると、そう考えていいのでしょうか?」

「それは飽くまで目的の一つ、あるいは過程ね。残念ながらそれだけでは答えにはならないわ」

「ならば、その先を聞かせては頂けませんか。あなたは他の魔法使いとは違う。そんなあなたの考えを、私は聞いてみたい」


 ティータイムのお喋りのような態度を崩さないホーリーに対し、スクルドは真剣な声色で語りかける。

 膝の上で握り合わせる手には無意識に力が入り、剥き出しの前腕に筋がクッキリと浮かんだ。


「あら、スクルドくんはミステリアスな女性がお好み? レディの謎を解くのが趣味かしら」

「茶化すのはやめてください、ホーリーさん。私は純粋に、この国の行く末を案じて話を伺っているのですから」


 おふざけに対して真面目に返され、僅かに不貞腐れるホーリー。

 しかし堅実が服を着ているような彼に────今は着ていないが────あまり冗談ばかり言っても仕方がないだろうと溜息をつく。


 自分からわざわざ押し掛けたのだからと観念し、ホーリーはカップをテーブルに置いた。

 半分ほどに減った赤茶色の湖面を僅かに眺めてから、ソファーに深く座り直してスクルドに目を戻す。


「────スクルドくんは、魔法使いと魔女の在り方に疑問を持ったことはある?」

「……? いいえ。魔導を極めるのは魔法使いの務め。神秘を徒に乱し、更には死を振りまく魔女はあってはならない存在。それに疑問を抱いたことはありません」

「そうでしょうね。それは普通のことなのよ。けれど、普通だということになってしまっただけで、本当は普通でも何でもないの」


 若者を諭すような柔らかい笑みを浮かべ、ホーリーはゆっくりとそう言った。

 スクルドはよくわからないというように眉を上げたが、そもそも彼女もわかるように話してはいなかった。


「私はね、スクルドくん。今のこの国の在り方そのものに疑問を感じている。いいえ、認めていないと言ってもいいわ」

「なっ……あなたという人が一体何を!? フラワーガーデンの君主ロードであるあなたが……!」

「だからこそよ。だからこそ私はこの在り方が認められなくて、だからこそその渦中に身を置いているの」


 古の時代より、最古の歴史を持つ家、フラワーガーデン。

 始まりの魔法使いの一つとされている由緒正しき家。

 古い歴史を持つが、しかしその内情が明らかになっていない謎多き家でもある。

 それでも家が持つ歴史と、受け継がれてきた魔法の研鑽を重んじる魔法使いにとって、古の家系は大きな存在感を持つ。


 その家督を継ぎ、そして君主ロードの位を持つ女が、国家に不信を抱いている。

 それは決して無視できない事実だった。


「ならば、あなたが望むものは何だというのですか。二千年の歴史を誇るこの国に、どうあるべきと」

「さぁ、それはわからない。ただ私に言えることは、今のこの仕組みは間違っているということ。魔法使いが魔女を蹂躙し、一方的に踏み付けるこの現状は、あってはならないのよ」


 ホーリーの発言に、スクルドは動揺を隠せなかった。

 魔女狩りでなくとも、魔法使いならば魔女の在り方を嫌うもの。

 そしてその魔女を排除することを生業としている魔女狩りは、その傾向が特に強いものだ。

 それを統べる女が、どうしてそのようなことを口にするのか。


「ホーリーさん。あなたは、国家に反逆をするつもりですか?」

「まさか。私がそんなことできるように見える? こんないたいけなお姉さんが」

「あなたは、ナイトウォーカーと肩を並べる実力を持つと聞き及んだことがあります」

「やぁね。買いかぶりよ」


 語気に険を込めるスクルドに、ホーリーはヒラヒラと笑って返した。

 そんな彼女の人を食ったような態度に、スクルドは顔をしかめた。

 しかしあまりにも飄々としすぎており、疑う事が馬鹿らしくなる。

 真実を口にしてはいないのだろうが、しかし特別裏があるようにも見えない。


 複雑な心境を胸にムッとしているスクルドに、ホーリーは柔らかく笑いかけた。


「安心して。私が国に対して叛旗を翻すなんてことはないわ。でもだからといって、魔法使いの味方でもないんだけれどね」

「では、あなたは一体何の味方なのです?」

「そうねぇ。私は…………友達の味方、かな」


 そう口にして浮かべたホーリーの笑顔は、成熟した女性の落ち着きを持ったものというよりは、年頃の少女のような華やかなものだった。

 そんな無邪気な笑みを向けられたスクルドはすっかり毒気を抜かれてしまった。


「……そうですか。あなたは、姫殿下のようなことを仰るのですね」

「え?」

「あの方も、魔法使いや魔女は関係なく、友のために戦うと仰った。あなたたちの目は、どこか似ています」

「あら……そう?」


 笑みが更に緩み、だらしなく歪むことを必死に堪えるホーリー。

 彼女がそのように成長したことが、素直に喜ばしかった。

 そして何より、自分に似ているとそう言われたことが。


「国への叛旗と言えば、ワルプルギスのことは聞き及んでいるでしょ?」


 そんな自身の緩みを誤魔化すように、ホーリーはさっと話題を切り替えた。

 スクルドはその転換に些か不満そうな表情を浮かべたが、素直に頷いた。

 どちらにしろ、これ以上話したところで聞き出せるものはないと悟ったのだろう。


「あちらの世界での大規模感染、そしてそれに伴う魔女の増加。同胞を増やして、何を企んでいるのでしょう」

「それはそれで、放ってはおけないわね。恐らく彼女たちがしようとしていることはジャバウォックの対極。だからこそ、ある意味その先に見える世界の未来は同じよ」

「ホーリーさんは、彼女たちの企みをご存知なのですか?」

「いいえ、ただの予想よ。けれど、ワルプルギスの目的は魔法使いへの叛旗だけに止まらない。それは確実だと思うわ」


 問いただすようなスクルドの視線をかわし、ホーリーは軽い言葉で返した。

 しかしそれが声色通りではないことは明白で、スクルドは小さく唸った。

 今までただ魔法使いに反抗を示すだけだったレジスタンスが、それ以上に何を望んでいるのか。

 魔法使いである彼には、それを想像することができなかったからだ。


「何にしろ、魔女が国家に仇を為そうとしてるのであれば、それを阻むのが私の役目です」


 魔女狩りにおける姫君の件に関わらないと誓った彼は、国内の防備に注力することでその任から自らを遠ざけている。

 万が一魔女が国を脅かすようなことがあれば、それに相対するのは彼になる。

 自信に満ちた声を上げたスクルドは、ホーリーにその生真面目な顔を向けた。


「魔女狩りの任を担う君主ロードとして、私がその企みを阻みましょう」

「頼もしいわね。でもね、あなたには事態を見間違えないでほしいの」


 鼻筋の通った爽やかな顔に力強い瞳を宿すスクルド。

 そんな若者の頼もしさに微笑んだホーリーは、しかし何かを憂うようにやや目を細めた。


「魔法使いだから偉いわけじゃない。魔女だから悪いわけでもない。本当に尊重すべきは、神秘ではなく人の心。そして本当に悪しきものは、人の心を惑わす混沌なんだから」


 そう言うと、ホーリーは徐に立ち上がった。

 机を回り込んで正面に座すスクルドのすぐ脇に立つと、その剥き出しの肩にそっと手を乗せた。

 張りのある木の根のような首筋と、それを支える肩の盛り上がりの境目に、からかうように指先を這わせる。


「古い仕来しきたりや、下らない格式、固定概念に惑わされないで。まだあなたは若い。あなたなら、決められたものに囚われず、正しいものに目を向けられると、私は期待しているわ」

「ロード・ホーリー、あなたは……」


 積み重ねを重んじ、古きを良しとする魔法使いにあるまじき言葉。

 スクルドは怒りや嫌悪ではなく、ただ純粋に疑問を抱いて女を見上げた。

 あなたは一体、何を知っているのかと。


 しかしその問いかけは笑顔に掻き消される。

 彼女の奔放な笑みが、会話の終わりを示していた。


「それじゃあ私はそろそろお暇するわね。紅茶、ご馳走様」


 スクルドに喋る隙を与えず、ホーリーはそう捲し立てた。

 力を入れていないにも関わらず、凹凸が明確なスクルドの上腕を指でピンと弾き、その固い弾力を確かめて悪戯っぽくほくそ笑む。


「いい男になりなさい、坊や。あなたはまだまだ、これからよ」


 そう、言いたいことだけを一方的に残し、ホーリーはハラリと身を翻した────かと思うと、扉の前ですぐにくるりと振り返る。


「サービスはありがたく頂戴したから、早く服着なさいね。風邪ひいても知らないから〜」


 笑いながら立ち去る女につられて、スクルドも思わず笑い声を漏らした。




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